見出し画像

【長澤蘆雪展】開催記念!《春の江戸絵画まつり》って何だろ?③

②から読む。

現在(2026年春)府中市美術館で開催されている『長澤蘆雪展』は、同美術館で毎年春に開催されてきた《春の江戸絵画まつり》の最終回である。今年だけじゃなく、毎年春になるたび東京の西の外れにある府中まで、この展覧会シリーズを見るために多くの人たちが足を運び、SNSでも毎回大いに賑わってきたこの人気シリーズとはいったいどんな内容だったのか?

図録を振り返りつつ、つらつらと書いているこのnoteも今回が最終回。20年ほどの長い歴史の中で果たしてきた《春の江戸絵画まつり》の意味がだんだんとわかってくる。⋯といいなぁ。そんなことより、とにかく楽しみながらこのシリーズのことを知って貰えればいいなぁ、と思っている。

さて、今回は、このシリーズ最大の問題作からはじまる!
しかも、その展覧会のまさに開催中に、とても大きな事件が発生する。

その事件とは!

4月1日に新元号「令和」が発表され、平成の天皇陛下が4月30日にご退位され、新たに皇太子徳仁親王殿下が5月1日午前0時、第126代天皇にご即位されたのだ。

そう、「令和」になった!

さて、そんな激動のタイミングで開催されていた、府中市美術館《春の江戸絵画まつり》のテーマとは!?

■14■
春の江戸絵画まつり 
へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで

(2019年3月16日~5月12日)

府中市美術館
『春の江戸絵画まつり 
へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』チラシ

いきなり冒頭、府中市美術館の金子信久学芸員が語る。

府中市美術館 金子信久学芸員
※画像引用

きれいではないものや立派ではないもの、更には嫌な感じのするもの。そういうものになぜか心を鷲づかみにされることが、誰しもあるはずだ。あるいはまた、物事の裏側に目を向けるようなひねくれた考えが、普通では気づかなった何かを教えてくれることもある。

図録より

そんな展覧会を開催するという。
《春の江戸絵画まつり》にとって、これは事件だ。

これまでも「面白いこと」や「楽しいこと」に偏見を持たず、
広い視野で江戸絵画を味わっていこう!
そう、提案してきた同美術館としても、かなり踏み込んだ展覧会である。

同学芸員は、3つの話題を通して、その「ややこしさ」と「面白さ」を見ていこうと提案している。

1)「素朴」に惹かれる心と創作

2)上様の絵は「ヘタウマ」なのか?

3)価値の物差しを疑う

しかも、もうひとつ言っておくと、いつもはたいてい「江戸絵画」と言っていたのに今回は「日本美術」と言っている。

その心とは⋯?

⋯という訳で、今回は問題作である。
《春の江戸絵画まつり》シリーズ最大の問題作、開演!!!

〈第1章 別世界への案内役 禅画〉

まずは、「禅」の説明から始まる。

禅とは、仏教の宗派のひとつで、不思議な特徴を持っている。

つまり、こうだ。

そもそも禅は「言葉」では伝わらない。「体験」で伝わるものである。そのため「坐禅」をしたり「問答」をしたりする。そんな禅の世界から生まれたのが「禅画」である。禅画はたいてい「謎」に満ちている。この禅画が日本のへそまがり日本美術に大きな影響を与えているという。

それはどういうことなのか?

雪村周継『あくび布袋・紅梅・白梅図』がもしもスロットマシンなら、「当たり」なのか?「外れ」か?

雪村周継『あくび布袋・紅梅・白梅図』
※画像引用

左から、白梅〜おっさん〜紅梅と並ぶ。しかも、おっさん(布袋様)は欠伸をしていて、そういう意味では、白梅の枝ぶり〜おっさんの手足〜紅梅の枝ぶり…と並んでいる。いきなりこんな絵が並んでいたら、たぶん「当たり」だ。

雪村周継(せっそん・しゅうけい)は、室町後期〜戦国時代の画家。佐竹氏の一族だったが武家を継がず、禅僧となり東国各地を遍歴、後北条氏や蘆名氏など戦国大名の庇護を受けた。

狩野山雪『松に小禽・梟図』は、見てるだけでほっこりする。

狩野山雪『松に小禽・梟図』
※画像引用

辻惟雄さんの書籍「奇想の系譜」でも紹介された『老梅図襖』などダイナミックで独創性あふれるイメージが強い山雪だが、そんな彼にしては非常に珍しいほっこりイラスト。なんか、昭和の子供向け絵本とかの表紙になっちゃいそうな絵だ。とくに梟(ふくろう)が完全にキャラ化してて可愛い。

海北友雪『雲竜図襖』の竜は、いたずらっ子の目をしてる。

海北友雪『雲竜図襖』
※画像引用

てゆーか、竜の目があんまり怖くない。おまけに右上を見つめているので、何か嘘を考えてるのかもしれない。でも、竜の考える嘘って何だろう?考えれば考えるほどわからなくなる。

白隠慧鶴『蛤蜊観音図』は、見どころが多すぎる。

白隠慧鶴『蛤蜊観音図』
※画像引用

蛤蜊観音(はまぐりかんのん)とは、観音経というお教の中に出てくる三十三観音のうちのひとつで、唐の文宗皇帝が食べようとした大蛤の蓋が開かず香を焚いて祈っていると蓋が開いて中から観音様が出てきたという俗説に由来する。

そもそも、そんな観音様がいることを、この絵で初めて知った。絵の右下にその蛤の貝殻があるが、この貝殻が観音様の真下に来ていたら、ほぼボッティチェッリの『ヴィーナス誕生』のような絵にになっていたかも。

そんなことより、蛤蜊観音様の「今出てきましたよ」というポーズと表情、そして、周囲の人々の魚介コスプレが楽しい。

風外本高『涅槃図』の脱力感はハンパない。

風外本高『涅槃図』
※画像引用

お釈迦様の入滅の瞬間を描いた涅槃図なのに、ほのぼの感が異常である。

とくに、図録でも指摘されているが、お釈迦様の右下あたりで最も強い赤色に塗られてる鬼のリラックスムードがハンパない。ホケーって顔して眼の前の大事件をぼんやり見てる。

さらに、画面下方の涅槃図定番「動物たちのグループショット」もいろいろ気になる。右下にいるガチョウの足元あたりに落ちてる二本の紐のようなものは、よく見ると「ウナギ」と「ドジョウ」に描き分けてるように見えるが、どうだろう?

仙厓義梵『豊干禅師・寒山拾得図屛風』は、結構楽しそうだ!

仙厓義梵『豊干禅師・寒山拾得図屛風』
※画像引用

仙崖さんの作品としては珍しい、かなりの大作だと思う。だが、画風は相変わらずフワフワしてて楽しい。

まず、豊干が乗ってる虎が虎じゃない。どっちかというと、ラクダのようである。そのくせ、周囲に子虎たちがいて、可愛い。一方、寒山拾得は来日したばかりの南蛮船の船員たちのようにはしゃいでいる。とっても楽しそうだが、まったく意味不明だ。

そして、図録によると、屏風には3つのテキスト(自賛)が仙厓さん自身によって書き込まれている。

●「屏風の仕立てが悪いから、上手く描けなかった」
●「私は前世で豊干に会った。その時、豊干は蛟みたいな虎に乗っていた。それを今、描くことができた」
●「世の中の絵には描き方というものがあるが、私の絵に法はない」

図録より

来た来た!
噂の禅問答である。
謎すぎる!

そういう意味ではこの屏風、永遠に楽しめる謎解きランドのような屏風だw

この章の最後には、「禅と子犬と芦雪のへそまがり」というコラムがついている。ここで最初に紹介されているのがこの絵だ。

長沢蘆雪『寒山拾得図』
※画像引用

長沢蘆雪の『寒山拾得図』だ。この絵を初めて見た時の衝撃を忘れることが出来ない。この絵は拾得さん(左の箒持ってる人)の目線のおかげで、鑑賞者の視線はまず左上→右上→⋯と動くと思うのだが、その過程で「ある種の違和感」に取り憑かれるはずだ。そう、左下の方になんかいる!

そこには、蘆雪の描いた可愛い子犬がいるのだ。

長沢蘆雪『寒山拾得図』(部分)
※画像引用

左上の一匹(横顔の子犬)だけ寒山さん(右の筆を持ってる人)の激しい動きが気になっているが、その下でちょこんと顔だけ出してる一匹は、目線を見るとどうやらさっきまで動いていた拾得さんの箒が気になっているみたいだ。そして。右の一匹はそんなことにはお構いなしに、なぜか鑑賞者である「私」に気づいて「遊んでくれる?」みたいな顔をしている。

これ、蘆雪の得意技のひとつだ。

長沢蘆雪『菊花子犬図』は、子犬まみれのあの絵である。

長沢蘆雪『菊花子犬図』

担当させてもらったテレ東『新美の巨人たち〜【長沢芦雪のゆるかわ子犬】』(2023年)でも紹介したあの絵が、早くもこの展覧会に登場している。いや、この絵の子犬たちは可愛い。しかも、蘆雪犬のいろんな種類が集まってる。オールスター戦の様相だ。私はこの九匹を勝手に蘆雪犬の「菊花ナイン」と呼んでいる。

〈第2章 何かを超える〉

第1章では禅画というへそまがりな絵の誕生について触れた。第2章では、その他のへそまがりな絵について紹介する。

まず「俳画」である。

俳句はそもそも和歌のような雅な世界ではない。そういうお高く止まった世界に飽き足らず生まれた。だらか、そこから派生した俳画も、当然へそまがりだったりする。

続いて「南画」である。

中国で生まれたこの絵は、芸術的な画家や大衆的な絵を嫌って、自分が絵の素人であることを自負するという、とことんへそまがりな絵であり、20世紀の「ヘタウマ絵画」にも繋がるようなスタイルである。

そして、章の最後にひとつの問題提議をしてみたい。つまり、お殿様の描いた絵は「ヘタウマ」なのかどうか?

金子学芸員の解説テンションも、どんどん上がっていく。

〜1、俳画と南画〜

このあたりの絵は「俳画」らしいというか、画家や俳人たちが、似たような絵を思いつくままに描き殴っているせいで、展覧会に出品された絵と同じ絵を見つけるのが難しい。そう、俳画って似たような画をめちゃくちゃ大量に描き殴っているのだ。その結果、小林一茶 『苦の娑婆や』自画賛や、池大雅『怪鬼弾琴図』は見つけたかったがネットで見つからず。

〜2、稚拙みと「ヘタウマ」〜

2011年【江戸の人物画】展でも紹介した伊藤若冲『伏見人形図』や、2010年【歌川国芳 奇と笑いの木版画】展や2017年【歌川国芳 21世紀の絵画力】展でも紹介した歌川国芳『荷宝蔵壁のむだ書』などが、江戸後期「ヘタウマ」の代表作として紹介されている。

そして昭和の「ヘタウマ」としては、蛭子能収さんなどとともに、こんな絵も紹介されいた!

糸井重里原作・湯村輝彦画 『情熱のペンギンごはん』表紙
※画像引用

〜3、お殿様の絵の謎〜

そして、衝撃の徳川家光『兎図』である。

徳川家光『兎図』
※画像引用

3代将軍家光の作品と聞いてくすっとしてしまったけど、作者を知らなくてもこの絵には惹かれる何かがある。名画とは思わない。でも、この不思議な生物が何かを訴えている。その真っ黒な目が何かを訴えている。でも、サングラスのような真っ黒な目(黒目がちにも程がある)のせいで、正確なメッセージは伝わらない。

図録によると、将軍家御用の狩野派にも兎の見本絵はあるが、全然似ていないそうだ。つまり、この兎は家光オリジナルである。もしかしてこの絵は、唱歌「待ちぼうけ」でもおなじみ「切り株うさぎ」の話がモチーフだったりするのか?と想像したりもしているのだが、だとするとこの絵はなかなかに絶妙である。だって、切り株に兎がぶつかるかと思って待ってたら、兎が切り株の上に乗ってこっちを見てるのである。家光は、どんな教訓を語りたかったんだろう?

徳川家光『木兎図』
※画像引用

金子学芸員による、図録の解説が面白かった。

目の周りは複雑に、羽角のふさふさや羽もふさふさ描き込む。家光には狩野探幽が使えていたが、探幽もびっくりの、我が道を行く描き方だ。

図録より

ちなみに探幽と言えば、こんな絵で有名な人。

さて、続いても家光の作品だ。

徳川家光『鳳凰図』
※画像引用

この小鳥は、すべてが可愛い。
家康はどんな気持ちでこの絵を見たんだろう?

そんな三代将軍・家光の長男で、四代将軍になった家綱の絵も残っている。

徳川家綱『親鶏雛図』
※画像引用

親鶏の軽くイッちゃってる目がいい。子育てでちょっと疲れてるのかもしれない。対する雛鶏は、ただただ可愛くて、描き込みも細かい。さすが家光の息子だ。

ここから将軍家以外のお殿様の絵が続く。

黒田綱政『鶺鴒図』は、バランスがおかしい。

黒田綱政『鶺鴒図』
※画像引用

黒田綱政は、福岡藩の第四代藩主。絵はそれなりの味わいを持っているが、落款の「綱政書」の文字のバランスがおかしい。鳥よりデカい!
さすがお殿様である。

あと、2015年【動物絵画の250年】展でも紹介した、臼杵藩藩主、稲葉弘通の『鶴図』なんかも紹介されている。いつか、お殿様だけの展覧会を見てみたいかもw

〈第3章 突拍子もない造形〉

ここまでは、へそまがり絵画の背景として「禅画」などを紹介してきたが、この章では「へそまがりな造形」について紹介する。「へそまがりな造形」って、いったい何だろう?

