109.グラストンベリー
画像は以下のサイトから転載。
移動する歴史
引きつづき聖杯伝説とアーサー王物語についてお伝えします。
ブロワのヘンリーは、橋、運河、宮殿、砦、城、村そのものなど、何百もの建設を後援しました。
さらに司教として、何十もの修道院や礼拝堂を建て、貴重なウィンチェスター聖書を含む書籍の出版も支援していました。
これだけであれば「すばらしい業績を残した司教」で終わりますが、血縁を追っていくとテンプル騎士団や聖杯につながっていきます。
「正しい血筋」だったからこそ業績を残せた、ともいえます。
何百年ものあいだ、ウィンチェスター城の大広間には、丸い木製の天板(テーブル板)が吊り下げられていました。
ラウンドテーブル、円卓です。

テーブルのまわりには、アーサー王と二十四人の騎士たちの名前が描かれています。
王様っぽい絵のほうは後世、イングランド王ヘンリー八世(一四九一年~)が神聖ローマ皇帝カール五世の訪問に際し描き加えられたものです。
中央にはチューダー家の紋章である薔薇が描かれ、その上に椅子にすわるヘンリーが描かれています。この椅子はアーサーの席で、ヘンリーが言わんとしていることは一目瞭然です。
十五世紀、英国の作家トマス・マロリーは、おもにフランスのロマンスを基にした『アーサー王の死』で、現在最も知られているキャメロットのイメージをつくり出しました。
キャメロットは、アーサー王の王国、ログレスの都の名前です。アーサー王はキャメロットにキャメロット城を築き、多くの戦いに出陣したとのことです。
マロリーはキャメロットをウィンチェスターと明確に同一視し、これは何世紀にも渡って広く受け入れられました。

少なくとも十二世紀以降、アーサー王伝説はグラストンベリー一帯と結びついていました。

ちょっと移動しています。
アヴァロン島
アーサー王とグラストンベリーとのつながりは、「グラストンベリーはアヴァロンだ」と主張する中世の修道士たちによって促進されました。
神秘的なアヴァロン島の名前は、「モンマスのジェフリー」の『Historia Regum Britanniae(ブリタニア列王史)』に、有名な聖剣エクスカリバーが鍛えられた場所としてはじめて登場します。
ブロワのヘンリーかもしれない「モンマスのジェフリー」についてはすでにお伝えしています。
さらにアヴァロンは、アーサー王最後の戦いである「カムランの戦い」のあと、アーサーの傷を癒やすために連れていかされた場所として登場します。
アヴァロン島は伝統的に、グラストンベリー近郊にある丘、グラストンベリー・トーだとされています。

「グラストンベリー・トーはアヴァロン島だ」といわれてもピンと来ず、だれも説明してくれないのでモヤモヤが残って終わります。島というものは海や湖に囲まれているはずだからです。

グラストンベリー・トーは、ケルト神話、とくにアーサー王にまつわる神話に登場し、ほかの多くの作品においても神話的、霊的なイメージを保ちつづけてきました。
このグラストンベリー・トーは、ブリトン人によって「Ynys yr Afalon(アヴァロンの島)」と呼ばれていたようです。
https://www.megalithic.co.uk/article.php?sid=8034
アヴァロンという名前はケルト語に起源を持ち、ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語で「リンゴの木」あるいは「果樹」を意味する言葉に由来します。
「リンゴの木」といえばこれしかありません。

ケルト神話においては、島はしばしば異界に通じる門を象徴していました。そこから聖なる通路をとおって冥界にアクセスできるとされています。
十二世紀末、ウェールズのジェラルドはこのように記しています。
現在グラストンベリーとして知られる場所は、古代にはアヴァロンの島と呼ばれていた。そこは完全に沼地に囲まれ、事実上の島である。ウェールズ語ではYnys Afallachと呼ばれ、これはリンゴの島を意味する。かつてこの果実は豊富に実っていたのだ。
かつては沼に囲まれていたようです。それなら納得です。
ちなみにグラストンベリー・トーの丘の斜面は写真のとおり段々になっていますが、その形成方法はいまだに解明されていません。
https://www.heritagegateway.org.uk/Gateway/Results_Single.aspx?uid=196702&resourceID=19191
モーガン・ル・フェイ
低地の湿った地面は、ファータ・モルガーナという視覚効果を生み出すことがあります。

