はじめてのバズり記事 #短編小説
「〇〇だ。いつも俺の記事を読んでくれて礼を言うぜ」
スマホの画面にそんな文章が浮かんでいる。〇〇は自分の名前だ。でも、自分が書いた文章ではなかった――
「うちのサイトのコラム『記者想う』。あそこに書いて」
突然、編集長に言われたのは、出張帰りの翌朝だ。編集長はいつものように淡々とコーヒーを飲んでいる。この人が怒ったり感情を露わにしたところをまだ見たことがない。
「取材の感想とか、業界の裏話とか。いつも本誌で編集後記を書いてるだろ。あれの長いやつでいいから、さくっと書いてくれればいい」
「さくっと……締め切りは?」
「うん、今日中」
「え!」
思わず大きな声が出てしまう。
「いくらなんでもそれは……」
すると、すぐ後ろのデスク(副編集長)の席から、低い声がした。
「特集記事の締め切りは明後日だって忘れんなよ」
振り向くと、デスク席の横に先輩が立っていた。デスクと一緒にこっちを見てニヤニヤしている。さすがに腹が立ってちょっとにらみつけると、
「大丈夫だって、お前ならすぐ書けるって」
と軽く言われた。絶対、そう思ってないよな、その顔は……
◇
業界雑誌の編集記者に転職して一年。そこそこ執筆記事の本数も増えて取材も慣れてはきたけれど、いまだに記者としての不安は消えていない。毎日勉強の日々が続いていた。
うちの出版社のサイトには、記者個人の考えや思いを書けるコラム「記者想う」がある。広告連動のPV(ページビュー)目的というより、業界関係者で話題になることを狙っていて、実際、先輩は取材前のアイスブレイクでよくネタに使っていた。
そこへの執筆の指令だ。一瞬どうするか迷ったが、これはチャンスだ。今日中の締め切りはきついけれど、ここは腹をくくって挑戦してみることにした。
どうせ書くなら、下手なりに注目される記事にしたい。そこで、業界注目の新技術について、誌面の記事では書かないようなわざと砕けた口調で、面白おかしく執筆してみた。ややロジックにひねりがあるので、そのまま受け取ると「この記者、頭おかしいんじゃないか」って思われるかもしれない。でも、うちの読者なら誤読はしないだろう。ちょっとクスっと笑ってもらえればいい。
オンラインの場合、うちの強面のデスクを通す必要はない。ノリノリで書いて、23時50分にオンラインの担当デスクに送信した。締め切り10分前だ。すると「こりゃ、いいねえ」とすぐに返事が来た。そのあとデスクと何度かメールで修正のやりとりをして、事実関係の確認、校正を済ませると、深夜の間にあっさり公開された。やっぱりWeb記事のスピード感は紙の雑誌とは全然違う。
◇◇
「すごい読まれているらしいな」
数日後の昼休み、先輩が自分の席にやってきた。驚いた顔をしている。でも、先輩に言われる前から知っていた。オンライン担当のデスクから、サイトのアクセスデータを聞いていたから。
自分が書いたコラム記事は、なんと過去最高のアクセス数で読まれていた。公開翌日に出したメルマガに、キャッチ―なタイトルをデスクがつけてくれたおかげだ。
でも肝心なのはPVじゃない。記事についたコメントの多さだ。
「こんな記事が御社のサイトで読めるなんて感激です」
「面白い!」
「難しい技術を笑って学べました」
「けなしているようでしっかり褒めているロジックが見事」……など、いままで見たことのない好意的なコメントが多数書き込まれていた。雑誌記事では、こんな反応はもらえない。もらえてもタイムラグがある。やっぱりネットってすごい。いや、自分ってけっこう文才があったのかも――なんてコメントを何度も読み返しては悦に入った。
一方で気になるコメントもあった。
「御社の記事で、こんな低俗な文章を読まされるなんて」
「ふざけるにもほどがある」
「これを書いた記者は何にもわかってない」
「ジョークで書いているつもりだろうが不愉快だ」……好意的なコメントと同じくらい厳しいコメントだった。多くは『うちの会社に似合わない記事』という論調だ。
もちろん、こういったコメントが来ることは想定していた。デスクも「覚悟しときな」とは言っていた。だから、厳しいコメントに若干へこみながらも、あまり気にしなかった。誰にも読まれないウケない記事よりは、心に引っ掛かりがあるほうがいい。
「ウケたな。やったな」と先輩が笑って肩をたたいてくれたのも心強かった。
でも――
そのうち、その記事のことは、別の掲示板やSNSに飛び火した。
最初は、こんな面白い記事がある、という程度だった。
けれど、そのうちこれを書いた「〇〇記者」という部分が独り歩きをはじめた。自分のことだ。
「〇〇記者って何者?」
「この程度の文章、誰でも書けるよ」
「ちょっと〇〇って生意気じゃない?」
これくらいならいい。ネガティブコメントの延長だ。けれど……
「〇〇の書いた記事ってホントに存在するの?」
「オワコン雑誌業界の記者だからな。どうせ記事も嘘ばっかりだ」
「しょせん、マスゴミなんだよ、えらそーに」
と、元のコラム記事を読んだとは思えないコメントも出てきた。どう見ても、うちの読者ではない。そもそも、うちの雑誌もサイトも業界の人向けだ。一般人が読んでも面白くないし、内容もわからない。
そのうち、記事にも全く触れなくなった。
「〇〇記者の、中学の友人の▽▽です」
「俺が〇〇本人だ。いつも俺の記事を読んでくれて礼を言うぜ。お前ら、覚悟しろよ」
と、自分の友人のなりすましや、自分のニセモノまで現れた……