次の絵は、ブラウザの縦スクール画面にピッタリだ。

伊藤若冲『福禄寿図』
※画像引用

そう、この伊藤若冲『福禄寿図』は掛け軸を開いていく楽しさを狙った作品かもしれない、と図録にも書いてあった。それにしても、なんでこんな顔をしてるんだろう?⋯掛け軸を開きながら「山かな?」→「なんじゃこりゃ?」→「福禄寿様?」→「なんで悲しそう?」という、展開する楽しさがある!

中村芳中『十二ヶ月花卉図押絵貼屛風』の花は、約分されちゃってる?

中村芳中『十二ヶ月花卉図押絵貼屛風』
※画像引用

「琳派」✕「かわいい」の人、芳中の植物たちが面白い。葉っぱを複雑&丁寧に着色している一方で、花の表現が異常なほど単純化されていて、とっても可愛くなっている。じゃあ、複雑な葉っぱが主役か?と言われたら、ちっともそんなことはない。

望月玉蟾『竜図』は、雨の表現が尖りすぎてる。

望月玉蟾『竜図』
※画像引用

正直、こんな雨の表現、見たいことない。
でも、面白い。

岸礼『百福図』は、高さ1.8mほどの絵だ。

岸礼『百福図』
※画像引用

そんな絵の中に、合計145名のお多福さんがいる。あらゆる表情で、あらゆる仕草をしている。まあ、それを見ているだけでも楽しい。

狩野典信『唐獅子図屛風』は、永久機関のように回り続ける。

狩野典信『唐獅子図屛風』
※画像引用

唐獅子の体躯や鬣、尻尾の模様のそうだが、周囲の2つの滝などがすべて、この絵の中で、鑑賞者の視線がぐるぐる回るように作られている。だから、永遠に2匹は回り続ける。

小出楢重『めでたき風景』は、昭和元年の作品。

小出楢重『めでたき風景』
※画像引用

とっても楽しげな作品だが、あの小出楢重の作品と聞くと、ちょっと驚く。図録の解説によると、チャラ過ぎる世間の風潮を嘲笑うためにこの絵を描いたそうだ。よく、大正時代から昭和初期の時代は日本中がとっても明るかったと聞くが、その頃の雰囲気なんだろうな、これ。でも、やっぱり楽しそうだ。あの、緊張感あふれる青海波まで楽しそう!

〈第4章 苦みとおとぼけ〉

人がいつも美しい絵ばかりを楽しむとは限らない。時には、必ずしも美しいとは言えない、否、どっちかというと苦み走った絵を部屋に飾りたくなる時もある。人もいる。また、おとぼけ感覚の作品が心に響く時もある。人もいる。だから、人間は面白い。⋯的な解説とともに、この展覧会の最後の章が始まる。

〈一、苦み〉

2016年の【ファンタスティック】でも紹介した、破壊力抜群!岸駒の『寒山拾得図』からこの章は始まる。

岸駒の『寒山拾得図』(部分)
※画像引用

与謝蕪村『寒山拾得図』も、なかなかのインパクトである。

与謝蕪村『寒山拾得図』
※画像引用

長沢蘆雪『猿猴弄柿図』の表情が、かなり卑怯。

長沢蘆雪『猿猴弄柿図』
※画像引用

欲望から生まれる小さな悲劇を暗示してるような絵だが、何よりも主役猿の表情である。誰が見てもその気持が伝わるような激しい表情をしている。図録の解説で金子学芸員は書いている。

蘆雪は、どうも初期の作品からして、自分の中から湧き出る筆の動きや形を抑えられないところがあったようだ。

図録より

とてもわかるような気がする。

祇園井特『お菊幽霊図』には、デスメタルの匂いがする。

祇園井特『お菊幽霊図』
※画像引用

遊郭の女性たちを生き生きとリアルな魅力で描いた画家・祇園井特の描く幽霊に驚いた。怖いには怖いが、とっても生き生きとしているのだ。たぶん「呪い」なのか、ちゃんと目的を持って生きてる感じがする。下北沢あたりで頑張ってそうだ。

2015年【動物絵画の250年】展で紹介した長沢蘆雪【老子図】や【ファンタスティック】で紹介した曽我蕭白『後醍醐天皇笠置潜逃図』も登場。

〈二、おとぼけ感覚〉

2012年【三都画家くらべ】展でも紹介した長沢蘆雪『なめくじ図』が登場。やっぱりこの絵は最高だ。

そして、長沢蘆雪『蛸と蓮華図』は、本当にとぼけている。

長沢蘆雪『蛸と蓮華図』
※画像引用

だって、どう考えても蛸と蓮華の関係性が思いつかない。たぶん、この組み合わせを思いついたのは、この絵を描こうとした蘆雪だけだ。で、どんな絡み方がいいのか?を考えた末に、蘆雪が上の構図を考えた。可愛らしく咲く蓮華の花の上に何かの事故で落ちた蛸がぐにゃり。蓮華も蛸も台無しだ。もう、どうしていいのやら?…という構図の楽しさかな、蘆雪が描きたかったのって。違うか?

⋯それにしてもこの年、2019年の【へそまがり日本美術】展は、名前の通り、へそまがりな問題作だった。さて、翌年はどんなテーマで来るのかと思ったら⋯

■15■
春の江戸絵画まつり 
ふつうの系譜 
「奇想」があるなら「ふつう」もあります

(2020年3月14日〜5月10日 ※コロナ禍により、4月7日をもって閉幕)

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります』
※画像引用

4年前に東京都美術館で開催された2016年の『生誕300年記念 若冲展』に続いて、前年の2019年には『奇想の系譜展』も開催された。そう、世間では伊藤若冲と奇想の画家たちの人気がピークに達していた頃だ。

東京都美術館『奇想の系譜展』
2019年2月9日~4月7日

そんなタイミングで、府中市美術館が放つ《春の江戸絵画まつり》最新作とは⋯

若冲や蕭白が登場した時代に、誰もがきれいだと思うような、ふつうに美しいものを作った画家たちを取り上げます。題して「ふつうの系譜」です。『奇想』があるなら『ふつう』もあります⋯と、こんなサブタイトルもつけてみました。

図録より

面白い!
府中市美術館らしい、逆張り的でチャレンジングなテーマ!

そして、図録の冒頭にはいつもと違う「本展の趣旨と構成」なる文章がついていて、そこには敦賀市立博物館の話が書いてある。実は、《春の江戸絵画まつり》には近年、敦賀市立博物館から借りてきた作品が数多くある。

敦賀市立博物館
※画像引用

私自身が気になった作品だけでも、以下のような作品が同博物館から借りられてきている。

原在中『天橋立図』
岸駒『白蓮翡翠図』
岸駒『寒山拾得図』
長沢蘆雪『老子図』
渡辺南岳『芸者と若衆図』
冷泉為恭『高台・日・月』⋯など。

どれも印象深い!

実は、同博物館には江戸から近代の絵画作品が300点以上あるのだが、昭和初期の貴重な銀行の建物を活用した博物館であるため、展示スペースに限りがあり、なかなかその全貌を見せることが出来ない。

そこで、同博物館との縁をきっかけに、今回の展覧会が企画されたという訳だ!

そして、例によって金子学芸員による開会宣言とも言うべき文章「ふつうの系譜とその美しさ」が始まる。

奇想の人気の影になってしまった「そうではないもの」をちゃんと知れば、奇想の良さも、もっと楽しめるかもしれません。

図録より

では、「ふつう」の絵画とはどんなものなのか?

もともと平安時代の初めまでは、日本の絵は、大陸のものを真似ることが中心だった。だが、平安中期になって日本独自の描き方やテーマが生まれた。
→これが「やまと絵」の系譜になる

鎌倉時代になって、当時の中国(宋、元)から新しい絵画「水墨画」が入ってきた。そして、禅宗と密接な関係を持ちながら、武士たちにも愛された。
→これが「漢画」の系譜になる

こうして日本には、2つの「ふつう」の系譜が生まれた。

◎土佐派(やまと絵)
=宮中や貴族らの仕事を請け負う画家たちの中から生まれた

◎狩野派(漢画)
=室町幕府の将軍、足利義政の仕事をした狩野正信から始まる

江戸中期から後期にかけて、これら2派とは別の「ふつう」の系譜が生まれた。その筆頭が、円山応挙である。遠近法や陰影法など西洋画の技法の影響を受けつつも、「絵なのにまるで本物のように感じさせる」という絵画をとことん追求した結果、やまと絵でも漢画でもない独自の絵画スタイルを生み出し、新しい系譜を作った。

◎円山四条派
=円山応挙から始まる

また、原在中や岸駒の名前も忘れることができない。両者ともに、公式には記録がないが、応挙の弟子だった時代があるかもしれない、という二人だが、独自の美学で応挙とは違った作品を残しながら、それぞれ原派・岸派という系譜を残していく。中には、岸駒『寒山拾得図』のような、「ふつう」の系譜というよりも「奇想の系譜」かと思われるような作品も。

とにかく、「奇想」がいつまでも「奇想」とは限らないし、「ふつう」がいつまでも「ふつう」とは限らない。もっと広い目で江戸絵画を楽しんでみたら、新しい何かが見つかるかもしれない。

こうして、今回の展覧会が始まる!

〈「ふつう」ではないもの たとえば又兵衛と蕭白〉

『ふつうの系譜』の展覧会だが、冒頭は〈ふつうじゃない系譜〉=〈奇想の系譜〉から始まる。

まずは、伝岩佐又兵衛『妖怪退治図屛風』である。 辻惟雄さんの名著「奇想の系譜」のトップランナーでもある岩佐又兵衛の作品。

伝岩佐又兵衛『妖怪退治図屛風』
※画像引用

突然だが、今年の大河ドラマ『豊臣兄弟』にもまもなく登場予定の悲劇の武将・荒木村重は、織田信長によって一族郎党とともに皆殺しにあっているのだが、当時2歳だったおかげ末子だけは助かった。岩佐又兵衛はそんな荒木村重の末子である。

そんな又兵衛は安土桃山時代、人間同士のバイオレンスドラマを描かせたら右に出る者なしという天才絵師となったが、この作品は得意のスプラッター系の作品とは違って、画面右側を占めるダークファンタジーなバトル軍団が背景色も含めて凄まじくパワフルに描かれている!

さらに、この冒頭の〈普通じゃない〉ブロックには、『騎驢人物図』など曾我蕭白の作品が5つも並ぶ。ま、江戸時代の〈普通じゃない〉画家の代表としては確かに適任だが、ネットでは画像が見つからず。残念!

〈Ⅰ ふつう画の絵画史〉

〈1、土佐派とやまと絵 専門は「まろ絵」〉

金子学芸員はやまと絵の特徴を以下のようにまとめている。

その特徴は、線や形の柔らかな感触や、細やかで繊細な描き方、純真無垢なほどの明るい色づかいなどにある。また、宮中や貴族らの「雅び」な題材、和歌に詠まれた名所、歴史の物語が描かれることも多かった。

図録より

土佐光起『伊勢図』には、〈やまと絵〉らしさが満ちている。

土佐光起『伊勢図』
※画像引用

とにかく主人公・伊勢のファッションがとにかく繊細に美しく描き込まれている。一方、風景は幽玄なモノクロームで描かれていて、その対比が楽しい。

光起は。江戸中期の画家。戦国時代に一時衰退した土佐派中興の祖。

冷泉為恭『五位鷺図』は、五位鷺の名前の由来を描いた絵。

冷泉為恭『五位鷺図』(部分)
※画像引用

個人的にも、可愛くて大好きな絵だ。

醍醐天皇が官位六位の蔵人に、庭の池の鷺を「捕えて参れ」と命じたが、鷺は言うことを聞かない。そこで蔵人は「天皇の命令であるぞ」と告げたところ、鷺は飛び立つことなく捕まったため、天皇は喜んで鷺を五位に叙した。そんな逸話を描いた絵だが、この話の軽快さをうまくビジュアル化している。

冷泉為恭(ためちか)は、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師。

〈2、狩野派 専門は中国を見せること〉

今度は狩野派=漢画である。金子学芸員は狩野派を以下のようにまとめている。

大まかに言うと、狩野派の基本は、中国の絵の魅力を日本で再現すること。がっちりした山水画はもちろん、中国の絵に倣った花鳥画や、中国の故事や仙人を描くのも得意だった。

図録より

狩野探幽『朝陽鷹図』は、江戸狩野派の特徴らしい作品。

狩野探幽『朝陽鷹図』
※画像引用

京時代の狩野派は言わば「豪華絢爛」だったが、江戸幕府とともに下った江戸狩野派は、「瀟洒淡麗」とも呼ばれる新しいスタイルを開拓した。

中心人物である狩野探幽の名前を冠して、「探幽様式」とも言う。そのスタイルは、ひとことで言う余白を活かした画面構成。見てわかるように、使ってる色数からして京狩野派とは哲学が違う。

〈粉本と「ふつう」の絵〉

探幽が開発した江戸狩野派の新スタイル「探幽様式」を、同派の絵師たちは「粉本」(ふんぽん)を通して学び踏襲していった。

「粉本」とは、ひとつの作品を作るために使りあげるために使う見本や、下絵のなどの図のこと。過去の作品の模写、肖像画を描くためのスケッチ、作品を作り上げる前段階での下絵など色々あって、一言では説明し難い。

