【長澤蘆雪展】開催記念!《春の江戸絵画まつり》って何だろ?②
府中市美術館で毎年春に開催、この春の『長澤蘆雪展』で最終回を迎える《春の江戸絵画まつり》について、私なりに図録を読みながら辿ってみたnoteの第2回目は、同美術館2013年の展覧会から始まる。
2013年春と言えば大震災から2年目、ちょうどNHK朝の連ドラでクドカン脚本、能年玲奈(現のん)さん主演の『あまちゃん』が始まった頃だ。

世間で「じぇじぇじぇ!」とか言ってたこの春に、第1回【三都画家くらべ】に続いて、いかにも《春の江戸絵画まつり》らしいタイトルの展示会が開催された。その名も!
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かわいい江戸絵画
(2013年3月9日~5月6日)

※画像引用
2011年春の【江戸の人物画】の章タイトルとして「かわいい」が初登場してから2年、《春の江戸絵画まつり》というシリーズ名がついて第2回目にして、ついに展覧会のタイトルに「かわいい」がついた!
その名も「かわいい江戸絵画」。たぶん、ではあるが、「江戸絵画」に「かわいい」という形容詞をつけた展覧会は日本美術史上初めてなのではないか、と思う。金子学芸員の「かわいい絵の論理と歴史」という宣言的文章と、音学芸員の「応挙の子犬」という文章から始まる。第2回目にして《春の江戸絵画まつり》は本格稼働を始めたように見える。
金子学芸員は語る。

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枕草子の中には「うつくしきもの」として「かわいい」という感情がすでに表現されている。だが、「かわいい絵」はまだ存在しなかった。そもそも当時の絵とは「心で感じたもの」を表現するためのメディアではなかったからだ。しかも、「かわいい表現」がまだ存在しなかったからだ。この2つの条件が揃った時に「かわいい絵」が登場する。
そこでこの展覧会では「かわいい」につながる様々な「心で感じたもの」を表現していく展開を紹介したり、丸や四角など「極端に単純化した形」、あるいは、「同じ形の繰り返し」、さらに「つたない形」の中から、日本の絵画史に「かわいい絵」が誕生していくという技術論を展開。そして最後に「かわいい絵」の黄金時代へと話は進む。そんな、とっても楽しくて「かわいい展覧会」である、と。

円山応挙『狗児図』のリアル版
<幕開け>
「かわいい絵の時代」はいつから始まった?
いきなり、こんな絵から始まる。

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「伊念印」とは著者名ではなく、印鑑の名前である。これは江戸時代前期の絵師・俵屋宗達が主宰した工房「俵屋」の作品に使用された印章で、この印が押された作品は、俵屋宗達やその周辺画家が描いたものとされている。俵屋宗達と言えば、『風神雷神図屏風』の人である。その俵屋ブランドの絵師たちが描いた、この「可愛すぎる虎」に驚く!
続いて、こんな絵が登場する。

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今度は、こっちに向かって「はにゃ」とか言ってそうな布袋様である。
実はこの作品の作者は、尾形光琳。
光琳と言えば『紅白梅図屏風』の人である。
そう、今回は徹頭徹尾、こんなかわいい絵だらけの展覧会である。
<感情のさまざま>
なぜ、かわいいのか?
〜健気なもの〜
英一蝶『瀑布獅子図』は、獅子が滝に打たれているのだが、なんとも複雑な顔をしている。きっと意に沿わない何かの理由で滝に打たれてるらしい。獅子がそんなになってる理由って何だ?ということを考えてるだけでニヤニヤしてしまう。それぐらいに獅子の表情がモヤモヤしてるのだ。
ただし、この作品の画像はネットを探しても見つからなかった。それだけでなく、今回はネットでその画像が見つからない作品が多い。
〜慈しみ〜
森狙仙『茶樹母子猿図』は、木の上の二匹の猿が描かれている。どうやら母子のようだ。子猿はまだ幼く、母猿の背中に無邪気に体重を預けたまま、宙を舞う蜂を興味深そうに見つめてる。母猿は蚤取りに余念がないが背中でしっかりと子猿を感じてる。
猿など動物をお得意とする森派らしくリアルな猿を描きつつ、感情の動きまで描きこんでいる。残念ながらネットでこの画像を見つけることは出来なかった。といのも、森狙仙の描いた猿の絵があまりにも膨大すぎるからだ。似た絵は見つかっても、同じ絵に当たることはまずない。
〜小さなもの、ぽつねんとしたもの〜
池大雅『鼓を打つ動物図』も面白い。烏帽子を被り袴を履いたネズミが手に鼓を持ったまま、不思議そうにその鼓を見つめている。どうやらこれをどう扱っていいのかわからないようだ。もしも彼が普通のネズミだとしたら、そりゃそうだろう。烏帽子を被り、袴を履き、鼓を持たされたとしても、鼓でいったい何をすればいいかなんて、ネズミにはまったくわからない。そう思うと、楽しくなってくる。ミッキーマウスならドラムぐらい簡単に叩いてしまいそうだが、残念ながらこの絵のネズミはただのネズミだ。
この絵もネットで見つからず。私は大好きだが、風景画を得意とする池大雅の作品の中で、この絵が特別に扱われる回数はそれほどないからだ。
森一鳳『豆兎図』の兎は、ふっくらと膨らんだ体躯、細すぎる四肢、くるんと丸い尻尾、そして、絶妙な首の角度と濡れたその瞳を見てるだけで、抱きしめたくなる。名前でもわかるように、一鳳もまた、江戸時代の動物画家最強集団である森派の一人だ。この絵もネットにはないなぁ。これ、かなり素敵な作品だと思うんだけど。
さらに、蠣崎波響『大黒天図』も素晴らしい。大黒様が打ち出の小槌を振ると、小槌からスター・ウォーズのレイヤ姫のように、ネズミの大名行列が現れるという不思議な絵だ。作風的には、応挙と蘆雪の味わいをどっちも吸収しちゃってる感じ。
ちなみに、この作者の本名は蠣崎廣年と言って、松前藩藩主の異母兄にして、家老だった人。そう、NHK大河ドラマ「べらぼう」で、芸人ひょうろくさんが演じていた松前藩の家老である。当然のように、この絵もネットでは見つからず。そりゃそうだろう。今回はそんな、普段はそれほど騒がれないが、府中市美術館の学芸員たちが「かわいい!」から選んじゃった作品ばかりだから。
〜純真、無垢〜
酒井鶯蒲(さかい・おうほ)『張果老図』にはやられた。中国の有名な仙人である張果老さんが後ろ姿のまま、ジャジャーンって感じで両手で瓢箪を頭上にあげている。そして、その後ろ姿を描いた曲線がとっても生き生きしているために、見ているだけで惚れ惚れする。なお、鶯蒲は、酒井抱一がもっとも認めた弟子。残念ながら、この絵もネットでは見つからず。
喜多川歌麿『山姥と金太郎』も大河ドラマ「べらぼう」繋がりで見ると胸が熱くなる。俳優・染谷将太さんが演じた喜多川歌麿は報われることのない屈折したマザコンとして描かれていたが、この絵にはそれに似た切なさがある。さすが歌麿!この絵はネットですぐに見つかった。

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仙厓義梵『寿老人図』は、意味的にかなり謎めいた絵なのだが、描かれている寿老人も子供も、気持ちいいぐらいにピュアで可愛い。
池大雅『南極老人図』のパワーが凄い。まず、「南極老人」という聞き慣れない言葉に驚くが、この老人、実は寿老人や福禄寿の原型だという。ただ、気をつけるべきは、その表情である。なんとも言えない笑顔でこっちを見ている。そして、この《春の江戸絵画まつり》で学んだことだが、江戸絵画の登場人物が鑑賞者のいるこちらを見ている時は、ちょっと気をつけた方がいいかもしれない。

