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将棋盤の前で、その人は震える手で駒を動かした。特養で出会った「最後の一局」が、私に教えてくれたこと

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プロローグ——震える手と、最後の一手

その人は、震える手で、駒を動かそうとしていた。

指先が定まらない。つまんだはずの駒が、指から逃げる。動かそうとした拍子に、手が盤に当たって、関係のない駒まで動いてしまう。それを、また震える手で、ひとつひとつ直す。直しながら、次の一手を考える。

会話は、もうなかった。声は、出なかった。

でも、その人が、回らない頭で、必死に何かを考えているのは、痛いほど伝わってきた。

私は、手を抜かなかった。抜けなかった。手を抜くことは、この人に対して、いちばん失礼なことだと思ったからだ。

これは、特別養護老人ホームで16年働いてきた私が、ひとりの利用者様と指した、たぶん最後の将棋の話だ。

そして、「人にとって"やりたいこと"とは何なのか」を、これ以上ないかたちで、私に突きつけてきた出来事の話でもある。

第1章——将棋を指して、笑い合えた頃

私は作業療法士16年目、特養で機能訓練指導員をしている。これまで100人近くの方の最期に立ち会ってきた。

その人と出会ったのは、それほど前のことではない。

認知症は、そこまで重い方ではなかった。私のことも、ちゃんと理解してくれていた。職員の顔も、名前も覚えている。昨日のことも、ちゃんと話せる。そういう方だった。

そして、阪神ファンだった。

ただのファンではない。前の日の試合結果を、きちんと覚えている人だった。「昨日は勝ったな」「あの場面が悪かった」と、こちらが驚くくらい正確に、試合のことを話す。

私は、阪神ファンではない。でも、その人と話したいから、野球の結果をチェックするようになった。阪神だけじゃない。他の球団の結果も、ひととおり見るようになった。特養には、野球好きの利用者様が何人かいる。その方たちと話すネタにもなるから、毎朝、前日の結果に目を通すのが、いつのまにか習慣になっていた。

野球の話をして、将棋を指す。

将棋は、本気だった。その頃のその人は、ちゃんと戦略を立てて、しっかりと駒を進めることができた。私も、本気で受けた。負けることもあった。指し終わったあと、お互いに「ああだった」「こうだった」と振り返る。その時間が、私はけっこう好きだった。

将棋盤を挟んで、笑い合える関係。

特養という場所で、これは、決して当たり前のことではない。多くの方は、認知症が進んでいたり、身体が思うように動かなかったりして、こういう「対等な勝負」が、なかなか成り立たない。だからこそ、その人と指す将棋は、私にとっても、ちょっと特別な時間だった。

その関係が、ある時から、急速に崩れていった。

第2章——「めんどくさい人」になっていった

崩れていく前に、何があったのか。

正直に書く。これは、誰かを責める話ではない。でも、目を背けて書いたら、嘘になる。だから、できるだけ正直に書く。

その人は、ある薬を飲み始めてから、お腹の痛みを訴えるようになった。

そして、5分おきくらいに、介護職員を呼ぶようになった。ナースコールを押す。職員が来る。でも、何が辛いのか、何をしてほしいのか、それをうまく言葉にできない。職員は、要望を聞き取れないまま、また次の現場に戻る。そしてまた、5分後に、コールが鳴る。

夜も、眠れなかった。

眠れないから、リビングのソファーに、ひとりで座っている。夜中に、暗いリビングで、ぽつんと座っている高齢の方。職員からすれば、「危ないから、お部屋で休みましょう」と声をかける。それも、何度も、何度も。でも、その人は、部屋に戻りたがらない。

介護の現場は、人が足りない。

これは、その施設だけの話ではない。今、日本中の介護現場が、慢性的な人手不足の中で回っている。少ない人数で、たくさんの方を見なければいけない。一人にかけられる時間は、どうしても限られる。

そういう現場で、「5分おきに呼ぶけれど、要望は伝えられない人」「何度言っても部屋に戻らない人」は——書きたくないけれど、正直に書く——「手のかかる人」「めんどくさい人」になっていった。

看護の側も、難しかった。

その人は、看護師の関わりに、拒否を示すことが多かった。だから、看護師としては、なかなか深く関われない。でも、お腹の痛みや、眠れなさには、対応しなければいけない。拒否される中で、それでも症状を抑えたい。どうしても、薬に頼らざるを得ない。

介護の側からは「手がかかる」。看護の側からは「関わらせてもらえない」。

どちらの立場にも、その立場なりの、切実な事情があった。誰かが、特別に冷たかったわけじゃない。みんな、それぞれの持ち場で、限られた時間と人手の中で、精一杯やっていた。

ただ——結果として、その人が、現場で少しずつ疎まれる存在になっていったことは、事実だ。

ここは、はっきり書いておきたい。それでも、「この扱いは、さすがにかわいそうじゃないか」と感じていた職員も、ひとりではなかった。複数いた。みんなが冷たかったわけでは、決してない。心を痛めていた人も、ちゃんといた。

