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アドラー心理学を3分で理解する『5本柱』——目的論・課題の分離・共同体感覚・横の関係・勇気づけ

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プロローグ——13年前、私の人生を変えた一冊

13年前、私は「嫌われる勇気」という本に出会った。

大阪のリハビリ病院で働いていた頃だ。同い年の作業療法士の友人に勧められた。最初に手に取ったときは、正直そこまでピンと来なかった。タイトルがちょっと過激だな、というくらいの印象だった。

転機は、地元に戻ってからだった。

体型へのコンプレックス、漠然とした将来への不安、「自分なんて結婚できるわけがない」という根拠のないネガティブ思考。当時の私は、いろんなものを抱えていた。

「自分が変わるために読んでみよう」

そう思って、もう一度ページを開いた。

——その後の13年で、この本に書かれていた考え方は、私の人生の軸になった。

ダイエットに成功した。結婚した。娘が生まれた。何度かの転職を経て、今の特養という場所に辿り着いた。100人近くの方の最期に立ち会ってきた。そのすべての場面で、アドラー心理学は私のそばにあった。

私は作業療法士16年目、特養勤務のHSP・ISFJだ。

今日は、アドラー心理学シリーズの全体地図を提示する記事を書きたい。

世間にはアドラー本がたくさん出ている。動画もたくさんある。でも、現場で13年使い続けてきた人間として、「ここだけ押さえれば全部つながる」という5本の柱が、確かにある。

3分で読める長さでは収まらないけれど、この記事を一本読めば、アドラー心理学の輪郭が一気に見えるように書いた。これからのシリーズの「目次」として使ってもらえたら嬉しい。

1本目の柱——目的論「人は過去ではなく、目的で動いている」

アドラー心理学の出発点は、ここにある。

フロイトは「原因論」を唱えた。今のあなたの問題は、過去のトラウマや経験が原因だ、という考え方だ。

アドラーは、これを真っ向から否定した。

人は過去の原因で動いているのではない。今、自分が達成したい目的のために、その行動を「選んでいる」のだ、と。

これが目的論だ。

冷たく聞こえるかもしれない。「トラウマなんて存在しない」と言われると、反発したくなる人もいると思う。私自身、最初は受け入れにくかった。

でも、自分の人生に当てはめてみると、不思議なくらい腑に落ちることがあった。

106kgまで太っていた頃の私は、「忙しいから運動できない」「太っているから恋愛できない」と言い続けていた。原因論で言えば、忙しさや体型が原因だった。

でも目的論で見ると、景色が変わる。

「忙しいから運動できない」のではなく、「運動しないでいたいから、忙しさを言い訳にしている」のだ。「太っているから恋愛できない」のではなく、「本気で恋愛して傷つきたくないから、太っている自分のままでいることを選んでいる」のだ。

これに気づいた瞬間、私は逃げ場を失った。

逃げ場を失って、初めて動き出せた。

目的論は、人を追い詰める考え方ではない。逆だ。「過去のせい」にしている限り、人は自分の人生を取り戻せない。目的論は、「今ここから、自分の選択で変えられる」という、力強いメッセージだ。

特養の現場でも、この視点は何度も使ってきた。リハビリを拒否する利用者さんがいる。「痛いから」「年だから」と言う。でもその奥には、「失敗したくない」「自分が衰えたことを認めたくない」という目的が隠れていることがある。

そこに丁寧に触れていくと、リハビリへの向き合い方が変わることがある。これも目的論の応用だ。

ただ、ここで一つ正直に書いておきたい。

目的論をすべての人間関係や心の問題に当てはめるのは、危険なときもある。HSP気質の人が他者の不機嫌に過敏に反応してしまうのは、脳の仕様の問題であって、本人が「過敏でいたい」という目的を持っているわけではない。

身体的・神経的な事実まで「目的のせい」にしてしまうと、ただの自己責任論になってしまう。

目的論は強力な道具だ。でも、すべての痛みに当てはめる道具ではない。ここの線引きは、13年使ってきた今でも、私の中で慎重に扱っている部分だ。

2本目の柱——課題の分離「それは誰の課題か?」

これがアドラー心理学で最も有名で、最も実用的な考え方だと思う。

人間関係で消耗するすべての場面で、まずこう問いかける。

「このままの状態が続いたとして、最終的にその結末を引き受けるのは、誰か?」

引き受ける人が自分なら、それは自分の課題。引き受ける人が相手なら、それは相手の課題だ。

職場で誰かが不機嫌でいる。その不機嫌の結末を引き受けるのは、その人自身だ。だから、不機嫌は相手の課題。私の課題ではない。

上司から評価される・されない。評価するのは上司であり、その評価の責任は上司にある。私の課題は、自分の仕事を誠実にやることまで。

子どもが宿題をやらない。宿題をやらなかった結果(忘れ物として注意される、勉強が遅れる)を引き受けるのは子ども自身だ。だから、宿題は子どもの課題。親の課題ではない。