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〈かわいい形〉
「かわいい」には原理がある?
〜幾何学・省略・繰り返し〜
曾我蕭白『唐獅子図押絵貼屏風』は、「獅子は我が子を谷底に落とす」という例の故事を描いた絵だが、描いたのが蕭白だからいろいろ普通じゃない。

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まず、登場する生物がそもそも獅子なのか?と疑問になるようなシロモノである。でも、どこか、可愛げがある。金子学芸員はその理由を、円形を繰り返しているこの生物の造形にあるという。なるほど。
そして、個人的にはこの異形の親子がまん丸な目玉で見つめ合っているところがなんとも愛おしい。でも、落下していく獅子はあっけらかんと落ちていく。そんな、不思議な親子愛と残酷さのある絵だ。
伊藤若冲『東方朔図』の顔の造形は、ほぼヒョウタンツギのような造形だ。
耳鳥斎(にちょうさい)『戯画図巻』は、ほぼ漫画だ。おまけに巻物の特性を活かして、横スクロールで笑いをとろうとしたりもしてる。そんな中に魚をくわえて走る猫が登場するのだが、追いかけるのはサザエさんではなく、裃を着て刀をふりあげて走る武士なのが江戸時代である。横スクロールしていくと、魚をくわえた猫の向こうに、おごそかに仏像に金箔を貼っている仏師たちがいる。そこにまもなくお魚くわえた猫が来る。その行く末や、いかに!?
伊藤若冲『托鉢図』と中村芳中『托鉢図』が並んでいるのも面白い。

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芳中の托鉢僧たちは綺麗に一列に並んでおり、みんな大笑いしている。若冲の托鉢僧たちは不思議な形で集まっており、みんな無表情である。この差が面白い。芳中はもしも大勢の托鉢僧が笑いながら行列でやってきたら?という提案であり、若冲はもしも大勢の托鉢僧が無表情で意味のわからない配置でズラっといたら?と提案している。モチーフは似てるが、狙っているユーモアが違う。
仙厓義梵『義経と弁慶図』も絶対にネットには画像がないだろうなと思ったら、やっぱりなかった。五条大橋の上、牛若丸がピョーンと弁慶の上を飛び越えた。弁慶は「こしゃくな、牛若丸!」と怒る前に、そんな義経の行動にビックリしていたという顔で牛若丸の後ろ姿を見送っている。わかる、わかる。という弁慶だ。
〜子供の形〜
仙厓義梵『大黒天図』の大黒様は、3頭身ほど。そういう意味ではSD大黒様だ。その表情はほぼ赤ん坊である。

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仙厓義梵は、江戸時代の臨済宗の禅僧。楽しかったり謎だったりする禅画の大家としても有名。
〜つたなさの魅力〜
白隠慧鶴『すたすた坊主』は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である白隠さんがしばしば描いた人気キャラクターだとばかり思っていたが、図録によると、そういう職業(?)がかつて実際にあったという。しかも、この絵のように裸で歌い踊ったそうだ。そりゃ楽しそうだ。

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白隠慧鶴は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。多数の禅画を残したことでも知られる。
〈花開く「かわいい江戸絵画」〉
かわいい絵の時代〜
〜虎の悩ましさ〜
本来は怖い動物であるはずの「虎」だが、江戸時代の画家たちにしばしば可愛らしく描かれた。その理由ははっきりしている。江戸時代の画家たちは誰一人、本物の生きた虎を見たことがなかったからだ。画家たちは中国の絵と、虎皮だけをヒントに虎を描いた。しかも、たまたま近場には猫という虎によく似た生物がいたせいもあって、画家たちの描く虎はどうしても可愛いくなりやすかった。
すべてのものをリアルに描こうとした「写生の王様」円山応挙は「虎」を描くために虎皮を丁寧に模写した。それが円山応挙『虎皮写生図』だ。

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その結果、どこか愛嬌のある『虎図』が生まれた。

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一方、長澤蘆雪『四睡図』の虎は、ただもう可愛くて仕方ない。こんな虎なら一緒に寝たい。

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菅井梅関『虎図』の虎の表情は可能な限り恐ろしい。が、ポージングはどう見てもその辺の猫の寝起きである。ちっとも怖くない。

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宋紫山『虎図』の虎は、ぶっちゃけ、猫より可愛げがある。

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なんだろう、この、ピクサーの新キャラだと言われてもそれほど違和感のないこの造形は!虎を知らないのにも程がある!というよりもたぶん、どうせ誰も知らないなら!と勝手に創作しちゃった感じさえする。
〜応挙の子犬、国芳の猫〜
円山応挙が発明した「可愛い子犬の絵」は、現在、とんでもない数の作品が見つかっている。それぐらいに当時、大人気のモチーフだったんだろうと想像される。精緻に写生することで有名な応挙のはずだが、子犬だけは、表現が一歩だけはみ出している。そう、可愛さが精緻さを追い抜いている。

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そんな応挙の「可愛い子犬」を弟子の長澤蘆雪がさらに進化させた。そんな蘆雪の『狗子扇面』は、その究極のカタチかもしれない。

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私はこの作品で描かれた犬こそ、蘆雪犬(蘆雪の描く子犬のことを関係者はこう呼ぶ)の中でも、もっとも蘆雪犬らしい作品だと思っている。
あえて言えば「ゆるかわいい子犬」、それが蘆雪犬のアイデンティティである。蘆雪犬は、可愛いだけじゃなく、ユルい。いや、ユルすぎる。だらしがない。まったくどうしようもない。だから、可愛いのである。
さて、今度は猫である。
「子犬の応挙」と並ぶ江戸の動物画家と言えば、「猫の国芳」である。
そんな歌川国芳の『猫と遊ぶ娘』は、猫と若い女性飼い主の関係を見事に表現している。

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形状からもわかるように団扇に貼るための「団扇絵」だ!
この絵の中で飼い主の女性は、愛猫を可愛がってる「可愛い私」を(画面右端に本来は見えているはずの)鏡に映しているのだが、猫はとっても迷惑そうである。右の後ろ足の様子がそれを如実に物語っている。でも、飼い主はそのことに気づいていない。ちなみにおよそ100年後に藤田嗣治がパリでこんな絵を描いているw
〜かわいい名画選〜
あの、泣く子も黙るあの日本美術史上に燦然と輝く名作『風神雷神図』の作者である俵屋宗達の描いた『犬図』がコレ。

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ちょっと笑ってしまう。でも、しょうがない。まだ「応挙の子犬」は発明されていないから、宗達なりに可愛い子犬を描いてみた、という感じだ。いやいや、きっと「応挙の子犬」発明前の時代なら。これだってかなり可愛かったのではないか?だって、まだ折れてる耳の感じとか、右前足の感じとか、尻尾の感じとか、ちゃんと可愛い。でも、顔はどうだろう?私には、すっとぼけたおじさんの顔にも見える。
続いて、森狙仙『鹿猿猴図』は見事過ぎる。

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鹿の背中に乗った猿はやりたい放題だが、一方の鹿はされるがままにさせながらも軽く嫌がってる、ようにも見える。微妙な二匹の関係が面白い。
そして、歌川国芳『猫のすゞみ』。

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夏の夜の隅田川、屋形船の船頭たちが芸者衆を船に迎える瞬間を描いているのだが、なぜか全員猫である。でも、細かいの仕草のひとつひとつがちゃんと猫だったり、ちゃんと人間だったりしている。まるで、最新のモーションキャプチャーで人間から猫に動きを映しとったようである。でも、そんな自動化を越えた表現がこの絵にはある。
金子学芸員も書いている。
冷静に言えば「猫の擬人化」であるが、それでは物足りない。猫世界の赤裸々な風俗画とでも呼びたいところである。
まさに!!!
そして、狩野栄信『月に渡兎図』、これは最高だ。大海原の上を駆ける二匹の兎を描いているが、まあまあリアルなのに可愛くて幻想的だ。波の感じもちょうどいい。すべてがちょうど気持ちいいのサイズ感のファンタジーになっている。幕府の奥絵師もこんな絵を描くんだ!?この絵の画像はネットでは見つからず。
仙厓義梵『猫に紙袋図』は、文字通りである。丸裸の幼児と、そんな幼児に紙袋をかぶせられて慌てて飛び上がった猫が描いてある。その横には「見んかー」の文字。これはどうやら、幼児の言葉らしい。たぶん「見てー!」みたいな意味だと思う。20本ぐらいのざっくりした短い曲線だけで、描きたいことがすべて描きこんである!

