「死にたくない」と言い続けて、亡くなった人がいた。特養で100人を看取った作業療法士が考える、死生観の話
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プロローグ——「死生観」を、検索したことがありますか
「死生観」という言葉を、検索したことがあるだろうか。
たぶん、ほとんどの人はない。なんとなく重たい言葉だし、普段の生活で使うこともない。「死生観を持ちましょう」なんて言われても、ピンとこないのが普通だと思う。
私は作業療法士16年目、特別養護老人ホームで機能訓練指導員をしている。これまでに100人近くの方の最期に立ち会ってきた。
その経験から、ひとつ、はっきり言えることがある。
死生観は、死ぬ間際に慌てて作るものではない。
むしろ、元気な今のうちにこそ、ぼんやりとでも持っておいたほうがいい。なぜなら、いざ自分の死が近づいてから死生観を作ろうとしても、もう遅いことが多いからだ。
これは脅しではない。100人を見送ってきた人間の、ただの実感だ。
今日は、きれいごとを書くつもりはない。「死は怖くない」とも、「みんな穏やかに逝ける」とも言わない。
なぜなら、私が見てきた中に、たった一人だけ、最期まで「死にたくない」と言い続けて亡くなった方がいたからだ。その人のことを、ずっと書けずにいた。
そして、私自身もかつて「死にたい」と思いながら、同時に「死ぬのが怖い」という矛盾を抱えていた人間だ。
その両方の経験から、死生観というものを、できる限り正直に書いてみたいと思う。
第1章——100人を看取って分かった、意外な事実
最初に、いちばん意外に思われるであろうことから書く。
100人近くの方の最期に立ち会ってきて、私が感じているのは、「死を恐ろしいものとして怯えながら亡くなる人は、ほとんどいない」ということだ。
これは、多くの人が抱いているイメージと、たぶん違う。
私たちは、死を「恐怖」と結びつけて考えがちだ。映画やドラマでは、死の間際に苦しみ、もがき、恐れる姿が描かれる。だから、「最期は怖いものなんだろう」と、なんとなく思い込んでいる。
でも、現場で見る最期は、その多くが、もっと静かだ。
特養という場所は、病院とは少し違う。多くの方が、長い時間をかけて、ゆっくりと弱っていく。急に容態が変わることもあるが、それでも、何ヶ月、何年という時間をかけて、少しずつ生命の火が小さくなっていく方が多い。
そして、その過程で、人の意識は、ゆるやかに薄れていく。
眠っている時間が増える。食事の量が減る。言葉が少なくなる。反応がゆっくりになる。まるで、坂道をゆっくり下りていくように、少しずつ、こちらの世界から遠ざかっていく。
その緩やかさの中で、不思議と、恐怖の表情を浮かべる方は少ない。
最期の数日、多くの方は、眠るように過ごす。呼吸がだんだんと穏やかになり、ある時、すっと止まる。そばで見ていると、「苦しんで逝った」というより、「眠るように逝った」という言葉のほうが、ずっと近い。
これは、私の主観だけではない。看護師も、介護職員も、長く看取りに関わってきた人ほど、同じことを言う。「最期は、思っているより穏やかなことが多い」と。
たぶん、人間の身体には、最期に向かうための、ある種の仕組みが備わっているのだと思う。意識が薄れることで、恐怖もまた、和らいでいく。
だから私は、漠然と「死は怖いものだ」と思っている人に、こう伝えたい。
少なくとも、最期の瞬間そのものは、あなたが今想像しているほど、恐ろしいものではないかもしれない。
——でも、この話には、例外がある。
私が16年間で、ただ一人だけ出会った、例外。
第2章——「死にたくない」と言い続けた人
5年ほど前のことだ。
その方は、30年以上、糖尿病を患っていた。長い闘病だった。糖尿病という病気は、長く付き合っていると、身体のあちこちに合併症が出てくる。