図録より

そんな粉本を基本とした江戸時代の画家たちの創作スタイルを批判的に「粉本主義(ふんぽんしゅぎ)」と呼ぶ場合がある。金子学芸員はそんな議論について、こんな言葉を図録に残している。

一人の画家が自分の才能だけで描く素晴らしい絵もあれば、歴史の中で信頼を培ってきた見事な造形もある。

図録より

図録には、応挙の可愛い子犬の絵の「粉本」(木槿狗子図粉本)などの画像を載せた上で、こうまとめる。

狩野安信の『画道要訣』という秘伝書に、「質画」より「学画」が大切だ、というくだりがある。「質画」、生まれつき起用な天性の資質をもつ者が描く絵、「学画」は、精進し、学習して描き方を習得した者が描く絵のこと。つまり、狩野派では、一人の天才だけが描く絵より、学んで描く絵のほうが大事だと考えられていたのである。

図録より

そう言えば、やまと絵のブロックでは、土佐光起が自身の作画スタイルをマニュアル化した『本朝画法大全』のことが紹介されていたが、「ふつうの系譜」において、ある種のマニュアル化ということはとても大事なことになってくるのかもしれない。クライアントがおもに皇室や公家、武家政権だった主流派としては当然の帰結だったかもしれない。

〈3、円山応挙と円山四条派 「斬新」からあっという間に「ふつう」へ〉

応挙はやまと絵や狩野派のような、先人が描いた絵を踏襲して作品を描くやり方ではなく、人間の目が捉えたもの、科学的な思考を働かせて一枚の絵した。それまでの絵のありようを壊してしまうほど斬新な方法だし、手本を見て描くより遥かに難しいことのように思える。ところが応挙の創作は、すぐに一つの「描き方」となって、長澤蘆雪や源琦ら弟子たちに伝わった。

図録より

これはとても不思議なことである。
が、金子学芸員はその理由をこんな言葉で説明している。

少々乱暴に言えば、たとえパソコンという物を信じられないくらい素晴らしいと思っていても、それを作り出した人間の工夫や凄さなど知らないまま、当たり前のように便利さの恩恵にあずかっているようなものかもしれない。

図録より

なるほど、と思う。

ちょうど、万有引力のようなものか?ある時期まで神をも恐れぬ発見だったとしても、あまりに原理の根本過ぎるために、しばらく経つと誰もが当たり前の原理だと思ってしまう。そんな感じか?

円山応挙『西王母・寿老図』は、そんな応挙らしさの溢れる絵だ。

円山応挙『西王母・寿老図』
※画像引用

とても美しく繊細な絵であると同時に、西王母(女性仙人のボス)&従者、寿老人&鹿という異色の2セットを、応挙らしい3D空間の中で楽しく配置している。ケミカルな容器に詰めたファンタジーのような作品。これも、応挙がよくやる手だが、4者の目線の組み合わせも楽しい。

源琦『藍采和図』を見てると、思わず「エルフ?」と呟きたくなる。

源琦『藍采和図』
※画像引用

源琦(げんき)は応挙の門人の中でも、師匠そっくりな絵を描くことで知られる。絵の中で靴を片方だけ履いてる藍采和(らんさいか)とは、唐の時代の仙人の一人。そのピュアな風体を見ていると、西洋のエルフやフェアリーを思い出す。

〈もふもふは世界を変える〉

このミニコーナーで金子学芸員は、大事な言葉を残している。

応挙や狙仙は、単に描き方を新しくしたというよりも、「もふもふの絵」という新ジャンルを生み出した、というべきかもしれない。

図録より

そう、こうして《春の江戸絵画まつり》は、次々と江戸絵画の中でいろんな発明をしていく。

〈4、原在中と原派 パーフェクトな形〉

原在中『富士三保松原図』は、再構成された美しさ。

原在中『富士三保松原図』
※画像引用

原在中は、応挙の弟子とも言われる江戸後期の京画家。《春の江戸絵画まつり》にもたびたび登場する。現実の風景を美しく描きながらも、見事な再構成によって現実以上に美しい風景画を創作する。上の絵はわかりやすくて、リアルな風景の中に、上下に「2本の直線」を引くことで新しい美しさを作り上げている。

〈5、岸駒と岸派 「奇想」と「ふつう」の間〉

岸駒『富士山図』は、力強い美しさ。

岸駒『富士山図』
※画像引用

岸駒は、原在中と同様、江戸後期の京の画家。個人的には、その絵は美しさとともに力強さや鮮やかさの印象が強い。

岸駒『猛虎図』は、パワフルだけど可愛い。

岸駒『猛虎図』
※画像引用

岸駒の描いた虎は、パワフルだけど愛嬌がある。目の表現が抜群だし、毛並みの良さと顎の突き出し方が絶妙である。

そして岸駒と言えば、『寒山拾得図』である!

岸駒の『寒山拾得図』(部分)
※画像引用

〈6、明治以降の画家 「ふつう画」のゆくえ〉

「美しい絵画はどう描けばよいか」「ものをありのまま描いてはいけない」という江戸時代の常識が体にしみついた画家たちにとって、明治時代は気の毒な時代である。ヨーロッパの迫真的な絵画が渡来して、しかもそれが「進んでいる国」の「見習うべき文化」として眼の前に現れたのである。

図録より

そんな金子学芸員の言葉から始まる6章は、複雑な気持ちで眺めてしまう。

幸野楳嶺『敗荷鴛鴦図』は、生と死の対比が鮮やかだ。

幸野楳嶺『敗荷鴛鴦図』
※画像引用

たぶん私の勝手な思い込みだが、明治時代の日本画家たちの葛藤を想像してしまいそうになる。西欧化の波とどう戦うべきなのか?

高谷篁圃『三美人図』は、時代を超えたかった?

高谷篁圃『三美人図』
※画像引用

時代を越えた日本の女性ファッションを、ひたすら美しく描き1枚の絵の中で調和させている。こういうところもチャレンジか?オールジャパンで世界と戦おうとしたのかもしれない。

〈Ⅱ ふつう画の楽しみ方〉

「ふつうの画」の楽しみ方とは?という、とっても難しそうな問題提議について、図録はこう答えている。例えば、精密に描かれた画の場合はその細かい情報を読み取ることで知的な興奮を味わえるし、ぼーっとした画の場合はたゆたうような気持ちを味わってみたら?
⋯と提案している。さっそく見てみよう。

〈1、「精密さ」と「たゆたう感じ」〉

土佐光貞『粟に鶉図』は、やっぱり鶉(うずら)を見る。

土佐光貞『粟に鶉図』
※画像引用

土佐派の描く鶉の羽の模様は生地で美しい。ひたすら緻密に書き込まれた模様がまるで、寄せ木細工のようなぎゅっと詰まった美しさを表現している。

一方、田中訥言『嵐山図』は、リラックスの塊みたいな画だ。

田中訥言『嵐山図』
※画像引用

この画像のサイズではわかりづらいが、淡い曲線と塗りで作られた世界は、拡大して見るとよくわからない風景だが、引いて見てみるとぼんやりとした美しい世界が静かに浮かび上がる。

田中訥言(とつげん)は、江戸後期の絵師。最初は狩野派に、続いて土佐派の土佐光貞の門に入る。復古大和絵の祖とも言われる。

原在中『菊に鶏図』は、ほぼ正円に近い親子の目に注目。

原在中『菊に鶏図』
※画像引用

風景を美しく再構成する原在中の描いた鶏の親子が美しい。でも、もっとも注目したいのは、その親子のまん丸な目である。

どちらもまん丸な目の黒い縁取りの中に、直径の1/3ほどの黒い瞳があるのだが、この瞳もまん丸である。結果、雛の目は無垢さを、親の目はちょっと狂気すら感じる。そんな狂気の親鶏の口にとても美しい緑色のバッタがいる。

「ふつうの絵」のはずだが、私には「ふつうじゃない絵」に見える。美しく狂ってる!

〈2、「絵の具の美しさ」と「墨の深さ」〉

「ふつう画」を楽しむポイントとして、画材の違いに注目することを提案している。絵の具、そして、墨の使い方に注目してみよう、と。

岸恭(がんきょう)『四季花卉図屏風』は、輪郭の太ささえも自由に描く。

岸恭『四季花卉図屏風』(右隻)
※画像引用

このサイズで、しかも上図の右隻だけではわからないのだが、右隻の牡丹(中央あたり)は輪郭線がほとんど目立たないのに、左隻の葉牡丹ではその葉の肉厚さを表現するためにとんでもなく太い輪郭線で描いている。これは西洋画ではありえない自由さだと、図録は説明している。是非とも現物を見てみたい。なので、本当は左隻の画像をアップしたいが、ネットで見つからず。残念!

なお、岸恭は岸駒の婿養子(岸良:がんりょう)の実子だ。幕末〜明治初期に活躍した絵師。

橋本長兵衛(初代)『仙人図』は、墨使いの極地。

橋本長兵衛(初代)『仙人図』
※画像引用

絵の軽みばかりが目立つが、濃淡、線の太さ、ぼかし具合、かすれ具合など、墨の表情をさまざまに駆使して描いていると図録に説明がある。これも是非現物を見てみたい。

ちなみに橋本長兵衛(初代)は、桃山時代〜江戸時代前期に越前敦賀で活躍した絵師。

〈まとめ〉

2020年頃、東京を中心に「奇想の系譜」が盛り上がっているのを尻目に、府中では《春の江戸絵画まつり》をさらに深めるための企画【ふつうの系譜】展をぶつけた。面白い挑戦だ。

ところが、「ふつう」をテーマにしたこの意欲作の真っ最中に、世の中では「ふつう」じゃないことが起こる!

新型コロナ禍である。2020年1月後半から陽性者が国内でも発見されるようになり、3月14日にこの【ふつうの系譜】展は開幕したものの、3月末からは断続的に休館、4月7日に発出された緊急事態宣言の発出を受けて、8日から完全休館となり、同展は7日をもって閉幕となった。残念!

■16■
春の江戸絵画まつり
与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家


2021年3月13日〜5月9日(4月24日をもって閉幕)

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家』
※画像引用

新型コロナ禍のために2020年【普通の系譜】展が始まってすぐに終わってしまった翌年、府中市美術館の《春の江戸絵画まつり》は【与謝蕪村】展を開催した!

正直、なぜここで蕪村なんだろう?
私にはよくわからなかったので、
いつものように金子学芸員の開会宣言から読んでみる。

図録の巻頭に「『ぎこちない』から見た蕪村の絵画史」という文章が載っている。同学芸員は今回の展覧会のサブタイトルいに「ぎこちない」という言葉を入れた。関係者からは「そんなの、与謝蕪村に失礼だよ」という指摘も受けたという。だが、彼はこの言葉こそが蕪村の魅力を表現するために最適なんだという。

どういうことか?

与謝蕪村は、暴れん坊将軍(吉宗)が八代将軍になった年、大坂で生まれた。どんな家柄だったかはよくわからないそうだが、20歳頃、江戸に出て俳諧の道に進んだ。その後、蕪村より百歳ほど先輩の松尾芭蕉の足跡を訪ねたりしつつ、36歳で京へ、39歳で丹後と移る。

与謝蕪村(1716〜1783)
※画像引用

この丹後時代に蕪村はすでにたくさんの絵を描いているが、現代の美術業界での評価はきわめて低い。

が、金子学芸員は「本当にそうだろうか?」と問いかける。

美術業界では、次々と名作を発表する最晩年の蕪村作品に比べて、それまでの蕪村作品は「下手だから」評価が低いというのだ。だが、金子学芸員は蕪村の絵を分析しながら、下手なのではなくわざと「ぎこちなく」描いていると主張する。

実際、蕪村もたまには「うますぎる」絵を描いている。彼は「うますぎる」絵も描けるのだ。そして、その後も新しい技術をどんどん吸収していってるように見える蕪村だが、作品は相変わらず「ぎこちない」。だから、「彼は間違いなく確信犯だった」と同学芸員は言う。蕪村は、本職である俳句に添えた俳画の場合も、あえて「ぎこちない」絵を描いている。

同学芸員の文章にはこんな言葉もある。

(蕪村は)一番弟子の高井几董に宛てた手紙に、自分の描く俳画は普通のものではない、およそ日本国内に同じようなものなどない、と書いているが、これは決して蕪村のうぬぼれではない。

図録より

さて、真相はどうだろう?

