闇 285(神からの啓示編)
闇 285(神からの啓示編)

2025/08/04 mon
前回の章
グレンリベットを一気飲みしようとするが、途中で吐き出す。
昨日の酒がまだ残っていて、さすがに一本は無理か……。
その場にヘナヘナと力無く座り込む。
何だよ、意気地なしが。
あの塀を飛ぶのに酒の力が欲しかったんだろ?
最後に一番好きな酒を飲んで終わるのだ。
俺らしいじゃないかよ。
「おじいちゃん…、不甲斐なくてごめんね……」
ボトルを手に取り、口元へ持って行く。
途中で止まる手。
早く飲めって……。
飲んで終わりにしろって……。
床に零れ落ちる涙。
気が付けば俺は泣いていた。
情けない。
本当に情けなさ過ぎる。
携帯電話が鳴った。
誰だよ、こんな時に……。
有路からだった。
人生の最後を迎えようとする時、最後の電話が有路か……。
歌舞伎町初期のゲーム屋時代。
俺が入った時は、すでにチャンプの店長だった有路。
プロレスが大好きで妙に馬が合い、何度も飲み歩いた。
コールは十数回鳴って切れる。
そういえば年末新宿へ飲みに行くと言っていたっけな。
ごめんなさい…、約束を守れそうにないや……。

今すぐ部屋を出て、塀を乗り越えよう。
もうそれで終わり。
それでいい。
立ち上がると、両足がガクガク震えた。
もう金だって無い。
何も無いんだぞ?
何が怖い?
こんな目に遭ってまでまだ生きたいのかよ、俺は……。
無様に生きたところでどうする?
絶望したんだろ?
ドアへ向かってゆっくり歩く。
再び鳴る携帯電話。
また有路から。
「……」
何故引き留めようとする?
いや、最後に仲良かった人間の声だけでも聞いておこう。
飛び降りるのはそれからでもいいじゃないか。
「はい……」
「何だよ、いたのかよ。何回も電話したんだぞー!」
「す、すみません……」
「ん? どうした? 何か元気ねえな。店どうなったのよ?」
捲し立てるようなマシンガントークの有路の口調。
逆に救われた気分になる。
こうなった現状を話してみた。
「酷い話だな? 何それ? 岩上が店の金立て替えさせといて、店終わりはねえよな!」
同じ時代の裏稼業に生きた者同士の共通の価値観。
やはり俺は間違っていない。
周りが酷過ぎたのだ。
「明日約束していた通り、新宿行くから」
「え?」
「えじゃねえって。どうせ店辞めたんじゃ暇だろ? 明日の…、そうだな…。夕方くらいにはそっち行くよ。たまには一緒に飲もうぜ」
話すだけ話すと有路は電話を切った。
しばらく一点をジッと見ながらボーっとする。
自然と込み上げる笑い。
さっきまで死のうとしていた人間が、明日一緒に飲む約束?
あまりにも自分が滑稽過ぎておかしくなったのだ。
偶然かもしれないが、俺は有路のあのタイミングの電話で命を救われたのだろう……。
飛び降りるのを思い留まったはいいが、十万円しか持っていないのは変わらない。
まあいい。
死ぬのが一日伸びただけの話。
明日有路と共に飲み、それで終わりにすればいい。
「ナァ、ナァ」
錦花鳥ナミダ特有の鳴き声が聞こえてくる。
残されたこの子たち、誰が世話をするのだ?
卵を産んだばかりのナミダ。
ベニとの子。
一人ぼっちのマゲはどうなる?
餌の補充や、水を取り替えた。
俺の我儘で勝手に飼い始め、それを見捨てるのか?