ファータ・モルガーナは蜃気楼の一つで、対象の物体を大きく歪め、しばしばその物体が完全に判別不能になるほどだそうです。
イタリア語のファータ・モルガーナは、アーサー王伝説に登場する魔女モーガン・ル・フェイ(妖精モーガン)の訳です。

沼地のエフェクトによって、グラストンベリー・トーは神秘的な様相を呈していたのでしょう。やはりロケ地として選ばれるのにはわけがあります。
補強される歴史
ブロワのヘンリーは、モンマスのジェフリーやマルムズベリーのウイリアム(一〇九五年ごろ~)と交流を持っていました。
ただ先ほど触れたように、「モンマスのジェフリー」はブロワのヘンリーの筆名だったという研究もあります。
ブロワのヘンリーは、個人的な友人だったマルムズベリーのウイリアムの『De Antiquitate Glastoniensis Ecclesiae(グラストンベリーの教会の古代性について)』を後援しました。
マルムズベリーのウイリアムは『グラストンベリーの教会の古代性について』の執筆に際し、破壊される前のグラストンベリーの図書館で発見された「古代人の書物」を基にした、とのことです。
『グラストンベリーの教会の古代性について』には、旧教会はイエスの弟子たちによって建てられたと記されています。
弟子たちの名前は挙げていないのですが、一二四七年ごろに出版された補筆版では、これらの弟子たちはアリマタヤのヨセフに率いられていた、と主張しています。
ヨセフたちは六三年ごろにグラストンベリーに到着し、教会を建て、そこで生涯を終えたとのことです。
アリマタヤのヨセフはイエスと同時代の人です。ウイリアムは超重要人物の記述を忘れてしまったのでしょうか。もしくは初版執筆時には知らなかったということになります。
このような(別の人物による)後づけは、いい悪いの話ではありません。「歴史とはそういうもの」です。
マルムズベリーのウイリアムのころ(十一世紀末から十二世紀前半)には、アリマタヤのヨセフの設定は存在していなかったようです。
ロベール・ド・ボロン
ロベール・ド・ボロンは十二世紀末から十三世紀初頭にかけて活動したフランスの詩人で、『Joseph d'Arimathe(アリマタヤのヨセフ)』、『マーリン』の著者として知られています。
これらの作品とその後に書かれた散文版は、曖昧だった聖杯のモチーフとマーリンという人物像をキリスト教化し再定義したことで、のちのアーサー王伝説とその散文サイクルに強い影響を与えました。
ロベール・ド・ボロンは、領主のゴーティエ・ド・モンベリアールのために『アリマタヤのヨセフ』を書いた、とされています。
ですがフランス語学者のピエール・ル・ジャンティルは、ロベール・ド・ボロンはゴーティエ・ド・モンベリアールと同一人物、としています。
ゴーティエ・ド・モンベリアールは、一二〇二年に第四回十字軍に出征し、一二一二年に聖地で死亡しました。作者の資格はありそうです。
ル・ジャンティルは、ロベール・ド・ボロンのアヴァロンについての言及は、『アリマタヤのヨセフ』が一一九一年以降に執筆されたことを示している、と主張しています。
マルムズベリーのウイリアムは、生きていれば百歳近くです。設定を知らなくて当然です。
また、マルムズベリーのウイリアムの『De Antiquitate Glastoniensis Ecclesia(イングランド王史)』には、「アーサーの墓はどこにもなく、古代の寓話はいまだにかれが戻ってくると主張している」と記されています。
ですが同じウイリアムの『グラストンベリーの教会の古代性について』には、アーサー王はグラストンベリーに埋葬されたと書かれています。
さらにウイリアムは、グラストンベリーをアヴァロンと同一視していました。ブロワのヘンリーの後援の影響でしょうか。
ソールズベリー
ウェールズのジェラルドは、『De principis instructione(君主の教訓)』(一一九三年ごろ)に次のように記し、『Speculum Ecclesiae(教会の鏡)』(一二一六年ごろ)で回想しています。
イングランド王ヘンリー二世の治世直後、グラストンベリーの修道院長ヘンリー・ド・サリーはグラストンベリー・トーの調査を命じました。
すると巨大なくり抜かれた樫の幹が地下に埋められているのを発見しました。
中には当然というべきか、アーサー王と妻グィネヴィアの二体の骸骨が入っていました。
覆い石の下には鉛の十字架があり、そこにはHic jacet sepultus inclitus rex Arthurus in insula Avalonia(ここにアヴァロン島の著名なるアーサー王を葬りし」と刻まれていたとのことです。
一二七八年、遺骸はエドワード一世と王妃が参列する盛大な儀式の下、グラストンベリー修道院の主祭壇前に再度埋葬されました。
ウェールズのジェラルドによると、墓を掘るきっかけになったのは、ヘンリー二世がウェールズの吟遊詩人から埋葬の秘密を聞かされたことでした。
このジェラルドは、ウェールズの詩人ウォルター・マップ(一一四〇年ごろ~)の親友でした。