蕪村のぎこちないは「天然」なのか?「わざと」なのか?
与謝蕪村のぎこちないミステリーが始まる。

〈Ⅰ 「ぎこちない」からのスタート〉

与謝蕪村『方士求不死薬図屛風』は、いきなり「ぎこちない」。

与謝蕪村『方士求不死薬図屛風』(右隻と左隻)
※画像引用

秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて当時の日本に徐福を派遣した。そんな徐福が日本に到着した場面を蕪村が描いた。左に徐福と従者が、右に仙人と従者がいる。

金子学芸員も図録に書いているように「舞台中継」のような不思議な構図である。私は下手な絵だとは思わないが、登場人物たちの関係性が明らかに微妙である。これを同学芸員は「ぎこちない」と言っている。確かに拡大画像で見ると、仙人のとぼけた表情には、ベテラン舞台芸人のすっとぼけた味わいさえある。おまけに、その従者は木にもたれて寝てる。

与謝蕪村『山水図屛風』は、明らかにぎこちない。

与謝蕪村『山水図屛風』(右隻と左隻)
※画像引用

とくに印象的なのは、右隻の左奥に見える2つの山だ。霞んで誤魔化してはいるが、誤魔化しきれていないというか、2つの山が斜めってる。とくに右側の山の稜線の30°ぐらい傾いてる。他にも右隻はところどろこでパースが狂っちゃってるように見える。左隻の山々もよく見ると同様である。なんとなく雰囲気としては成立してるっぽいのだが、よく見ると破綻してる。でも、惹かれる何かがある。面白い風景に見えてしまう。妙な味わいである。

与謝蕪村『狗子図』は、蕪村なりに可愛さを見つけてる。

与謝蕪村『狗子図』
※画像引用

応挙や蘆雪の子犬に比べるとわかりやすくはないが、蕪村の子犬も彼なりにちゃんと可愛さを見つけている。いたずらっぽい目と上がった口角、垂れた耳、そして胸元のボリューム感と前足の揃い具合が、ちょこなんッ!と可愛い。

〈Ⅱ 二つの仕事 ー中国風の絵と俳諧の絵〉

〈中国風の絵〉

与謝蕪村『野馬図屏風』には、ゾクッとした。

与謝蕪村『野馬図屏風』(右隻と左隻)
※画像引用

蕪村が、中国から来日した画家・沈南蘋の影響下にあった頃に描いた絵だという。古風な樹木や岩の描写と対象的に、馬たちがとても自由に伸び伸びと描かれている。意味とか関係ないぐらいに、馬たちが自然な欲望のままに和んでいる。あえて言えば、そんな対比が「ぎこちない」と言えるかもしれない。

与謝蕪村『虎図』は、その研ぎ澄ましたような「ぎこちなさ」が面白い!

与謝蕪村『虎図』
※画像引用

この絵は《春の江戸絵画まつり》で何度も紹介されてきたが、この絵の「ぎこちなさ」はわかりやすい。

虎、水、岩のそれぞれが絡み合ってはいるものの、それぞれが好き勝手に存在しているようにも見える。唯一、ウルトラマンのような目つきの虎が、尖った岩に横っ腹を擦り付けている感じが「猫」感を思い出させてくれるが、虎、水、岩はそれぞれ魅力的に描かれているものの、それぞれが「面白いから寄せ集めてみました」とでも言うような乱暴さで絡み合っている。そんな不思議な「ぎこちなさ」を感じる。

与謝蕪村『十宜帖』の「ぎこちない」楽しさ!

与謝蕪村『十宜帖』宜夏
※画像引用

季節や時間、天気の素晴らしさを描いた作品だが、蕪村らしさが溢れている。見事であることや美しいことよりも、楽しいことを「ヘタウマ」的なテクニックを使いながら構成した「ぎこちなさ」が目立つ。

〈俳諧の絵〉

与謝蕪村『奥の細道図屛風』は、素晴らしい「ぎこちなさ」。

与謝蕪村『奥の細道図屛風』
※画像引用

蕪村が俳諧の先輩・松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡を辿った屏風。とにかくイラストの軽妙なタッチが爽快だ。気持ちよくて楽しい。蕪村の俳句に寄せて描いた俳画もすべて、そんな感じだ。

与謝蕪村『太祇馬提灯図』こそ、まさに蕪村の「ぎこちない」軽み!

与謝蕪村『太祇馬提灯図』
※画像引用

この絵は、ある日の蕪村と友人の炭太祇(俳人)を描いたものだが、その軽妙なタッチがとっても気持ちいい。そのために、あえてうまく見せる技巧は使っていない。まさに「ヘタウマ」である。

〈Ⅲ 「ぎこちない」を芸術にした画家〉

〈「苦み」を味わう芸術〉

与謝蕪村・呉春『白箸翁・元政身延詣図』

与謝蕪村・呉春『白箸翁(右)・元政身延詣図(左)』
右幅は蕪村が、左幅は弟子の呉春が描いた

右幅の蕪村の老人たち、中でも主人公である白箸翁(向かって左)のキャラが凄まじく老けていて面白い。ちゃんと極端を追求していることで生まれた「ぎこちなさ」。この絵を見ていると、いろんな方面で明らかに「ぎこちなさ」狙っていることがわかる。

〈「かわいい」を楽しむ芸術〉

与謝蕪村『「涼しさに」自画賛』に描かれた、ウサギの軽さが絶妙である。

与謝蕪村『「涼しさに」自画賛』
※画像引用

ある夏、東北の宿で夜中にゴトゴトと音がする。庭に出てみると老人が麦を搗いていた。昼の暑さを避けて夜に搗いていたのだという。名前を聞くと、「宇兵衛」と答えたという。このエピソードを蕪村は俳句にした。

涼しさに 麦を月夜の 卯兵衛哉

そして、上の絵を描いた。

中でも、左のウサギの造形が見事である。杵を持ってるのに重力がないようにしか見えない。衣類のパステルな水色も爽やかだ。そして、楽しい。

ちなみに、このウサギが【与謝蕪村】展のキービジュアルになった。わかる!

〈「光と空気と情感」の芸術〉

与謝蕪村『鳶鴉図』は、「ヘタウマ」の壁を越えちゃってる。

与謝蕪村『鳶鴉図』
※画像引用

この最後の章に登場する絵のひとつひとつが、これが蕪村だ、という香りに満ちている。正確に言うと、ここまでに登場した作品も素晴らしかったのだが、この章に登場する作品はどれも、それらよりも明らかに表現が強い。

例えばこの『鳶鴉図』。

鳥、木、空気がどれも雑なタッチで描かれているのだが、その総合力のパワーがハンパない。絵としての完成度やバランスがとても力強いのだ。「ヘタウマ」の海岸をウロウロしてた蕪村さんが、突然「ヘタウマ」の高波に乗っちゃってるような気迫がある。

〈まとめ〉

こうして、まるごと蕪村を味わうことで、江戸絵画の底力をまたひとつ知ったような気がする。江戸絵画、おそるべしである。

さて、

2021年3月14日に開幕した【与謝蕪村】展だが、またまた大変な事が起こる。そう、昨年から始まった新型コロナ禍はまだ終わっていなかった。4月23日にまたまた緊急事態宣言が発出され、4月25日から同館は臨時休館、結局、同展は会期途中で閉幕となった。

■*■
春の江戸絵画まつり 
ふつうの系譜 
「奇想」があるなら「ふつう」もあります

2022年3月12日〜5月8日

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります』
※画像引用

2020年に一度は開幕されたものの、新型コロナ禍のために4月7日で閉幕となった【ふつうの系譜】展が、2022年3月12日、改めて開幕する運びとなった!

同じ内容なので省略する。
本当は2020年と2022年で、展示が少し違ったりしていたかもしれないが⋯

■17■
春の江戸絵画まつり 
江戸絵画お絵かき教室

2022年3月12日〜5月8日

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
江戸絵画お絵かき教室』チラシ
※画像引用

2023年《春の江戸絵画まつり》のテーマに、驚いた。

展覧会なのに「お絵かき教室」である。

過去のシリーズから次の展覧会のテーマが生まれがちというこのシリーズの特性を考えると、2020年【ふつうの系譜】展に土佐光起の書いた秘事口伝のマニュアル本「本朝画法大伝」や、画家が後日の制作などのために描いておく「粉本」(ふんぽん)の話が出てたなぁ、なんてことを思い出しつつも、まずは図録を読み進めてみよう。

すると、金子学芸員の「まえがき」からして楽しい。

長沢蘆雪《唐子遊図屏風》
※画像引用

2013年【かわいい江戸絵画】展で紹介された長澤蘆雪『唐子遊図屏風』を例に、子供時代のお絵かき教室の話が始まり、子供時代のお絵かきでは「お手本の絵」があるとないとでは大違いという話になる。そして、絵も得意だった江戸時代の小説家・曲亭馬琴のこんな言葉を引く。

絵を習うものは、はじめに物をありのままに描こうとして、鳥でも獣でも実物を見て描くから、全く似せて描くことができない。実物によく似た「画本」を見て写せば、おのずと似ることがある。

図録より

ここから江戸時代の絵の学びの基本が「真似ること」だった話をして、今回はいつもの「見る」視点じゃなく「描く」視点から江戸絵画を紹介していく、と。そのために、古画の技法研究の専門家(嵯峨美術大学の仲政明教授)にも協力してもらいながら、この異色の展覧会を考えたという。

さて、そんな、府中市美術館主催の「不思議な不思議なお描かき教室」が始まる!

〈第1章 四大テーマに挑戦〉

〈1、動物を描く〉

長沢蘆雪『雀図扇面』の雀は、なぜ正面を向いているのか?

長沢蘆雪『雀図扇面』
※画像引用

雀を真正面以外の方向から描くとツンとすました生き物に見えるのに、真正面から描いた瞬間にとても愛らしい存在に見えてくる。1対1の関係になるからだろうか?

個人的には、雀を正面から見ると恐竜のような造形をしているのに、体型がめちゃくちゃ弱そうなので可愛いのでは?と思っているが、どうだろう?あと、雀を正面から見ると、鴨川つばめさんの「マカロニほうれん荘」という作品を思い出してしまったりもする。

円山応挙『狗子図屛風』は子犬も可愛いが、周囲の塗りも可愛い。

円山応挙『狗子図屛風』(部分)
※画像引用

金子学芸員が「絹ではなく紙に描いた作品で、墨や絵の具のかすれを生かしている」と描いているが、まさに、応挙風のパステル感だ。そして、周囲のかすれた雑草が結果的に愛らしい効果線になってるようにも見える。たぶん気のせいだが⋯

個人的には右から二匹目の犬が三匹目の背中で眠っちゃいそうになっているが、そのことを三匹目がそのことをまったく気にしていないように見える。この両者の無邪気さも可愛い。そう、蘆雪はこの種の「関係性の無邪気さ」もよく使う技だ。

館内はこんな展示だったらしい
※画像引用

鍬形蕙斎『鳥獣略画式』は、かなり斬新な絵画マニュアルだ。

鍬形蕙斎『鳥獣略画式』(部分)

江戸時代に絵のマニュアル本はたくさん出版されたが、その中でもこの本は変わっている。金子学芸員が「大まかな形を最初に決め、その中に頭や体や足を押し込めてい、その無茶ぶりが面白い」と表現しているが、確かに斬新である。

大河ドラマ『べらぼう』で、橋本淳さんが演じた北尾重政の弟子として登場していた北尾政美(まさよし)が、のちに津山藩の御用絵師となって鍬形蕙斎と名を改めた。

こうした作品展示の合間に、図録では〈お絵かき教室〉という名前の特集コラムなどが入ってくる。展覧会もかなり異色の展示だったことが想像できる。

〈2、人を描く〉

伊藤若冲『寒山拾得図』が描いているのは、人の「カタチ」ではない?

伊藤若冲『寒山拾得図』
※画像引用

様々な生物を緻密に描くことで知られる若冲だが、人物画は異常なほど少ない。たまに描いても必ず神仙系の人物がほとんどで、実在人物の画としては、売茶翁(ばいさおう)の肖像画ぐらいしか思い浮かばない。

上の画像も神仙系と言っていい寒山拾得の二人を描いたものだ。若冲はきっと、リアルな人間のフォルムに興味がなかったのでは?とさえ思う。さっき紹介した売茶翁の肖像画も、もはや人間のフォルムをしていないw その代わりに、若冲の描いた神仙系の生命体のフォルムはどれも楽しい!例えば、コレとか。

耳鳥斎(にちょうさい)の『絵本水や空』は、いまだに江戸時代の作品だと思えない!

耳鳥斎『絵本水や空』(復刻本展示)
※画像引用

この《春の江戸絵画まつり》でも何度も紹介されてきた耳鳥斎の登場である。中黒(・)目玉に漢数字一マウスのキャラクターは、ネット社会でも全然現役で活躍できそうだ。てゆーか、ほぼ初代「顔文字」だ。

さて、「絵本 水や空(みずやそら)」という言葉選びのセンスもたいがい21世紀レベルだと思っていたが、図録の解説にはそのタイトルそのものの解説が書いてあった。

タイトルについて狂詩作者の畠中観斎が、あとがきにこう書いている。「水や空は、考えてみるにつかまえどころがない。つかまえどころがないということでは、狩野派でも土佐派でも鳥羽僧正でもない耳鳥斎のスタイルは、本山に属さないお寺のようなもの」

図録より

最高すぎる!

〈3、景色を描く〉

谷文晁『十二ヶ月山水図押絵貼屛風』は、もしかして江戸時代のマインクラフト作品か?

谷文晁『十二ヶ月山水図押絵貼屛風』
※画像引用

子供の頃、日本の昔の絵に出てくる風景って日本にはあんまりない風景だよなぁと思っていたが、その理由は、昔の日本の画家たちは風景を、中国風の風景画(山水画)から学んだせいだったようだ。

そんな風に考えると、存在しない風景を組み立てながらオリジナルな風景画を作る山水画って、もしかすると現代の空間造成ソフト「マインクラフト」に似ているのかもしれない。

上の画は、江戸後期にさまざまな画風を学び尽くした人気画家である谷文晁が描いた山水画。表現力のバリエーションに唸る。

曽我蕭白『叡山図』は、蕭白にしてはまともに見える。

曽我蕭白『叡山図』
※画像引用

まあ、なかなか普通の絵を描かない曾我蕭白にしては、かなりまもとに見える風景画である。でも、3D感をわざとバグらせてるように見える。とくに霞の部分で前後関係の距離感をあえて狂わせることで、湖から立ち上がる比叡山の急斜面を異常なほど強調しているようにも見えるが、どうだろう?