「……」
別に死にたい訳ではないのだ。
馬鹿な自分に呆れ、このあとどう生活していいか何も分からないだけ。
何で昨日泥酔状態で、キャバクラなんて行っちゃったんだろうなあ……。
投げやりになっただけなのだろう。
今は何も考えたくない。
そのまま布団へ横になり、いつの間にか寝てしまった。
おばあちゃんの夢を見た。
千代田外科へ一緒にお供する小学生時代の俺。
この頃もうお袋は家を出て行っていない。
帰り道決まっておばあちゃんは寿司屋へ寄る。
魚が苦手な俺。
「智ちゃん、ここのマグロは美味しいから食べてごらん」
「えー、魚嫌い」
「一つだけでいいから食べてみな。帰りに好きなチョコボー買ってあげるから」
細長いクラッカーをチョコでコーティングした銀紙で包んであるお菓子を俺はチョコボーと呼んでいた。
おばあちゃんの病院へ付き合うのも、密かにこのチョコボーがお目当てだった。
チョコボーの為に一つだけ食べてみよう。
駄目だったら吐き出せばいいや。
「あれ? 美味しい! おばあちゃん、マグロって美味しいね!」
魚介類が苦手な俺が唯一食べられるマグロ。
これはおばあちゃんのおかげだろう。
自然と目を覚ます。
懐かしいおばあちゃんとの思い出の夢。
何でこんな状況であんな夢を見たのだろうか?
「ん?」
指先の違和感を覚える。

ゆっくり右手を大きく開いた。
何故か右手の中指だけが異様に冷たい。
指の中に氷でも入っているのかと思うほどの冷たさ。
左手でマッサージしてもまるで暖かくならなかった。
これ、何の症状なんだ?
風呂場へ行き、熱い湯をバスタブへ張る。
熱い湯船に浸かる事二回。
だが中指の冷たさはまるで相変わらず。
これは今後の俺に対する何かの警鐘なのだろうか?
もしくは先々何かが起こるような、いい兆しなのだろうか?
指先の冷たさをこれ以上気にしてもしょうがない。
別段動かせない訳でもないし、ただ中指の先だけが異様に冷たいだけなのだ。
なるようにしかならないのだから、放っておけばいい。
そんな事より腹が減っていた。
冷蔵庫にある材料を使い、色々な料理を作ってみる。
ちょろちょろと作っている内に、豪華な夕食になってきた。
銀鮭ホイル焼き。
豚肉のしょうが焼き。
山芋を擦り下ろしたとろろ。
もやしのナムル。
焼きタラコ。
焼きうどん。
冷奴にご飯。
朝方自殺までしようとした人間が、これだけの料理を作る。
非情に滑稽だ。

幸せを実感しろって……。
川越の実家にいた頃、こんな風に自由に料理を作れたか?
叔母さんのピーちゃんには邪魔されてばかり。
家族の誰もが俺の料理なんて、口一つつけてくれなかったじゃないかよ。
それでも新宿行って、たくさんの客や従業員たちが俺の料理を絶賛してくれた。
横浜で料理をしていて幸せだった。
人に求められて嬉しさを感じられた。
まだこんな俺でも、これだけのものを作れるのだ。
金が足りなく家賃を払えないのはピンチだけど、時流の流れに沿って……。
もう、なるようにしかならないさ。
今は食べて、少しでも元気を取り戻そう。
「ホイミ! ケアル!」
ゲームのドラゴンクエストやファイナルファンタジーの回復魔法を声に出して言ってみた。
こんなんで回復する訳ねえだろ。
ボキャブラリーや学の少なさの露呈。
よくこんなで小説なんて書けたものだ。
それも賞なんて取って本にまで。
あれって運が良かっただけなんだよな。
未だ印税だって一円も入ってこないから、また裏稼業戻って……。
インターネットカジノの世界を知り、気付けば新宿で自分の店を出すまでになった。
もう潰れてしまったけど。
何で新宿クレッシェンドなんて名前にしちゃったんだろうな。
あんな名前をつけなきゃ、俺が身銭で三百万出す事は無かったのに。
文学と裏稼業の融合だなんて当時一人で興奮していたけど、風俗行って豪遊すればよかった。
三百万遊ぶなんて、競馬でもやらない限り一気に中々使えないぞ。
本当馬鹿だなあ、俺は……。
「何で印税が一円も入らねえのに、三百万も無くなってんだよ!」
思わず叫んでいた。
もし神様がいるとしたら、相当な意地悪だ。
処女作で賞を取ってぬか喜びさせておき、同じ名前のインカジでこの仕打ち。
群馬の先生も何が試練が人より多いだよ……。
あり過ぎじゃねえか!
