見出し画像

はじめてのファンレター  #短編小説

「ファンレターをもらったんだって?」
 先輩がニヤニヤしながら話しかけてきた。はじめてもらった読者からの手紙だ――


 メーカーのエンジニアから業界雑誌の編集記者に転職して半年。多少は慣れたものの、不安と勉強の日々が続いていた。そんなある日、編集長から妙に分厚い編集部宛ての封筒を渡された。編集長は満面の笑みを浮かべて「ファンレターだよ」と言う。

 いまどきメールじゃなくて郵便で手紙を送ってくるなんて。しかもこんな業界関係者しか読まないようなマニアックな雑誌に。

 すぐに自席に戻って確かめる。封筒の中には、何重にもたたまれたA4のプリンター用紙が入っていた。丁寧に取り出して広げると、「拝啓、編集部〇〇様」と冒頭に自分の名前が印字してある。まさか!
 すぐに背後から先輩が「俺にも見せてよ」と声をかけてきて、わざわざ声に出して読み始めた。

「お、名指しとはすごいな。えーと、いつも御誌の記事は大変興味深く、技術者として勉強させていただいております。また、最近の〇〇氏の記事も楽しみにしています。おやおやあ!」
 先輩が口を押さえた。そこで笑わなくたっていいのに。たしかに自分の原稿は、まだデスク(副編集長)が大半を書き直している。だから署名記事であっても、自分の記事という実感がない。楽しみにされるのは嬉しいけれど、正直複雑な気分だ。

「……ただ、最新号の編集後記については正直がっかりしました。え? 記事じゃなくて編集後記?」
 そこから先輩は声には出さずに、自分も食い入るように読み続けた。だんだん自分の顔がこわばっていくのがわかった。
「……ということで、ぜひ認識を改めてください。なお、編集後記の訂正は不要です。精進してください」
 先輩は最後の部分だけ声を出した。

 ――はじめての読者からの手紙は、担当した記事じゃなく、たった五行しか書いてない編集後記についてのコメントだった……
「……これはすごいな」
「これやっぱり、クレームでしょうか?」
「うーん……どうかな」
「記事と違って編集後記は自分が書いた文章そのままじゃないですか」
「余計にショックか?」
「……ですね」

 編集後記で書いたのは、こんな内容だ。映画『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータHALの名前は、IBM社の名前から命名されたと言われてますが……と冒頭に入れて、取材した新型AIの先進性を述べた。アルファベットのIBMの文字を一文字ずつ「前に」ずらすとHALになるので、未来を先取りした命名だったのではという有名な逸話がある。自分としては最新AIを取材したときの感想を、ユーモアまじえて書けたと思っていた。実際、デスクの赤字も入らず、そのまま掲載された。考えてみれば、はじめて本誌に載った、自分だけで書いた文章だった。

 けれどその読者からの手紙には、「HALがIBMの名前から名付けられたというのは間違いです。原作者のクラークも監督のキューブリックも否定しています。もっと勉強してください」ということが、延々と書かれていたのだ。

 あまりに想定外の指摘に、手紙をもらった嬉しさなど吹き飛んでいた。確かにネットで調べると手紙の指摘の通りだった。逸話というのは自分の思い込みだった。まあ真実はわからないけれど、確認せずに書いたのはうかつだったと認めざるを得ない。

「これって、次号で訂正文を出すべきですか?」
「編集後記だぞ。ほっといていいよ」
「うーん……」
 手紙にも訂正は不要って書いてある。でもかえって気になる。
「……にしても、これ書いた人はかなり厳しいな」
 ふと先輩がつぶやいた。
「自分のこと技術者って書いてますしね」
「いや……この厳しさがさ、なんかグッとくるんだよな」
「え?」
「わざわざ郵送にしたのは意味がありそうだし」
 郵送といっても、手書きの便箋ならともかく、A4のプリンター用紙への印字だ。自分にはよくわからない。
「よっぽど頭に来たんですよ、きっと」
「そうかなあ……」
 言いながら先輩は封筒を取り上げて裏返した。
「……あれ、送り主の名前がないな。住所も書いてない」
 あまりのことにそれを確認してなかった。慌てて表の切手を見ると、横浜の消印だ。
 横浜――? まったく心当たりがない。
 先輩は少し遠くを見ながら何か考えていたけれど、
「匿名の手紙か。まあ、はじめてのファンレターなんだから大事にとっておけよ」と、自分に封筒を押し付けた――

 その手紙の手がかりがようやくつかめたのは、数年たってからだ。

 大学の同期と飲んでいたら、研究室の教授が横浜に住んでいたと聞いたのだ。すぐに手紙のことを思い出した。

 自分がいた大学の研究室はコンピュータ制御が専門だった。担当教授の指導は厳しかったけれど、面倒見が良くて情に厚いところがあった。あの教授なら、ああいう手紙を書いた可能性はある。きっとそうだ。たまたま手にした雑誌に教え子の名前を見つけて、手紙を出してエールを送った。でも名前は伏せた――そんなことを想像した。

 教授の家の正確な住所を知りたい。もしご存命なら、本人に会って確かめたい。できれば、少しは記者らしくなった今の姿を見せたい。たぶん実家に行けば、住所録か何かあったはず。

 有給休暇を取った自分は、あのとき編集長に渡された封筒を手に実家に向かった。母が一人暮らししている千葉の団地だ。「あんたの荷物は、全部お父さんの書斎に移したから」そう言われて、父の書斎、いや今は物置になった部屋に入った。

 父の部屋は、かなり散らかっていた。段ボールやら本やらバッグやら、無造作に積み上げられている。いくら父がもういないからって、少しは片付けろよと思いながら大学時代の資料が入った段ボールを奥に見つけた。あれだ、あの中に住所録があったはず。荷物をかき分けて段ボールにたどり着き、中身を確認する。

 あった! 研究室の住所録だ。これで、あの手紙の謎が解ける。はやる気持ちを抑えながら、ページを開いて担当教授の名前を指でたどった。

――神奈川県鎌倉市

 しかし、教授の名前の横にはそう書いてあった。横浜じゃない。一気に気分が萎えて座り込んだ。

 結局、同期の情報はガセだったのか? 何かの間違いか? わざわざ休みを取ってここまで来たのに……

 そのとき、積んであった他の段ボールがバランスを失ってドサッと崩れた。一番上の段ボールの中にあったものが床にバラバラと散らばる。
「ああ、やっちゃった」
 そうつぶやきながら、散らばったそれを取り上げたとき――

 うちの雑誌だった。それも古い。ちょうど自分が転職したころの……

 段ボールの中をのぞくと、古いプリンターが見えた。未使用のA4のプリンター用紙も入っている。この用紙は…… 

 そういえば父は定年後、老後の楽しみだといって、パソコンとプリンターを買ったと母から聞いたことがあった。


 父の勤務先は……たしか、横浜のほうだった――


<了>



(作者より)
本作の主人公の別のお話です。併せてお読みいただけますと幸いです。緩やかにつながっていますが、単独でお読みいただけます。

スピンオフ作品