〈4、花を描く〉

宋紫石『蝦蟇仙人・牡丹図』は、蝦蟇仙人に目を奪われがちだが、牡丹の花の儚い美しさが素晴らしい。

宋紫石『蝦蟇仙人・牡丹図』
※画像引用

来日した南画の絵師・宋紫岩に学んだ宋紫石の掛け軸三幅。とくに右幅の激しい雨に打たれながらも美しく咲く牡丹の花が素晴らしい。もしかすると、中央の蝦蟇仙人が連れている三本足の蛙(青蛙神)がかけた魔法のせいで降った雨なのか?青蛙神が右を向いてるせいで、どうしてもそう見えてしまう。

この展覧会の名物である〈お絵かき教室〉のコーナーには下図のような塗り絵を完成させるコーナーもあったようだ。

〈お絵かき教室 7日目〉
牡丹を描く感覚をつかむ
※画像引用

〈第2章 画材・技法・表具〉

〈1、画材〉

〈墨〉

円山応挙『猿図』を見て思う、水墨画を描いても応挙は凄い!

円山応挙『猿図』
※画像引用

大乗寺の『松に孔雀図』を見てもわかるように、色数が減れば減るほど円山応挙という人の凄さはしっかりと伝わる。金子学芸員は「まるで緻密な作品制作で溜まったうっぷんでも晴らすように」と描いているが、墨を自在に操りながら空気感やキャラクターを表現し尽くしている。

〈絵具〉

今回の展覧会の特徴でもあるが、作品だけでなく、江戸時代の画材なども紹介していたようだ。

〈濃彩と淡彩〉

谷文晁『金碧山水図』は、彩色がとにかく美しい。

谷文晁『金碧山水図』
※画像引用

図録によると、孔雀石から採った「緑青」あと、藍銅鉱から採った「群青」、この二色を厚く塗った山の絵を「青緑山水」と呼び、さらに、この絵のように金泥で描き加えたものを「金碧山水」と呼んだそうだ。確かに、とてもリッチな配色だ。エアコンのない時代、この涼やかさは半端なかったと思う。

〈紙と絹〉

江戸時代の絵画のほとんどは、紙か絹に描かれていた。確かに!

〈筆〉

江戸時代の画材・筆
※画像引用

長沢蘆雪『旭日富士図』は、各所で墨のにじみを有効活用!

長沢蘆雪『旭日富士図』
※画像引用

山肌、山の起伏、そして雲。いろいろなところが墨のにじみによって面白く表現されている。

図録より

絹の上で墨を自在に操る蘆雪は、さすが応挙の弟子である。可愛い絵やふざけた絵以外も、素晴らしい。

谷文晁『孔雀図』は、あえて孔雀をモノクロームで!

谷文晁『孔雀図』
※画像引用

天才・文晁らしく、墨表現の極限を目指すような作品。

〈金〉

作者不詳『柳橋水車図屛風』

作者不詳『柳橋水車図屛風』
※画像引用

この画質では判別できないが、水面の波を銀泥で細かく描いている。また、金についてもさまざまな種類の金が使い分けられているそうだ。

〈2、技法〉

鈴木其一『芥子図』は、葉っぱのグラデが光る!

鈴木其一『芥子図』
※画像引用

芥子の葉っぱのグラデーションのために、〈にじみ〉や〈たらしこみ〉というテクニックを「これでもかというぐらいに使っている」。「琳派風の美しさに奇抜な感覚を盛り込んだ、其一らしい作品」。まさに!と思う。

図録では、この〈にじみ〉や〈たらしこみ〉のテクニックを写真付きで丁寧に紹介している。

伊藤若冲『花鳥魚図押絵貼屛風』には、若冲得意の〈筋目描き〉のテクが!

伊藤若冲『花鳥魚図押絵貼屛風』(部分)
※画像引用

上の画の鱗の間の白っぽい筋目はどうやって描くのか?それが、若冲名物のテクニック〈筋目描き〉である。塗りつぶしてから筋を入れるのではなく、ちょっとした化学的な反応を使ったまったく新しいこのテクニックは、若冲が多用したことで有名になり、やがて江戸絵画界に広がった。

〈裏彩色〉

司馬江漢『生花図』の、力強い色彩には理由がある。

司馬江漢『生花図』
※画像引用

〈裏彩色〉とは文字通り、紙の裏側から彩色するテクニックで、裏と表でそれぞれ彩色することで、色を強調したり、複合的な色彩を出したり、さまざまな効果を狙う。多くの画家が使っている。

〈江戸時代の油絵〉

いかにも《春の江戸絵画まつり》らしいコーナー企画。亜欧堂田善ら、江戸時代の油絵画家がどうやって油絵のための絵の具を作ったかを詳しく解説。

〈3、表具〉

伊藤若冲『叭々鳥図』は、修理途中のままで展示された!

伊藤若冲『叭々鳥図』
※画像引用

この画は、修理途中の仮張りに張られたまんま展示されたという。なかなか面白い展示だ。

さらに曽我蕭白『寒山拾得図』は、制作過程を写真展示したらしい。

曽我蕭白『寒山拾得図』
※画像引用

制作展示も気になるが、初めて見たこの絵も気になった。

なかなか面白い絵だ。いろいろおかしなところがあるのだが、何よりも大友克洋「AIKIRA」を思わせるような大胆不敵な爽快感がある。いつか是非、実物を拝見したい。

〈第3章 江戸時代の画家はどうやって学んだのか?〉

〈1、中国に学ぶ〉

とにかく、多くの場合、江戸時代までの日本人は中国から学んだ。

伝徽宗『狗子図』 は、応挙前の「かわいい子犬」開発競争の中では、かなり惜しいところまで行っていた!

伝徽宗『狗子図』
※画像引用

徽宗ということは北宋の第8代皇帝、つまり、西暦だと1100年代である。日本なら鎌倉初期の頃である。円山応挙が「かわいい子犬」の描き方革命前の作品としては、かなり高水準のかわいさを出している。毛量、毛の質感、首の角度、お尻と尻尾の構成など、かなり見事である。前足と目だけがちょっぴり残念だけど。

1100年代と言えば、日本だとちょうど高山寺の「木彫りの狗児」の頃だ。偶然だと思うが、レベルも似たような感じだ。2D、3Dの違いはあるが⋯

〈2、雪舟に学ぶ〉

雪舟等楊『倣夏珪山水図』は、ガツンと来る筆さばきが印象的。

雪舟等楊『倣夏珪山水図』
※画像引用

数々の逸話とともに中世最高の日本人絵師とも言うべき雪舟等楊(せっしゅう・とうよう)の力強い筆さばきの影響を受けた、画家や流派は多い。誰もが中国風の絵画を盲目的に信奉する中、留学でその作風を継承しつつさらに自分らしさを追求したことで「ガツンと来る雪舟スタイル」が生まれた。

〈3、粉本に学ぶ、粉本を作る〉

2020年【ふつうの系譜】展に登場した「粉本」(ふんぽん)が当然のようにここでも活躍する。ネットではその画像を発見することが出来なかったが、長谷川等伯に代表される長谷川家の粉本である『長谷川家粉本』が展示されていた。この粉本、いつか絶対に見たい!!てゆーか、いつかどうこかで、「大日本粉本展」をやってくれないかなぁ?

〈4、オランダ本に学ぶ〉

司馬江漢『皮工図』は、西洋本がベースになってる。

司馬江漢『皮工図』
※画像引用

この画は、オランダ人、ヤン・ラウケン著『人間の職業』の挿絵が元になっている。現代なら、SNSでトレパクとか言われちゃいそうだが、こういう勉強法は当時の日本の美術界ではごくごく自然なことだった。しかも、師匠がほとんどいない洋画なら、なおさらである。

〈5、応挙に学ぶ〉

円山応挙『楚蓮香図』の透き通るような美しさは当時、とっても画期的だったはずだ。

円山応挙『楚蓮香図』
※画像引用

《春の江戸絵画まつり》でも金子学芸員がたびたび指摘していることだが、『楚蓮香図』に限らず、円山応挙の「あるがまま美しく描く」というスタイルは、「発明」されるとほぼ同時に、誰からも真似される「王道」になった。展覧会では、応挙の弟子でもある長澤蘆雪、さらに応挙の孫・応震の描いた『楚蓮香図』も展示されている。

〈お絵かき教室 虎の研究〉

2013年【かわいい江戸絵画】展の〈虎の悩ましさ〉コーナーでも紹介された、江戸期の絵師たちが一度も目撃したことのない虎を描くために苦労した話がここでも紹介されている。

岸駒『猛虎図』の虎は、あえて現実感の向こうにいる。

岸駒『猛虎図』
※画像引用

このコーナーでは、狩野山楽、宋紫山、与謝蕪村、円山応挙らの虎作品が紹介されているが、岸駒『猛虎図』はとびきり尖っている。虎皮の模様がもっとも象徴しているが、いったん整頓された画像がデジタルノイズで乱されたような描き方をしている。この非現実的な違和感のフィルターを通すことで、絵師も鑑賞者もどちらも見たことのない「虎という名前の架空の生物」に「空想の迫力」を追加しているように見える。

〈第4章 江戸絵画はヒントの宝庫〉

〈1、全部を描かない〉

長沢蘆雪『象背戯童図』は、かなりとんでもない作品だ。

長沢蘆雪『象背戯童図』
※画像引用

サイズ的には、横幅12.7cm✕縦幅128.2cmという、異例の作品である。『象背戯童図』ということだから、「象の背中に乗ってる子供たちの図」ってことだろう。てことは、このグレーのやたらと長い物体は象の背中ということだ。ちびっこ軍団の先頭でもっとも象の顔に近づいてやろうとしているチャレンジャーの子供と、そんな状況をなんとなく心配している象の左目がポイント。

まあ、どう考えても、鑑賞者のツッコみ待ちみたいな、いかにも蘆雪な作品だ。

〈2、空を描く〉

司馬江漢『秋景双鳩図』は、江戸の空を描きたかった?

司馬江漢『秋景双鳩図』
※画像引用

日本画ではまずちゃんと描かれることがなかった「空」を司馬江漢は描いた。しかも、対象物を下の方に配置することで、「空」がまるで主役ように広がっている。江漢は鳥たちや風景以上に、「江戸時代の空」を描きたかったのかもしれない。

〈3、自由な水中画〉

河田小竜『遊鯉図』に描かれた、鯉の後ろ姿が忘れられない。こんな画、なかなか見られないし、この後ろ姿のおかげで、池の鯉たちの動きがとっても立体的に見える。ただし、ネットで画像が見つからず。

〈4、国芳に劇画を学ぶ〉

歌川国芳『城四郎長茂空中に怪異を見る図』に描かれているのは、間違いなくビームだ。

歌川国芳『城四郎長茂空中に怪異を見る図』
※画像引用

平家物語の一場面を国芳が描いている。豪雨を降らせる暗雲の中に雷神がいて、彼が激しいビームを地上に降り注ぎ、平家の軍勢がそれに対して応戦している。この絵に限らず、国芳はその後の劇画の画面演出をだいたいすべて先取りしているような気がする。

〈5、いろいろなヒント〉

住吉弘定『百鬼夜行図巻』は、少ない色数で工夫している。

住吉弘定『百鬼夜行図巻』
※画像引用

土佐派から分かれ、幕府御用絵師を勤めた住吉家の七代目・住吉弘定の描いた妖怪絵巻。少ない色数だが、グラデーションを工夫するなどして、色数を豊富に見せている。

〈6、お手本はいらない〉

仙厓義梵『仙厓和尚書画巻』は、ただただ自由である。

仙厓義梵『仙厓和尚書画巻』
※画像引用

生涯、自由に禅画を描き続けた仙厓義梵の作品。誰かの作風や、どの流派の影響も受けないまま、ただただ自由に描いている。同じ禅画の先人たちの影響さえもあまり感じない。とにかく自由な筆さばきのおかげで、見ているだけで楽しくなる。

徳川家光『竹に雀図』が、同じく『兎図』とともに最後に登場する。

徳川家光『竹に雀図』
※画像引用

このコーナーの最後にして、この展覧会の最後に2013年【かわいい江戸絵画】展で大きな話題を呼んだ徳川家光『兎図』とともに『竹に雀図』という作品が登場する。

この作品のことをネットで調べてみたら、こんな記事が見つかった。

3代将軍徳川家光が竹とスズメを描いた墨絵が7日までに長野市の男性宅から見つかった。(略)骨董品店を営んでいた長野市の男性の遺品で、10月ごろ、府中市美術館(東京)の金子信久学芸員が鑑定を依頼された。(略)「ヘタウマともいうべき緩く、とぼけた味わいが家光の特長。絵画は武家のたしなみとされていたが、家光は本当に好きで描いていたことが分かる」と話した。

日本経済新聞 2020.11.07

さて、この展覧会では、【お絵かき教室】というタイトル通りに、展覧会後にこんなイベントも用意されていたようだ。

お絵描き広場
※画像引用

「蘆雪の雀」「応挙の子犬」などを描かれた上写真のカードをもらうと、左側にお手本と描き方ガイドが描いてあり、右側にそれをもとに絵を描くことができる余白がある。

めちゃくちゃ楽しそうな「お絵かき教室」だ!

■18■
春の江戸絵画まつり
ほとけの国の美術

2024年3月9日〜5月6日

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
ほとけの国の美術』チラシ
※画像引用

この展覧会こそ、私が現地、府中市美術館まで行って初めて観た《春の江戸絵画まつり》シリーズの展覧会ということになる。

府中市美術館『ほとけの国の美術』写真スポット
2023.3.23

でも、その前に素朴に思った。

《春の江戸絵画まつり》シリーズの新作が、なぜ「ほとけの国」?

