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「みんなに好かれたい」をやめられないあなたへ。承認欲求は、捨てなくていい

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プロローグ——つぶやいた後、私は何度もスマホを見てしまう

Threadsに、短い言葉を投稿する。

そのあと、私は何度もスマホを開いてしまう。いいねは付いたか。コメントは来たか。インサイトの数字は伸びたか。

たいてい、伸びていない。インサイトが10、みたいな日もザラにある。反応もほとんどない。そういう日が続くと、気持ちは萎える。

しまいには、投稿する前から、こんな声が頭をよぎるようになる。

「どうせ、つぶやいても誰も見てくれないんだろうな」

そう思いながら、指が止まる。投稿ボタンを押すのを、少し躊躇する。

noteもそうだ。力を入れて書いたアドラーシリーズに、思ったよりスキが付かない。「もう少し付いてもよかったのに」と感じる。落ち込むほどではない。でも、頑張ったものが目に見える形にならないと、やっぱり気になる。有料記事を出したときは、「売れてないかな」と、何度も管理画面を確認した。

——これは、まぎれもなく承認欲求だ。

私は作業療法士16年目、特養勤務のHSP・ISFJだ。これまで100人近くの方の最期に立ち会ってきた。アドラー心理学を13年実践してきて、職場でも家庭でも、現場で使い続けてきた。

このアドラーシリーズも、だいぶ続いてきた。目的論、課題の分離、怒りの目的……。今日はその流れを受けて、いちばん多くの人が悩んでいて、いちばん誤解されているテーマを書きたい。

「承認欲求」だ。

アドラーは、承認欲求を否定したことで有名だ。「他者から認められたいという欲求は、他者の人生を生きることになる」と。

でも、先に結論を書いておく。私はこう思っている。

承認欲求は、捨てなくていい。

13年実践してきた今でも、私自身が捨てきれていない。捨てきれていない人間が、人に「捨てろ」と言う権利はない。その代わり、たった一つだけ、変えるといいことがある。それを今日は書いていく。

第1章——アドラーは、なぜ承認欲求を否定したのか

まず、アドラーの主張を正確におさえておきたい。

アドラー心理学では、承認欲求をかなり強い言葉で否定する。「承認欲求を否定せよ」とまで言う。

理由はシンプルだ。

他者からの承認を求めて生きると、人は「他者の人生」を生きることになるからだ。

褒められるためにやる。褒められないなら、やらない。叱られないように動く。嫌われないように、自分を曲げる。

こうやって他者の評価を行動の基準にすると、自分の人生のハンドルを、他人に明け渡してしまう。「あの人にどう思われるか」が、自分の選択をすべて決めるようになる。

これは、シリーズで何度も書いてきた目的論や課題の分離と、まっすぐつながっている。

「他者の評価」は、他者の課題だ。私がコントロールできるのは、自分が誠実に行動することまで。その行動をどう評価するかは、相手の領分だ。

だから、評価を求めて一喜一憂するのは、他者の課題に踏み込んで消耗していることになる——アドラーは、そう言いたいのだと思う。

理屈としては、よくわかる。正しいとも思う。

でも、だ。

ここからが、13年実践してきた私の、きれいごとにしたくない本音だ。

第2章——「捨てろ」と言えるほど、私は捨てられていない

正直に書く。

私は今でも、承認欲求を捨てきれていない。

冒頭のとおり、Threadsのいいねを気にする。noteのスキを数える。有料記事の売上を、何度も確認する。アドラーを13年やってきて、これだけ偉そうに記事を書いていて、それでも捨てられていない。