亡くなる半年ほど前、片方の下肢が壊死してきた。血流が悪くなり、組織が死んでいく。もう、切断するしかなかった。膝から下を切断する手術を受けて、それでもなんとか、また苑に戻ってこられた。
私は、その方のことをよく覚えている。
下肢を切断する前は、実習生に担当してもらっていた利用者さんだった。なぜ実習生に任せられたかというと、認知機能がとてもしっかりしていて、コミュニケーションが取りやすい方だったからだ。
すぐに疲れてしまう方だったので、激しい機能訓練はできなかった。それでも、こちらが何かをすると、きちんと言葉で返してくれる。実習生にも、嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた。本当に、よくしてもらった方だった。
ところが、切断してから半年ほど経った頃、その方の身体に、決定的な変化が起きた。
水を飲むと、その水分が、皮膚から染み出てくるようになった。
身体が、もう水分を保持する力を失っていた。むくみが全身に広がり、皮膚はその水分を抱えきれず、表面からじわりと漏れ出してくる。これは、身体がもう、限界に近づいているサインだった。
そして、ついに寝たきりになった。食事も、ほとんど摂れなくなってきた。
でも——ここが、他の方と決定的に違ったところだ。
認知機能が、最期まで、しっかりしていた。
自分の身体に何が起きているのか、すべて分かっていた。水を飲めば皮膚から漏れる。食べられない。動けない。日に日に弱っていく。それを、はっきりとした意識のまま、自分で自覚していた。
その方は、何度も、何度も、こう言った。
「死にたくない」
弱々しい声で、でもはっきりと、「死にたくない」と。
私は、かける言葉がなかった。「大丈夫ですよ」とは言えなかった。嘘になるからだ。「頑張りましょう」とも言えなかった。もう、頑張れる身体ではなかったからだ。
ただ、そばにいることしか、できなかった。
その「死にたくない」という発言から、1週間ほどで、その方は亡くなった。
16年間で、ただ一人。最期まで、はっきりと死を恐れ、死を拒みながら亡くなった方だった。
私は今でも、あの方のことを思い出す。あの「死にたくない」という声が、ずっと耳に残っている。
第3章——なぜ、あの人だけが怖がったのか
あの方のことを、私はずっと考えてきた。
なぜ、100人の中で、あの方だけが、最期まで死を恐れたのか。
私なりの解釈は、こうだ。
あの方は、認知機能が最期まで保たれていた。だからこそ、自分の身体が確実に終わっていく過程を、すべて、はっきりと自覚できてしまった。
第1章で書いたとおり、多くの方は、意識がゆるやかに薄れていく中で、恐怖もまた和らいでいく。坂道をゆっくり下りるように、いつのまにか、こちらの世界から遠ざかっていく。
でも、あの方は違った。
意識という名の目が、最期まで、はっきりと開いたままだった。だから、自分が一段ずつ、確実に死に向かって階段を下りていることが、全部、見えてしまっていた。
水を飲めば、皮膚から漏れる。昨日できたことが、今日はできない。明日は、もっとできなくなる。その下降線を、明晰な意識のまま、ずっと見続けなければならなかった。
これは、想像するだけで、きつい。
人にとって、いちばん怖いのは、「死そのもの」ではないのかもしれない。
はっきりと自覚したまま、自分が死んでいく過程を、見届けなければならないこと。
それが、人間にとって、いちばんきついことなのではないか。
私は、そう考えるようになった。
そして、ここから、もうひとつ大事なことが見えてくる。
私たちは普段、「ボケたくない」「最期まで頭はしっかりしていたい」と願う。それは、自然な願いだ。認知症は怖いし、できることなら、最期まで自分らしくありたい。
でも、看取りの現場を見ていると、その願いには、少しだけ複雑な側面がある。
意識が緩やかに薄れていくことは、見方を変えれば、最期の恐怖を和らげる、身体の優しさでもある。残酷なようでいて、それは一種の救いなのかもしれない。