——これだけ聞くと、冷たい考え方に思えるかもしれない。

私もそう感じた時期があった。HSP・ISFJの気質を持っていると、「相手の課題だから」と切り捨てることに強い罪悪感を覚える。

でも、13年使い続けてきて、はっきり言える。

課題の分離は、冷たさではない。長く優しくいるための技術だ。

すべての悩みを自分が背負い込んでいたら、人は必ずどこかで壊れる。壊れた人間は、結局誰のことも支えられない。だから線を引く。線を引いた上で、自分が呼吸できる範囲で関わり続ける。

これがアドラーの言う「課題の分離」の本質だと、私は理解している。

詳しくは、先日投稿した「課題の分離を3秒で見抜く、たった1つの質問」という記事に書いた。職場で・家庭で、私が実際にどう使っているかを具体的に書いている。

3本目の柱——共同体感覚「人は所属することで初めて満たされる」

これは、アドラーが「人間にとって最終的に必要なもの」と位置づけた概念だ。

共同体感覚というのは、簡単に言えば「自分は誰かとつながっている」「自分はここに居ていい」「自分は誰かの役に立っている」という主観的な感覚のことだ。

3つの要素で成り立っている。

一つ目は「自己受容」。ありのままの自分を、否定せずに受け入れること。

二つ目は「他者信頼」。周りの人は敵ではなく、仲間だと思えること。

三つ目は「他者貢献」。自分が誰かの役に立っているという実感。

この3つが揃ったとき、人は深く満たされる。

私が精神科病院から年収50万円下げて特養に転職したとき、得たものはまさにこの3つだった。

精神科の頃は、自分の良心に反する場面を見ても何もできない無力感があった。自己受容ができていなかった。特養に来てからは、その人らしい生活を守るという自分の信念と仕事が一致した。だからありのままの自分でいられる。

精神科の頃の人間関係には常に緊張があった。特養に来て、穏やかなケアが実践されている職場の中で、ようやく周りを「仲間」だと思えるようになった。これが他者信頼だ。

そして他者貢献。利用者さんから直接「ありがとう」と言われる瞬間。長く働くうちに同僚から頼られる経験。「自分は誰かの役に立っている」という実感が、何より私を支えてくれた。

共同体感覚を、アドラーは「幸福の正体」だと言った。

これは、お金でも地位でも評価でも代替できないものだ。

ただ、共同体感覚を「一つの場所」に依存させると危険だ。会社という共同体だけにすべてを賭けると、そこを失った瞬間に崩れる。家族という共同体だけに依存すると、家族の中で関係がうまくいかなくなったときに逃げ場がなくなる。

だから私は、複数の共同体に少しずつ所属することを意識している。職場、家族、テニス仲間、note読者、ポケモンGOのコミュニティ。どこか一つで消耗しても、別の場所で呼吸できる。

これが、私なりの共同体感覚の作り方だ。

4本目の柱——横の関係「上下ではなく、対等な人間として関わる」

アドラー心理学は、人と人の関係を「縦」ではなく「横」で捉える。

縦の関係とは、上司と部下、親と子、先生と生徒、ベテランと新人——どちらかが「上」で、どちらかが「下」という関係性のことだ。

アドラーは、この縦の関係が人間を不幸にすると考えた。

褒める・叱るは、縦の関係の典型だ。「褒める」という行為は、上の立場の人が下の立場の人を評価する行為だ。一見ポジティブに見えるけれど、そこには「評価する側」と「評価される側」という上下構造がある。

これに対してアドラーが提唱したのが、横の関係だ。

役割や立場の違いはあっても、人間として対等に関わる。評価ではなく共感で接する。指示ではなく対話で進める。

これは、特養の現場でも家庭でも、私が大切にしている姿勢だ。

利用者さんに対して、私は「リハビリを提供する側」「ケアをする側」ではない。年齢も人生経験も、相手の方がずっと上の方ばかりだ。私が一方的に何かを与えるという感覚はない。一緒に時間を過ごし、お互いに学び合う関係だと思っている。

娘との関係も同じだ。娘は7歳で、私は38歳。経験量は違う。でも人間として上下ではない。だから「ダメ」「やめなさい」と頭ごなしに言わない。なぜそれをしてほしくないのかを、娘が理解できる言葉で伝える。娘の意見も対等に聞く。

職場の同僚に対しても、上司に対しても、できる限り横の関係で接している。立場の上下はあっても、人間としては対等だ。この姿勢を持っているだけで、自分が萎縮することも、相手を見下すこともなくなる。

ただ、これも完璧にはできない。

組織で働いている以上、立場や役割からくる縦の構造は必ずある。それを完全に無視すると、現実が回らなくなる。だから私の場合は、「組織の中での役割としての縦」は受け入れつつ、「人間としての関わりは横」というバランスを大事にしている。

