闇 498(ブルジョワホテル生活編)
闇 498(ブルジョワホテル生活編)

2026/03/09 mon
前回の章

二千二十年八月十六日、日曜日友引。
仕事明けに川越のバー、リバティへ寄りダラダラ飲んで食べる。
気付けば日が明けて十六日になっていた。
憧れのホテル暮らしまで約あと一週間。
運ばれてきたラムチョップを食べながら、グレンリベットで流し込むこの幸せ。
川越での暮らしも中々快適であるが、新宿までの出勤を考えるとやはりホテル暮らしは魅力的だ。

焼きカレーを食べながら、初期横浜時代に行ったバーのボロチャリを思い出す。
あそこも、もう店を閉めてしまったんだよなあ……。

トマトとチーズのカプレーゼをフォークで刺しながら、漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部のシーンを思い出しながら口へ含む。
あの漫画の四部では、人気的には岸辺露伴なんだろうけど、俺は変わり者だから、料理人スタンド使いのトニオが好き。
土方仗助、億奏コンビでトニオのレストランへ行く描写が堪らなく好きだった。


杜王町のイタリアン料理食べるシーンが、ジョジョの中でも一番気に入り。

あの時にトマトとモッツァレラチーズを交互に置いたカプレーゼという料理を漫画で俺は知ったのだ。
確か十九歳の頃の記憶。
何故なら全日本プロレスへ行ってレスラーになるのだと息巻いていた時期であり、当時無職だった坊主さんがよく俺の部屋へ泊まりに来た時、この料理を真似て作った思い出があるからである。
「智、この料理のレシピ教えてくれよ」
そう言ってきた坊主さんのあの時の表情は、未だ忘れもしない。
いわば俺が後に料理を作る原点でもあるのだ。
池袋のキャバ嬢ちかからのLINEが届く。
俺は料理の写真を送りながら、リバティで飲んでいる途中だと説明した。
『へえ、何だかお洒落なお店やね。今度私も連れてってほしいな。 ちか』
酒を飲みながら二十代の美女とLINEのやり取り。
うん、俺って中々素敵な時間を過ごしているじゃないか。
調子に乗った俺は、ジョジョ談義まで始め真夜中までリバティで過ごす。
昼過ぎまで寝ていると、櫻井さんから連絡が入り、ヤスのカガヤカフェでまた酒を飲み出した。
「ねえ、ヤス。これって何?」
カウンター席に置いてあるミカン箱段ボールの形をした物があったので、ヤスに聞いてみる。
「これ、実は貯金箱なんですよ。小銭をここに置くと、中から猫が出て来るんです」
「へー、面白そう。やってみるか……」
試しに十円玉を置くと、段ボールの隙間から白い猫が手を伸ばしながら「ニャー」と鳴いてコインを中へ引きずり込む。
「何だ、こりゃ! 面白いぞ」
調子に乗った俺は、小銭入れの金をほとんど猫の貯金箱へ入れてしまった。
考えてみれば、この金って全部ヤスの懐に入るだけなんだよな……。
夕方過ぎまで長丁場で飲んでいると、櫻井さんは先に帰る。
入れ替わりでヤスの同級生である金子修一が入ってきた。
小学生時代、共に同じ登校班で通った仲。
すっかり気分を良くした俺はカガヤカフェが閉店すると、後輩二人を連れて近所のお好み焼き屋『かぶや』へ向かう。