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長澤蘆雪『唐子遊図屏風』は、無量寺のものに似てるが、別の作品。そして、無量寺のそれとは違って、子犬は描かれていない。でも、絵の完成度は高い。これも、ネットで見つからず。
伊藤若冲『河豚と蛙の相撲図』は、とにかく楽しい。

何が楽しいと言って、この河豚(ふぐ)がこの瞬間になるまでどうやって戦ってきたのかを想像すると、途端に楽しくなる。普通は海で泳いでる河豚がどうやってここまで戦い抜いのたのか?そして、そんな戦い方不明の謎の生物と戦わされている蛙の切なさも可愛かったりする。どっちにしてもこのあとの展開がまったく読めない。
ついに展覧会タイトルに「かわいい」を入れた《春の江戸絵画まつり》、果たして次はどんな展開になるんだろう?
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春の江戸絵画まつり 江戸絵画の19世紀
2014年3月21日~5月6日

『春の江戸絵画まつり 江戸絵画の19世紀 』チラシ
※画像引用
「ごあいさつ」は、こんな言葉から始まる。
近年恒例となった「春の江戸絵画まつり」には、いつも多くのお客様にご来場いただき、本当にありがとうございます。
今回で第3回目、どうやら人気シリーズに育ってきたようである。
そして、
「十九世紀の江戸時代」、つまり、三世紀に及ぶ江戸時代の最後の世紀のうち、一八六八年に明治時代に変わるまでの、およそ七〇年間の作品を中心にご覧いただきます。
⋯とある。なるほど。今度は時代で区切ってきたか。
しかも、江戸時代最後の70年間だという。
そして「江戸絵画の19世紀を眺める」と題された、金子学芸員によって書かれたと思われる開会宣言ような文章の中で、具体的な説明が始まる。
なぜ19世紀なのか?という理由も説明されている。
A)1868以降、日本美術は「世界の美術の中の一地域」という時代を迎える。そういう意味で「日本美術の最後の時代」に、日本美術はいったいどこまでたどり着いたのか?
B)江戸時代の美術は長らく「元禄文化」「化政文化」と2つに分けられて語られてきた。近年は、円山応挙や伊藤若冲ら18世紀の画家たちにもスポットライトが当たってきたが、それでも「化政文化」のまだ半分ほど。続く19世紀とはどんな時代だったのか?
そして、今回の注目点は、今を生きる私たちにも関係が深いと思われる以下の4点。
1)この時代特有の「造形感覚」
2)技巧に囚われず「描く楽しみ」
3)当時の人々を取り巻く「世界を映し出した作品」
4)「西洋の画法」
少しばかり硬い言葉では語られているが、いかにも《春の江戸絵画まつり》らしい視点である。
さらに、次の音ゆみ子学芸員による「十九世紀江戸時代絵画の固定観念が出来るまで」という文章は語る。
明治時代に突然流入してきた価値観のために、時の美術史家たちは、日本美術は室町時代の雪舟あたりがピークで、それ以降はどんどん頽廃していくだけ、と断じてしまった。大正になって江戸美術への理解は少し進んだが、それでも浮世絵の後期からは頽廃、衰退していくだけと断じてしまい、それは昭和の戦前まで続いた、と書いている。
だから、この展覧会は19世紀の江戸絵画に新しい光を当てたいのだ、と言っている。
さて、そんな展覧会がこれから始まる。

狩野芳崖『鱗姫』のリアル版
〈19世紀の造形感覚〉 「古臭くない」造形の登場
〜精密さと迫真〜
最初に登場する守住貫魚(もりずみ・つらな)の『袋田滝図』がまず素晴らしい。図録で見るだけでも構図、色彩感覚、立体感など、そのすべてが感動的だ。ネットで写真が見つからず。
続いては、椿椿山『水野忠啓像』。これを描いた椿山は、『鷹見泉石像』でお馴染み渡邊崋山の弟子らしく、精緻で迫真的な肖像画を描きあげている。

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亜欧堂田善『河豚図』は、もしかしたらこれは絵画ではなく、画質の少し荒いモノクロ写真かと思うほど、リアルな光沢を銅版画で実現している。

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岡本秋暉『花鳥図』は、全体的にすべての質感が上品なスエードのように見える。

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岸駒の『白蓮翡翠図』は元気過ぎる。

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朽ちた蓮と言えば伊藤若冲などが有名だが、岸駒の『白蓮翡翠図』は若冲のそれとは違って、朽ちて尚めちゃくちゃ元気である。葉っぱのところどころが欠けているくせに、生命力がみちみちている。パワフルで骨太で、そして、怪しい蓮。「岸駒」と書いて「がんく」と読む。ピッタリの名前だ。
豊原国周『流行三組三人勝負』は、幕末の人気俳優たちの浮世絵だ。基本は様式的だが、三人はそれぞれ舞台とは違った「演じていない素の顔」を見せてくれている。

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〜うねりと凄み〜
歌川国芳『通俗水滸伝 豪傑百八人之一個 船火児張横』は、国芳人気を不動のものにした「通俗水滸伝」シリーズのうちの一作。ヒーロー・張横の涼しげな表情と対象的な敵役・天定の苦悶する表情との対比が絶妙。しかも、左上の水流が効果線のような役割を果たしており気持ちいい。そんな水流から、ちらっと見える鯉!

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古市金峨『雲竜図』は、水面から天空に舞い上がる竜を描いたもの。全身からほとばしる水流の表現が潔くて面白い。何本も何本も溢れ出してて、凄まじい勢いも感じられる。ネットに画像なし。
安田雷洲『丁未地震』は、1847年に発生した善光寺地震の様子を描いた作品。

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いつも、何かがどこかでやりすぎてしまう。そんな絵を描く雷洲が、地震被害の真っ最中、崩れる建物や燃え上がる炎、吹き出す煙、逃げ惑う群衆などを、みっちりと描き込みすぎている。ゴジラ-5.0が出てきてもおかしくないくらいの迫力だ。
狩野芳崖『月夜山水図』も面白い。