さすがにこれには唖然とした。はじめてスマホを握る手が震えた。最初に署名記事を書いたときの、あの、実名で自分の記事が世に出たときの怖さがよみがえって背筋が寒くなる。
なんでこんなことに……
自分は実名で記事を書いている。ペンネームじゃない。掲示板やSNSに流れる名前は本名だ。こいつら自分のことを何にも知らないくせに好き勝手に……
でも、ネット探偵たちがその気になれば、いろいろほじくり返され、もっとあることないこと書かれるだろう。家族や友人にも迷惑がかかるかもしれない。いや、すでに一部、その兆しがある。
タレントや俳優のような有名人でもない、何か事件を起こしたわけでもない普通のサラリーマンに対して、何が面白くてそんなことやるんだ、と怒りが沸く一方、世の中の有名人は、いつもこんな恐怖に怯えているんだとはじめて実感する。『今の時代、いつ誰が標的にされるかわかりません』なんて、週刊誌のよくある煽り文句が呪いのようにリフレインする。
知らない他人に『書かれる』立場になって、体調も崩した。普通にしていても、気持ちの悪いものが胃のあたりにこみあげてくる。
こんなこと、記者になると決めて転職したときからわかってたろ――そう自問した。たしかに、こんなこと気にしない人も多いだろう。けれど、妄想ではなく、いざ本当にその状況になってみると、まったく違った。
オンライン担当のデスクに相談すると「まあよくあるので、心配するな」という。悪質な嫌がらせがあったり、会社の業務に影響が出ているわけでもない。この仕事をしている以上、「読まれてナンボ。いじられてナンボ、ネットじゃなくてもあること」だと。「具体的な著作権違反や迷惑行為があったりエスカレートしたら、会社として対応するから安心しろ」と。たしかにそれは頭ではわかっていた。たぶんネット専業の媒体の記者なら、こんなことで動じたりしないんだろう。
「俺にも経験がある。あ、エゴサするなよ。疲弊するだけだ」
だんだん口数が少なくなった自分に、先輩が缶コーヒーを差し出した。
「バズり記事の勲章だと思って、堂々としてればいいんだよ」
「勲章って言っても……」
「俺なんか、サイトに顔写真まで出てんだぞ」
たしかに先輩は顔写真付きでコラム記事を書いていた。記者の知名度というかファンづくりのためのPR手段として強力な武器になると思ったけれど、自分はそこまでやらなくて良かったと安堵する。
「自分はまだ、マシなほうですかね……」
「そう。それに、こんなのすぐに収まるから大丈夫。気にするな」
先輩の言う通り――
やがて、自分についての投稿は他の書き込みに埋もれていき、翌週には、話題にも上らなくなった。飽きられたのだ。
「な、だから言ったろ」
先輩やデスクにそう言われて、ようやく気持ちが楽になっていくのがわかった。しょせん、『〇〇記者』にはたいした価値はなかったということか。嵐が過ぎ去ったようでホッとしつつ、いつかまた再燃するんじゃないかとも思う。
けれど、世の中はそんなに暇じゃない。
『〇〇記者』の件はネットの深い海の中に沈んでいき、自分自身も仕事が忙しくなってくるにつれ、そんな小さな『バズり』騒動のことなど、次第に忘れていった――
◇◇◇
しばらくして、ある企業の女性経営者にインタビュー取材が入った。これまでたくさんの修羅場をくぐり抜けて来た有名人だ。自分よりずっと年上で貫禄がある。
応接室に通されてその女性と名刺交換していると、「おやっ」と小さな声が聞こえた。
「ひょっとして、記者想うの……〇〇さん?」
女性が、両手で名刺を持ちながら、確かめるようにじっと自分を見ている。すぐに、例のコラム記事のことだとわかった。けれど、自分でも忘れていたくらいだ。正直、気づいてほしくはなかった。これが先輩だったら、バズった件を面白おかしく話して、アイスブレイクに利用するのかもしれない。でも、そこまでの度胸はなかった。ちょっと緊張する。
「……お読みいただいたんですか。ありがとうございます」
「あれを書いた記者は、あなただったのね……」
「お恥ずかしいです……」
彼女は自分を値踏みするように見ている。ただ、記事が面白かったとは言わない。
「……あ、そういえば」
うん?……この人は何を言おうとしているんだ。
「SNSでいろいろ書かれてたでしょう」
やっぱり……知っているのか。
「どんな人なんだろうって、思ってたの」
知らない誰かに作られたSNSの中の自分は、自信家で横柄で人を見下している。正直、嫌な奴だ。そういう勝手に作られたイメージが先行すると、初対面の人には警戒されてしまう。といって、今さら自分から否定するのもどうかと思う。今日のインタビューはうまくいかないかもしれないなと、少し肩を落とした。
「……でも、あなたは全然違うようね」
ふと、さっきまでと温度差のある声が聞こえた。
「は?」
「記者も大変だと思うけど……」
「……」
「……私もこれまでさんざん嘘を書かれて、嫌な思いをしてきたのよ」
その言葉を聞いて、名刺を手にしたまま固まった。
「どうかした?」
「……いや、なんでもないです」
「じゃ、どうぞお座りください。はじめましょうか」
慣れた手つきで促された。
「ありがとうございます。失礼します」
応接室の椅子にゆっくり座る。
ちっぽけな。
ちっぽけな自分を悟られてはいけない。
急いで、取材ノートとペンを取り出した――
<了>
(作者より)
下記は本作の主人公の別のお話です。併せてお読みいただけますと幸いです。緩やかにつながっていますが、単独でお読みいただけます。
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