何でこんな理不尽な事が立て続けに起きるんだ。
本当にあそこから飛び降りようとしたんだぞ。
でもまだしぶとくこうして生きている俺。
家賃どうすんだよ……。
もういいよ。
考えたってしょうがない。
だって俺は馬鹿なんだから。
もうなるようになれだ。
でも死ぬ前に茄子とハンバーグは食っておこう。
本当に馬鹿だな、俺は……。
うん、でも何か少しだけ元気が出てきた。
二千十四年十二月二十七日。
大人しく部屋で過ごし、鳥のマゲたちと戯れる。
一原から電話が掛かってきたが、無視して出なかった。
あいつに絡むと碌な事が起きない。
夕方になり、新宿へ到着したと有路から連絡が入る。
絶体絶命な状況なのに何で俺、こんな浮き浮きしてるんだろ?
会うのは何年ぶりだろうか?
再会の場所は決まっている。
尚のバーが、今は一番適しているような気がした。
場所は知っているようなので店で落ち合う。
支度をして尚の店に行くと、有路は先に到着しすでに盛り上がっていた。
「おー、岩上! 久しぶりじゃねえかよ」
「有路さん、お久しぶりです」
彼がゴールデン街でバーをやっていた時以来になるのか?
どっちにしても、俺はこの有路の電話のタイミングにより命を救われたのだ。
あの時連絡が二度鳴らなかったら、俺はあのまま飛び降りていただろうか?
いや、そんな度胸すら俺には無かったかもしれない。
しかし少なくとも助けられたのは事実である。
本人はまるで自覚などないだろうが……。
「おう、風香も来ていたのか」
「あ、智さん、こんばんは」
毎日のように尚のところへ来ているであろう風香。
彼女にとって、過去の闇を晴らせるのは尚なのだろう。
俺の作った弁当を見ただけで、あんな嬉しそうな顔をするのだ。
色々な意味で世知辛い彼女の過去を考えてしまう。
「何だよ、岩上。こんな若い子と知り合いになっちゃってよー」
「知り合いったって、ここでよく顔を合わせる程度ですよ」
「本当かよー」
ここ数日の暗く沈んだ気分が、有路の明るさによって軽減されていくのが分かる。
右て中指を触ってみる。
まだ冷たいまま。
死を意識した瞬間、自身の身体の一部が生への渇望を諦めたのだろうか?
俺は医者でも何でもない。
考えたところで答えなど出ないのは分かっていた。
「ところで尚ちゃん、この店の名前って何なの?」
「何だよ、岩上。そんなのも知らないでここへ来てたのかよ。がちゃぽんだよ、がちゃぽん」
「岩上君って昔からそういうとこあるよね」
「別に店の名前なんて覚えていなくたって、こうやって何度も来てんだからいいじゃねえかよ」
店のドアが開く。
OLの彩未がヨレヨレになりながら入ってきた。
かなり酔っ払っているようだ。
「尚ちゃーん…、私、お漏らししちゃったー」
店内にいる客が一斉に彩未のほうを見る。
「何やってんのよ、あんたは。まったく……」
彩未は俺に気が付くと隣の席に腰掛けてくる。
「ねえ、岩上さーん…、私、お漏らししちゃったの……」
そう言うと彩未は俺の手首を掴み、自分のスカートの中へ持って行く。
「……」
彼女の濡れた下着や太腿に触れ、思わず欲情してしまう。
有路や尚に見えないよう俺は静かに彩未の腿を弄った。
この女、酔うとこんなにエロくなるのか……。
有路や尚には適当な相槌を打ちつつも、ひたすら彼女の身体を触った。
しばらくすると彩未は椅子へ座っているのに倒れそうになるほど眠そうになる。
「岩上君、悪いけど彩未送って行ってやってよ」
「俺、この子の住んでいるところ知らないよ」
「確か中野坂上だったかな? 彼女が意識ある内に聞いてタクシーで送ってやってよ」
送り狼になれって事なのか?