「好きなもん頼めよ。遠慮しないで」
「すみません、智さん。頂きます」

俺は恒例の豚玉と太麵焼きそばを注文し、鉄板の上で焼き始める。

子供の頃から知っている四つ下の後輩たちと飲む酒は楽しい。
弟だった貴彦の同級生。
叔母さんのピーちゃんと内緒で養子縁組をされ、白を切られてから絶縁したが、何故修やヤスみたいに普通に接する事ができなかったのだろう?
同じ両親の血が流れている兄弟だったんだぞ?
以前お袋と二階堂さんの間に、十歳年下の妹がいるらしいという噂を弟の徹也から聞いた。
俺が三十歳の時の話。
そんな時にたまたまキャバクラで知り合ったミサキ。
俺は彼女を勝手にいるかどうか審議も定かではない妹を重ね合わせた。
やがて俺はミサキを妹として可愛がりながらも、異性としての女も感じてしまった。
彼女が川越を去り沖縄へ移り住んだのは、俺が岩上整体を開業していた頃。
もうほとんどお互いにやり取りはなくなってしまったが、元気でやっているのかな。
今、目の前にいる金子修一にしても、滝川恭央にしても、袂を分けた貴彦という元弟との擬似的なものに過ぎないのだろう。
因果律を感じつつ、俺は酒のお代わりを注文した。
二千二十年八月十八日、火曜日仏滅。
ラッキーハウスで一服休憩中、携帯電話でニュースを眺めていると、また韓国系の記事が目に入る。
この文在寅大統領になってから、慰安婦騒動にしても、元徴用工といい、一体コイツは何がしたいんだ?
日本の政治家たちも、毎度毎度「遺憾」 とか表現しないで「うるせーよ、この馬鹿」って分かりやすく韓国には言ってやったほうがいいと思う。
日韓問題について俺は詳しくないが、安倍首相がいつだか十億円渡した事もあったはずだ。
国の政策で日本を乏せば政治がやり易いのかどうかは知らないが、いい加減鬱陶しい。
「岩上さん、何を見てんすか?」
「ん? ああ…、例の韓国と日本のいつもの遺憾遺憾って、どうしょうもないニュースだ」
「そんな事より今日帰り、また花小金井どうすか?」
「何でそうなんだよ!」
本当に山ゴネスの頭の中は、飲む事しかないのか?
川越まで帰らなきゃならない俺にとって、花小金井駅で途中下車するのは終電の都合もあるからマイナスでしかない。
「だって岩上さん、来週からホテル暮らしになるんすよね? だったら中々花小金井に来る機会なくなるじゃないすか」
「別にあんな場所、元々用も何もないだろうが」
「今日ぐらい付き合って下さいよー」
「また終電ギリギリになるじゃねえか」
しつこい山下を交わしていると、吉岡が近付いてくる。
「赤崎さん、ちょっとフォトショップの事で聞きたいんですけど、いいですか?」
「もちろんいいですよ。ほら、山下。おまえも一緒に見ろ。使い方教えるから」
「いや、自分パソコンは苦手なんでいいです」
本当に向上心の欠片もない山下。
ヨッピーコレクションの爪の垢を煎じて飲ませたいほどだ。
今日も無事仕事を終わらせ、急行電車で川越へ向かう。
田無駅を過ぎた辺りから、同じ車両にいる山下が再び誘ってきた。
「岩上さん、ちょっとだけいいじゃないすか」
「おまえも本当しつこいなー。俺は明日も仕事なの」
「一軒だけ付き合って下さいよー」
「……」
ズルズルと話を引き延ばされ結局花小金井で降りる。
山ゴネス御用達の居酒屋で飲み、二軒目も付き合わされた。
駅の方向へ歩いていくと、スーパーのいなげやの電気が消えている。
夜十一時まで営業と書いてあるので、本当に電車へ乗らないと川越へ帰れなくなってしまう。
「ほら、屋台とかもあるんすよ。ちょっと寄っていきます?」
「だからー…、もう終電無くなるだろ!」

「まだ一杯ぐらいなら電車大丈夫すよ」
そう言って先に屋台へ座る山下。
仕方なく俺も焼鳥を食べながら一杯だけ付き合った。
「……」
花小金井駅に向かうと、終電電車は出てしまったところで言葉を失う。
本当にこの馬鹿に付き合うと、碌な目に遭わない。
「大丈夫すよ。近くに漫画喫茶ありますから」
「そういう問題じゃねえだろ!」
結局泊まる羽目になり、そのまま明日は新宿へ出勤だ。
漫画喫茶まで俺を案内した山ゴネスは、とっととタクシーを捕まえて帰ってしまう。
とりあえず部屋だけ押さえた俺は、むしゃくしゃしていたので花小金井駅周辺を歩き回り、酒を飲んでから寝ようと思った。
少し離れた場所に中国ラーメン『揚州商人』という店を発見。