でも、府中市美術館に来て展覧会を見て、すぐに納得した。

図録の「まえがき」にも書いてある。

高校の歴史の教科書にも出ている「寺請制度」は、キリシタンの廃絶を目的に始まった制度です。江戸時代の人たちは、いずれかの寺の檀家になり、そのことを証明する寺請証文を発行してもらうことが義務付けられていました。つまり、みなが仏教徒だったのです。

図録より

そう、江戸時代は「ほとけの時代」だったのだ!

ところが、仏教というのは言葉だけではなかなか伝わりづらい。そこで、「見えないもの」をビジュアル化して見せる必要があった。そのために「来迎図」とか「地獄極楽図」とかが描かれた。

また、仏教の周辺では新しいアートも生まれた。禅宗という先鋭的宗派の教えをビジュアル化する必要があって「禅画」が生まれた。また、江戸前期の僧・円空の個人的な才能から「円空仏」という抽象性の高い、独特の仏像が生まれた。

さらに、人間以外の動物にも人のような心があると説く仏教の影響下で、「心を持った動物の絵」も流行した。また、仏画の定番である「涅槃図」を元に動物の絵を描く、若冲や蘆雪のような画家も登場した。

「ほとけの国」という目線で見つめた江戸絵画も、なかなかに楽しそうである!

さっそくお参りしてみよう!

〈1章 浄土と地獄〉

敦賀市・西福寺に伝わる『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』(重要文化財)は、この画像サイズや画質では魅力がまったく伝わらないかもしれない。

西福寺『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』(重要文化財)
※画像引用

曼荼羅なので「図解」的な要素が強いはずだが、図録の拡大画像を見ると、細部までがとても美しい。とくに極楽浄土のあたりのグループショットなどが、造形的にとても美しい。

土佐行広『二十五菩薩来迎図』は、ただただ美しい!

土佐行広『二十五菩薩来迎図』(部分)
※画像引用
土佐行広『二十五菩薩来迎図』
※画像引用

全17幅の掛け軸を、本尊を中心に本堂の左右の壁に並べることを目的に描かれたという。描かれている菩薩にダンサーやミュージシャンが多く、楽しそうである。そして、とにかく彩色と造形が気持ちいい。お堂の中にズラリと並んだこれらの掛け軸の姿を想像すると、トリップしそうな美しさである。

狩野了承『二十六夜待図』は、まずタイトルの意味がわからない。
その前に、読み方もわからない。

狩野了承『二十六夜待図』
※画像引用

調べてみると、「二十六夜待」とは「にじゅうろくやまち」と読む。旧暦1月と7月の26日深夜(未明)に昇る月を拝む、江戸時代に盛んだった信仰行事。月光の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊が現れると信じられ、幸運を求めて人々が集まり、月の出を待ちながら酒食を楽しむ「夏の夜の娯楽」的な要素が強いイベントだったそう。

こんな話を聞いて、広重の浮世絵なんかを見ると、現代で言うところのハッピーバレンタインみたいなイベントかとも思うが、上の狩野了承の絵を見るとそれだけでもなかったらしいことが伝わってくる。さらに、画面下の陸地に微かに描かれている人間たちのワチャワチャ感を極小サイズで描いているところにも、何らかの精神性を読み解こうとしてしまう。

冷泉為恭『小野小町木像模写』の、あゝ無常。

冷泉為恭『小野小町木像模写』
※画像引用

絶世の美女としてその名を日本史に轟かせた小野小町の晩年があまりにも惨めだったという伝聞は、「無常」の象徴としてたくさんの物語を生んだ。そこで、老婆になってから木像まで作られた。江戸時代には内山永久寺に安置されていたが、廃寺となって今は藤田美術館にある。この絵もなかなかのインパクトだが、木像も凄まじい。あと、上の絵の思いっきり空いてる上部空間にもいろいろ感じる。

金沢市・照円寺の『地獄極楽図』は、残酷さの中にある種の美学がある。

金沢市・照円寺『地獄極楽図』(部分)
※画像引用
金沢市・照円寺『地獄極楽図』
※画像引用

とても不思議な作品だ。いわゆる地獄図のように、鑑賞者を脅迫するだけでなく、一枚一枚の絵が作品としての完成度を求めようとしている。グロさと独自の美学がいちいち混在することで、作品のパワーが増している。とにかく、よくある地獄極楽図と違って、この作品群は美しくて楽しい。

〈2章 禅が教えてくれること〉

遂翁元盧(すいおう・げんろ)が描いた『隻履達磨図(せきりだるまず)』は、謎とき絵画だ。

遂翁元盧『隻履達磨図』
※画像引用

「隻履達磨図」は禅の有名な画題である。達磨が亡くなって三年、ある人が片方の履き物だけを持って歩く達磨に会った。聞けばインドに帰るところだという。その人が達磨の墓を掘ってみたら遺体はなく、片方の履き物だけがあったという話で、片方の履き物だけを持った達磨が描かれる。

図録より

正直、まったく意味がわからないのだが、いかにも禅宗という気がする。個人的には、「ある人」が達磨の墓を掘った理由は「遺体がないこと」からの逆算な気がしてならない。達磨の遺体が出てきたらどうするつもりだったんだろう?⋯とか。

なお、遂翁元盧は、絵を描く禅僧・白隠慧鶴の弟子。

風外本高の『虎図自画賛』も、謎めいている。

風外本高『虎図自画賛』
※画像引用

この絵の動物は、どう見ても虎にしか見えないが、風外本高自身が書いた「賛」にはこう書いてある。

唯恐人之誤称虎(ただ恐る、人誤りて虎と称するを)

図録より

あえて現代語訳すると、「この絵を見て、虎だと間違わないといいけどね」みたいな感じか。

一方、仙厓義梵『竹虎図』のこの絵の右上には、こんな言葉が書いてある。

仙厓義梵『竹虎図』
※画像引用

虎嘯風生(虎がうそぶけば風が生じる)

図録より

こっちも無理やり現代語訳すると、「虎がドヤると、風が吹く」みたいな感じか。転じて「英雄がひとたび立てば、天下に風雲を巻き起こす」的な意味になる。つまり、この絵の可愛い動物は「虎」だと言っている。てことは、この画の中の虎は、ドヤる前の虎なのかな?

そして、風外も仙崖が描いたこの2枚の絵と賛を眺めつつ、金子学芸員は言う。

風外も仙崖も、物事をこうだと決めつける絶対的な基準などこの世にあるものか、とでも言いたいのかもしれない。

図録より

〈3章 古典美としての仏画〉

鈴木芙蓉『蝦蟇鉄拐図』の独特過ぎる世界観!

鈴木芙蓉『蝦蟇鉄拐図』
※画像引用

植物や岩、海面などには南画の系譜を感じるが、人物造形は独特だし、謎の呼気の描写が洋画並みの繊細なグラデーションで表現されていて面白い。なんとなく、蕭白に「可愛げ」を足したような作品だ。

鈴木芙蓉と言えば、《春の江戸絵画まつり》では、2009年【山水に遊ぶ】展の、強風にたなびく那智華厳の滝の絵(『那智瀑泉真景図』)を思い出す。

鈴木其一『荼枳尼天(だきにてん)像』は、とても楽しい。

鈴木其一『荼枳尼天像』
※画像引用

さすが琳派の天才らしい、見事な構成の仏画。全体の構成も楽しいが、キャラクターの一人ひとりもしっかりと造形されていて楽しい。このまま和菓子屋さんの包み紙になりそうだし、とくに、右上の「紙とペンを持って狐にまたがってる男性」だけでスマホケースを作りたいぐらいに魅力的だ!

酒井抱一『文殊菩薩像』も負けてない、琳派のデザイン性!

酒井抱一『文殊菩薩像』
※画像引用

同じ琳派でも、今度は酒井抱一の作品。背後の火焔光背のデザインを始め、全体と部分のデザインがどれも美しく、しかも見事に一体化してる。

〈4章 ほとけの国の人気キャラ〉

曽我蕭白『寒山拾得図』は、やっぱりパンクだ!

曽我蕭白『寒山拾得図』
※画像引用

多くの画家が無茶苦茶に描いてきた『寒山拾得図』だが、曾我蕭白の描く二人は、もういろいろな限界を超えちゃってるように見える。寒山はベロまで出しちゃってる。アインシュタインがベロを出す200年前である。拾得に至っては、笑いを遥かに越えた表情をしている。言葉で表現できない種類の顔をしている。

徳川綱吉『寒山拾得図』は、徳川将軍シリーズの最新作である。

徳川綱吉『寒山拾得図』
※画像引用

三代将軍家光や、四代将軍家綱と来た《春の江戸絵画まつり》の徳川将軍様シリーズの最新作は五代将軍、犬公方こと徳川綱吉の作品である。

このサイズだとわかりづらいが、とくに向かって右の拾得の表情が学食に向かう女子高生みたいに楽しそうな表情だ。そんな絵を、画面の下の方に描いて、おまけに署名もちっちゃく「綱吉筆」と書いてある。綱吉という人の性格だろうか?

白隠慧鶴『豊干禅師・寒山拾得図』は、白隠さんとは思えない緻密な画風。

白隠慧鶴『豊干禅師・寒山拾得図』
※画像引用

勢いのある線で描き殴る印象の白隠慧鶴の作品にしては珍しく、とても丁寧に描いた絵だ。ただし、豊干禅師と拾得がキャラクター的に近しくなっちゃってて、一方で、寒山はかなりまともな人物に見える。この3人にしては、不思議なバランス。おまけに、虎はめちゃくちゃ可愛くて、豊干禅師に対して猫みたいに絡みついちゃってる。

逸見一信『降竜伏虎羅漢図』の迫力は、作者の強い信心から来てるらしい。

逸見一信『降竜伏虎羅漢図』
※画像引用

狩野一信の名前でも知られる逸見一信の作品。一信と言えば、仏教的なヒーローたちがビームを飛ばしたりすることが多く、私の中では武闘派系仏画家としてのイメージが強烈なのだが、図録を読むと、とても信心の篤い人だったという。上の絵もビームはないが武闘派っぷりはフル稼働だ。

歌川国芳『美達 住楼久楽翫』は、例によって全員、当時の歌舞伎界の人気スターたちを、十六羅漢に見立てたらしい。

歌川国芳『美達 住楼久楽翫』
※画像引用

そもそも『美達 住楼久楽翫』というのが「見立て 十六羅漢」の言い換えらしい。なるほど。まさに国芳らしい。

葛飾北斎『布袋図』は、ダークサイドに落ちた布袋なのか?

葛飾北斎『布袋図』
※画像引用

普通はゆるキャラとして描かれることの多い布袋様だが、北斎にかかるとこうなってしまった。あえて言えば、リアル布袋か。

見るからに強そうな風情でも、心が布袋ならそれは布袋だとでも言いたいのだろうか?さっぱりわからないが、この布袋、長めの棒でも渡せばかなり強そうだが、その目の奥には根っからの優しさも透けて見えるような気もする。違うかな?

〈5章 円空の仏像〉

円空『秋葉大権現及び両脇侍立像』は、江戸時代のアール・ブリュットか?

円空『秋葉大権現及び両脇侍立像』
※画像引用

図録では、1674年に志摩市阿児町立神を訪れ、当地に伝来していた大般若経を修復した際に円空が描いた「釈迦説法図」130点を証拠に、円空という人物の造形力とセンスが確かなものだったと断言している。

実際、上の立像三体も非常に少ないカービングだけで、強い記号性を生み出している。この三体の顔の部分には異常にクチバシがついてる一方で、目とおぼしきパーツは、ほぼ柿の種程度の立体2個だけで構成されているが、そこに不足は感じない。

〈6章 涅槃図と動物絵画の時代〉

長沢蘆雪『藤花鼬図』は、可愛らしさと獰猛さが交錯する緊張感。

長沢蘆雪『藤花鼬図』(部分)
※画像引用

現物の絵はかなり大きく、主役である鼬(かわうそ)のサイズはとても小さい。だからとても愛らしくも見えるのだが、この絵の中で鼬が唯一の獰猛な生き物として描かれている。そんな小さな生き物の世界が美しくて、儚い。

円山応挙『雪渓双熊図』の熊は、とても愛らしい。

円山応挙『雪渓双熊図』
※画像引用

現代日本の熊はとても危険な生き物になってしまった。熊が里山まで降りてきてしまったからだが、上の画を見ると、その熊との距離感から、当時の熊は里山までは降りてきていなかったのでは?とさえ思う。実際、応挙の作品には可愛い熊が何度か描かれているが、どれも遠い風景として描かれていたような気がする。

円山応挙『雪中狗子図』は、応挙の手によって日本に「可愛い」が誕生した頃の絵だ。

円山応挙『雪中狗子図』
※画像引用

一匹の子犬がもう一匹を噛んでるのに、噛まれた方の子犬がそのことをまったく気にしていないというのも、応挙が発見した発明のひとつだと思う。それぞれ、マイペース過ぎるのだ。噛まれた子犬はこっちを見て「遊ぼ?」みたいな顔をしているし、噛んでる子犬もこっちに気づいたことで噛んでたことさえ忘れそうである。

さらに、右の白い子犬も遊んで欲しそうだが、少し遠慮してるのか微妙な目線をこちらを見ている。応挙じゃなく蘆雪の子犬なら、こっちには気づかないで後ろを向いちゃってるだろうなと思う。その結果、この子犬のように自意識のありそうな表情はしない。きっと。

そして、長澤蘆雪の『子犬図屏風』には、蘆雪の大好きな「自意識ゼロ」の子犬たちがたくさん群れている。

長澤蘆雪『子犬図屏風』
※画像引用

蘆雪の子犬には葛藤とか、自意識の欠片とかがない。描かれている7匹はそれぞれ、自分のしたいことに夢中で、こちらに人間がいることにまったく気づいてない。唯一、左から4匹目の子犬だけがこちらに気づいているようだが、「あれぇ、そっちになんかいるぞぉ」ぐらいのことしか考えていない。そういう無邪気さこそが蘆雪犬の魅力である。

「ほとけの国」という、ちょっぴり難しそうなテーマから始まった展覧会だったが、最後に、「ほとけの国」では「心を持った動物の絵」の絵がたくさん描かれたという話から、いつもの《春の江戸絵画まつり》らしく、可愛い動物たちがたくさんいる極楽のような展覧会になった!

