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【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第48話: 雑穀米と日本酒


内容紹介

今日の一皿は、滋味に満ちた素朴な安らぎの「雑穀米」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、日本酒と心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。

本編

のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。

 ホテルの小会議室には、空調の音が耳にまとわりつくように響いていた。戸村稔とむらみのるは、鍼灸と東洋医学に基づく養生講座を終え、畳まれた椅子と白板の前に、しばらく立ち尽くしていた。
 今日は都市部の企業で、管理職層向けに「五臓六腑と季節の食」の話をした。受講者は皆熱心で、ペンを走らせ、頷きも多かった。だが、話しながら自分の口から出る言葉が、どこか手応えを持たずに宙に浮くような感覚があった。

 「脾は、生命活動の源です。食べものなら、穀類や芋。よく噛むことが養生の第一歩です」

 そう語った自分の声が、いまはどこか遠く感じる。講義のあと、控室で差し出された白湯を飲み干すと、ぬるい雑味が喉に残った。

 かつては、こうした言葉に熱を込めて語れていた。専門学校を出たばかりの頃、祖母の病床に付き添ったとき、冷えた手足を撫でるように鍼を打ち、温灸を添えた夜があった。回復することは叶わなかったが、「気持ちがいいねえ」と微笑んだ祖母の顔が、今も支えになっている。

 タクシーを呼ぶ手もあったが、身体は勝手に歩き出していた。駅へと向かう道を逸れ、雨上がりの路地へと足が向く。舗道に浮かぶ水たまりが街灯を吸い込み、ところどころで夜の風が肩を撫でる。疲労とは違う重さが、足元から静かに伝わってくる。

 ふと視界の端に、白いのれんが揺れた。文字はない。淡い行燈が、ぼんやりと灯る。香ばしい蒸気の気配が、雨の匂いに混じって漂ってくる。稔は迷わず足を止め、その布をそっと押して中へ入った。

 「いらっしゃいませ」

 その男の声以外、店内は静寂をまとっていた。カウンターの奥に立つ真城一献ましろいっこんが、ちらと目を上げて頷く。稔は会釈を返し、ひとつ空いた席に腰を下ろした。名乗らず、注文も告げない。それが当然であるかのように、空間は整っていた。

 「雑穀米です」

 やがて、陶器の茶碗に盛られた雑穀米が、何も言わず差し出された。湯気がふわりと立ち上り、ほのかな土の香りが鼻をくすぐる。白米に黒米、赤米、押し麦、小豆、きび。あくまでも白米が主役のその中で、色とりどりの粒が織物のように混じり合い、まるで絣の布のようだった。

 箸の先で手頃なかたまりを持ち上げて、口に運ぶ。ぷち、もち、ほろり。噛むたびに変化する食感と、噛むほどに増す甘み。腹よりも先に、顎の奥の方がふっとほどけるような感覚があった。思わず、昔の朝食風景を思い出す。母が土鍋で炊いた雑穀米。ふたを開けた瞬間に立ちのぼる、穀物と火の香り。何も語らずとも、そこに在ったぬくもりが、今になって胸を突く。

 「─土を思い出しますね」

 思わずこぼれたひと言に、真城は黙って酒棚から一本の瓶を取り出した。

 「川鶴、特別純米です」

 ぐい呑みに注がれた酒は薄い山吹色を帯び、果実を思わせる香りが、静かに立ちのぼる。

 真城は何も言わず、ただ一礼し、静かに立ち去る。その背中に、こちらの気配を感じ取る繊細さと距離の取り方があった。誰かの世話を焼かずとも、相手が満ちていく空間のつくり方。養生とは、押しつけではなく、寄り添いなのかもしれない。

 ひと口。冷やされた純米酒が喉を滑り、米の旨みと淡い酸がじんわりと広がり、あとぐされなく切れていく。雑穀米の素朴な甘さとしなやかに寄り添った。派手さはないが、奥行きのある余韻が心を撫でていく。

 ─伝えたい言葉があるのに、自分の声では届かない気がすることがある。

 録画していた深夜ドキュメンタリーをふと思い出す。食と身体を語る異国の研究者のインタビュー。その字幕が、妙に心に残っていた。「食べるとは、未来の身体をつくること」。それだけの短い文章が、語り手の息づかいや間を壊さずに、画面の端にそっと置かれていた。

 過剰でもなく、削ぎすぎでもない。奥行きがあった。翻訳者の名前は、「字幕:野田紗季のださき」とあった。見えない誰かが、言葉を通して他者とつながる道をつくっている。その気配が、今夜のこの店と重なる。

 いま、目の前にある飯と酒が、その字幕と似た手触りをしている。言葉はないが、何かが伝わってくる。丁寧に噛み、そっと飲み込む。その積み重ねが、自分の身体をつくるのだと思い出す。

 「養生って、たぶん、こういうことなんでしょうね」

 誰に言うともなく呟いた言葉に、真城はわずかに唇を緩めた。

 稔は再びのれんをくぐった。二回目は、命の源を纏わせて。
 真城一献は、稔の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。

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第49話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』

おまけレシピ

雑穀米
  1. いつもの白米と水加減に、雑穀を足して炊く(だけ)。

材料紹介

  1. 二十五雑穀米 : 滋味深く、素朴で安らか。

  2. 川鶴 特別純米 オオセト : 雑穀米と合わせるという手も。

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