まあこの際どんな店でもいいか。

入口のメニューをしばらく眺め、何を食べようか考える。
人を強引に付き合わせておいて、自分はとっとと帰りやがってあの野郎。
内藤ノブは仕事上でやり辛さの問題があったが、山ゴネスは仕事外に問題があり過ぎる。
どちらにしても来週からは根城が新宿になるのだ。
こんな寂れたところも、今日で最後か。
ラーメンと餃子を食べながら酒を飲み終わると、漫画喫茶へ戻って眠り仕事へ備えた。
二千二十年八月二十二日、土曜日仏滅。
久しぶりに競馬全レースをしたら、一割分しか当たらず負けた。
明日は札幌記念。
頼むぞ、一番人気のラッキーライラック。
仕事を終え川越に到着すると、ずっと気になっていたので『チーズの海に溺れたい 川越店』へ入ってみるか検討をした。
何故ならこの場所は、元々本サロの如何わしい店があった跡地。
今では普通のイタリアンレストランなのに、前の商売のイメージが強く、階段を降りる時誰かに見られたらと気恥ずかしさが蘇ってくるのだ。
あれからどうなったのかな?
「……」
どうしてもあの時を思い出してしまう。
まだ俺が二十代の頃。
シャブに手を出しトザンの銭に手を出してチャンプをクビになった久保田から突然連絡が入る。
聞いただけの話だが、林と同じ〇〇連合のヤクザへ入ったものの、現在組の金を持って逃走しているはずだ。
「久保田さん! 今どうしているんですか?」
「た、助けて……」
彼の言う助けるとは何か?
ロクでもない事に引きずり込まれるのは明白だった。
「何でシャブなんかやったんですか……」
「だって…、しょうがないじゃん……」
「いくら必要なんです?」
「五百……」
さすがに無理だ。
今の俺の持金の額じゃ足りない。
一万、二万なら気楽にあげられた。
いや、昔からの付き合いだ。
十万くらいならあげても良かった。
しかし絶対に返ってこない金五百万なんて無理だった。
それにそこまでの金は持っていない。
俺は丁重に断る。
「ごめんね、岩上君……」
それだけ言って久保田は電話を切った。
通話を終えてから、何とも言えない虚無感に包まれる。
だって無理だろ、どう足掻いたってさ。
自分で勝手にシャブに手を出して、金持ってとんずらしたのだ。
自業自得だろう?
でも彼は最後に俺へ救いを求めてきた。
いや、だからできる事できない事があるだろ?
久保田のは完全な後者だ。
答えの出ない自問自答。
俺はジャズバーのスイートキャデラックに行き、グレンリベットを飲んで現実逃避をする。
吐き出した煙が空に消えていくのをただ黙って眺めていた。
そんな久保田がまだシャブに手を出す前……。
『ワールドワン』で働いていた俺は、同じワンオン系列の『チャンプ』の従業員である久保田と、仕事終わり定期的に食事へ行った。
風俗が大好きな彼は、食事後いつも店へ誘ってくる。
俺が初めてファッションヘルスへ行ったのも、久保田とが最初だった。
それからは徐々に疎遠になってしまったが、風俗で本番強要する彼が、店の従業員へ外へ出され囲まれているのを目撃した俺は、川越なら一万円で本番できる店があると連れてきた事が一度だけあった。
さすがにもうその本サロの店名まで覚えていないが、久保田はそれ以来たまに川越まで通っていたのを思い出す。
それが今じゃ『チーズの海に溺れたい 川越店』か……。
もう普通の店なんだ。
俺は意を決して階段を降りた。
メニューを見ながら恐ろしいほどチーズに対する愛情が伝わってくるのが分かる。

サラダにも大量の削ったチーズがこれでもかと掛かっており、俺は店員に以前この店の前は風俗店だった事を話してみた。
「え、本当ですか?」
「俺が二十代の頃だから、もう二十年ぐらい前の話だけどね」