横の関係を意識するだけで、消耗はかなり減る。

評価される恐怖から自由になる。相手をコントロールしようとしなくなる。お互いの違いを、優劣ではなく個性として受け止められる。

これが、横の関係が持つ静かな力だ。

5本目の柱——勇気づけ「相手を信じ、力を引き出す関わり」

最後の柱が、勇気づけだ。

これは、アドラーが「褒める」「叱る」に代わるものとして提唱した、関わり方の技術だ。

褒めることは、評価することだ。「すごいね」「えらいね」という言葉には、上の立場の人が下の立場の人を判断するニュアンスがある。子どもがそれに依存すると、「褒められるためにやる」「褒められないなら、やらない」という外的動機に縛られていく。

叱ることは、もっと縦の関係だ。

アドラーが提唱した勇気づけは、評価ではなく、共感と承認の関わりだ。

「よく頑張ったね」ではなく「頑張ってきたんだね、自分でもよく分かるよ」と寄り添う。 「えらいね」ではなく「自分で決められたんだね」と本人の選択を認める。 「できたね」ではなく「やってみてどうだった?」と本人の感覚を尊重する。

主役は、いつも本人にある。

これを家庭で、職場で、現場で実践してきた。

ただ、ここでも正直に書いておきたい。

私はアドラーを13年実践してきたけれど、子育てに関しては「褒める」ことを完全にはやめていない。

娘がスイミングでタイムを縮めたとき、跳び箱の段が上がったとき、一緒に喜ぶ。「すごいね」「頑張ったね」と本気で言う。それが評価になっているかもしれないけれど、私はその瞬間の娘の喜びを、一緒に味わいたい。

承認欲求を完全に否定するアドラーの考え方は、子育てにそのまま当てはめると、少し冷たくなりすぎると感じている。

だから私は、勇気づけの姿勢を基本に置きつつ、家族のような近い関係では、感情を共有することも大切にしている。

13年実践してきて、アドラーを「絶対の正解」ではなく「使いこなす道具」として扱えるようになった。これが、長く付き合うコツだと思っている。

5本の柱は、すべてつながっている

ここまで、目的論、課題の分離、共同体感覚、横の関係、勇気づけ——5本の柱を順に書いてきた。

最後に伝えたいのは、これらは独立した5つではなく、すべてつながっているということだ。

目的論で「自分の人生は自分で選んでいる」と腹に落ちると、誰かのせいにする必要がなくなる。

すると課題の分離ができるようになる。相手の課題を背負い込まず、自分の課題に集中できる。

自分の課題に集中できると、誰かと比べる必要がなくなり、対等な横の関係で人と関われるようになる。

横の関係で関われると、相手を評価するのではなく勇気づけできるようになる。

勇気づけられた相手は、自分の力で動き出す。その積み重ねが、お互いに「自分はここに居ていい」「自分は誰かの役に立っている」という共同体感覚を育てていく。

そして共同体感覚が育つと、また自分の人生を自分で選べる力(目的論)が強くなる。

——5本の柱は、円のようにつながって、人を内側から支える。

私の13年間は、この円を少しずつ自分の中に作っていく時間だった。完成はしていない。今も毎日、どこかでつまずく。それでもこの円があるから、立ち上がれる。

エピローグ——これからのシリーズで書いていくこと

今日この記事は、アドラー心理学シリーズの「地図」のつもりで書いた。

これから、5本の柱それぞれを深く掘り下げていく予定だ。

目的論編では、「やる気が出ない」「変われない」と感じる人へ、目的論の視点から答えを書く。

課題の分離編では、職場・家庭・SNS・子育てなど、具体的な場面ごとの使い方を書いていく。

共同体感覚編では、「みんなに好かれたい」という承認欲求との付き合い方、看取りの現場から見えた共同体感覚の本質を書く。

横の関係編では、上司・部下・親子・夫婦の中で、どう対等な関係を作るかを書く。

勇気づけ編では、褒めると叱るを超える具体的な言葉、現場で使える勇気づけの技術を書いていく。

すべての記事は、現場で13年使い続けてきたリアルな経験をベースに書く。

アドラーを「すごい考え方」として崇めるのではなく、「日常で使う道具」として、できる限り具体的に届けていきたい。

もし今日の記事を読んで、「もっと知りたい」と思った柱があれば、コメントで教えてほしい。優先的に書いていく。

13年前、一冊の本が私の人生を変えてくれた。

その本に救われた一人として、今度は私が、誰かの今日を少しだけ軽くする言葉を書けたら——そう思っている。

明日も、特養で誰かの隣に立つ。 家に帰って、娘と将棋を指す。 夜、妻と他愛もない話をして眠る。

その一日一日が、アドラーが教えてくれた「幸福」の正体なのだと、今は思っている。

プロフィール

作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。

📌 ハッシュタグ

#アドラー心理学 #嫌われる勇気 #課題の分離 #共同体感覚 #作業療法士 #生き方 #人生観 #エッセイ

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