それでも、流れは止まらなかった。

そして、症状を抑えるための薬が、増えていった。

第3章——薬が増えて、その人は静かになった

薬が増えてから、その人は、急速に変わった。

覚醒のレベルが、目に見えて落ちた。

起きている時間が減った。話しかけても、反応がゆっくりになる。あれだけ正確に覚えていた、前の日の試合結果も、もう口にしなくなった。野球の話も、将棋の話も、できなくなっていった。

職員の負担という意味では、たしかに「落ち着いた」のかもしれない。コールは減った。夜中にリビングをさまようこともなくなった。

でも、私の目には、それは「落ち着いた」ようには見えなかった。

その人から、生きる力そのものが、静かに抜けていくように見えた。

ここで、作業療法士として、どうしても書いておきたいことがある。

私たちは、つい「問題行動が減った=よくなった」と考えてしまう。コールが減る。動き回らなくなる。介助がしやすくなる。管理する側からすれば、それは「改善」に見える。

でも、その「落ち着き」が、その人の「生きようとする力」を削った結果だとしたら。それは、本当に「よくなった」と言えるのだろうか。

私は、ずっと、この問いを抱えている。

第4章——震える手で、駒を動かした日

そんな状態のある日、めずらしく、その人の覚醒が、少し上がっている時間帯があった。

目が、開いている。こちらを、見ている。何か、訴えたそうにしている。でも、それが言葉にならない。口は動くのに、声にならない。何を伝えたいのか、私には、わからなかった。

だから、私は、声をかけた。

「将棋、やりますか?」

その人は——かすかに、首を縦に動かした、ように見えた。

私は、将棋盤を出した。

そして、プロローグの場面に戻る。

その人は、震える手で、駒を動かそうとした。指先が定まらない。駒が逃げる。手が盤に当たって、関係のない駒が動く。それを、また震える手で、直す。

戦略も、何も、あったものではなかった。以前のような、しっかりした指し回しは、もうできなかった。それでも、回らない頭で、その人は、必死に考えていた。次の一手を、絞り出そうとしていた。

その必死さが、伝わってきた。

だから、私は、手を抜かなかった。

手を抜くことは、この人を「もう、まともに将棋もできない人」として扱うことだ。それは、礼を失する。この人は、認知症がそこまで重いわけじゃない。私のことを、ちゃんとわかっている。手加減したことに、気づかないわけがない。気づかれたら、それは、この人の誇りを、踏みにじることになる。

だから、全力で戦った。震える手と向き合いながら、本気で、盤の上で勝負した。

その人は、途中で、投了した。

もう、続けられなかったのだと思う。頭も、身体も、限界だった。

投了したあと、その人は、右手を、すっと挙げた。

そして、私を、見た。

声は、出なかった。でも、私には、わかった。

たぶん、「ありがとう」と、言いたかったのだ。

私は、今でも、あの右手と、あの目を、忘れられない。

第5章——そこから、坂を下りるように

あの一局から、数日。

その人は、自分で食事を口に運べなくなった。すべての動作に、介助が必要になった。

車椅子に座っていても、身体を支えていられない。前に、前に倒れていって、机に突っ伏すような姿勢になってしまう。

ある日、介護職員が、私のところに来た。

「シーティング、していただけませんか?」

シーティングというのは、座る姿勢を整える技術だ。クッションを使ったり、身体を支える工夫をして、楽に座れるようにする。職員は、机に突っ伏してしまうその人を見て、なんとか座らせてあげたいと思って、私を呼んだのだ。その気持ちは、ありがたかった。

でも、私は、冷静に答えた。

「今の状態で、U字クッションを使ったり、身体を支えるクッションを入れても、本人がしんどいだけだよ。リクライニングの車椅子にしよう」

これは、技術的な判断だった。でも、それ以上に、私の中には、別の認識があった。

この姿勢は、「座り方が悪いから」前に倒れているんじゃない。

この人の身体が、もう「起きていること」自体を、支えきれなくなってきている。だから、無理に座らせようとすること自体が、この人を苦しめる。座るための工夫ではなく、できるだけ楽に、身体を預けられる環境を作る。それが、今、私にできることだった。

リクライニング車椅子に変えてから、その人は、ほとんど目を開けなくなった。

食事も、介助でも、入らなくなった。水分も、ほとんど摂れない。やがて、熱が続くようになった。

近くの病院を受診して、入院になった。

そこからのことは、私には、届いていない。

戻ってきてくれるのか。それとも。私には、わからない。ただ、もう一度、あの将棋盤の前に座ってもらえたら、と。祈ることしか、できない。

第6章——やりたいことを失うと、人はどうなるのか

この出来事を、私はずっと、書けずにいた。

重すぎたからだ。そして、書くことで、誰かを断罪してしまうんじゃないか、と怖かったからだ。

でも、作業療法士として、どうしても伝えたいことが、この出来事の中にある。だから、書くことにした。

それは、こういうことだ。

人は、「やりたいこと」を失った瞬間から、急速に弱る。

あの人には、明確に「やりたいこと」があった。前の日の試合結果を覚えて、それを誰かに話すこと。将棋盤を挟んで、本気で勝負すること。それが、その人を、その人たらしめていた。生きる張りに、なっていた。