ローストビーフにもとろけるチーズがたっぷり引いてある。

さすがにパスタは白い大きな皿の隅にパルメザンチーズがパラパラと置いてあるだけで、あとはお好みで掛けるらしい。

中々いい店であるが、一人で来るにはいまいち向いていない。
さて、明日の休みが終われば、新宿でホテル暮らしが始まるのか。
二千二十年八月二十三日、日曜日大安、処暑。
ヤスのカガヤカフェでコーヒを飲みながら競馬の結果を待つ。
また段ボール箱の中に猫が隠れている貯金箱へ、いらない細かい小銭を何度も与えて時間を潰す。
札幌記念のレースが始まり、テレビへ注目する。
「あー! ラッキーライラックまたコケて三着かよー……」
意気消沈しながらタバコを吸っていると、加賀屋のおばさんが話し掛けてくる。
「駄目だよ、智ちゃん。そんな無駄遣いばかりしてちゃ」
「ちゃんと遊びの範囲でやってますよ」
「そうそう、前に智ちゃんが言っていたミラノコレクションの新作、また入荷したよ」
ミラノコレクション……。
そうだ、以前けいこにプレゼントした時、毎回新しいものが入ったら買ってやると格好をつけ、加賀屋で頼んでいたんだっけ。
ミラノコレクションへ大切そうに頬ずりさせながら笑顔のけいこを見て、素直に可愛いなあと思う。
好きな女性と一緒にいられる事が、こうまで楽しい事だったなんて。
問題は初対面の時タイプじゃないと嘘をついて格好をつけてしまった俺の心。
ここだけがずっと悔やんでいる部分。
あと彼女へ紹介し、気に入ってしまった飯野君の存在。
俺にとってけいこの存在とは禁断の果実のようなものだった。
「毎年こんなもんでよければ、おまえにプレゼントしてやるよ」
「え、今何て言ってんですか?」
「来年も同じものあげるよって言ったんだよ。これ、毎年種類違うの出ているんだろ?」
「嬉しー!」
俺の腕にしがみついてくるけいこ。
「……」
チクショウ、あのクソアマめ……。
あれから結局連絡一つ無い状態だ。
どうもこの化粧品をプレゼントした女とは、上手くいかないジンクスがあるよな……。
「あれ? 智ちゃん別に必要なかったら、無理して買わないでもいいんだよ」
「いやいや、俺が頼んだんだから買いますって」
結局あげる相手もいないのに、見栄を張ってミラノコレクションを購入する俺。

今関係あるとしたら池袋のちかぐらいだけど、あの子も誕生日も三月だったしな。
まあいつか何かあった時用にストックしておくか。
競馬も負けたので、この日は部屋で大人しく過ごしながら休みを終えた。
二千二十年八月二十四日、月曜日赤口。
一週間分の下着類をキャリーバックへ詰め込み、新宿歌舞伎町へ向かう。
もう用がないと思っていたが、まさかこんな形で活躍するとは皮肉なものだ。
二度目の九州旅行へ行く際、前もって購入したキャリーバック。
そのままラッキハウスへ出勤すると、店長の橋本を始め内藤ノブや大山が目を丸くして驚いている。
あ、コイツら俺が今日仕事終わってから、ホテル暮らしするのを知らなかったっけ。
「岩上さん! これから旅行でも行くんですか?」
「何でこれから一週間もシフト入っているのに、旅行に行くんだよ」
「え、じゃあ何で?」
「大山ちゃんは知らないかもしれないけど、今コロナでアパが安いのだ。だからこれから月曜から土曜まで、ホテル暮らしする事にしたんだよ」
「でも赤崎さん。いくら安いって言っても、ホテルですよね?」
今度は橋本が聞いてくる。
「今のところ、アパは一泊三千円ちょいですよ。俺の場合川越からの定期で二万円、往復の時間、コロナのリスク考えたら、コマのアパから通勤したほうがいいなと思ったんですよ」
「……。確かにそう考えると、ありかもしれないですね」
この値段が続くなら、月に八万円掛からず四週間ホテル住まいという事になるのだ。
しかもアパからラッキーハウスまで徒歩二分程度。
通勤ラッシュも関係なくなり、コロナ感染においても確率がかなり減少するはず。
結局川越に帰ると、どこかしら知り合いの店へ寄ってしまうので、これからは業務終了後一直線にアパホテル。
そこで優雅な時間を過ごしながら、一週間を乗り切るのだ。
ルンルン気分で仕事をこなしながら、あっとういう間に時間を迎える。
「岩上さん、今日どこか飲み行きますか?」
「行かねえよ! 一人で勝手に行ってろ、山ゴネスめ」
元コマ劇場広場までキャリーバックを転がしてチェックイン。
部屋はそこまで広くないが、ふかふかのダブルベッドに大きなテレビ、そしてテーブルにミニ冷蔵庫。
自分一人で暮らすには充分過ぎるほどの設備である。