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いわゆる雪舟のような枯れた味の山水画のはずだが、不思議な違和感がある。中央の山が、ひとつ何か確実にブチギレてるように見える。金子学芸員はこの絵がよくある山水画と違っている部分は「うねり」だと言う。
〜ひねる深み〜
【三都画家くらべ】にも登場した祇園井特の作品がやっぱり印象的だ。前回の『芸妓図』とは別の『芸妓図』が2枚ほど紹介されている。どちらも類型的な美人像におもねることなく、生々しくて愛すべき女性像として遊女を描いている。
渡辺南岳『芸者と若衆図』も類型的な美人像からほど遠いが、とても生々しい芸者さんと、その横で意気がって歩く若衆の対比が素晴らしい。ネットで探したら、まったく別の組み合わせの『芸者と若衆図』は見つかったが、この展覧会のバージョンは見つからず。どうやら画家は、この組み合わせを描くのが好きだったようだ。確かに、いっぱい見てみたい。なお、南岳は応挙門人の一人。
〜構図の新感覚〜
小田海僊『雪中竹雀図』は、重力ギリギリで竹に絡みついた雪と、その竹に飛びついた雀のせいでサラサラと崩れ落ちる雪、まもなくその雪に気づいて慌てて飛び立つだろう地面の雀が見える。そんな、小さな宇宙。そして、構図がとってもキレイ。

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小田海僊は呉春の弟子、のちに富岡鉄斎に絵を教える。
葛飾北斎『千絵の海 総州銚子』の構図は冷静に考えると無茶苦茶である。最高のサーフィンが出来そうな大波がぶつかり合う架空の空間。まるでひとつの大波をいろんな角度から眺めて、それらをひとつに寄せ集めたような迫力!

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原在中『養老滝真景図』は、滝の水流をほぼ真っ白な直線(一部だけ曲線)で描き、それ以外の風景を丁寧に描くことで、この絵を見る者が勝手に滝の水を想像できるような仕掛けにも見える。この画像もネットで見つからず。
葛飾北斎『諸国滝廻り 木曽路ノ奥阿彌陀ヶ滝』は、北斎にしか描けない「キュビズムの滝」のような作品だ。滝、頂上の川、周囲の山々と滝見物の観光客たち、それらがそれぞれ別の表現方法で描かれ、紙の上でもう一度再構成されている。明らかに現物の風景とは似ていないはずだが、その風情はちゃんと伝わる。

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〈心のかたちを極める〉 絵筆に託す「自分だけの心模様」
岡田米山人(べいさんじん)『蘭亭曲水図』は、数本の色鉛筆でささっと描きあげたような筆致。米山人は、江戸後期を代表する大坂の文人画家。ネットで画像は見つからず。
浦上玉堂『山間訪隠図』も、文人画家の作品らしく、こだわり少なく見える乱暴な線で描かれているのだが、左右に走る短い線が独特の世界観を作り出している。
上田公長『狐の嫁入り図屏風』は、かなり異色の作品だ。

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上田公長は呉春の弟子にして、大坂の大人気絵師。
のちに紀州藩の御用絵師になった。
一枚の屏風に、総員55名の小ぶりな大名行列が描かれているのだが、いくつかおかしなところがある。まず、55名は全員人間の体躯を持ちながら、顔だけが狐なのである。さらに、55匹の狐は全員同じ顔をしている。ということは籠の中に乗っているのは、見えてはいないが狐の花嫁である。しかも、他の狐と同じ顔をしているはずだ。この謎すぎる絵が、とても生真面目に描かれているのが、なんともおかしい。
〈19世紀の人々の「世界」〉 想像の世界を眼前にする醍醐味
〜世界について考える〜
安田田騏(でんき)『異国風景図』を、江戸時代に描いたというだけで、しばらく見とれてしまう。田騏は最初、狩野派の東東洋に師事したのち、亜欧堂田善から西洋画を学んだ。この絵を描きながら田騏は、いったい何を考えていたんだろう?

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安田雷洲『捕鯨図』もかなり変わった絵だ。

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雷洲はいつも、何かがどこかでやりすぎてしまう。そんな絵を描く人だ。そのせいで、今回もいろいろ気になるところがあって、まず中央にある謎の山である。クジラや大型帆船の大きさから考えると、とんでもないサイズである。他にも、旭日旗のような太陽、クジラの背中から吹き出す2本の水柱と、いろいろ気になる。ちなみに作者の雷洲はこう見えて、幕府御家人だったりする。
同じく安田雷洲の『水辺村童図』はタイトル通りに、のんびりした農村のなにげない風景を描いている絵だ。

※画像引用
でも、いつも、何かがどこかでやりすぎてしまう雷洲である。絵の中のいろんなパーツの造形を凝りすぎて現実感が薄く、なんとも無国籍感あふれる絵になってしまっている。
春木南溟(なんめい)『虫合戦』はひとことで言うと、虫たちの戦争を描いた作品だ。うん?どういうことだ?

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春木南溟は江戸後期〜明治の南画家。父は春木南湖。
よく見ると、カブトムシとかセミとかバッタたちが戦争をしている。空には蝶も飛んでいる。南溟は文人画家・春木南湖の息子で自身も江戸後期〜明治に活躍するが、なぜか、こんな不思議な絵も描いていた。よく見ると、遠くに反射炉みたいなのがたくさん見える。ある種のSF?
〜日本を知ってわくわくする〜
歌川国芳『山海名産珍 加賀ノ雪』はタイトル通り、当時は全国各地の特産品や風物を紹介する浮世絵が流行しており、その国芳版。

※画像引用
美しい藍色のバリエーションで描かれた遠景の雪景色の中、御新造さんが下駄についた雪をお付きの男性にとらせている一瞬が切り取られている。御新造さんが分厚い襟元に口元を隠しているのは、寒さのせいか。そんな無音の作業を、お付きの小僧と親子犬がじっと待っている。一匹、無邪気な子犬だけが尻尾をフリフリ歩いてる。いい感じだ。個人的に「山海名産珍」シリーズの中からこの絵を選んだ理由が、最後に紹介した三匹の犬たちだ。黒っぽい子犬の右後ろ脚がはみ出してたり応挙っぽさもあるのだが、国芳は猫ほど犬には神経が行ってないような気がする。とくに成犬はちょっと雑だし、なんとなくキツネ。
歌川広重『東海道五拾三次 土山 春之雨』は、ご存知!という作品。

※画像引用
とにかく構図が見事である。雨の中の林、雨で増水した川、雨に濡れた大名行列と、それぞれ主役になるべきアイテムが描かれているのに、すべて中央じゃなく端っこに描かれている。主役は降り続く雨ということらしい。
〜歴史を思う〜
冷泉為恭『在原業平像』は模写らしいのだが、ただもう見事である。画の上の方には歌を書いた色紙が貼ってある。これも現物の通り。図録に載っていた現代語訳を、勝手にさらに雑に訳すと「月見て『いいねぇ』とか言って何が面白いの?アレが太ったり痩せたりしてるうちに、こっちはどんどん老けちゃうんだぜ?」みたいな感じか。そんな情感が、この画にはたっぷり漂ってる。この絵も、やっぱりネットに画像は転がってなかった。
〈西洋の画法をどう使うか?〉 「風景を切り取る」ように絵を作る
光と陰影
ものの見え方
原在中『二見浦富士図』は太陽光線が面白い。海の上を、水平線に浮かんだ小さな赤い太陽から、細くて真っ赤な筋がスーッと一直線に伸びている。ほぼ陸地に届きそうなほど伸びていて、そんな訳ないだろ?と思いつつも、在中らしい確信に満ちた安定感のある構図で、「本当です」みたいな顔をしている。面白い。
先に紹介した『養老滝真景図』もそうだが、在中という人は、自分で再構成した独自な世界を説得力たっぷりに描いてしまうところが面白い。実際、二見ヶ浦の夫婦岩の間から昇る太陽はいつの頃からかとてもありがたいものだと言われている。だから、この赤い筋を見てるとありがたい気分になる。ただし、『養老滝真景図』に続いてやっぱりネットに画像なし。
歌川国芳『雪月花 月』は、「光」を使って遊んでる。

