はじめての署名記事 #短編小説
書く仕事に携わる――そのちっぽけな憧れは早々に吹き飛んだ。
「……ダメ。誰に向かって書いてるの? これ確認した? 書き直して」
真っ赤になった原稿をデスク(副編集長)から突き返された。
◇
転職先は、出版社の編集部。ある業界の専門誌を発行している。職種は編集記者。自分で企画したネタについて取材して記事も書くし、デザイナーとの調整、外部寄稿者の原稿査読まで幅広くこなす。以前とはまるで違う仕事だ。
それでも、やれると思っていた。文章を書くのは得意だったし、中途採用の試験や面接を経て採用されたのだから、それなりに見込まれたのだろう、という小さな自信もあった。
けれど……まったく通用しなかった。
これが新卒の新入社員だったら、研修を受けて、それこそ名刺交換の仕方から取材のイロハ、広報との付き合い方、著作権、原稿の書き方、最近ならAIの利用まで丁寧な教育を受けるのだろう。
しかし自分が転職した出版社は、中途社員向けにそんな時間は作らなかった。記者未経験など関係ない。仕事はOJTで身体で覚えて。記事の書き方は先輩やデスクに教えてもらって。もう三十過ぎの社会人なんだし、即戦力として採用したのだからそれくらいできて当然でしょ――人事はそんな感じだった。自分もそういうものだと思っていたから、それを不満には思わなかった。
はじめて任された原稿は某メーカーの新製品の紹介記事。先輩記者に連れられて記者発表会に行った。それまでも何度か記者発表会には参加していた。先輩がどう質問するか、どう振る舞えばいいかを見て覚えて真似をした。でも、「今回は君が書いて」とデスクに言われて取材したのははじめてだった。うちの雑誌は署名記事が基本だから、いよいよかと思う。
夕方に記者発表会場から編集部に戻ってPCでテキストエディタを立ち上げると、一気呵成に書き上げた。シカケ(図版)を一点いれた一ページ分の記事。
デスクに見せる前にまず一緒に取材に行った先輩記者にプリントした原稿を見せる。先輩はフーンと言って読み終わると、「がんばって」と笑う。お、先輩をうならせたかな、と思って意気揚々にデスクに原稿を渡した。
けれどデスクはざっと読むなり……何も聞かずに、その場で猛烈に赤字を入れ出した。
主語と述語の位置の変更、言葉の言い換え、段落の変更、固有名詞の修正……デスクの字はものすごく読みにくい。トル、トルツメといった校正用語。字下げ、文字の入れ替えといった独特の記号。それらが赤字で書かれていく。唯一わかったのは、突き返された原稿に自分の書いた文章がほとんど残っていなかったことだった。
あまりのことに「どこがいけないんですか」と聞くこともできない。デスクはただ無言で自分を見ている。この強面のデスクは、口数が少ない。目で「原稿を自分で読め」と言っている。
自席に戻ってくると先輩が「しっかりね」とだけ言って笑った。これが記者としての最初の洗礼か――まあ仕方ないなと自分に言い聞かせて、デスクの文字を解読しながら赤字通りに書き直す。校正用語や校正記号は人事からもらった記者手帳を見ながら調べた。全体を書き終わって読み通すと、悔しいけれど確かに赤字の指示通りにしたほうがずっと読みやすく、わかりやすい。これがプロの原稿かと思わずうなる。
修正した原稿をプリントしてデスクに再度渡す。デスクは自分の作業を止めてまたざっと読むと、さらに赤字を入れ出した。え、さっきの修正で終わりじゃないのか? また真っ赤になった原稿が突き返される……
今度はデスクが口を開いた。
「……この表現はちょっと固いからもう少し変えて。あと、この製品のポイントがまだ明確になってない」
あの……デスクの言う通りに直したんですけど……と言いそうになるのを必死でこらえて赤字の原稿を受け取る。
「発表会でもらった資料も一緒に見せて」
すぐに資料をデスクに渡す。
結局こうしたやりとりが、あと四回ほど繰り返された。しめて通算三時間。「じゃあ、これでいいよ」と解放されたときは、もう二十一時を過ぎていた。
すっかり自信を失った自分に、先輩が言った。
「……まあ最初はみんな同じだから気にしなくていいよ」
「ほんとですか?」
「……鬼だからね」
帰り支度をしていると、書類や書籍が山と積まれ、姿の見えないデスク席のほうから声だけが聞こえてきた。
「今度の特集の件で打ち合わせるから、二人ともちょっと来て」
先輩と顔を見合わせる。時刻は二十二時だった……
◇◇
初校のゲラ(校正刷り)があがってきて「確認しろ」とデスクから指示があった。はじめて自分が書いた記事の初校。はじめての署名記事。あれだけ時間をかけて書いたのだ。どんな形になっているのかと期待に胸が高まる。
初校のスタンプが押されたゲラを受け取って全体を見渡した。
けれど……その記事は、自分が最終的に書き直した原稿とはまったく違うものになっていた。
記事タイトルも最初の書き出しも違う。
結論から入る典型的な報道記事の構成。的確な小見出し。ストレートにその製品のポイントや価値を挙げつつ、他社の類似製品との比較や、いまこの製品が出てきた背景や意味といったことが重層的かつ簡潔にまとまっている。しかも、さらりとその製品の弱みについても触れていて、けっしてヨイショ記事になっていない。単純に機能を並べただけの自分のオリジナル原稿とは全然違う。たった一ページの新製品の記事から、たくさんのことが伝わってくる。しかもわかりやすい。圧倒的だった。