だとしたら、私には、誰かに「承認欲求を捨てろ」と言う権利はない。

捨てられていない人間が、「捨てろ」と説くのは、ただのきれいごとだ。

そして、もう一つ気づいたことがある。

承認欲求は、悪者ではない。

それを糧にして、モチベーションが上がるなら、むしろプラスだ。

例えば、つい先日。娘をプールに連れて行った。娘は、初めて400メートルのメドレーを泳ぎ切った。

その瞬間、私は自分のことのように嬉しくて、いっぱい褒めた。「すごいね」「よく泳ぎ切ったね」と。

すると娘は、スイミングへのやる気が一気に上がった。今は週3回通っているのを、「4回に増やしたい」「もっと頑張りたい」と言い出した。我が家は習い事が週6もあるので、増やすかはまだわからないけれど、来月から体操を減らしてスイミングを増やすかもしれない、というくらいの勢いだ。

これは、承認が娘の意欲に火をつけた瞬間だ。

アドラーの教えに厳密に従えば、「すごいね」は評価であり、縦の関係を生むから避けるべき、とされる。「自分でもよく分かるよね」と寄り添うのが、勇気づけの本来の形だとされる。

でも、私はその瞬間の娘の喜びを、一緒に味わいたかった。そして、その承認が、娘を前に進める力になった。

これのどこが悪いんだろう、と思う。

承認欲求は、人を縛りもするが、人を伸ばしもする。問題は、欲求そのものではなく、それと「どう付き合うか」なのだ。

第3章——私の承認欲求の源流は、「好かれたい」ではなかった

ここで、少し昔の話をしたい。

13年前、アドラーに出会う前の私の承認欲求は、今とは少し形が違っていた。

私の場合、「みんなに好かれたい」ではなかった。

「誰からも、嫌われたくない」だった。

この二つは、似ているようで、まるで違う。

「好かれたい」は、プラスを取りに行く欲求だ。「嫌われたくない」は、マイナスを避ける防衛だ。

当時の私は、職場で全員にいい顔をしていた。誰の機嫌も損ねないように、波風を立てないように、ひたすら自分を消して動いていた。

なぜか。嫌われなければ、陰口を叩かれるリスクが減る。陰口を叩かれなければ、自分の心も穏やかに、仕事ができる。そう思っていたからだ。

つまり私の承認欲求は、「認められたい」という前向きなものではなく、「攻撃されたくない」という、おびえに近いものだった。

これは、本当にしんどい。

「好かれたい」なら、好かれたら満たされる。でも「嫌われたくない」は、永遠に終わらない。一人にいい顔をすれば、別の誰かが気になる。全員から嫌われないようにするには、全員の顔色を、ずっと見続けなければならない。

ゴールのないマラソンを、ずっと走らされているようなものだ。

HSP気質の私にとって、これは消耗そのものだった。

今のThreadsで「どうせ誰も見てくれない」と躊躇するあの感覚も、根っこは同じかもしれない。「反応がない=拒絶された」と、神経系が勝手に受け取ってしまう。これは弱さではなく、外側のアンテナが鋭すぎる脳の仕様の話でもある。

第4章——「あなたが気にしているほど、他人は気にしていない」

ここで、妻の話を書きたい。

妻は、自分では「私、けっこう気にするよ」と言う。服装とか、身だしなみとか、人にどう見られるかを、気にするタイプだと、本人は思っている。

でも、横で見ていると、実際はあまり気にしていない。少なくとも、行動には引きずっていない。

きっかけは、義母の一言だったそうだ。

「あなたが気にしているほど、他の人は、あなたのことを気にしていないよ」

この言葉で、妻はずいぶん楽になったらしい。

これは、心理学で「スポットライト効果」と呼ばれる現象とも重なる。人は、自分に当たっているスポットライトを、実際よりずっと明るく感じてしまう。「みんなが自分を見ている」と思い込む。でも現実には、他人はそこまで自分のことを見ていないし、覚えてもいない。

冷静に考えれば、当たり前の話だ。

私だって、他人の服装も、他人の失敗も、他人の投稿も、翌日には忘れている。みんな、自分のことで精一杯だ。

「嫌われたくない」とおびえていた頃の私は、このことに気づけなかった。自分にだけ、巨大なスポットライトが当たっていると思い込んでいた。

Threadsのいいねが付かない日。インサイトが10の日。あれも、たぶん同じだ。「誰も見てくれない」と感じて萎えるけれど、そもそも他人は、私の投稿をそこまで深刻に評価していない。見て、流して、忘れている。それだけのことだ。