最後に、こちらも紹介!

府中市美術館に併設するカフェ「府中乃森珈琲店」では、この【ほとけの国の美術】展にちなんだ「ほとけの国のプレート」を提供していた。美味!

カフェ「府中乃森珈琲店」
「ほとけの国のプレート」
2023.3.23

そしていよいよ2025年春の《春の江戸絵画まつり》へ。つまり去年だ!

■19■
春の江戸絵画まつり 
司馬江漢と亜欧堂田善 かっこいい油絵

2025年3月15日〜5月11日

府中市美術館『春の江戸絵画まつり
司馬江漢と亜欧堂田善 かっこいい油絵』チラシ
※画像引用

そして去年のテーマは⋯

近年、江戸時代の絵画の人気が高いと言われますが、ただ一つ取り残された感があるのが「洋風画」かもしれません。その油絵には、ヨーロッパの印象派のような華やかさも、ピカソの作品のような強烈なインパクトもありません。銅版画にしても、小さい作品が多くて、一見地味です。府中市美術館では、二〇〇一年に「司馬江漢の絵画 -西洋との接触、葛藤と確信」展、二〇〇六年に「亜欧堂田善の時代」展を開催しましたが、近年の「春の江戸絵画まつり」ほど多くのお客様で賑わうこともありませんでした。そんな状況のせいでしょうか、他館でも大がかりな展覧会はなかなか開かれず、また、洋風画に関する本が出版されることも稀です。

図録より

そう、金子学芸員が府中市美術館でのおよそ四半世紀の歴史で、そして彼が中心となって作ってきた《春の江戸絵画まつり》シリーズで唯一、大成功を収めることができなかった江戸絵画のジャンルに、ついに手を付けた。

それが「洋風画」!

このあたりに、同美術館での学芸員人生のクライマックスを迎えつつある同学芸員の本気を感じる。

ちなみに「かっこいい油絵」というタイトルは、《春の江戸絵画まつり》シリーズで田善や江漢の作品を展示するたび、観客たちから「かっこいい」「リアル!」と言った言葉が飛んでいたことからだと「まえがき」に書いてあった。江戸時代の洋風画への目線として、とても新鮮な言葉選びだ。

図録の巻頭には、金子学芸員の「楽しすぎる江漢、謎すぎる田善」という文章が載っている。まず、こんな言葉から始まる。

高校の日本史を一所懸命に勉強した人なら、「司馬江漢の代表作は?」と聞かれたら「不忍池図」と答えるだろう。

図録より

この絵だ。

司馬江漢『不忍之池図』
※画像引用

このことが同学芸員は「残念だ!」と嘆くのである。

確かに、江漢のその他の作品を知ってしまうと、なぜこれが彼の代表作として教科書に載っているのか、残念な気持ちになってしまう。

しかも、

日本美術の入門書は数多く出版されてきたが、取り上げられる画家の中で悪口を書かれるのは、江漢くらいだ。ひとことで言うと「稚拙」だというのである。

図録より

同学芸員はこの文章の冒頭で繰り返し嘆いている。

そしてもちろん、司馬江漢とはそんな「残念」や「稚拙」という言葉で終わってはいけない画家だと彼は言う。反証として、同学芸員は江漢の作品の「メルヘンチックな美しさと楽しさ」をあげる。また、デッサンを習ったことがないので西洋画的な人物造形はうまくはなかったが、のちに作り上げた「人物のかわいらしさ」はとても魅力的である、とも。

そう!『七里ヶ浜図』シリーズに登場する、まるで「カールおじさん」のような風情の独特の人物造形は私も大好きである。

司馬江漢『七里ヶ浜図A』(部分)
※画像引用
司馬江漢『七里ヶ浜図B』(部分)
※画像引用
司馬江漢『七里ヶ浜図C』(部分)
※画像引用
司馬江漢『七里ヶ浜図D』(部分)
※画像引用
司馬江漢『七里ヶ浜図E』(部分)
※画像引用

さらに、この展覧会で私自身も痛感させられるのだが、旅日記のようなルポルタージュシリーズも見事である。だから、江漢は楽しい、と。

一方の田善については、謎から始まる。金子学芸員が人生で初めて目撃した2つの田善作品(『吉原土堤の景』『品川月夜図』)を見て受けた衝撃とわからなさの話から始まる。若き日の同学芸員は、これらの作品を素晴らしいと思いつつ、どう受け止めていいか悩んだ、という。

亜欧堂田善『吉原土堤の景』
※画像引用

ここから金子学芸員は、田善の謎すぎる半生について語る。陸奥国白河藩で、父親の職業だった紺屋(染色業者)として人生のほとんどを過ごしてきた田善は47歳になって突然、地元の開明派のお殿様に抜擢されて銅版画家になる。と同時に、お殿様と親交のある谷文晁の弟子になって絵画修業も始めた。そこからドドドドーと怒涛のように、古今東西の絵画スタイルを学ぶことになった田善は、普通の画家とは違って、瞬時に大量の絵画スタイルを学んだせいか、それらが彼の中で独特の融合をしていく。その結果、謎めいた作品が生まれた、と。

そしていよいよ、そんな金子学芸員の想いが詰まった、江漢と田善の二人展が始まる!

〈Ⅰ 江戸絵画と洋風画〉

〈一、江戸絵画入門〉

この展覧会の構成の楽しさとして、最初にまず当時の代表的な流派の作品が掛け軸でズラリと並ぶ。漢画、やまと絵、南蘋派、琳派、浮世絵、円山四条派、文人画、禅画…、そこには若冲、其一、豊広、仙厓ら、《春の江戸絵画まつり》でおなじみの絵師たちの作品が並ぶ。

と、突然、「油絵の掛け軸」が登場する!

いきなりの転調である。
まさに当時の江戸時代の人間の気持ちで「洋風画」に我々は出会う。

下の写真で言うと、右から順番に江戸時代の代表的流派の絵画作品を見てきたと思って欲しい。で、下の写真の右側の掛け軸が見えてきた。これが、円山応挙の『神農図』で、次に見えてきた左側の掛け軸が、太田洞玉の洋風画『神農図』だ。

太田洞玉『神農図』(左) 円山応挙の『神農図』(右)
※画像引用

「神農」とは、古代中国の伝説に登場する農耕・医薬・交易の神様。江戸時代、漢方医の家では神様として崇められた。そんな「神農」を、同時代の画家二人が描いた。右は四条円山派の総帥・円山応挙で、左は、久留米藩の家士出身の洋風画家。同じ神農を描いても、全然違うのが面白い。

なお、太田洞玉の『神農図』は、2011年【江戸の人物画】展の時にも紹介したが、サンタクロース感が強い。

〈二、洋風画とは何か?〉

さらに、石川孟高(もうこう)『犀図』が続く。この絵を見た江戸時代の侍たちは何を思っただろう?

石川孟高『犀図』
※画像引用

こんなのが突進してきたら武士は絶対に勝てない、とか思ったんだろうか?

石川孟高は、洋風画家として活躍した旗本・石川大浪(たいろう)の弟だが、親類筋である小栗家の養子となった。来年の大河ドラマに出てくるかなぁ?

安田雷洲『鷹図』は、嵐が迫る沖合の岩場に屹立する鷹という、まさに「幕末ニッポン!」って感じの絵だ。

安田雷洲『鷹図』
※画像引用

こういった洋風画が、会場では掛け軸としてかかっていた。
そうなると、当時の、つまり江戸時代の和室が見えてくる。
和室の床の間でこの掛け軸を見た人たちはどんな気分でこの絵を見たんだろう、と。

安田雷洲は、この《春の江戸絵画まつり》のスター絵師の一人だ。

小田野直武『大黒図』の最大の注目ポイントは、画面左下、俵のすぐ左側にちらっと見えている一本の横棒だ。

小田野直武『大黒図』
※画像引用

俵の左横にちらっと見えている横棒。これは、江戸絵画史にとって画期的な異物だった。そう、当時の日本の絵画で描かれることがまずなかった「地平線」である。

とにかく、この横棒が江戸絵画に革命を起こしたとも言える。

ただし、秋田蘭画の天才・小田野直武も慣れてなかったせいか、心なしか左に傾いてるようにも見える。まさか、地球が丸いことを知っていた…訳はないと思う。

そして、相変わらず、3Dで描かれた大黒様を見た当時の人たちの気持ちを想像する。今ならさしずめARゴーグル越しの世界。きっと、めちゃくちゃご利益ありそうに感じただろう。

〈Ⅱ 司馬江漢 科学の目と文人の心〉

〈一、浮世絵から中国流へ〉

司馬江漢(1747〜1818)。

九代将軍家重の治世に生まれた。町人の出身。子供の頃から絵が好きで、無名の狩野派に学んだのち、鈴木春信の弟子になって春重と名乗って錦絵を描き、さらに宋紫石に南画を学んだ。

司馬江漢『生花図』 のみずみずしさは抜群である。

司馬江漢『生花図』 
※画像引用

司馬江漢が、南蘋派の絵師・宋紫石の弟子だった頃に描いた作品。朱色の房紐が和の素材なのに、西洋画の小道具のように印象的に使われている。

〈二、洋風画家になる〉

平賀源内に出会ったことで、江漢の人生が変わる。その時期は、だいたい27歳から34歳の頃と思われる。37歳の時、腐蝕銅版画『三囲景』を制作。油絵も描くように。

司馬江漢『円窓唐美人図』は、なんとなくダヴィンチの「モナリザ」を思わせる風情がある。

司馬江漢『円窓唐美人図』
※画像引用

不思議な魅力を持った油絵だ。舞台は中国だろうか?日本で西洋画の技法を使って描いた中国婦人の肖像画。そのせいか、不思議な無国籍感さえ放っている。

司馬江漢『秋景双鳩図』は、抜けるような空が気持ちいい。

司馬江漢『秋景双鳩図』
※画像引用

まるでブルーベリーのような植物の赤い葉っぱの向こうに広がる、抜けるような秋空が爽快だ。そして仲良さそうなつがいの鳩と奥に見える緑色の小山が優しく温かい空気を醸し出してる。

ところで、掛け軸の柱部分のモノグラムみたいなデザインも面白い。

〈三、旅と風景画〉

江漢は油絵で、「空」を強く意識した「風景画」をたくさん描いた。意識的に「空」を描くという文化は、日本美術にはそれまで存在しなかった文法だった。

一方、江漢はこの頃、日本初の詳しい絵入り紀行『西遊旅譚』を描いている。

司馬江漢『七里ヶ浜図』は、展覧会に5枚ほど展示された。

司馬江漢『七里ヶ浜図』
※画像引用

七里ヶ浜は関東の名所だけに、江戸時代だけでも多くの絵師たちがこのあたりを題材にたくさんの絵を描いているが、江漢は本当にたくさんの絵を描いているらしい。そのたびごとに、浜辺のカールおじさんを(冒頭にも描いたように)どんどん変えた。また、それ以外にも風景の構成、波の具合など、彼は本当に様々なバリエーションでこの絵を描いている。今回の展覧会にわずか5枚展示されたバリエーションを見ているだけでも、その冒険はまるで、彼の「西洋画との孤独な戦い」に見えた。

司馬江漢『三囲之景』も、「空」が印象的だ。

司馬江漢『三囲之景』(1787年)
※画像引用

銅版にあとから筆で着色した作品だろうと思う。江戸時代のひねもすのたり感が見事に描かれている。画面上部の「MIMEGULI景之囲三」という地名表記のスタイルがもろに西洋画っぽい。

ちなみに、この作品の4年前に江漢が初めて作った腐蝕銅版画である『三囲景』が、こちら。

司馬江漢『三囲景(みめぐりのけい)』(1783年)
※国立国会図書館蔵
※画像引用

この4年前の作品と比べると、遠近感を強調したアングルや、思い切り大きくとった空の大きさなど、表現力がずいぶん進化しているように見える。

「三囲(みめぐり)」というのは、東京都墨田区向島にある「三囲神社」のあたり。上の図は今ならさしずめ、言問橋越しに隅田川を望んで右奥にスカイツリーが見えているような風景か?

