子どもでいられる時間——知らないまま、大人になるということ
映画『RUN』と『コドモのコドモ』を観て考えた、愛着と選択の話
※この記事には、映画『RUN』と『コドモのコドモ』の内容・結末に触れる 部分があります。
未鑑賞の方はご注意ください。
子どもは、いつまで子どもでいられるのだろう。
そんなことを考える映画に続けて出会いました。
少し前に映画『RUN』を観て、母と娘の関係について記事を書きました。
一見すると、母親の歪んだ愛情や支配が描かれている物語。
でも、その背景を見ていくと、母親自身もまた傷ついた子どもだったのかもしれない、と思う場面がありました。
傷ついた子どもが大人になり、親になる。
その時、人は自分が受け取れなかったものを、どうやって誰かに渡していくのだろう。
そんなことを考えていた時に観たのが、
という映画でした。
📌 原作漫画はこちらです
11歳の女の子が妊娠し、出産する物語です。
観終わったあと、正直に言うと、私の中には少しざらつく感覚が残りました。
もちろん、命が生まれること。
周りの人が支えること。
そこには温かさもありました。
でも同時に、私の中のどこかが
「現実は、そんなに簡単じゃなかった」
と言っていました。
きっと、この作品が描きたかったものは、
「子どもには、子どもなりの力がある」
という希望だったのだと思います。
だから最後も、
生まれてきた命をみんなで受け入れる、
温かい場面で終わっていました。
小学生の女の子が「ママ」として存在し、
赤ちゃんを抱きながら、
大人や同級生の友だちに囲まれている。
その光景は、たしかに優しいものでした。
でも私は、その場面を見ながら、
別の問いがこころに残りました。
赤ちゃんが生まれた後、
その子は「お母さん」になります。
でも、お母さんになったからといって、
急に子どもではなくなるわけではありません。
不安な夜。
誰かに甘えたい気持ち。
本当は守ってほしい瞬間。
その子の中にある「子どもの部分」は、
誰が抱きしめてくれるのだろう。
以前、胸の奥の「きゅっ」とした感覚や、誰かにわかってもらう体験について書いた記事があります。
言葉にならない気持ちを抱えてきた人に、重なる部分があるかもしれません。
私はきっと、
そこが描かれていなかったことに、
こころが立ち止まったのだと思います。
そして、その問いは、
映画の中の女の子だけに向けたものではありませんでした。
若くして子どもを産んだ頃の私にも、
そして、子ども時代に十分に甘えられないまま大人になった人にも、
重なる問いだったのだと思います。
私は10代で子どもを産みました。
若くして親になるという経験は、人によって全く違います。
私自身の10代での出産や、その後に「自分を大切にできない」まま苦しい関係を選んでいた頃のことは、以前こちらの記事にも書いています。
支えてくれる環境がある人。
祝福される人。
一方で、不安や孤独、周囲の視線の中で親になっていく人もいます。
だから、この映画を観た時に動いた感情は、
作品への否定ではなく、
昔の自分の記憶だったのだと思います。
「どうして人は、自分が苦しくなる選択をしてしまうことがあるのだろう」
私は長い間、そんな疑問を持っていました。
大切にしてくれない相手なのに離れられない。
傷ついているのに「自分が悪い」と思ってしまう。
寂しさを埋めるために、本当は望んでいない関係を選んでしまう。
外から見ると、
「なぜ?」
と思うかもしれません。
でも心理学を学んで分かったことがあります。
人は、幸せになりたくなくて選んでいるわけではありません。
子どもの頃に覚えた人とのつながり方。
愛されるために必要だった方法。
自分を守るために身につけた考え方。
それらが、大人になってからの選択に影響することがあります。
だから私は、
「知らない方が幸せ」
とは思えません。
知ることは、
誰かを責めるためではありません。
親を責めるためでも、
過去の自分を責めるためでもなく、
「あの時の私は、何を求めていたんだろう」
「何を守ろうとしていたんだろう」
そうやって、
自分を理解するためにあります。
子どもでいられる時間は、
人によって違うのかもしれません。
早く大人にならざるを得なかった人もいる。
甘えるより先に、頑張ることを覚えた人もいる。
でも、大人になった今だからこそ、
自分の中にいる小さな自分の声に
気づくことはできます。
もし、あなたにも
「なぜか苦しい方を選んでしまう」
「大切にされていないのに離れられない」
「自分の気持ちより、相手を優先してしまう」
そんな心当たりがあるなら。
それは、
これまでの人生の中で、
そうすることで自分を守ってきた時間があったのかもしれません。
まずは責める前に、
「私は何を守ろうとしていたんだろう」
と問いかけてみる。
そこから少しずつ、
自分のための選択肢が見えてくることがあります。
知ることは、
過去を責めるためではなく、
これからの自分に
新しい選択肢を渡すため。
あの時の自分は、
何を求めていたのだろう。
何を守ろうとしていたのだろう。
そんなふうに見つめ直した時、
少しずつ、
自分との関係も変わっていくのだと思います。
自責ではなく、自己理解へ。
こころは、
いくつになっても育っていく。
私はこれからも、
そんな小さな気づきにつながる言葉を
届けていきたいと思います。
最後に、もうひとつ。
「頭では分かっているのに、気持ちが追いつかない」
「言葉にならないまま、胸の奥に残っているものがある」
そんな方には、こちらの記事も置いておきます。
📌 むねの奥の「きゅっ」に気づくとき
──言葉にならない気持ちにふれる、大人の絵本



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