どちらがいい、という話ではない。ただ、「最期まではっきりしていること」が、必ずしも幸せとは限らない。それを、あの方が、身をもって教えてくれた気がしている。
第4章——私自身も、「死ぬのが怖い」人間だった
ここで、自分の話を書く。
偉そうに死生観を語っているが、私自身、かつて「死」と真正面から向き合った時期がある。
社会人1年目。私は、毎日のように「死にたい」と思っていた。
当時の私は、職場で23時まで罵倒され続ける日々を送っていた。心は限界だった。レンドルミンを飲まないと眠れなかった。「生きている価値もない」と、本気で思っていた。
妻の前で——まだ結婚する前だったが——「死にたい」と口にしたこともある。彼女は、その重たい言葉を、真剣に受け止めて、聞いてくれた。あのとき聞いてくれたことを、今でも感謝している。
でも、ここに、私の中の大きな矛盾があった。
「死にたい」と思いながら、同時に、「死ぬのが怖い」と感じていたのだ。
死にたいくらい辛いのに、死ぬのは怖い。この矛盾の中で、私はずっともがいていた。
なぜ、死ぬのが怖かったのか。
理由は、はっきりしている。死後の世界が、まったく分からないからだ。
正直に書くと、私は「霊」というものを、まったく信じていない。天国や地獄があるのかも分からない。輪廻転生で生まれ変わるのかも、分からない。
仮に生まれ変わるとして、次も人間とは限らない。地球がどうなっているかも分からない。たとえ人間に生まれたとしても、紛争地域に生まれて、幸せとはほど遠い一生かもしれない。
そうやって考えていくと、死というのは、「完全な未知」だった。
何が待っているのか、まったく分からない。もしかしたら、何もないのかもしれない。意識が、ぷつりと消えて、無になるだけなのかもしれない。その「分からなさ」が、たまらなく怖かった。
辛くて死にたい。でも、その先が分からなくて、怖い。
今思えば、あの「死ぬのが怖い」という感覚が、私を踏みとどまらせてくれた一面もあったのかもしれない。皮肉な話だけれど。
第5章——死生観が変わるのではなく、「死ねない理由」ができた
では、今の私は、死が怖くなくなったのか。
——正直に書く。怖くなくなったわけではない。
死後の世界が分からないという、あの根本的な恐怖は、今も、あの頃とほとんど変わっていない。霊も天国も信じていないし、死んだら何が待っているのかは、相変わらず分からない。だから、死は、今でも怖い。
でも、ひとつだけ、決定的に変わったことがある。
死にたくない、と思うようになった。死ねない理由が、できた。
これは、「死が怖くなくなった」のとは、まったく違う。
社会人1年目の私は、「死にたい、でも怖い」だった。生きる理由がなくて、ただ恐怖だけが死を押しとどめていた。
今の私は、「死にたくない、だから生きたい」に変わった。怖さに押しとどめられているのではなく、生きたい理由のほうが、前に出てきた。
その理由は、シンプルだ。
娘の成長を、見ていたい。
7歳の娘が、これからどんな人間になっていくのか。どんな大人になって、何を好きになって、誰を大切にするのか。それを、見届けたい。途中で投げ出したくない。
そして、妻と一緒に、老いていきたい。
ドキドキするような恋愛感情は、結婚10年を超えて、たしかに減った。でも、その代わりに、深い情が育った。この人と一緒に歳を取っていきたい。一緒に、ゆっくり老いていきたい。
これが、私の、いちばんの「死ねない理由」だ。
死生観というと、「死をどう受け入れるか」という話だと思われがちだ。でも、私の場合、それは違った。
死を受け入れる準備ができたのではない。生きたい理由が、はっきりしただけだ。
そして、これこそが、私がたどり着いた死生観なのだと思う。
死生観とは、「死をどう捉えるか」ではない。「今日を、誰のために、何のために生きるか」がはっきりしていること。それ自体が、その人の死生観なのだ。
第6章——だから、死生観は「健康なうちに」持っておきたい
冒頭に書いたことに、戻る。