※画像引用
小窓から入る月明かりが、すーっと伸びる桟の影のおかげで旭日旗のように見える。それがまるで、逢いたい人に逢えない女性の心情表現として使われている。…ように見える。
そのくせ、女性の影は旭日旗とは関係なくしっかりと描かれており、こっちは提灯が光源なのか、そのあたりはよくわからない。ま、とにかく、なんでもかんでも表現のための小道具にしてしまう国芳らしい作品。
歌川国貞『月の陰忍逢ふ夜 障子』は、「光」をもっと大胆に遊んでいる。

※画像引用
光と影の演出効果に気づいたレンブラントは『夜警』のような名作を生んだが、日本の人気浮世絵作家(歌川国貞=のちの三代豊国)は光と影の対比を使いつつ、逢引する女性たちの訳あり物語を巧みに描いた。
歌川広重『雪月花 月 武陽金沢八勝夜景』は、満月の夜の静かな風景を見事な技術で表現している。

※画像引用
満月で明るい夜の空のほとんどを、真っ白に塗ってしまった。その代わりに碧のグラデーションが美しい。そして陸地の演出も影を意識した暗いグラデーション。一方、海面だけはベタ塗りに近い青一色。音学芸員はこれを「この抑制された水面の表現こそが海の静かさを強調するのである」と書いている。
小林清親『浅草田甫太郎稲荷』は、色が美しい。

※画像引用
夜明けの空と海が絶妙な色に染まり、静かに情感が高まる。その、なんとも言えない色具合は現物の良い刷りじゃないと伝わらない。たぶん!
〜遠近法を使って面白い構図を作る〜
亜欧堂田善『シハアタコ(芝愛宕)』は、愛宕山頂の茶屋の張り出し屋根だろうか?関西万博の2025の大屋根リングほどじゃないにしてもかなり巨大な輪環状の屋根が設営され、江戸の町が一望に広がる。すべての縮尺が異常なほど大きめに描かれていて気持ちいい。
歌川国芳『東都名所 かすみが関』は2010年の【歌川国芳〜奇と笑いの木版画】でも紹介したように、坂道も青空も人々も、構図とディテールがすべてにおいてぶっ飛んでいて最高だ。
〜油絵の斬新さ〜 油絵の影響
歌川国芳『相州大山道田村渡の景』は、何から何まで爽快な作品。図録によると、構図の作り方や色彩表現に、西洋画の影響が濃いそうだ。それにしても画面中央を流れる雲がまた絶妙の嘘!

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図録には、葛飾北斎『富嶽三十六景 凱風快晴』にも西洋画の影響が色濃いとある。言われてみると、確かに!そうやって考えると、江戸絵画と西洋絵画のこの時期の技法のキャッチボールが面白い。

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〜立体表現の変形〜
【亜欧堂田善の時代】でも紹介した歌川国虎『近江八景 唐崎ノ夜るあめ』は、西洋画の陰影を楽しんでしまった結果、浮世絵で独自の惑星を描いてしまっている。
葛飾北斎『諸国滝廻り 東都葵ヶ丘の滝』も、西洋画の三次元的手法と日本的な二次元的手法とを混在させて独自の世界観を作っている。どうやら、北斎という人にとっては、西洋画の手法も面白さの奴隷にすぎなかったようだ。

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それはそうと、この風景が赤坂溜池のあたりと知ってまた驚く。
それにしてもこの絵、緑と青を貴重とした色彩のグラデーションが気持ちいい。
〈おわりに 19世紀の絵に遊ぶ〉 〜絵の中に目と心を遊ばせる〜
この最後の章は、選んだ絵のセレクトにしても、図録の文章にしても、金子学芸員の思いの丈が綴られているように感じる。
谷文晁はさまざまな画風を学び尽くした江戸の人気画家であり、この《春の江戸絵画まつり》シリーズでも、その素晴らしさを何度も強調されてきた。
そんな文晁の『火水仙客図』が面白い!「火の仙人」と「水の仙人」を描いた二幅だが、火と水、2つのテーマの対比がとても気持ちいい。例によってネットに画像は見つからなかった。
山本梅逸『花卉草虫図』は不思議な作品である。

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よく見ると一枚の絵の中にいろんな画風が混在しているように見えるのに、作品全体としての一体感のせいで、そんなことが気にならない。こう見えて梅逸は文人画だという。いわゆる殴り描きみたいなイメージとは違う文人画。もっと精神的な意味での文人画なんだろうか?
中山竹溪『春郊放馬図』には、ただただ射抜かれた。山中の小川に二頭の野生馬がいる。詳細まではわからないが、二頭には深い関係性がある。確実にそれがわかる。そして、絵全体のすべての筆致が優しい。色も優しい。そういう絵である。江戸時代にこんなにも近代的な絵を描いた画家がいたことに、まず感動する。竹溪は幕末の前年に亡くなっている南画家だ。残念ながら、ネットに画像はない。
狩野芳崖『鱗姫』に夢中になった。

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そもそも芳崖作品には、歯ごたえのある古典的文芸大作の印象がある。が、この絵はぴーんと張り詰めた気品や格調を持ちながらも、女性の表情や仕草、そして彼女の胸元でこっちをじっと見ている狆のせいで、スナップ写真のような等身大の愛らしさを漂わせている。そして何より女性の目!
鈴木其一『毘沙門天像』は、墨と金泥だけで描かれている。図録によると、二種類の墨と二種類の金泥。つまり、わずか4種類の色数で毘沙門天の様々な要素を精緻に描き込んでいる。しかも、美しい。

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其一は、江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、
抱一とともに同派を代表する。
安田雷洲『鷹図』は、【かっこいい油絵】の会場で見て思わず声が出た。作品そのものが、なんか幕末日本をそのまま絵に描いたような作品だなぁと思ったからだ。

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図録によると、この作品が広く公開されるのは、
この【江戸絵画の19世紀】展が初めてだったという。
府中市美術館寄託作品。
狩野永岳『富士山登龍図』は、凄い。

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こういう画題を「富士山越えの竜」というらしいが、普通のそれとは違ってこの絵では逆巻く海まで描かれている。つまり、荒れ狂う空と海とが富士山と竜とを包みこんでいる。そして同時にいろんな表現方法が絡まって新しい何かになっちゃってる。
金子学芸員は書いている。
十八世紀、円山応挙の気象の描写の探求がなければ、こんなレベルでのリアリティは生まれない。そして更に、応挙の時代にはなかった「凄み」や「うねり」を強調する造形志向。絵画の歴史の上に花開いた大作である。
最後に、この展覧会の図録についてる「部分図版」という特集が面白い。今回の展覧会の代表作品のいくつかの、気になる部分をめちゃくちゃ拡大した画像を載せてくれているのだ。「北斎の水しぶき」や「狙仙の狸の体毛具合」など、どれもめちゃくちゃ楽しい!
■10■
動物絵画の250年
2015年3月7日~5月6日