こんな風に仕事の合間にホテルへ宿泊するなんて、いつ以来だろう?
二十代のワールドワン時代の新宿プリンスホテルの時以来じゃないか?
俺はバスタブに熱いお湯を溜めながら、一週間ここにいる訳だから今度入浴剤でも買っておくかと考える。
仕事明けに飲む酒用に、信濃屋でグレンリベットを買っておいてもいい。
どうせ店に飲みに行ったら、五千円ぐらい掛かってしまうのだ。
それなら一番好きなウイスキーのボトルを買っておき、部屋でゆっくり飲んだほうがいいだろう。
それとクラコットにクリームチーズを塗ったつまみも用意して……。
まだ初日なので風呂に入って寝る程度であるが、こんな時間的余裕があるのも久しぶりだ。
一週間一万六千円で、プチブルジョワ生活気分を味わえるのだから、コロナ様々。
池袋のキャバ嬢ちかからLINEが届く。
彼女は突然のホテル生活に驚いていた。
ちか辺り、遊びに来てくれたら最高にプライベートになるんだけどなあ。
今度ノートパソコンも一緒に持ってくるか。
また小説とか書き出しちゃったりしてね……。
必要最小限に抑えたつもりのホテル生活。
初日にしてあれもこれもと考えている内に、いつの間にか寝てしまった。
二千二十年八月二十五日、火曜日先勝。
快適な睡眠を取り、ゆっくり風呂へ浸かる。
このクソみたいな街の中、このように心へ優雅さとゆとりを持って仕事へ臨む歌舞伎町の住人など誰もいないだろう。
そこのけそこのけジェントルマン岩上が闊歩するぞ。
内心そんな事を考えながら、元コマ劇場広場を歩く。
初日を終え、まず何を感じたか。
出勤までの距離が近いというのは最高に素敵だという事。
往復三時間掛けて川越新宿間を通っていたものが、部屋を出てたった五分で職場へ着いてしまうのだ。
週末だけ地元へ戻り、溜まった洗濯をするだけ。
何か今の俺って、結構幸せな立ち位置にいるんじゃないのか?
心の平安は接客にも当然出てくる。
少々面倒な客の注文も、笑顔で快く応対。
時間的余裕と寝る場所の寝心地は、人間を成長させるのだ。
今日も一日の仕事を終えると、そのままアパホテルへ向かう。
部屋に着いてから思ったのが、酒などを買い忘れてしまった事ぐらい。
ホテル暮らし二日目。
一旦外へ出たが、館内一階にある『ビーフキッチンスタンド』が前から気になっていたので、寄ってみる事にした。
まだ今日を合わせて四日間も泊まるのだ。
グレンリベットを買うのは、明日以降でもいいだろう。

確かこの店、セントラル通りにもあったよな?

メニューを見て驚いたのが、百円メニューを始め、高くても三百八十円程度のつまみばかり。
ビフテキが二百九十円?
値段設定おかしいだろ?

ビフテキは百グラムもないだろう。
安いだけあってフードはすべてちゃちい。
だが、この値段だから文句など言えない。
冷やしトマトにポテトサラダ、冷奴にビフテキで千円にしないのだから。

ついでにハンバーグも頼み、酒を二杯飲む。
会計は、三千円でお釣りがきたほど。
何だか凄い楽しい気分だ。
店を出てホテルを見上げる。

この無数に見える窓の一つが、俺の住んでいる部屋。
再びホテルへ入り、エレベーターで自分の階へ向かう。
通路を歩いていて感じたのが、鉄柵で覆われた吹き抜けの空洞。
もし自殺志願者がいたら、こんなものあっという間に乗り越えて飛び降りられるのではないかと、どうでもいい事を想像し少しだけ背筋が寒くなる。

部屋へ到着すると、ベッドの上へ寝転がりながら身体を大の字に伸ばす。
さて、十二時間は俺のプライベート。
携帯電話のスマホに、アイパッド。
暇潰しには充分なはずだが、やはり自分的にはパソコンのほうが使いやすい。

