【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第28話: 炒飯とビール
内容紹介
今日の一皿は、シンプルな直球勝負の「炒飯」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、ビールと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
熱の残るアスファルトを避けて、阿久津湧は書店の裏口から静かに出た。勤務を終えたばかりの身体に、まだ暑い夕風が汗を呼び覚ます。アルバイト先の書店では、今月に入ってから特設フェアとして「道具と日常」という棚を作っていた。工芸、料理、詩、家具。実用と詩情のあいだを漂うような本が並ぶその棚で、ひとりの職人と話した。
「この本、やっぱりいいですね。細部が生活の中にある」
広瀬湊がそう呟き、湧の名札をちらりと見た。
「椅子って、作る側だけじゃ完成しないんです。使う人がいないと」
その言葉が、まるで釘のように、湧の頭に打ち込まれたままだった。
書店員としてではなく、小説家として、湧には書けないものがあった。なかでも「音」だった。
湧がまだ実家にいた頃、通っていた町中華の炒飯。炒めた油の焦げる匂い、ねぎと卵の甘さ、豚肉とナルトから滲み出る陸と海の旨み。香りは記憶には残っているのに、音が出てこない。読み返すたびに、足りないものを感じてはため息をついた。
「使う人がいないと、完成しない」
その職人の言葉が、湧にとっての椅子を思い出させた。そう、このままじゃ俺の椅子には、誰も座ってくれていない。使ってもらうには、まず、自分がちゃんと記憶に触れて書くべきだった。
気づけば、湧は裏路地を彷徨っていた。細く曲がる道。どこか違う空間に導かれるような感覚。ふと、足が止まった。
白い、何も書かれていないのれん。優しい光の行燈。直感が、ここだと告げた。
「いらっしゃいませ」
紺の作務衣に白い前掛けの真城一献が、静かな声で迎える。店内には、カウンター席が数脚あるのみ。壁には、色彩を抑えた日本画が一枚。殺風景だが、それが妙に心地よい。
湧はカウンターに腰を下ろすと、何も言わずに水を受け取った。
「お腹の具合は?」
「─空いてます。あの、炒飯って、できますか?」
「ええ、かしこまりました」
真城は、それ以上の言葉を要さずに厨房に入った。
鍋を温める金属の音。油の熱で鍋肌がジリリと鳴く。卵が割られ、白身がパチパチと音を立てる。しばらくすると、白米が投入され、卵と米がランダムに混ざり合う。そこに刻んだねぎと、角切りの豚肉、白とピンクのナルトが次々と合流していく。ほんの少しの醤油が鍋肌で焦げ、香りが立ち上る。
その香りに、湧の音の記憶が揺れた。
放課後。学校帰りに自転車で寄ったあの中華屋。紙のように薄いコップに水。無口な親父が中華鍋を振るう音。テレビの音。レンゲが皿にぶつかる音。
「炒飯です」
皿にこんもりと盛られた炒飯は、焼き色をまといながらも軽やかに粒が立っていた。具材は素朴だ。だが、その湯気には、この一皿に至る悠久の時間が感じられた。
湧はレンゲを手にとり、一口すくって口に入れた。
米の甘さ、卵の柔らかさ、ねぎの香り、豚肉の脂と焦げ、ナルトの出汁。舌の上で記憶が剥がれて、書けなかった「音」の正体が身体の中から立ち上がってくる。
─これだ。
「よろしければ、一杯いかがですか?」
「お願いします。なんでも」
カウンターの向こうで、グラスに注がれる琥珀色の液体。
「グースアイランドのIPAです」
湧はその液体に鼻を近づけた。ホップの苦味に、柑橘と松脂の香り。口に含むと、舌にしっかりとした苦味が広がり、炒飯の脂を追い立てるように流していく。
「あ─、合いますね。香ばしさが、また浮かび上がってくる」
「苦味は、香りを炙りますから」
真城はぽつりとそう言った。
湧は、目を閉じて噛み締めた。炒飯の甘さと、ビールの苦味。その往復運動が、記憶の奥に眠っていた音を引っ張り出してくる
─書ける。
初めてそう思った。
創作のために味をなぞったのではない。思い出の輪郭がここに実在していた。ここには、「使う人が完成させる椅子」のように、食べることで完成する音があった。
湧はそっとスマホを取り出し、備忘録アプリに「空腹が連れてくる記憶」とメモした。
「このお店、名前は?」
「『酒肴録』と申します。酒に、肴で」
「ありがとうございます。ようやく、音を思い出せました」
湧は再びのれんをくぐった。二回目は、米とホップの音を纏わせて。
真城一献は、湧の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第29話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

米を炊く、または冷凍ごはんをレンチンして、流水でさっと洗ってザルに上げておく。
底の深いフライパンにサラダ油を入れ、よく熱し、卵を割り入れて目玉焼きを作る。空いたスペースに、塩漬けした豚肉の角切りを入れて炒める。
黄身がまだ半熟のうちに、目玉焼きの上に米を入れて叩くようにかき混ぜる。
みじん切りしたナルトとネギを入れてサッと炒める。
鍋のヘリにごく少量の醤油を垂らして、香りが立ってから混ぜ合わせる。
材料紹介
豚バラブロック : 塩漬けにすると保ちます。いつでも少しずつ料理に使えて便利。
白米 : 入荷したら買っておこう。
グースアイランドIPA : 苦味が炒飯と合う。
