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【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第41話: トマトの冷製パスタとスパークリングワイン


内容紹介

今日の一皿は、冷えたトマトの甘み、酸味、旨みが際立つ「トマトの冷製パスタ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、スパークリングワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。

本編

のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。

 その夜、丹羽瑠花にわるかはひとつの香りを追っていた。撮影帰りの車内、空調からふと立ち上ったその微かな匂いに、胸の奥がざわついた。トマト、バジル、ミント。嗅ぎ慣れた夏の香り。けれど、どこかで一度、心を突き動かされた記憶がある─。それがどこだったか、すぐには思い出せなかった。

 ブライダルフォトグラファーとして独立して5年。特別な一日に差し込む光と咲き誇る笑顔を切り取ることに懸けてきた。だが、最近ふとした瞬間に、ファインダー越しの世界に鮮やかさが足りなくなっているのを感じる。笑顔は変わらず美しく、構図も技術も研ぎ澄まされているのに、何かが映っていない気がする。

 先月、軽井沢の式場で撮影した一組の結婚式があった。テーブルの装花にはハーブがふんだんに使われ、なかでも印象に残ったのが、透明なボトルに差されたミントとバジルの組み合わせだった。空気が清らかになったような、視界の輪郭が柔らかくなったような、そんな不思議な感覚。

 「この香り─。あれと、同じだ」

 助手席のカメラバッグを抱えたまま、瑠花は車を降りていた。街は夜の帳に沈み始め、東京の騒がしさの余熱がまだ地面に残っていた。だが、不思議なことに足取りは軽く、何かに導かれるように細い道へ入っていく。

 やがて、灯りがぽつりと一つ。静かな裏路地に、白いのれんがゆらめいていた。文字はない。ただ、微かに漂う香りの粒子が、あのテーブルの記憶を呼び起こす。

 瑠花は深呼吸をして、のれんをくぐった。

 店内には他の客の姿はなかった。静かで、どこか風の通り道のような空間。カウンターの奥で包丁を研いでいた男が、軽く頭を下げた。

 「いらっしゃいませ」

 そう告げたのは、真城一献ましろいっこん。彼はそれ以上何も言わず、ただ湯を沸かし始めた。

 カウンターに腰を下ろした瑠花は、言葉を探すように指先でカメラバッグをなぞった。沈黙が心地よく、無理に話す必要すら感じない。

 やがて、真城の手が冷水に伸びる。いかにも冷たそうに締められた細いパスタ。バジルの葉が刻まれ、真紅のトマトと共に、白い皿の中央に美しく盛られていく。

 「トマトの冷製パスタです」

 彼がそう言って差し出した皿は、まるで夏の静物画のようだった。トマトの果肉がしっとりとソースを纏い、バジルの緑がその色合いに深みを与える。オリーブオイルの艶が、光を弾いている。

 一口、フォークに巻いて口に運ぶ。トマトの酸味と甘味、冷えた麺の清涼感、バジルの香り。それらが一斉に、記憶の扉をひらいた。

 ─あの日の、軽井沢。

 「このハーブ、きっと─」

 つぶやいた声に、真城がロゼのボトルを手に取った。淡いピンクの泡がグラスに注がれ、香りがふわりと立ちのぼる。

 「ランブルスコ・ロザート・セッコ。微発泡の辛口ロゼです」

 グラスを傾けた瞬間、口の中に赤果実のような華やかさと軽快な泡が弾けた。その奥に、わずかにミントにも似た爽やかさが残る。料理の後味に重なるように、ふわりと香るその余韻。

 「─式場で使われていたハーブと、同じ香りがします」

 瑠花はぽつりと呟いた。言葉にすることで、点が線になっていく気がした。

 「軽井沢の式場で撮影したとき、ゲストテーブルに使われていたんです。地元の畑のハーブらしくて。でも、あの香りだけが、今もずっと残っていて─」

 真城は、少しだけ口元を緩めた。

 「そのハーブを育てている方、つい先日ここにいらっしゃいました」
 「え?」

 「草薙岳くさなぎがくさん。志賀高原で山岳ガイドをされていた方です。今は、信州で畑を」

 名前を聞いて、瑠花は確かにその音を記憶していた気がした。式場のスタッフが「ハーブは草薙さんのところから届いてる」と口にしていた。だが、そのときは気にも留めなかった。

 「─すごい偶然、ですね」

 「いえ、香りは、巡りますから」

 その言葉に、瑠花は小さく笑った。ファインダーの中に写らなかった何かは、もしかすると、記憶の奥にある感情の層かもしれない。人が誰かを思って育てた香りが、遠くの誰かの一枚の写真に滲む。それを今、ようやく受け取れた気がした。

 再び冷製パスタにフォークを伸ばす。麺のひと筋ひと筋が、光を受けて揺れる。グラスのロゼをもうひと口。淡く優しい泡が、喉の奥に沁みていく。

 「この香り、写真に残せたらいいのに」

 そう言うと、真城が静かに応じた。

 「言葉より先に、思い出になりますからね」

 瑠花は頷いた。香り、光、風。そのすべてが今、この皿とグラスの中にあった。

 瑠花は再びのれんをくぐった。二回目は、ボトルに閉じ込められた記憶の香りを纏わせて。
 真城一献は、瑠花の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。

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第42話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』

おまけレシピ

トマトの冷製パスタ
  1. パスタを茹でて流水で粗熱を取り、塩を入れた氷水で冷やす。

  2. トマトをカットしバジルを刻んでボウルに入れ、にんにくのみじん切りをごく少量、バルサミコ、オリーブオイル、オレンジジュース少量を入れてよく混ぜる。その後に、塩をひとつまみ加えて味を整える。

材料紹介

  1. オリーブオイル : 味と値段のバランス最強。普段使いに。

  2. ランブルスコ・ロザート・セッコ : トマトの冷製パスタと。

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