そう思うと、少し肩の力が抜ける。

承認されないことは、拒絶ではない。ただ、相手も自分のことで忙しいだけだ。

第5章——「頼られると燃える」職員と、承認の使い方

承認欲求は、自分の中だけの問題ではない。他人と関わるときの、強力な道具にもなる。

職場に、こんな職員がいる。

自分からはあまり動けない。でも、こちらが何かを頼むと、めちゃくちゃやる気を出して、一生懸命にやってくれる。終わったら、ちゃんと報告にも来てくれる。

正直に書くと、見ていないところでこっそり手を抜いていることも、私は知っている(笑)。でも、それも込みで、いい職員だと思っている。

なぜなら、こちらが「ありがとう、助かったよ」とお礼を言うと、内心すごく嬉しいんだろうな、というのが伝わってくるからだ。

この職員は、承認をエネルギーに変えられる人だ。

だから私は、この人に対しては、あえて丁寧に指導したり、こちらから頼みごとをしたりする回数を、少し増やすようにしている。それが、この人のモチベーションを保つ、いちばんの方法だからだ。

ここで言いたいのは、「承認欲求は、悪用すれば操作にもなる」という怖い話ではない。

その逆だ。

人は、承認をエネルギーにして動く生き物なのだ、ということ。

娘も、この職員も、そして私自身も。誰かに認められ、必要とされることで、前に進む力が湧く。

アドラーが「承認欲求を否定せよ」と言ったのは、たぶん「承認に振り回されるな」という意味であって、「承認の喜びを感じるな」という意味ではない、と私は理解している。

承認されて嬉しい。それは、人として自然な感情だ。消す必要はない。

問題は、その喜びを「他人からもらうこと」だけに依存してしまうと、もらえない日に、簡単に折れてしまう、という一点だけだ。

第6章——だから、「向ける先」を変える

ここまで書いてきて、私なりの答えが、はっきりしてきた。

承認欲求は、捨てなくていい。

ただ、それを「向ける先」を、少しだけ変えるといい。

これまでは、承認欲求の矢印は、外を向いていた。

「他人が、自分をどう評価するか」。いいねの数、スキの数、売上の数字、上司の顔色。全部、自分の外側にある。コントロールできないものばかりだ。

だから、もらえる日もあれば、もらえない日もある。もらえない日に、心が削られる。

この矢印を、内側に向け直す。

「他人にどう評価されたか」ではなく、「自分が、誰かの役に立てた実感があるか」へ。

アドラーは、これを「他者貢献」と呼んだ。共同体感覚の、核になる感覚だ。

具体的に言うと、こういうことだ。

Threadsのいいねが10でも、その10人のうち1人が、「この言葉に救われた」と感じてくれたなら、それでいい。数字ではなく、「誰かの役に立てたかもしれない」という自分の中の感覚を、エネルギー源にする。