ただ、それよりもショックだったのは、このゲラには『自分がいない』ことだった。苦労して三時間かけて書いたはずの文章には、自分の痕跡がどこにも見当たらない。固有名詞をのぞいて、言い回しふくめて、まったく自分の言葉が残っていない……
なにもかも、デスクが全面的に書き直していた……
それなのに……それなのに、記事の最後にある名前は……記事の最後は自分の署名だ。
しばらくゲラを手にして茫然とする。
そりゃ、記者になりたての素人が、知識と経験で豊富なプロにかなうわけがない。最初の原稿は確かにひどかった。でも、だからこそ食い下がって原稿を直したのだ。
それなのに全部書き直さなくたって…… しかも署名は自分の名前のまま。違うだろ。これを書いたのはデスクだ。デスクの記事だ。これなら、署名をデスクの名前にしてくれたほうがよっぽどいい。恥ずかしくて、とても書店に並んだところを見られたくない。
もちろん、新人記者の文章がそのまま載るわけない、というのは頭では理解している。だとしても……自分はそこそこ社会経験を積んでいる。新卒ではない。これはあんまりじゃないか。
混乱して立ちつくす自分の横に先輩がふらっとやってきた。ゲラを後ろから覗き込む。
「……お、できたか」
言いながら、すらすらと読む。先輩がゲラを読んでいるあいだ、怒りとも絶望ともいえない無念さがごちゃまぜになり、転職は失敗だったかもという思いが広がっていく。
「いいじゃん。良く書けてる」
読み終わった先輩が肩をポンと叩いた。そりゃ、デスクが書いた記事だ。良いに決まっている。
「……でも、これって……」
署名を指さすと、先輩が当然だろうという顔をして言った。
「そう。これは君の記事だよ」
「え?」
「だって、そう書いてあるじゃん」
「……」
先輩はそれだけ言うと、「トイレ、トイレ……」とつぶやきながら廊下のほうに行ってしまった。
◇◇◇
署名記事が載った最新号が発売された週のはじめ、先輩と自分はお台場の展示会を取材で訪れた。一般消費者向けの展示会ではないから、派手さはないが、業界の専門家や他誌の記者がこぞって参加している。
各社さまざまに凝った展示があるなか、自分が書いた記事のメーカーが展示ブースを出していた。ロゴが入った赤いTシャツの男女が数人。赤い箱に入ったノベルティのUSBメモリを配っている。そういえば見本誌を広報に送ったまま、特に記事についてコメントはもらっていなかった。
「△△さん! こっちこっち」
赤いTシャツの年配の男性が、こちらに手を振って先輩の名前を呼んだ。それに気づいた先輩が男性のほうに向かっていくので、自分も後ろについて行くと、男性がニコニコしながら話しかけてきた。先輩とは古くからの知り合いのようだ。
「いやー、最新号読みましたよ」
ドキッとして男性から目を逸らす。
「ありがとうございます。さすが早いですねえ」
先輩が頭を下げた。
「そりゃ、うちの製品が紹介されてりゃ、読みますよ」
「どうでした?」
「いい記事にしてもらって」
その言葉に思わず男性のほうを向くと目が合った。先輩が後ろ手で、自分の腕をぐいと引っ張った。
「あの記事を書いた、うちの〇〇です」
もう逃げられない。先輩に押し出されて男性の前に立った自分は、頭を下げて名刺を出した。
「……ほぉ。あんたが、あの記事、書いたの。よく調べてあって感心したよ」
男性がしげしげと、頭から足まで自分を見る。
『いや、たしかに署名は自分ですが、書いたのはデスクで……』
思わずそう言いかけたとき、男性が目の前にこぶしを突き出した。え? 殴られるの? 身構えると、男性は手をグーからパーに開いた。手のひらに赤い箱が乗っている。ブースで配っているUSBメモリだ。
「……うれしいなあ。いい記事書いてくれて。これ、もらってよ」
男性が赤い箱を、自分の手に握らせようとした。しかし、その瞬間、先輩が男性と自分の間に割って入った。
「もう、油断ならないなあ。うちはそういうのダメって知っているでしょ」
「いいじゃない。これくらい」
「ダメですって」
男性と先輩が、いるいらないを漫才みたいに繰り返したあと、男性がちょっと真面目な顔を自分に向けた。
「〇〇さん。じゃあ、次も期待してるよ」
「は、はい」
――かろうじて、そう言えた。ただ、なんとなく男性に、すべて見透かされているような気がした……
展示ブースを離れてしばらく歩くと、先輩がポツリと言った。
「記事、ちゃんと読んでもらえてて良かったな」
「……」
「どうした?」
「……良かったというより、怖い……です」
正直に言った。
「……怖いよな」
「自分は記者に向いてませんか?」
「そんなこと、わからないよ」
「……」
「……でも、自分の名前の記事には責任を持とうな」
そう言われて、足が止まった。前を行く先輩の背中が見える。
「何やってんの。次いくぞ」
――その声に置いていかれないよう、すぐに先輩を追いかけた。
<了>
(作者より)
本作の主人公のその後の物語です。併せてお読みいただけますと幸いです。
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