やっぱり酒を買っておけばよかったかな……。
まあ今日は風呂へ入ってから睡眠を取るか。

ホテル暮らし二日目の夜は、こんな感じで終わった。
二千二十年八月二十七日、木曜日先負。
仕事終わり、今日はアパホテルへ向かわず久しぶりに中川の豚小屋へ行く。
豚の角煮、豚しゃぶ、ベーコンステーキと、好きなものだけを注文する。
この店ともそこそこ長い付き合いとなった。
最初に知ったのがインカジ新宿クレッシェンド崩壊後の二千十四年の年末。
それ以来、横浜へ行っている時期は除いたとしても、そこそこの頻度で顔を出している店だ。

この店へ来ると落ち着きはするが、唯一の難点があった。
それはオーナーの中川を始め、全従業員たちへ一杯ずつご馳走する習慣。
初期の頃は二人しかいなかったので、たかが知れている。
だが、今では五人六人もの従業員を店の拡張と共に雇い出したので、会計が三千円以上プラスされてしまう。
まあ今さらご馳走するのをやめるという訳にもいかず、自分が余裕ある時にしか行かない店になりつつあった。

豚小屋からホテルまで徒歩五分も掛からない距離。
こうして終電も気にせず、飲んだ後はすぐ横になれる場所があるというのは幸せな事だ。
こうしてホテル暮らし四日目が終わろうとしていた。
二千二十年八月二十八日、金曜日仏滅。
食事休憩の時、花道通りにあるリカーショップ信濃屋へ入り、グレンリベットを買うか悩む。
今日泊まったら、そのまま仕事へ来て川越へ帰るからな……。
ウイスキーのボトルを持ち歩くのも面倒だし、酒を買うのは次のアパホテル第二期になってからにしようか。
たった一万六千円ちょっとの金額で、ここまで身体が楽になるのだ。
来週もまた予約を取っておかねば。
他のホテルも、このコロナ渦で安くなっているのだろうか?
見るとアパホテルと同等ぐらいの金額の宿泊料金が多いのに驚く。
「岩上さん、ホテル暮らしどうすか?」
「快適だよ。本当このスタイルにして正解だね」
「仕事終わったら部屋にいるだけなんですか?」
「それがさ、アパの一階にビーフキッチンスタンドって激安の店があるんだよ。この間なんて初めて行ったら、俺一人で三千円しないんだから」
「えー、いいすね、そこ。自分も今日行きたいすよ」
「行ってくればいいじゃん」
「岩上さんも付き合って下さいよー」
「嫌だよ。毎度毎度どうせ俺が金を全部払うんだから」
「分かりました! 今日は自分が出しますから」
「ふん、珍しい事もあったもんだ。明日は雨でも降るんじゃねえの」
ホテル暮らし五日目最終日。
こうして俺と山ゴネスは、仕事後ビーフキッチンスタンドへ向かった。
「え、何すか、この値段? 凄い安くないすか?」
「だから安いって言ったじゃん」