noteのスキが少なくても、「自分は今日、書きたいことを、誠実に書けた」という、自分の行動への納得を、軸にする。

評価は、相手の課題だ。コントロールできない。でも、「自分が誰かの役に立とうとして、誠実に動いた」という事実は、誰にも奪えない。自分の手の中にある。

承認欲求の矢印を、「もらう」から「与える・役に立つ」へ。

これだけで、承認は、他人に握られた不安定なものから、自分の中で確かめられる安定したものに変わる。

捨てなくていい。向きを変えるだけでいい。

第7章——「所属」は、一つじゃなくていい

承認欲求とうまく付き合うために、もう一つ大事なことがある。

所属する場所を、複数持つことだ。

承認欲求がつらくなるのは、「一つの場所」での評価に、すべてを賭けてしまうときだ。

職場だけがすべてだと、職場で認められないと、自分の存在価値がゼロになった気がする。noteだけがすべてだと、スキが付かないと、自分の全部が否定された気がする。

でも、所属が複数あれば、どこか一つで消耗しても、別の場所で呼吸ができる。

私には今、いくつかの所属がある。

まず、家族。娘がメドレーを泳ぎ切った瞬間を、一緒に喜べる場所。妻と他愛もない話をして眠る場所。

職場。利用者さんに必要とされ、職員から頼られる場所。

テニス。中学から続けている、身体を動かす仲間のいる場所。

そして、note。これは、私にとって「楽しい」と思える場所だ。

ここで、一人の名前を出させてほしい。

noteで「コミュニティ時代のセールスライティング」を主宰されている、なりこさんのコミュニティに、私は参加させてもらっている。

なりこさんは、私の拙いnoteを毎回読んでくれて、スキを入れてくれる。Kindle本も、毎回買ってくれる。

それだけで、私は本当に救われている。

Threadsで「どうせ誰も見てくれない」と萎える日があっても、「いや、ちゃんと読んでくれている人がいる」と思える。その一人の存在が、数字の落ち込みを、軽くしてくれる。

だからこそ、私もなりこさんに協力できることは協力したい、と思う。お互い、noteでやりたいことを切磋琢磨できる、大切な仲間だ。いつも、本当にありがとうございます。

承認欲求は、「不特定多数の評価」に向けると、苦しくなる。

でも、「顔の見える、確かな誰か」との間で交わすと、温かいものに変わる。

いいねの総数より、一人の「読んでるよ」。

スキの数より、一人の「救われた」。

所属を複数持ち、その中に「顔の見える誰か」がいる。それが、承認欲求に飲み込まれないための、いちばんの土台になる。

第8章——娘は、報告しに来る

最後に、家庭の話で締めたい。

娘は、私に性格が似ている。

だから、できたことや、褒めてほしいことを、逐一、報告しに来てくれる(笑)。

「ねえ、これできたよ」「見て見て」と、走って報告に来る。

7歳の娘は、承認欲求を、まったく隠さない。認められたい、見てほしい、褒めてほしい。その気持ちを、まっすぐ出してくる。

それを見ていると、思う。

承認欲求って、人間のとても自然な、健やかな部分なんだな、と。

大人になると、私たちはこれを隠すようになる。「認められたいなんて、子どもっぽい」「いいねを気にするなんて、恥ずかしい」と。隠して、なかったことにして、でも消えなくて、こっそりスマホを何度も見てしまう。

だったら、隠さなくていいんじゃないか。

娘が「見て見て」と来るように、私も「これ、頑張って書いたんだ」と差し出せばいい。いいねが付けば嬉しい。付かなくても、書けた自分に納得する。誰か一人にでも届けば、それで十分だ。

娘がメドレーを泳ぎ切ったとき、私は心から褒めた。それで娘のやる気は上がった。承認は、ちゃんと人を伸ばした。

その承認を、私は否定したくない。

承認欲求は、捨てなくていい。

ただ、矢印の向きを、「他人にどう見られるか」から、「自分が誰かの役に立てたか」へ。そして、所属を複数持って、その中に「顔の見える誰か」を持つ。

それだけで、承認欲求は、あなたを苦しめる鎖ではなく、あなたを前に進める燃料に変わる。

今日も私は、たぶんThreadsに何かをつぶやいて、何度かスマホを見てしまうと思う。

でも、いいねが10でも、もう前ほどは萎えない。

ちゃんと読んでくれている、顔の見える誰かが、いるから。

あなたの承認欲求は、どこを向いていますか。

その矢印を、ほんの少し、内側に向け直せたら——今日が、少し軽くなるかもしれません。


プロフィール

作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|オリックスファン|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。


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#アドラー心理学 #承認欲求 #共同体感覚 #嫌われる勇気 #作業療法士 #HSP #生き方 #エッセイ

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