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「ごあいさつ」はいきなり、2007年の『動物絵画の100年』の話から始まる。その時、予想を超える観客が集まった、と。そこで今度は『動物絵画の250年』だ、と。しかも、今回は動物絵画のさらなる魅力を見つけるために、3つの着眼点を考えたという。
1)動物から広がる新しい想像
2)動物の姿かたちや動きから、どんな「造形」が生まれたのか?
3)人の「心」と動物の関係
果たして、どんな展覧会になるのか?
図録巻頭の「江戸時代の動物絵画と私たち」と題する金子学芸員の文章は、蘆雪のゆるかわいい子犬たちの写真から始まる。そして、「かわいいもの」ブームが盛り上がる現代、江戸時代という大昔の時代を、動物絵画という現代人からも魅力的な共通なテーマを通して見つめてみよう、と提案する。
そして、
見た目から感じること。歴史や意味を探ること、そのどちらもが、私たちに与えられた江戸動物絵画の楽しみ方だろう。
それは、金子学芸員が《春の江戸絵画まつり》シリーズを開催しながら考えていたことだという。研究や知識などの情報で「一人一人が自分の目で感じて心で感じること」を邪魔したくない、と。
また、江戸絵画の解釈についても、たった一つの説明だけに決めつけたくはないとも。いろんな視点があっていい、と。例題として、江戸時代の画家たちが書いた「虎」の話が出る。彼らは本物の虎を知らなかったから、時折、虎を「可愛く」描いてしまうのか?という疑問に対して、そうとばかりも言えないのでは?と金子学芸員は言う。
例えば、円山応挙は『時雨狗子図』で片側の後ろ足をはみ出させちゃった子犬の絵を描いているが、彼はそのポーズが可愛いいことを知っている。生涯で「可愛い子犬」の絵を膨大に描いた応挙が知らない訳がない。

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ところが、その同じ応挙が香川県・金比羅宮表書院の障壁画の虎の一匹にも同様の仕草をさせている。

これは、応挙がこの虎を可愛く見せたいと思ったからではないのか、と。
面白い視点だ。
さらに、「かわいい動物の絵」を世界で日本人だけが描きたかったのか?という疑問についても考えてみたい、と。
楽しそうである。
という訳で、いよいよ開幕!

森狙仙『猿の三番叟図』のリアル版
〈序、動物という存在〉
森徹山『群鳥図』は、小さな画像で見ても伝わらない。

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森徹山は周峰の子。猿の森派の祖・森狙仙の養子となり継いだ。
晩年に応挙の弟子となり「応挙十哲」の一人でもある。
私も図録でしか見ていないが、一枚の絵の中にとんでもない数の鳥が描かれている。現実世界で同様の風景を見た作者の素直な驚きではないか?と図録では説明されているが、まさにそんな気がする一枚だ。
小泉斐『鮎図』は、とある山間の渓流でたくさんの鮎が泳いだり跳ねたりしている。図式的な風景の中で、鮎たちが妙に生き生きしている。とくに、水面から飛び跳ねてる鮎のリアリティが見事。ネットで画像見つからず。でも、飛び跳ねる鮎がよほど気に入ったのか、斐は背景を変えつつ同様の絵をたくさん描いている。
歌川国芳『七浦大漁繁昌之図』も現物の迫力を伝えようとしている。

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普段ならどんなものでも「作品の小道具」という感じで別次元の表現に取り込んでしまいがちな国芳だが、この絵のクジラとその漁風景はかなりリアルを追求しているように見える。一方で、クジラ漁をヤンヤ言いながら見守る婦女子一行を描き足しているが、こっちは、そんな訳あるかい!?って感じの距離感である。そう、あくまで「小道具」だから。
〈第Ⅰ章 想像を具現化する〉
〜縁起物の素晴らしい世界〜
森狙仙・中井藍江・森徹山『蝙蝠鹿松図(福禄寿)』は、静かだが味わい深い作品だ。ただし、なんで鹿が蝙蝠を見つめているのかがわからない。図録を読んでわかった。「鹿」は中国語で「禄」と同じ発音、蝙蝠の「蝠」は「福」が通じおり、「松」とあわせて、「福禄寿」だからおめでたいという中国由来の画題だそうだ。絵だけ見ても絶対にわからない。でも、勝手にその意味を考えたくなるような魅力的な絵だ。ネットで見つからず。
冷泉為恭『春日鹿曼荼羅』も、説明を聞かないと意味がわからない。「雲に乗った鹿」と「榊」と「円相」が揃った神道的な絵画とのことだ。例によってネットでは見つからなかったが、このキャラクター化された鹿が見事である。ツンとしてるが愛おしい。とくに、目の表情が最高だ!
〜見たことのない動物〜
ここからは《春の江戸絵画まつり》名物!「虎」の絵が続くのだが、中でも『四睡図』特集が面白い。唐の禅僧・豊干(ぶかん)と、彼の愛虎、そして豊干の弟子である寒山拾得の四者がお昼寝してる姿を描く、中世の定番禅画のひとつだ。
まず、作者不詳の『四睡図』が可愛すぎる。虎はほぼ巨大な猫である。
伊念印の『四睡図』は完全にファンタジーの世界である。そのまま夢の中で空を飛んだらシャガールになりそうな可愛らしさである。
そして、諧謔の人である英一蝶の『四睡図』は、四者が昼寝から目を覚ました瞬間を描いている。なので、虎はほぼ寝起きの猫みたいに背中を伸ばしている。

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いつか、蘆雪のアレとかソレなんかも混ぜて、「全日本四睡図展」を見たくなった。
以下、虎の絵が続く。
狩野山雪『竜虎図』は、奇想の画家らしく、龍虎どちらにも愛嬌がある。

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片山楊谷『竹虎図屏風』は、とにかく毛並みが凄い。いわゆる体毛の合間から除く産毛のような白くて細い毛が、リアルだかなんだか知らないがやたらと目立っている。その謎のリアリズムが暴力的に素晴らしい。虎じゃない何か別の生き物にさえ見えてくる。ま、この時代、誰も本物の虎を見たことがないんだから、こんなのも全然アリである!

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この展覧会には虎をテーマにした絵画が26点も登場するのだが、その中では、チラシのメインビジュアルにも採用されている土方稲嶺(とうれい)の『猛虎図』が1番可愛い。めちゃくちゃ可愛い。

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ファッサー!とした白い毛に覆われた胸元や、肉厚な前足、ゴロンと重そうな尻尾、そしてチャーミングな瞳に、とことん上がった口角など可愛いパーツばかりなのだが、顔の輪郭自体もハート型だったりして、可愛い尽くめの虎である。
司馬江漢『ライオン図』はたてがみの解釈を間違えちゃってるせいで、なんとも壮絶な顔をしている。かなりひねくれた人生を送ってきたっぽい。まあ、虎でさえよくわからない江戸画家なんだから、ライオンのことなんかわかる訳がない!

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〜空想〜
歌川国芳『かゑるづくし』は、蛙で歌舞伎の人気演目を表現している。さすが国芳、着物の着方や着崩しなどが見事である。あと、細かいが『先代萩』の鼠までちゃんと蛙が演じているw

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上田公長『蟹子復讐之図』は、いわゆる「さるかに合戦」のイメージカットである。

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彼のオリジナルなのか、キャラたちの造形が面白い。左から、栗も蟹も予想外の造形。杖をついた右端のキャラは、図録を読むまで悩んでしまった。これ、和ハサミである。何もないはずの楕円形の空間が顔になっている。さらに、図録を読んで気づいんたのだが、右端に臼がいる。「さるかに合戦」の絵本でよく見る、餅つき大会のアレじゃなく、古風な蕎麦屋で見かけるアレだ。到着が遅れているのは重いからか?
国芳の弟子である歌川芳郷が描いた『王子狐火図』も面白い。夜の王子の寒々とした暗闇の中にたくさんの狐がいて、それぞれから小さな赤い炎が浮かび上がっている。ネットで探したら、広重の似たようなタイトルの浮世絵が見つかったが、こちらは構図は似ているが赤い炎はなく、狐自体がボヤッと光っている。表現の違いが面白い。
<第Ⅱ章 動物の姿や動きと、「絵」の面白さ>
〜迫真描写の斬新さ、その思わぬ展開〜
司馬江漢『猫と蝶図』は、蝶と猫の対比が面白い。ミヤマカラスアゲハだろうか、蝶はやたらとリアルに丁寧に描写されているが、猫はささっと淡白な線で描いている。でも、結果として、猫のキャラクター性が強くなり感情移入しやすくなっている。