マップの現存する唯一の作品『De Nugis Curialium(廷臣の些事)』は、宮廷のゴシップやほんの少しの史実を含む逸話やトリビアを集めた作品で、風刺の効いた文章で書かれています。
ウォルター・マップはまた、ニューバーグのウィリアムとともに、イギリス最古の吸血鬼伝説を記録していました。
吸血鬼については以下で触れています。
さらにマップは、ランスロ=聖杯サイクル(ランスロット・グレイル)とも関わりがありました。
ランスロ=聖杯サイクルは、十三世紀初頭には知られていなかった作者たちによって書かれた物語です。
ランスロ=聖杯サイクルはアーサー王伝説の主要な源流で、ランスロットとグィネヴィアの物語や聖杯探求を中心に、アーサー王、マーリン、円卓の騎士たちの生涯を描いています。
ウォルター・マップの自伝での主張は、いくつかの写本に見られる注釈や挿絵にもあらわれています。
そこではマップ自身がソールズベリーで書庫を発見したとあり、その後ヘンリー二世の命によってラテン語からフランス語への翻訳を命じられた、と記述されています。

ソールズベリーといえばストーン・ヘンジです。

「モンマスのジェフリー」の記述によると、マーリンはアウレリウス・アンブロシウスの埋葬地としてストーン・ヘンジをつくり、その魔法によってアーサー王が誕生しました。
「さすがにそれは」と思われたかもしれませんが、このようにして伝説は変遷し補強されていきます。
その過程こそが伝説の魔術性、といえるかもしれません。白鳥の騎士やアイルランドの物語『リルの子供たち』も、はっきりいってわけがわかりません。

筆者の知識不足は置いておくとして、本当にわけのわからない物語だったとしても、かつては意味があったはずです。
当時の聖職者なども、わけのわからない昔の物語として触れたかもしれません。ですがかつては意味があったはずで、さらに書に記されるくらいなのでその意味はとても重要であるかもしれません。
そしてどうにか解釈し、結果伝説は変遷していきます。これは本質的には、有名なマンガの二次創作や『北斗の拳』のミームと変わりません。
そこに意味がありつづけるかぎり、物語は変化を重ねながらつづいていくものです。
つづいていきながら、時代に合わせたキャッチーさも盛り込まれます。すると「意味」は必然的に隠れることになります。
隠れた意味は、知りたいという欲求を生み出します。地下に隠された秘宝です。

次回以降も聖杯伝説とアーサー王物語についてお伝えしていきます。
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