【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第65話: ラムラックの香草パン粉焼きと赤ワイン
内容紹介
今日の一皿は、香り高き野性味を堪能できる「ラムラックの香草パン粉焼き」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる赤ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
比嘉拓眞は、東京の裏路地を彷徨っていた。作品展のため北海道から数日だけ滞在していたシェアハウスには戻る気が起きなかった。
手元のスマートフォンの地図はもう頼りにならない。まるで街が迷わせているようだった。
思い当たるのは一枚のCD-R。同居人の一人が置いていったらしい「発車メロディ集」。なんとなく再生し、なんとなく羊毛に針を刺していた夜、その旋律は彼の記憶の奥底を揺らしていた。
気がつけば、人通りの絶えた静かな路地の奥、ひっそりと灯る提灯の下に立っていた。文字のない白いのれんが揺れていた。
「いらっしゃいませ」
扉を開けると、真城一献が静かに言葉を残し、厨房へ姿を消した。
独特な香りに包まれ、やがて目の前に置かれたのは、見事な骨付き肉だった。ラムラックに香草パン粉が厚くまとわれ、表面はこんがりと焼き上げられている。
肉の縁から透明な肉汁がにじみ出ていた。ナイフを入れると刃先が抵抗なく沈む。持ち上げると香草に包まれたラムの脂の香りがぶわりと立ち上った。ひと口運ぶと、途端に風景が切り替わった。
拓眞は、まだ十九の頃、北海道の羊牧場で研修していた夏を思い出していた。朝は草を刈り、羊の乳を搾り、夜は納屋でワインを飲んだ。風は強く、星は手が届きそうなほど近く、肉は煙とともに焼かれていた。そのときと同じ匂いが、今、鼻の奥を刺激していた。
ワインが静かに注がれた。深い赤紫の液体はグラスの底でゆるく波打つ。
「クロズ・エルミタージュです」
聞いたことのある名だが、実際に口にするのは初めてだった。グラスを傾けると、黒胡椒のような香りと野性味ある果実、わずかな鉄分を思わせるミネラルの硬さが現れてくる。だが飲み下すと、不思議と温かさが喉を満たした。二口目には、すでに舌の上でラム肉とワインが溶け合っていた。
「この味、昔を思い出します」
思わず声を零した。
「味は記憶を連れてきますね」
それは、たしかに言葉だった。だが、空気に溶けるほど小さく、かえって深く響いた。
拓眞は皿の上のラムを見つめた。もうひと口、いや、あと二口。皿の端にはポテトのローストと、アスパラが添えられている。ワインを含み、アスパラを噛む。青味が甘さに変わり、口内に香草の輪郭が戻ってくる。無言で咀嚼しながら、拓眞は心の中でフェルトの羊に針を刺していた。
あの牧場で見た本物の羊たちの風に揺れる毛並み、鼻先で草を食む音。彼の作る作品たちは、その原風景の断片だった。だからこそ、料理の記憶と向き合う今、この一皿が心を揺らすのだ。
ワインの残りを飲み干し、ゆっくりと椅子を引いた。その時、のれんの向こうから電車の発車メロディに似た音がかすかに聞こえた気がした。それは誰かが置いていったあのCD-Rの旋律だった。
拓眞は再びのれんをくぐった。二回目は、草原を駆け抜ける風を纏わせて。
真城一献は、拓眞の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第66話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

ラムラックに塩胡椒をして、オリーブオイルで表面に焼き色をつける。
80℃のオーブンで3時間ほど、低温調理する。
イタリアンパセリ、ローズマリー、ニンニクをみじん切りにして乾燥させ、パン粉と混ぜ合わせる。
ラムラックの表面に香草パン粉を塗して200℃のオーブンで10分程度加熱し、香草の香りを立たせる。
材料紹介
ラムラック : 少し手間をかけて、ワンランク上の晩酌を。
クロズ・エルミタージュ : ラムラックの香草パン粉焼きと。