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北鼎如蓮(ほくていじょれん)『鯉図』の魅力は、鯉の独特な質感だろう。

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もしかしたらブリキ細工なんじゃなかろうか?という不思議な質感で、鯉を表現している。最初からリアルなんて狙っていないように見える。その結果として、目玉の上の眉毛みたいなところとか、鼻の穴がありそうなあたりとか、不思議なメカ鯉みたいな造形になっていて面白い。如蓮は、北斎の弟子。やっぱり、と思う。
あと、柴田是真『滝図』も独創的な表現が面白かった。そこで、ネットで画像を探したが、同じ作品は見つからなかった。でも、同じ是真の『鯉の滝登り図』という作品が見つかった。こっちも凄かった。メタ過ぎる、凄い掛け軸だ。柴田是真は江戸末期〜明治に活躍した漆工家にして日本画家。独創性の高い作品が多い。工芸にも絵画にも!
〜姿や動きから生まれる「形」〜
円山応挙『百兎図』の兎の数は、図録による百羽を越えているという。しかも、一匹として同じポーズの兎がいないという。写生の人、応挙らしさ。

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葛飾北斎『日の出と双兎』の兎は、可愛らしさと無縁である。2012年の【三都画家くらべ】で紹介した『宝珠を搗く月兎』の兎もそうだったが、北斎の描く兎の眼には、なんとも言えない強い意志を感じる。ただ、この絵の中の白兎は、重たい杵とかを軽々と持ち上げそうなマッチョ感まである。

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稲葉弘通『鶴図』は、いろいろおかしな絵である。鶴が変な格好をしているのを、なんとも微妙なタッチで描いている。どういうことだろう?

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実は、作者の稲葉弘通とは、豊後国臼杵藩主である。そう、お殿様だ。どうやら「面白そうなので描いちゃった」という可能性がありそうだ。でも、首のあたりの不思議な造形とか、面白い。
こんな面白さがやがて、《春の江戸絵画まつり》から新しいスターを生み出すことになるのだが、それはまだもうちょっと先の話だ。
〈第Ⅲ章 心と動物〉
〜動物が醸し出す抒情とおかしみ〜
やっぱり、【江戸絵画の19世紀】でも紹介した中村竹溪『春郊放馬図』が魅力的だ。
あと、細川斉茲(しげなり)の『月雁図』も素晴らしい。斉茲は熊本藩の藩主だが、稲葉弘通と違ってお殿様とは言え見事な腕前。
なにかに驚く子猿を描いた、市川市動植物園の「パンチくん」みたいな森狙仙『猿図』も素晴らしいが、どれもネットでは見つからず。
長澤蘆雪『老子図』は、蘆雪らしい絶妙な作品。

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春秋時代末期、周の国に衰えを感じ、牛の背に乗り他国へと出ていった老子を描いているが、老子の複雑な表情とともに、牛の背中にもなんとも言えない哀愁がある。さらに、牛を引っ張るための手綱が牛の足元で嫌な感じで絡みついている。あともうちょっとで嫌な事故が起きそうだが老子は気づいていない。周の国どころか、老子ピンチ!
〜人と動物の境界線〜
宮本武蔵『布袋見闘鶏図』は、まずその作者に驚く。

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あの、宮本武蔵である。でも、そんなこと関係無しに楽しい絵である。闘鶏の鶏を見ながら布袋様は何を思うのか?布袋様の表情がなんとも言えない。そんなこの絵を描いているのが、数々の決闘で有名な武蔵であることが、この絵をさらに魅力的に見せてくれる。
歌川国芳『欲という獣』は、国芳らしいセンスに溢れている。

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羽や尻尾が小判や算盤だったりするだけでなく、首が神と仏に繋がれている。もう一箇所はなんだろう?そして何より、体躯に「金がほしいナア」という模様がある。なんというセンスw
仙厓義梵『猫の恋図』というタイトルがまず面白い。

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しかも、そんな猫の目の中の模様は瞳孔だと思うが、反時計回りに90度ほど傾けると、20世紀あたりの漫画で登場人物の目の中に描いたハートマークと酷似している。まだハートを猪目としか認識してなかった時代だから、ただの偶然だと思うが。
さらに気になるのは、左側の文字列だ。「南妙法蓮華経」と描いてある。禅僧である仙崖先生らしい謎かけ。いろんな解答が出来そうだが、春先の恋する猫の鳴き声を想像すると⋯。どうだろう?
【かわいい江戸絵画】でも紹介されていた伊藤若冲『河豚と蛙の相撲図』が再び登場。図録の解説に、二匹の共通点として「どっちにも毒がある」的なことが書いてある。なるほど。そう考えると、さらに意味深な絵にも見えてくる。やっぱり面白い絵だ。
〜人と同じ命〜
森狙仙『猿の三番叟図』は、野生じゃなく猿廻しの猿だろうと思う。図録にも「この懸命さは何だろう。」と書いている。そう、このお猿さんが懸命ゆえに感じる、人間としての心のざわざわ感。精神面の話だが、不気味の谷にも似た奇妙な違和感がたぶんこの絵のテーマなのかもしれない。

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ネットで画像が見つからなかったが、今度は動物ファンタジーのような一枚、斉藤秋画『雪中梅樹猿鹿図』も良かったぁ!
〜子犬に惜しみなく愛を注ぐ〜
そしてとうとう、《春の江戸絵画まつり》の中に「子犬」のコーナーが初登場した。その名もズバリ「子犬に惜しみなく愛を注ぐ」。
歌川広重『名所江戸百景 高輪うしまち』は、子犬を見事な小道具に使っている。

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「車輪」✕「虹」という大きな構図の中で、小さな子犬のなんでもないドラマ。二匹いて、一匹が草履を咥えてる。西瓜の皮も持ってきたかもしれない。あとは、鑑賞者の想像力に任せるているのが面白い。
このあとに、応挙や蘆雪が描いた可愛い子犬たちの絵がどんどん続く。展覧会の最後は最高のデザートを!という演出だろうか。
「府中に行ったら、あんなのとか、こんなのが見たい!」
《春の江戸絵画まつり》の主催者たちと観客たちの間に、どんどん共通感覚が生まれつつあるようだ。

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■11■
ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想
2016年3月12日~5月8日

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当館では、江戸時代の絵画の魅力を一人でも多くの方と楽しみたいと考え、これまで色々なテーマで展覧会を開催してまいりました。歴史上の出来事として振り返ることはもちろん、現代に生きる私たちが、かつての人たちの「美を愛する」営みに、どうしたら迫ることができるのか、手を替え品を替え、探っています。
要するに、《春の江戸絵画まつり》が人気シリーズになってきたようだ。
そして、今回のテーマは「ファンタスティック!」
金子信久学芸員が解説する。
明治時代に西洋から入ってきた、「芸術」と「そうでないもの」を線引する強い意識や、より高い芸術を目指すべきとか、他人とは違うものを表現しなければならないというか考えは、今日に至るまで日本に深く根づいている。
そのせいで、江戸絵画はある種の色眼鏡で解釈されるようになってしまったが、本当にそれでいいんだろうか?「ファンタスティック!」という視点から江戸絵画を見直すことで、再発見してみたい!
いかにも《春の江戸絵画まつり》らしい楽しさが期待できそうだ。
それでは、ファンタスティックな展覧会の始まり、始まり!