死生観は、死ぬ間際に慌てて作るものではない。元気な今のうちにこそ、持っておいたほうがいい。
その理由が、ここまで読んでくださった方には、伝わっているかもしれない。
あの「死にたくない」と言い続けて亡くなった方は、最期になって初めて、死と真正面から向き合うことになった。明晰な意識のまま、自分の死を見届けるという、いちばんきつい状況に置かれた。
もし、あの方が、もっと元気なうちに、「自分は何のために生きてきたのか」「自分の人生で、何を大切にしてきたのか」を、ゆっくり振り返る時間を持てていたら——最期の1週間は、少しだけ違ったものになっていたかもしれない。
これは、推測でしかない。亡くなった方の心の中を、私が分かるはずもない。
でも、現場で多くの最期を見てきて、感じることがある。
「自分は、十分に生きた」「やりたいことは、やった」「大切な人に、大切だと伝えられた」——そういう実感を持っている方は、最期が、穏やかなことが多い。
逆に、「まだやり残したことがある」「あれをやっておけばよかった」という後悔を抱えている方ほど、最期に、心がざわつくように見える。
その差は、死の間際に作られるものではない。
元気なうちの、毎日の積み重ねの中で、少しずつ作られていく。
だから、死生観は、健康な今のうちにこそ、持っておいたほうがいい。
といっても、難しく考える必要はない。「死をどう捉えるか」という哲学的な問いに、答えを出す必要はない。私だって、死後の世界は分からないままだ。
ただ、ひとつだけ、自分に問いかけてみてほしい。
「自分は今日、誰のために、何のために生きているだろうか」
その答えがはっきりしている人は、もう、立派な死生観を持っている。
エピローグ——「死にたくない」は、生きたいということ
あの方の「死にたくない」という声を、私は今でも、思い出す。
最初は、あの声を、ただ「恐怖の叫び」だと思っていた。死を恐れ、死を拒む、つらい言葉だと。
でも、今は、少し違うふうに聞こえる。
「死にたくない」は、裏を返せば、「生きたい」だ。
あの方は、最期の最期まで、生きることを諦めていなかった。明晰な意識の中で、確実に終わっていく身体を抱えながら、それでも「生きたい」と願い続けた。
それは、つらいことだ。でも、同時に、ものすごく強いことでもある。
人間は、最期まで、生きたいと願える生き物なのだ。
私自身、社会人1年目は「死にたい」と思っていた人間が、今は「死にたくない」と思えるようになった。生きたい理由ができた。それは、たぶん、すごく幸せなことだ。
死が怖くなくなる必要なんて、ないのかもしれない。
死が怖くてもいい。死後の世界が分からなくてもいい。
ただ、「死にたくない」と思えるくらい、「生きたい」と思える理由を、ひとつでも持っていること。
それが、私が100人を看取り、自分自身の「死にたい」を乗り越えて、たどり着いた、いちばん正直な死生観だ。
明日も、私は特養に立つ。誰かの隣に座り、その人の「今日」に寄り添う。
そして家に帰って、娘の成長を見て、妻と他愛もない話をして眠る。
その一日一日が、私の「死にたくない理由」を、少しずつ、積み上げていく。
あなたには、「死にたくない」と思えるくらい、生きたいと思える理由が、ありますか。
それは、何ですか。
※この記事は、死や看取りという繊細なテーマを扱っています。もし今、あなた自身が「消えたい」「生きるのがつらい」と感じているなら、どうか一人で抱え込まないでください。信頼できる人や、専門の窓口に、声を届けてほしいと願っています。私でもよろしければ相談にのらせていただきます。
プロフィール
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。
ハッシュタグ
#死生観 #看取り #作業療法士 #終活 #生き方 #人生観 #エッセイ #介護
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