本当に一品一品がリーズナブルなので、適当につまみを注文。

「え、何すか! ビフテキ二百九十円って、ヤバくないすか?」
「滅茶苦茶美味いって訳じゃないけど、値段の割りにまともだよ。頼んでみれば?」

グツグツに煮えた鉄板皿で出てきたビフテキを見て、山下は妙に興奮している。
二人で散々飲んで食べて会計約六千円。
公約通り、今日は山ゴネスがご馳走してくれた。
彼と別れ、部屋へ戻る。
この一週間のホテル暮らしが非常に良かったので、来週も継続決定。
問題は、いつまで今の宿泊料金でいるかである。
コロナが落ち着けば、ホテル側にしてもすぐ正規の料金へ戻したいところだろう。
世界がコロナ渦で恐怖におののく中、俺は漁夫の利を得た形だだろう。
ゆっくり湯船に浸かり、ベッドへ横になる。
ウトウトしているところ、高校時代の同級生である小谷野から着信が入った。
「岩上、最近はずっと新宿にいるの?」
「いや、あくまでも仕事へ行っている平日だけホテル暮らしってだけだよ」
「じゃあ休みは川越戻っているの?」
「うん、明日の土曜日出勤したら、夜終わったら帰るよ」
「じゃあたまには飯でも食おうよ」
「いいね。でも新宿で仕事終わってからだから、夜の十時過ぎになっちゃうよ?」
「構わないよ。そのぐらいの時間に本川越駅向かうよ」
明日出勤して終われば、久しぶりの川越か。
そして同級生との再会。
そういえば彼と会うのもいつ以来だ?
西武台高校のサッカー部の集まり以来?
特にこれといった特別な事をしていないが、何となく運気がいい方向へ回っているような気がした。
せっかくアイパッドあるんだから、漫画の続きでも描こうかな。
俺はタッチペンを持ちながら、いつの間にか寝ていた。
二千二十年八月三十日、日曜日赤口。
最近密かにお気に入りの焼肉『牛繁』。
チェーン店なのだろうけど、一人のアルバイトの接客を気に入って以来、贔屓にしていた。
「小谷野、久しぶりの再会なのに、安い焼肉屋でごめんね」
「いやいや、何を言ってんだよ」

土曜日の仕事明けから食べ出して、気付けば日を跨ぎ日曜日になっていた。

「小谷野がまだ時間大丈夫なら、近くに俺のお気に入りのバーがあるんだ。良かったらそこへ行ってみないか?」
「岩上御用達じゃ、結構いい店なんだろうな」
俺は小谷野を連れて、クレアモールのリバティへ向かう。

トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼや、マッシュポテトをつまみに酒を飲み、親睦を深める。

「いい店だねー」
「でしょ!」
「そういえば、岩上も若い頃はホテルでバーテンダーやっていたんだろ?」
「うーん…、二十代半ばまでね。全日本プロレスが駄目になったあとぐらいの頃ね」
「もううちらも四十九歳になる年だから、倍以上経つのか。何だか凄い話だよな。まだカクテルとか振れるの?」
「しばらくシェーカーは振っていないけど、腕は多分落ちていないと思うよ」
「さすがに二十年以上間空いたら無理だろ?」
「おいおい、俺は当時腐るほど努力したんだ。時期が空いたとはいえ、見くびってもらっちゃ困るね。よし、じゃあ久しぶりにオリジナルのカクテルを作ろうじゃないか」
少し酒に酔っていたせいもあり、俺は店主の小沢に声を掛け、シェーカーにビーフィーターのジン、ブルーキュラソーにグレナデンシロップを用意してもらう。
「あとさ、悪いんだけど平らな皿を二枚。それとグラニュー糖とグレープフルーツジュースもいいかい?」
「どうぞどうぞ。智一郎さん、これでいいんですか?」
「うん、これで大丈夫、ありがとね、小沢」
まず皿にグラニュー糖を少量乗せ、シェーカーの蓋の背で砂糖の荒い結晶をすり潰し細かくしていく。
もう片方の皿には少量のブルーキュラソーと、グレナデンシロップをちょっとずつ垂らす。
当時あれほど考案し、苦労したオリジナルカクテルだ。
レシピも何もかも覚えている。
逆三角形のカクテルグラスの淵の半分に青のリキュール。
そして逆側に赤のシロップを擦りつけた。
その状態でグラニュー糖をグラスの淵へつけていく。
スノースタイルの完成。
「あ、小谷野。せっかくだからさ、俺がシェーカー振るところ映像撮ってよ」
「ああ、いいよ」
あとはジンにグレープフルーツジュースを入れ、シェーカーで振るだけ。
数年ぶりにシェイクするカクテル。
グラスへ注ぎ、ブルーキュラソーを上からそっと垂らしていく。
最後にグレナデンシロップも同様に垂らし、オリジナルカクテル『ミューテーション』の完成。

「はいよ、小谷野。俺のオリジナルカクテル」
「凄いな、岩上……」
「度数は弱めのカクテルに調合してあるし、飲み口はさっぱりして飲みやすいはずだよ」
「うん、上手いよ、これ」
「な? 俺の腕もそう落ちてなかったろ」
「ああ、結構驚いた」
すっかり気分を良くした俺は、小谷野を若い女がいるガールズバーへ誘う。
以前横浜のインターコンチへ連れて行ったエセ女子大生がいた店。
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