特養で見た、「最期に後悔している人」と「していない人」の違い
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「……ごめん、な」
かすれた息遣いで、そう口を動かした。
目尻から、スッと一筋の涙が流れた。
亡くなる数日前のことだった。食事も水分もほとんど摂れなくなり、1日の大半をウトウトして過ごすAさん(80代男性)のもとへ、私は痛みを和らげるためのマッサージとポジショニングに入っていた。
元々職人気質で、面会に来る娘さんにも「わざわざ来るな」とぶっきらぼうな態度ばかりとってきた方だった。その日も娘さんが「お父さん、来たよ」と手を握った瞬間、朦朧としていたAさんが急に目をうっすらと開けた。
そして、あの言葉を絞り出した。
ずっと素直になれなかった自分への後悔と、最期の最期でようやく届いた謝罪が、たった3文字に凝縮されていた。私はその場で、静かに手を止めた。
後悔は、最期になって初めて見える
特養で作業療法士として働き、100人近くの方の看取りに関わってきた。
その中で、繰り返し感じることがある。後悔は、元気なうちは見えない。身体が動かなくなり、言葉も満足に紡げなくなり、ただ天井を見上げるだけの時間が増えた時に、それはじわりと滲み出てくる。
Aさんだけではない。
Bさん(女性)は、長生きしたことで人の世話にならないと生きていけなくなった自分を責め続けた。排泄も全介助になり、寝返りすら打てない状態の中、私が関節のリハビリに入っていた時、薄目を開けてこう絞り出した。
「……迷惑、ばっかり……」「……ごめんねぇ……」
そしてギュッと目を閉じ、顔を背けた。
言葉にならない重さが、あの静かな病室に漂っていた。
後悔が残る方に、共通していたこと
16年間の現場で見えてきたパターンがある。後悔がにじむ方には、3つの共通点があった。
ひとつ目は、「自分の価値=役割・能力」という思い込みが強すぎた方だ。稼ぐこと、家事を完璧にこなすこと、人の世話をすること。そうした「できること」で自分の価値を証明し続けてきた方ほど、身体機能が低下した時に「もう生きている価値がない」という深い自己否定に陥りやすかった。
作業療法士の視点で言えば、「ただそこにいること(存在そのもの)」の価値を認められないまま老いを迎えてしまった方たちとも言える。
ふたつ目は、「人に迷惑をかけてはいけない」という強い呪縛を持っていた方だ。自立心が強いことは素晴らしい。でも人間はどうしても老いて、人の手が必要になる。その現実を人生の自然なプロセスとして受け入れられず、最期まで「ごめんね」と謝り続けなければならないのは、現場で見ていて非常に切なかった。
みっつ目は、家族に「感情」ではなく「行動」でしか愛情を示してこなかった方だ。Aさんのように、優しい言葉ではなく黙って働くことで愛情を表現してきた方に多い。看取り期に入り、行動で何も示せなくなった時に初めて、言葉で伝えてこなかったことの重さに気づく。
総じて言えば、**「自分の弱さを受け入れる準備ができていなかった方」**だったと思う。常に気を張って、強い自分、役に立つ自分であり続けようとした人ほど、身体が思い通りにならなくなる瞬間に、張り詰めていた糸が切れるように、大きな後悔が波のように押し寄せてくる。
穏やかに逝った方に、共通していたこと
一方で、穏やかに最期を迎えた方にも、共通するものがあった。
やりたいことをコツコツ続けていた方。自分の願望をしっかり言葉にできる方。「私がご飯食べられなくなったら、無理に食べさせないでね」と常日頃から伝えていた方。
将棋が趣味だったある方は、食事が全く摂れなくなった亡くなる数日前も、リクライニングベッドに座りながら将棋盤に手を伸ばそうとした。その方は、枯れるように、静かに旅立っていった。
「枯れるように逝く」という表現が、私には一番しっくりくる。自然に、穏やかに、自分らしく。そういう最期には、共通して「自分を生きてきた人」の気配があった。
今から間に合う生き方
この経験を通じて、作業療法士として、そしてHSPとして生きてきた自分として、伝えたいことが3つある。
ひとつ目は、「何かができる自分」だけでなく「ただそこにいる自分」を許すこと。
元気なうちから「ただ存在するだけで価値がある」と認める練習が必要だ。特にHSPの人は、無意識のうちに「人の役に立たなければ」と過剰に頑張りすぎてしまう傾向がある。生産性や役割を手放した先にある「素の自分」を受け入れる準備を、今この瞬間から始めてほしい。
ふたつ目は、「人に頼る練習」をしておくこと。
日常の些細なことから「これ、お願いしてもいい?」「手伝って」と素直に言えるようになること。「ごめん」ではなく「ありがとう」と受け取れるようになること。それが、最期の瞬間に「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と目を閉じられる生き方につながる。これはHSPで人に頼るのが苦手な、自分自身への戒めでもある。
みっつ目は、思いは「言葉」で、出し惜しみせず伝えること。
「いつか言おう」「家族だからわかってくれているはず」は、最後には通用しなくなる。不器用なまま最期を迎え、一筋の涙を流したAさんの姿が、それを痛いほど物語っている。感謝も愛情も謝罪も、心が動いた「その瞬間」に声に出して伝えてほしい。明日、それを伝えられる保証はどこにもないから。
おわりに
看取りの現場から見えたのは、「強くて完璧な人間」でいることよりも、**「自分の弱さを認め、人に委ね、素直に言葉を紡げる人間」**でいることの方が、ずっと穏やかに最期を迎えられるということだ。
能力が落ちても、誰かの世話になっても、それが人間の自然な姿だと笑って受け入れられるように。強がるのをやめて、少しずつ鎧を脱いでいくこと。
それが、現場の人生の先輩たちが身をもって教えてくれた「今から間に合う生き方」だと、私は思っている。
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ
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