【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第21話: おやきパンとビール
内容紹介
今日の一皿は、どこか懐かしい、何を詰めても美味しくなる「おやきパン」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、ビールと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
成島梢は、録音した音源をヘッドホン越しに聴きながら、タイムコードに小さくチェックを入れた。
耳元に流れているのは、あるホールで先週行われたチェロの独奏会。演奏者の名は坂元奏。まだ若いチェリストだが、その音には年齢の枠を越えたなにかが感じられた。
会場にスタッフとして同行したのは、たしかその日が最初で最後。直接言葉を交わすこともなく、録音した音源を手に戻っただけだった。だが、編集の作業を重ねるうちに、その音の揺らぎや、残響の端々に、なぜか惹かれてしまった。
「きっと、誰かの大切なものが、ここに録れてる─」
そんな気がしてならなかった。
その帰り道だった。局のPCが熱暴走で落ちたのをきっかけに、どうにも集中が切れてしまい、梢は最寄りの駅で途中下車した。彼女が東京公演の時にだけ訪れる裏路地。なぜかそこへ足を運んでみたくなった。
地図は見ない。感覚だけを頼りに、左へ、右へ。すると、角を曲がった先に、薄く灯る行燈と、白いのれんが浮かび上がっていた。
「─あ、ここだ」
いつだったか、社内で他のスタッフが話していた。
「チェリストの坂元さん、東京での公演のあと、妙な店に立ち寄ったらしいよ。のれんに何も書かれてないって」
まさか偶然とは思えなかった。吸い寄せられるように、そののれんをくぐった。
「いらっしゃいませ」
声は落ち着いていて、空気の波が静かに変わった気がした。
カウンターだけの小さな店。客は誰もいなかった。厨房の奥には、紺の作務衣と白の前掛けを結んだ、真城一献が立っていた。
「お好きな席へどうぞ」
梢は軽く会釈し、カウンターの隅に腰を下ろした。なにもない空間。なにも訊かれない心地よさ。
「─お腹、空いてるかどうかって聞かれたら、ちょっとだけ、ですかね」
自然と口が動いていた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
やがて厨房から、ふわっとやさしい香りが流れてきた。酵母の甘いにおいと、焼きたての皮の香ばしさ。そこに、ごま油と土の香りが溶け込んでいた。やさしく懐かしい、そんな匂いだった。
丸皿の上に乗せられて、目の前に置かれたのは丸く焼かれたパン。表面にはふっくらとした焼き目がつき、真城が分厚い指で掴んでそれを割ってみると、蒸気とともにごぼうと春菊が顔を覗かせた。
「おやきパンです」
「─パン?」
「はい。おやきの発酵とパン生地の焼き、ちょうど真ん中で出会わせてみました」
梢はそっとちぎって口に運ぶ。小麦の甘さとともに、じんわりと炒めた野菜の滋味が広がる。ごぼう、春菊、それぞれが静かに主張していた。
「─おいしい」
思わず、ひとこと。言葉がぽろりと落ちた。
「ビールは、お好きですか?」
「はい。苦すぎないのがあれば」
真城はうなずくと、よく冷えたボトルを取り出した。注がれたグラスには、白くにごりのある黄金色。香ばしい泡がきめ細かく立っている。
「白ビールです。ヴァイツェンという、小麦由来のものです。バナナのような香りがするかもしれません」
梢はそっと口をつけた。なるほど、甘さすら感じる香り。舌の上でほのかに転がる苦味。ああ、これは確かに─。パンの味に寄り添ってくる。
「パンが主役かと思ったら、ビールも静かに支えてくれてる─。そんな感じですね」
真城は微笑んだ。
「それは、まるで音響スタッフのようですね」
梢の目が、すっと丸くなった。
「え─。どうして?」
「坂元奏さんの演奏の後に、あなたがこのお店に来る気がしていました」
静かに差し出されたのは、一枚の紙切れ。そこには、「演奏を届けてくれた人にも、録を」とだけ書かれていた。
「彼女、あなたのことを覚えていましたよ。『自分の音が、誰かのおかげで、もっと遠くへ届いていくのがうれしい』って」
─まさか、そんなことを。
梢はもう一口、おやきパンを頬張り、ビールで流し込んだ。舌の上に、耳の奥に、ふわりと残るやさしい余韻。思えばこれまでも、音の余韻ばかりを追ってきた。音を録ること、整えること、それが自分の役目だった。けれど今、自分の内側にもその余韻が残っている。
「─なんだか、自分の仕事も悪くなかったのかも、って思えてきました」
「はい。それが、録されるということです」
梢は立ち上がると、もう一度厨房の奥に視線を向けて言った。
「この店、名前は──?」
「酒に肴で、『酒肴録』です」
「また来ます。録音じゃなくて、自分の声で」
梢は再びのれんをくぐった。二回目は、白いビールと発酵の香りを纏わせて。
真城一献は、梢の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
おまけレシピ

強力粉100g、薄力粉100g、砂糖小さじ1、塩小さじ1/4、ドライイースト3gをボウルでよく混ぜる(2人前4個分)。
ぬるま湯100cc、サラダ油大さじ1を加え、手で混ぜ、捏ねる。
ボウルに戻してラップをしてあたたかい場所で30分以上、一次発酵させる。
2倍に膨らんだら4等分にして10分休ませる。
生地を円形に伸ばし、お好きな具(例えば、ごぼうのきんぴら、照り焼きチキン、牛しぐれ煮、など)を乗せて包む。
生地の閉じた方を下にして、クッキングシートの上に乗せて20分ほど、2時発酵させる。
蓋をしたフライパン、またはオーブンで、表面に焼き色がつくまで焼く。
材料紹介
シュマッツ・ヴァイツェン : 惣菜パンに合う。
