【西遊旅譚/司馬江漢】(18)平戸を発し唐津・伊万里を経て福岡に至る
『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。
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正月八日は平戸島を發して、田比羅の渡 一里。夫より御厨へ三里、又、行事 一里にして、調川と云所、社人の●舎に宿す。甚の山中也。此路、海岸をめぐりて風景よし。調川より行事 一里、志作村。こゝを過て、今福へ二里、なめりばえといへる所を経て、久原まで四里あり。皆、入海を眺。又、ゆく事 三里、伊万里に宿す。此主は鍋島■(■は厃+天)の領地にして、焼物を出す。大河内山、有田山、此山中にて焼出す陶器、日本國中にいだす。
※ 「夫より」は、それより。
※ 「行事」は、行くこと。
※ 「志作村」は、志佐村のことと思われます。参考:『大日本道中明細記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「なめりばえ」は、滑栄。参考:『大日本道中明細記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「鍋島■」は、鍋島矦(侯)。佐賀藩(鍋島藩)の藩主。

十日、風雪にて寒し。此路、山多し。屋舗野村、山の半に見ゆる。此所は、唐津と伊万里の ●● なり。それより徳末にいたる。此あいだ三里あり。濱崎と云所に宿す。此辺山多し。

調川より御厨の間、七ツ島あり
有田山 佐賀山 唐津山 ハゼ村

大河内山 此山、三里のぼりて焼物を作る
クスク村 クキ島 牧島
※ 「クスク村」は、楠久村のことと思われます。

志作より今福の間 北の方を眺
丈島 ホシカノ浦
鮪樓、海中に有を「浮セイロウ」と云
※ 「ホシカノ浦」は、星鹿浦。参考:『大日本道中明細記』(国立国会図書館デジタルコレクション)

今福の方へ行路より眺 壹州
※ 「壹州」は、壱州。壱岐国のこと。

十一日、徳末を發して行事 二里半、吉井村に至り、吉井川有。渡て、濱辺に出る。右は西海、唐津の城、海湾を隔て見ゆる(水野■六万石の城下なり)。又、行事 一里半、深江に至り、二里を過て前原といへるに宿す。此間、筑前雷山の下をとをる。山のかたち、唐画の如し。谷/\に雪の斑に降て白し。頂に不動堂あり。又、瀧あり。
※ 「水野■」は、水野矦(侯)。司馬江漢が旅をしたときの唐津藩の藩主。
十二日、前原を出て、行事 二里、今宿に至る。又、行事 二里にして、姪の濱といへる所、人家(じんか)続て、一里過れば、福岡なり(黒田■五十万石の城下なり)。夫より行事 半里、博多なり。冨商多し(昔、唐船の入津したる所なり、博多織は●京にて製す、今は其製なし)。
西の方、海にて、南は山にて、■土(■は火+爰)なり。橙、家々に植(常に酢にもちゆ)。風景、石斛おのづから山谷に生ず。又、石炭を出す。
※ 「黒田■」は、黒田矦(侯)。福岡藩の藩主。
※ 「夫より」は、それより。
※ 「石斛」は、ラン科の常緑多年草。
正月十五日、此地に留りて「松林」といふを見る。扨、當日、家/\戸ごとに酒肉を設祝ふ事也。しかるに、博多町人、麻の肩衣を着、下は裁付をはき、其上に三尺手拭をしめ、頭に頭巾を載、草鞋をはき、福岡の城内に入、
※ 「扨」は、さて。

玄関に至、酒をのみてかへる。是を「松林」と云也。いかなる所謂とたづねければ、いにしへ博多は唐船の渡海して、今の長崎の如し。福岡の領地にあらず。故に、其時の風流、今に存せり。近世は、踊屋臺、或、ねり物等を出す。櫛田の祠、博多第一の大社なり。柳町などいへる色町あり。
※ 「踊屋臺」は、踊屋台。祭りのときに、車の上に破風造りの屋台をしつらえて、娘・子どもの手踊りを催すもの。


十六日、博多を出て箱崎へ半里有。姪の濱有。是迄、人家続く。箱﨑八幡、夫より松原を通て、青柳と云へ四里。此間、海の中道見る。藍島、残の島見て、景佳。又、山中に入、二里を過て、畝町と云宿有。行事 二里、赤間に宿す。
※ 「藍島」は、相島(福岡県糟屋郡)のことと思われます。
※ 「残の島」は、能古島(福岡県福岡市)のことと思われます。

もろみ河にかゝる橋 七十間余
作賀山 筑前山 かさなりて皺茂し
※ 「もろみ河」は、室見川のことと思われます。
※ 「作賀山」の「作」は「佐」で、佐賀山かもしれません。

松林
博多町人福岡に行
参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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