【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第57話: ミックスホルモン炒めと芋焼酎
内容紹介
今日の一皿は、味噌が絡んだニラとホルモンが体力と食欲を増進する「ミックスホルモン炒め」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、芋焼酎と心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
大村隆之は、夜の熱が石畳にまだ息をひそめている路地を、仕事帰りの足どりで辿っていた。市場の一日は夜明けから始まるから、隆之の夜は人より早く訪れる。昼下がりに重たい箱を運ぶうち、背中の汗はすっかり乾き、代わりに空気の奥で油の香ばしさが揺れる気配を嗅ぎ取った。鼻腔が勝手に道を選ぶ。
曲がり角の先に、白いのれんが静かに膨らみ、淡い行燈がにじんでいた。文字はない。ただそこだけが、音の少ない港のようだった。隆之は息を整え、のれんをそっとくぐった。
「いらっしゃいませ」
カウンターの内で、真城一献の低い声が波紋のように広がる。店内は涼しく、磨かれた木の香りと出汁の残り香が層を成している。言葉を探すより先に、隆之は腰を下ろし、指先で節くれ立った掌の皮を撫でた。昼の箱の角でできた小さな傷がひりつく。
真城が小さなコップを置く。氷の音が一度鳴って、すぐ黙った。
「ありがとうございます」
声は自然と抑えられた。真城は頷いたきり、冷蔵庫の扉を開ける気配も、注文を確かめる問いもない。代わりに、鉄のフライパンが持ち上げられる音がした。
強い火がつき、胡麻油が薄く走る。香りがすぐに輪郭を持ち、隆之の腹の底を刺激した。
「仕事帰りですか?」
「ええ、いつもより少し遅くて。市場で」
そう言うと、真城の眉がわずかに動いた。
「野菜の箱、今日はピーマンがよく出たでしょう」
驚いて目を上げると、真城はすでにまな板の上で包丁を立てていた。青いピーマンが細い帯になり、ニラは水気を切られてから香りの筋だけが残るように束ねられる。ホルモンは下茹での湯気をまとい、白と飴色の境目がつやめいている。鉄が鳴り、ホルモンが投じられた。弾ける音が、昼の市場のざわめきと重なる。
脂の甘さが立ち上がるや、濃口と味噌が合わさった香りが追いかける。そこへ酒を垂らし、火が一瞬だけ高くなる。真城はフライパンを傾け、脂を逃がしすぎない角度を保ちながら、ピーマンを投じた。青い気配がたちまち広がり、すぐさまニラが続く。強火のまま、香りを焦がさずに芯を残す手の早さ。音の密度が変わり、やがて静かになった。
「ミックスホルモン炒めです」
皿は平たく、焦げの縁が金色に乾いている。ホルモンの白や黒は柔らかそうに沈み、ピーマンの緑がその上で呼吸している。ニラの線が、最後に光を引いた。
箸を取る。隆之はひと口、ホルモンを噛んだ。弾力が歯を押し返し、次の瞬間にほどけて、脂の甘みと味噌のコクが口中に広がった。ピーマンの若い苦みがそれを受け止めた。
昼間、青果棟で抱えた箱の重さや、値付けの押し問答、若い衆の笑い声が、味の層のあいだから立ち上がるようだった。
「うまい」
ぽつりと言葉が零れる。真城は頷き、奥から黄金色のボトルを持ってきた。
「富乃宝山のロックです」
細身のグラスに注がれた液体は、照明の下で淡く揺れた。
隆之は鼻先を近づける。甘い芋の気配は控えめで、柑橘の香りが軽く立つ。柚子の白皮に触れたような、涼しい柑橘の影がある。
口に含む。するりと入って、喉が通る瞬間に、熱というより、締まりが残る。脂の後口を、小さく畳む指先のような感触だった。
次に、ホルモンをもうひと口。今度はニラと一緒に。噛み合わせると、脂の甘さが鮮やかになり、ピーマンの苦みが一歩引いて、代わりに青い香りの輪郭が整う。すかさず富乃宝山をひと口。口の中がすっと晴れて、味噌のコクが陰影を増す。
隆之は、働き始めた頃のことを思い出した。箱の角で指を切り、血の匂いに青いピーマンの香りが重なって、妙に腹が減った夕方。手当てのテープが汗で剝がれ、握力が落ちるたびに、先輩が黙って包丁を研ぐ音を聞かせてくれた。あの音の間合いが、今ここで、鉄の余熱と油の静けさに重なっている。
「真城さん、どうして分かったんです。今日、ピーマンがよく出たって」
「さっき、手の匂いが少しだけ青かったでしょう。のれんを払う時に」
隆之は思わず掌を嗅いだ。確かに、微かな青さが残っている。昼間は気づかなかった。
「昼は戦場ですよね。気配より先に数字が来る。ここでは、逆です」
真城の言葉は、単なる感想の厚みを持ちながら、命令のような硬さはない。
隆之はもう一切れホルモンを頬張り、グラスを傾けた。富乃宝山の清冽さが、脂の山を崩し、皿の上の焦げ目の香りを立てる。箸が自然に早くなる。ピーマンの種の近くの、少し甘い部分が顔を出し、ニラの根元の丸い香りが追いかける。口の中の地図が、食べるほどに細かくなっていく。
「そういえば」
隆之は言う。
「昼に、いつも豆を見ている若い人が来ていて」
「片桐隼さんですか?」
「知っているんですね」
「はい。季節の甘味、探していました」
隆之は笑った。隼の顔が浮かぶ。市場の果物を眺めては、手帳に細い字で何かを書きつけていた。
「あの方のノートは、線が多い。味を線で覚える人間は、迷っても戻ってこれます」
真城の言葉に、隆之はグラスを口に運んだ。柑橘の影がまた舌を撫で、胃の底に小さな灯りがともる。
迷っても戻れるか。隆之は、朝のセリ場でうまく値を付けられず、悔しさをごまかすように笑った若い衆の顔を思い出す。彼らにも線を残してやれるだろうか。記憶の中で、青いピーマンの線が一本伸びる。
皿の上で、最後のひと切れが焦げ目を光らせる。
「今日はゆっくりしていってください」
真城が言い、徳利を掲げる仕草で焼酎を継ぎ足した。氷は入れず、温度だけを少し上げているのか、香りの輪郭が丸くなる。
隆之は最後のひと切れを、ニラの線と一緒に口へ運んだ。噛むたびに、昼の喧騒が遠のき、かわりに自分の呼吸の音が近づく。富乃宝山で追いかけると、舌の上に細い風が通り、喉の奥で静かにほどける。
「ごちそうさまでした」
膝の上で、指を組んでから、隆之はふっと息を吐いた。
「明日はもう少し、丁寧に並べます。ピーマンの線、曲げすぎないように」
真城は薄く笑った。のれんの向こうに、夜の気配が戻っていた。
隆之は再びのれんをくぐった。二回目は、五臓六腑をつなぐ線を纏わせて。
真城一献は、隆之の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第58話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

ホルモンを複数種類、塩と小麦粉で揉んでぬめりを取った後、たっぷりの湯で数分下茹でしてザルにあげて水気を切る。
ボウルに、味噌、みりんに対して半量の醤油と酒、1/3の砂糖と豆板醤を混ぜて味噌ダレを作っておく。
フライパンにごま油を熱し、潰したにんにくを炒め、香りが立ったらホルモンを加えて焼き色をつける。
ピーマンを加えて炒め、しんなりしたら味噌ダレを加える。
最後に火を切った後にニラを加えてさっと和える。