司馬江漢『寒柳水禽図』は、まるで世紀末の大地のようだ。(嘘だけどw)

司馬江漢『寒柳水禽図』
※画像引用

実はこの絵、私は個人的に大好きで、以前この絵についてこんなことを書いている。

冬枯れの湖畔。一本の枯木のまわりにトキとアオサギとカワセミがいる。湖の遠くの岸には、明らかに西洋風の比較的大きな街が見える。そんな遠くの街とこちらの岸とを結んでいる一艘の小舟も見える。空には曇天が広がり、これだけ野鳥が勢揃いしていながら、ちっとも開放感がない。でも、アオサギなんかは偉そうにしているし、トキはマイペースだし、カワセミはただただ楽しそうである。見ようによっては、鎖国時代の日本を描いているようにも見えるが、そんなことより、絵の中に溢れてるアンバランスさが面白い。

注目したいのはなんと言っても、奥の方にちらっと見える、キリコの絵にでも出てきそうな、不思議な無国籍の街だ。この無国籍な街のせいでなんとなくこの絵は、人類が死滅した後の近未来風景にさえ見えたりする。

とにかく面白い絵である。

私の過去noteより

江戸時代に孤独に洋風画を独自開発しながら江漢という画家は、どんどん表現力をつけていったように見える。

司馬江漢『西遊旅譚』は、「日本初の詳しい絵入り紀行」だ。

司馬江漢『西遊旅譚』
※画像引用

1788年から翌年まで江戸を発って長崎に向かった江漢の旅を、絵入り紀行本としてまとめたのが『西遊旅譚』だ。この展覧会でも、捕鯨場面など、一部をちゃんと読めるように展示してあった。とても魅力的な文章と絵の組み合わせが楽しかった。

〈四、宇宙を考える文人〉

司馬江漢作『阿蘭陀茶臼』は、現物を見てニヤニヤしてしまった。

司馬江漢作『阿蘭陀茶臼』
※画像引用

展覧会場で『西遊旅譚』の次に紹介されいたのが、コレだった。たぶん「おらんだちゃうす」と読む。見てもらえばわかるように、コーヒーミルである。江漢の自作。てことは、江漢も珈琲を飲んでたってことだろうか?今でも使えるそうだ。一度、これで珈琲豆を挽いてみたい。

司馬江漢『天球全図』から、江漢のもうひとつの顔が見えてくる。

司馬江漢『天球全図』
※画像引用

大槻玄沢ら蘭学者たちとの交流も盛んだった江漢は、自身も様々な西洋学を学んでいたようで、地動説を紹介する本なんかも出版している。『天球全図』は太陽系の諸天体の運行を説明した本。展覧会でも丁寧に紹介されていた。

上の図は、右手に書いてあるように「太陽」らしい。プロミネンスやフィラメントがちゃんと描かれている!

〈Ⅱ 亜欧堂田善 技術の創造的成熟〉

〈1、松平定信との出逢い〉

ここからは、亜欧堂田善について。

司馬江漢が平賀源内との出会いによってその人生が変わったように、亜欧堂田善は松平定信との出会いによってその人生が大きく変わった。松平定信とは、あの、日本史の教科書なら「寛政の改革」でおなじみの、そして、大河ドラマ「べらぼう」なら俳優の井上祐貴さんが印象的に演じた、あの松平定信である。世間的には守旧派の象徴のように扱われることが多い定信だが、実際は学級肌で開明派の殿様だったそうで、地元の白河藩でも蘭学などを非常に勉強していた。そんな定信が「寛政の改革」に破れ、白川藩主の座に戻った直後の1794年、紺屋だった田善を、銅版画を学んでもらうべく抜擢し、まずは、定信と深い交流があった人気画家・谷文晁の元に送った。

田善、47歳の頃。

〈2、初期の作品〉

孤独に洋風画と戦った江漢と比べると、すぐ横に開明派のお殿様がいた田善は恵まれていた。幕府で老中首座まで勤めた白川藩主・松平定信のもとには、西欧の資料から道具まであらゆるものが豊富に揃っていたからだ。そのせいもあってか、田善の銅版画の腕は見る見る上昇する。

亜欧堂田善『佃浦風景』は、波の表現に驚く。

亜欧堂田善『佃浦風景』
※画像引用

佃浦ってことは、今の佃島あたりだと思う。田善の初期作品らしく、微妙な表現も目立つが波頭の表現がちょっと凄い。かなりターナーしちゃってる。構図自体はあまりにもざんないが、荒れる海の前で喧嘩する犬という題材はとても魅力的だ。

亜欧堂田善『エイタイハシノツ(永代橋の図)』は、肝心の永代橋よりも「昼下がりの女子トーク」が主題になっている!

亜欧堂田善『エイタイハシノツ(永代橋の図)』
※画像引用

亜欧堂田善が、当時の大人気メディアだった「浮世絵」と張り合うようにリリースし始めたのが、この風景銅版画シリーズだった。

この絵の面白さはなんと言っても、主題であるべき「永代橋」が左奥にちらっと見えてるだけで、この絵はほぼ、右手にある団子屋(?)の前で油を売ってる妙齢女性二人の団子を食べながらの女子トークを見せることにある。とくに向かって左側女子の両足がご機嫌に左右に揺れてる感じが最高だ。

あと、絶対に読みづらそうな立て看板の前に立ってるおじさんがちゃんと読めてるのかも気になるが、それ以上に、画面真上の「エイタイハシノツ」という地名表記も気になる。独特のフォントで、しかもカタカナ表記にすることで、独自の世界観を出そうとしているようだ。

亜欧堂田善『レウコクハシ(両国橋)』は、パノラマ感が楽しい。

亜欧堂田善『レウコクハシ(両国橋)』
※画像引用

同じシリーズの「両国橋」は、茶屋のサンルームのような部屋から見える隅田川の川幅が実尺(170m)よりも遥かに長く見える。おかげで、かなり爽快な風景だ。ついでに、中央の鯛と女将の扇子もちょっと大きすぎるw

亜欧堂田善『品川月夜図』は、「夜」に吸い込まれそうだ。

亜欧堂田善『品川月夜図』
※画像引用

田善得意のパノラマ感もいかしつつ、夜と海と室内の表現の対比が見事だ。

1985年、田善の故郷・須賀川の市立博物館で、人生で初めて田善作品のひとつとしてこの銅版画を見た金子学芸員は書いている。

黒い銅版画の線が無数に引かれていて、とにかく画面の中に「夜」がある。果てしなく深い闇が表されていることは間違いないが、ただリアルというわけでもないし、墨で描いた夜とも違う。インクで作り出している、言葉に表せない世界である。

図録より

この詩的な一文から、金子学芸員の田善への尽きない興味が始まったようだ。

<3、江漢とは異なる世界へ>

さて、田善はその後半生で銅版画の力量をどんどん進化させていく。油絵も含めて、田善の作品からは「何となく愉快」が滲み出ていると金子学芸員は書いている。

さらに、同学芸員は田善作品の「何となく愉快」な感じを、登場人物たちの奇妙なポージングにあると睨み、さらに、田善が定信に会う前の若い頃に習ったとも言われている伊勢の画僧・月僊の影響でそんな不思議なポージングが生まれたのでは?と推測している。

亜欧堂田善『三囲雪景図』 は、静かに美しい。

亜欧堂田善『三囲雪景図』
※画像引用

おそらく、司馬江漢が描いた「三囲」を反対の北側から見た風景だろう。ということは、奥に見えるのが浅草寺のあたり、右奥が吉原か? そんな都心部に向かう土手の、雪の日の静かな味わいが趣深い。

亜欧堂田善『両国図』は、気だるい午後の繁華街?

亜欧堂田善『両国図』
※画像引用

この絵はたぶん、ある午後の江戸両国界隈のリアルな風景だろうと思う。いまどきの風景に見立てると、大都市の中心街に、人気スポーツのプロ選手がいて、歓楽街のお姐様たちがいて、黒服男子がいて、マリンスポーツ系の娯楽施設が揃っていてという、なかなかにバブリーな、けだるい午後の風景がその空気感とともに描かれている。面白い。

亜欧堂田善『驪山比翼塚』は、かなり異常な絵だ。

亜欧堂田善『驪山比翼塚』
※画像引用

このサイズだとわかりづらいが、二人の人物の背後には、数人分の遺体が転がっている。しかも、かなりスプラッターな状態である。そんな損壊遺体の前には、刀を持って奇妙なポーズを決める二人の男性がいる。とくに、向かって左側の人物は、怪しく笑いながら、不思議なポーズをとっている。ちょっとふざけているようにさえ見える。向かって右の男のポーズもかなり奇妙だ。

これは、いったい何の絵だ?

まったくわからない。

ヒントがあるとすれば、二人の上に浮かぶアルファベットぐらいだ。

LISAN FIJOKOE TOEKA
BANDSOEI TUOBEY
SILAI GONPATI

まったく意味がわからない。
あ、でも、待て、「SILAI GONPATI」って、もしかして「白井権八」!?

それに気づくと、すべてわかった。

驪山比翼塚(リサンヒヨクツカ)
幡随院長兵衛(バンズイインチョウベイ)
白井権八(シライゴンパチ)

そう、幡随院長兵衛と白井権八が登場する歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「驪山比翼塚」である。「めぐろやまひよくづか」とも読む。

コレだ!

この絵の幡随院長兵衛(たぶん左)や白井権八(たぶん右)のポージングも異様である。このあたりの背景を、金子学芸員は、田善が松平定信に会う前に習ったと言われている伊勢の画僧・月僊の影響ではないか、と書いている。

ちなみに、月僊はこんな絵こんな絵を描いてた人だ。

<4、須賀川と田善>

人生の後半を白河城下〜江戸で活躍した田善だが、晩年は故郷・須賀川に戻って過ごした。そんな須賀川の町は、田善のことを今でも大切にしていて、彼の名前がそれほど著名ではなかった時代も含め、彼の作品の多くをこの地で大切に守ったという。

関係ないが、そんな田善の子孫の一人に昭和の特撮監督・円谷英二がいる。

石井雨考撰・亜欧堂田善画『陸奥国石川郡大隈滝芭蕉翁碑之図』は、水の表現が凄まじい!

石井雨考撰・亜欧堂田善画『陸奥国石川郡大隈滝芭蕉翁碑之図』
※画像引用

田善が故郷の風景を描いた銅版画だが、この複雑な水流の風景を表現するために技術の限りを尽くして濃淡を描いている。展覧会では、現在の銅版画家・岸中延年さんの協力を得て、その再現動画も展示されていた。

さて、以上で2025年春の【かっこいい油絵】展についての紹介は終わる。

■■■

以上で、
毎年春に府中市美術館で四半世紀近い期間に開催されてきた《春の江戸絵画まつり》歴史を図録を頼りに追いかける旅が終わる。

こうやって見てくると、いろんなことがわかってくる。
毎年春に《春の江戸絵画まつり》が開催されるたびに、新しい扉が開かれていく。これについては、私のこのシリーズが完結する前に、集英社新書プラス「プラスインタビュー「長沢蘆雪」展 江戸絵画も「かわいい」が正義」という金子信久学芸員へのインタビューが載っていて、まさに《春の江戸絵画まつり》と今回の【長澤蘆雪】展との関係について書かれている。

今の「江戸絵画まつり」の内容的なスタートになっている、「動物絵画の100年」という展覧会が重要だったんだなと思いました。

集英社新書プラス

私のnoteシリーズでは、《春の江戸絵画まつり》がいつから始まったかが判定できなくて、ひとまず「金子学芸員が担当」✕「春開催」という2条件から2005年の【百花の絵】展を《春の江戸絵画まつり》先史時代の起点に語り始めて、まさに2007年【動物絵画の100年】展のブロックで「ここから《春の江戸絵画まつり》の先史時代はかなり明確に、ひとつの方向に向かっていく。」と書いている。だいたい当たっていたようだ。

具体的には、とある画商から虎の絵を見せられて、それをきっかけに「江戸絵画/動物絵画」という当時としては斬新なテーマで展覧会を開くことで、知識じゃなく理屈じゃない「本に出てこないような絵の面白み」がたくさん見つかるような展覧会を開きたい。そんな理由からこの《春の江戸絵画まつり》が生まれたという。noteにも書いてあるように、正式にポスターに《春の江戸絵画まつり》の言葉が載るのは2012年【三都画家くらべ】展からだ。

このインタビューを読みながら、《春の江戸絵画まつり》は展覧会を開催しながら次の課題、次のテーマが見つかっていくような流れだったというのは、このnoteシリーズで想像しながら書いてたことに近い状態だったようだ。また、私もこのnoteを書きながら追体験したように、次々と注目画家も増えていく。

円山応挙、伊藤若冲、長澤蘆雪、曾我蕭白、森狙仙、葛飾北斎、歌川国芳、司馬江漢、与謝蕪村、池大雅、白隠慧鶴、仙厓義梵、鈴木其一、酒井抱一、谷文晁、英一蝶、冷泉為恭、亜欧堂田善、岸駒、小田野直武、風外本高、中村芳中、耳鳥斎、狩野一信、原在中、宋紫石、宋紫山、安田雷洲、小泉斐、太田洞玉、祇園井特、徳川家光⋯などなど、江戸絵画のスター名鑑がどんどん分厚くなっていく。

そして、《春の江戸絵画まつり》の最終回は、現在開催中の【長澤蘆雪】展である。府中市美術館で四半世紀活躍してきた金子信久学芸員は、実はこの展覧会を最後に勇退される。なので、この展覧会が金子学芸員が作った最後の、そして集大成の展覧会になる。

府中市美術館 金子信久学芸員

是非、行こう!

■20■
春の江戸絵画まつり 
春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪展
FINAL!!!

2026年3月14日〜5月10日

府中市美術館『長澤蘆雪』展
2026.3.14-5.10

2026-04-04









いいなと思ったら応援しよう!