薬で覚醒が落ちて、それらが、ひとつずつ、できなくなっていった。野球の話ができない。将棋ができない。

そして、最後の将棋を投了して、右手を挙げたあの日。あれは、私には、その人が、自分の「やりたいこと」に、別れを告げた瞬間のように見えた。

その数日後から、坂を下りるように、食事が摂れなくなり、目を開けなくなった。

もちろん、これを「薬のせいだ」と単純に言うつもりはない。身体の限界が、もともと近づいていたのかもしれない。いろんな要因が、重なっていたのだと思う。

でも、私は、現場で何度も見てきた。

「やりたいこと」がある人は、強い。多少身体が弱っても、「あれがしたい」「これが楽しみだ」という張りがある人は、なかなか倒れない。逆に、「もう、何もしたくない」と、すべての楽しみから手を離してしまった人は、びっくりするくらい、あっという間に弱っていく。

生きる力と、「やりたいこと」は、直結している。

これは、きれいごとではない。100人近くを見送ってきた、ただの実感だ。

第7章——私にできたことは、たった数分だった

正直に書いておきたいことが、もうひとつある。

私が、あの人に関われた時間は、その人の1日の中で、たった数分だった。

毎日、会うたびに、挨拶をした。軽い会話もした。最後には、将棋も指した。でも、それだけだ。私は、その人のそばに、24時間いられるわけじゃない。私には、私の仕事があり、他にもたくさんの利用者様がいる。

その人は、ずっと、SOSを出していたはずだ。お腹が痛い。眠れない。何かが、辛い。それを、うまく言葉にできないまま、ずっと、助けを求めていた。

それを、私は、受け止めきれなかった。

ここで、私を救ってくれるのは、皮肉なことに、私が13年実践してきたアドラー心理学の「課題の分離」だ。

私の仕事として、できることには、限界がある。私が踏み込める範囲は、ここまでだ。そこから先は、看護や介護や、医療の判断の領域であって、私がすべてをコントロールできるわけじゃない。それは、私の課題ではない。

頭では、わかっている。

でも——それでも、と思う。あの右手を、あの目を思い出すたびに、「本当に、数分でよかったのか」と、自分に問いたくなる。

そして、もうひとつ、正直なことを書く。

あの人が、最後まで現場に馴染めなかったことについて、本人に、まったく責任がなかったとは、私は思っていない。

これは、冷たい言い方に聞こえるかもしれない。でも、人と人との関わりは、いつも双方向だ。施設の側にも事情があり、本人の側にも、関わり方の難しさがあった。誰か一人が、一方的に悪かったわけじゃない。みんなが、それぞれの事情と、それぞれの限界の中で、なんとかやっていた。その結果として、あの坂道があった。

私は、誰も、断罪したくない。

介護職員も、看護師も、医師も、みんな、それぞれの思いを持って、仕事をしている。人手が足りない中で、関わりがどうしても希薄になってしまうのも、今の現実だ。「もっとちゃんと関われよ」と、外から責めるのは簡単だ。でも、現場に立っている人間として、それは違うと思う。

ただ、その複雑さを、複雑なまま、抱えていたい。

きれいに整理して、「誰が悪い」と結論を出すことはできない。出すべきでもない。ただ、あの右手と、あの目を、忘れずにいたい。それが、私にできる、せめてものことだと思っている。

エピローグ——だから、元気な今のうちに

最後に、これを読んでくださっている、あなたに伝えたいことがある。

あの人を見ていて、私が心から思ったのは、「やりたいこと」は、元気なうちにこそ、大切にしてほしい、ということだ。

私たちは、つい「やりたいこと」を後回しにする。「忙しいから」「時間ができたら」「落ち着いたら」。そうやって、好きなことや、楽しみを、いつか来る「いつか」に、先送りにする。

でも、身体が動かなくなってから、頭が回らなくなってから、「やりたいこと」をやろうとしても、もう遅いことがある。

あの人は、最後まで、将棋を指したがった。震える手で、必死に駒を動かした。それは、その人が、最後の最後まで、「自分のやりたいこと」を手放したくなかった証だと思う。

だから、あなたには、こう問いかけたい。

あなたが今、「いつか」に先送りにしている「やりたいこと」は、なんですか。

その「いつか」は、本当に来ますか。

身体が動いて、頭が回って、好きなことを「好きだ」と思えるうちに。誰かと笑い合えるうちに。どうか、その時間を、大切にしてください。

明日も、私は特養に立つ。

将棋盤を、また誰かの前に置く日が来るかもしれない。そのとき私は、たぶんまた、本気で戦う。手を抜かずに。それが、目の前の人の「やりたい」を、いちばん尊重することだと、あの人が、教えてくれたから。

あの右手に、いつか、もう一度会えますように。


プロフィール

作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。


※この記事は、看取りや人の最期という繊細なテーマを扱っています。もし今、あなた自身が「消えたい」「生きるのがつらい」と感じているなら、どうか一人で抱え込まないでください。信頼できる人や、専門の窓口に、声を届けてほしいと願っています。


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#作業療法士 #特養 #看取り #介護 #終活 #生き方 #やりたいこと #認知症ケア #人生観 #OT


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