俺は彩未の分の会計まで支払う。
いや、この子だけっていうのもおかしいよな……。
「尚ちゃん、風香の分も一緒に」
「え、そんな…、悪いですよー」
「彩未の分は払ったのに、風香の分は出さないって変だろ。格好つけさせろよ」
残りの金十万円しかなくなった男の最後の見栄。
財布の中にある十万円のズクを取り出すと、それを見た有路が「何でおまえ、そんな金持ってんだよ?」としつこく聞いてくる。
「一応裏稼業にいるから、これぐらいはさすがに持ち歩いていますって」
俺たちのこれまでの会計と彩未、風香の分も合わせて支払う。
精一杯の虚勢。
これで残金八万円ちょい。
「岩上、こっち戻ってくるのかよ?」
「ちゃんと戻ってきますよ。今日は有路さんと再会する為ここで飲んでんですから」
「多分、岩上君戻ってくる頃には、うち閉店時間になっちゃうよ」
「じゃあもし場所変えて飲んでいるなら連絡下さい」
俺は彩未に肩を貸し、花道通りへ向かった。
叙楽苑の前を通り過ぎ、花道通りへ出る前に細い路地へ彩未を引きずり込む。
性欲を我慢していた限界だった。
○○興行の原のヤクザ事務所の真下。
深夜なので人通りは無い。
何度もキスをして、彩未の胸を弄る。
色っぽい喘ぎ声を出しながら彼女は俺に身体を預けてきた。
俺の部屋へ連れて行くか……。
「どこ行くの?」
「とりあえずおまえの濡れた下着を何とかしなきゃいけないだろ」
「あは…、飲み過ぎちゃった。お手洗い間に合わなかったの」
黙って彩未の腕を掴み、歌舞伎町二丁目方面へ歩く。
この女を抱きたい。
頭の中はそれだけで一杯だった。
まずコンビニかドンキホーテで彼女の替えの下着を買う。
そのまま俺の部屋へ連れ込んで……。
「ねえ、どこ向かっているの?」
「……。俺の部屋」
正直に答えた。
「今度じゃ駄目?」
「何で?」
「私、明日…、もう今日か…、友達の結婚式なの」
「何だよ、先に言えって」
披露宴に行くんじゃ、女だと服装も色々気にするようだろう。
性欲に任せ俺の部屋へ連れ込み、彼女を抱くのは簡単だ。
でもそのあと彩未は色々な信用を失う事になる。
俺は獣なのか紳士なのか……。
いや、性欲だけで行動しないからこそ雄でなく男なのだ。
でもこの機会を逃すのか?
男ならまず彼女の明日の状況を考慮してやるべきだ。
様々な葛藤を抱えながら歌舞伎町の道を歩く。
途中で通り掛かったタクシーを捕まえ、先に乗り込み俺の足の上に彩未を乗せた。
おしっこまみれの彩未を直にシートへ座らせ、運転手から後々清掃料金を請求されない為に。
「彩未のマンションの行先言って」
「中野坂上方面お願いします」
タクシーは職安通りへ出て、左へ曲がる。
そのまま小滝橋通りを通り過ぎしばらくしてから右折。
長い事新宿界隈にいるが、俺が行った事のないエリアの道。
「あ、運転手さん、ここで」
一万円札を渡し清算を済ませ、一緒に降りる。
「岩上さん、お釣り!」
「おまえが取っとけ」
また俺は金も無いくせに格好をつけようとする……。
「岩上さん、本当ごめんねー。友達と一緒に来ていたのにわざわざ送ってくれて」
「それがなきゃ、おまえとずっと一緒にいたかったけどな」
精一杯の格好つけた台詞。
まだ出会って間もないが、俺はこの女を気に入っている。
「ウフ……」
彩未は俺の首へ両腕を回し、濃厚なキスをしてきた。
路上でこのまま押し倒して抱きたい衝動を懸命に堪える。
「明日、披露宴あるんだろ? そろそろ寝ないと」
「うん…、あー、何で明日結婚式なんてあるんだろ」
彼女のマンションの入口まで見送る。
彩未はまた俺に抱きつき、キスをしてくる。
このまま彼女の部屋へ一緒に行くか……。
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