円山応挙『地獄変相図』のリアル版
〈第Ⅰ章 身の回りにある別世界〉
岡本秋暉『波間月痕図』は、水面に浮かぶ月を時間差込みで見事に表現している。まさにファンタスティックである。

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秋暉は、江戸後期〜末期に活躍した江戸の画家。
孔雀を得意とし、「若冲の鶏」「光起の鶉」「狙仙の猿」などと並んで、
「秋暉の孔雀」と評されることも。
司馬江漢・鏑木梅渓『草花群鳥虫図』は二幅のバランスもいいが、個人的には梅渓の描いた鷺が印象的。宮崎アニメの青サギみたいな挑発的な目線が面白い。

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小泉斐『弁財天三星図』は「ファンタスティック4」的なユニット感が気持ちいい。キャラはもちろん、ぐいっと寄せ集めた構図も好き。

※現物はカラー
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菊田伊洲『魁星図』は、インパクトは凄いがまったく意味不明だ。

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鬼が箱のようなものに追いかけられて必死で逃げている。なんだ、この絵は!?と思う。
図録を読んでようやく意味がわかった。「鬼」が「斗」(軽量用の器)から逃げている。「鬼」+「斗」=「魁」で「魁星」を意味し、北斗七星の柄杓の一番先端の星のことらしい。こんな絵だけど、とてもめでたいらしい。
〈第Ⅱ章 見ることができないもの〉
曾我蕭白『後醍醐帝笠置潜逃図』は、蕭白には珍しい歴史画である。でも、普通なら英雄譚の一部として描くべき題材を、蕭白は絶望感ややるせなさ、そして不快感まで残酷に描いている。さすが蕭白!と言いたくなる太平記。

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英一蝶『かぐや姫図』には、なんかいろいろ言いたいことがある。

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でも、作者に言いたいことをあえて一言でまとめると、「かぐや姫の物語を1枚の絵で描いてみた」ってことだろうか。さらに言えば、かぐや姫の着物から下方に向かって伸びている紐のようなものがジェット噴射に見えてしまうせいで、姫が月に向かってブワーっと飛んでいってるように見えてしまう。
小泉斐『竹林七賢図』は、七人のキャラ立ちがとても素晴らしいのだが、ネットに画像が見つからず。
河鍋暁斎『波乗り観音図屛風』は、ただただ面白い。

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まもなく日が沈もうとしてる荒波の海で、巨大な鯉に乗った観音様を、雲に乗った赤い服の女性と鬼が追いかける。女性は空を飛ぶように追いかけ、鬼は懸命に走る。まったく意味がわからないが、何かの物語のオープニングとしては最高だ。いったい何が始まるかはともかく。
歌川国芳『地獄図』はいろいろ面白いのだが、中央の閻魔様の表情が最高に楽しい。

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閻魔様が「ものども、働けー!」と叫んでるようにも見える。が、ちょっぴりなにかに焦っているようにも見える。いったい何を焦っているんだろう?そんなところが人間っぽい。そして、彼の周囲ではあらゆる種類の地獄絵図が繰り広げられている。
〈第Ⅲ章 ファンタスティックな造形〉
巨野泉祐に『月中之竜図』を描かせたのは、あの、松平定信だという。普通は定信と言えば「寛政の改革」で有名だが、府中市美術館マニアには谷文晁や亜欧堂田善との交流でも有名なアート好き知識人の殿様として有名だ。

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図録の解説によるとこの絵は、松平定信が庇護していた画家の泉祐に描かせた絵だという。そこには「驕り高ぶらず、慎みを保たねばならない」という教訓があるという。それにしても、紺地に金泥で描かれた月の中の龍と雲は、とにかく美しい。
河鍋暁斎『蛙の大名行列図』は、ただただ楽しい!

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岸駒『寒山拾得図』、この絵のインパクトはハンパない!

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今すぐ画家(岸駒)に「この絵をなぜこんなふうに描いたのか?」と聞いてみたい。それぐらいにインパクトがありすぎる絵だ。寒山も拾得もとにかく見事な個性と明るさに包まれている。あと、ひとつだけ気になることがある。 拾得の箒の先はどうしてこんな形をしてるんだろう?
円山応挙『地獄変相図』は、いろいろ気になる。

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閻魔様の右横あたりに浮かぶ「2つの顔が繋がってる謎の装置」は「檀拏幢(だんだとう)」という。怒ってる男性の顔と優しい女性の顔が繋がっていて、閻魔が亡者を審判する時に、重罪であれば怒ってる男性の顔の口から熱線ビームが出て、無罪であれば女性の口からとてもいい香りがするそうだ。でも、そんなことよりこの絵では、檀拏幢の横で怒ってる閻魔様の表情がなんとも楽しい!
与謝蕪村『虎図』の虎は、キャラ設定がいろいろ見事である。

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顔がウルトラマン的な造形になっている虎が威嚇するようにこちらを見つめ、全体像からディテールまで見事なキャラ設定が出来ている。さらに、この虎で個人的に気に入ってるのは、これだけ強気な態度なのに、なぜか立派な岩に横っ腹を擦り付けていること。やっぱりこいつ、猫類だ!
葛飾北斎『富士越竜図』には、ぞくっとするほどの凄みがある。

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以前、別の展覧会でこの絵を見て、その迫力に感動した記憶がある。淡い濃淡の中で黒い帯のような雲がとても大事な役割を果たしているように見える。この呪いのような黒い帯が、龍の道であり、龍の力であり、富士山さえも脇役にしてしまっている。そして、実はこの絵は、北斎が88歳で亡くなる3ヶ月ほど前の作品だという。そんな物語性までが心に染み込む。
小泉斐『竜に馬師皇図屛風』、この絵のことはもう二度と忘れない!

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《春の江戸絵画まつり》のおかげで、どんどん好きになった小泉斐(あやる)の作品。馬師皇(ばしこう)は馬専門の獣医をしている仙人。そこにある日竜がやってきたが、馬師皇は見事に竜を治療し、ある日、その竜に乗って馬師皇はどこかに消えたという。そんな馬師皇と竜を描いた作品。竜のまとめ方もいいが、何より馬師皇である。表情とポーズが完璧である。
小泉斐は江戸時代後期の絵師。下野国出身だが、近江国の島崎雲圃に入門。雲圃は高田敬輔の弟子で、敬輔と言えば曾我蕭白の師匠である。
今回はおなじみの面々にくわえて、河鍋暁斎の存在感もグイグイと増してきた。そして、このところずっと活躍中の小泉斐も、今回の『竜に馬師皇図屛風』でとどめを刺されたような気がする。
■12■
歌川国芳 21世紀の絵画力
2017年3月11日〜5月7日

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府中市美術館では、2010年の【歌川国芳 奇と笑いの木版画】以来7年ぶりの開催になる国芳展だ。図録の巻頭に、こうある。
近年、毎年のようにどこかで国芳の展覧会が開かれています。
そう、そんな大人気の国芳ブームを受けて、府中市美術館なりの国芳展を開くという。7年前は、明治以来ずっと誤解されっぱなしだった国芳の再評価が目標だったが、今回は以下の2つの視点から国芳を紹介するという。
1)「19世紀の国芳」では、
10のポイントから国芳の当時の仕事を探る。
2)「21世紀の国芳」では、
現代の私たちがなぜ国芳に惹かれるのか?を探る。
図録には、金子信久学芸員の「現代人の心をつかむもの」という文章が載っている。ここではまず「国芳の猫」について語っている。この府中市美術館でも展示されてきた猫を描いた国芳の代表作品を振り返りながら、「普通の江戸絵画における猫」に感じる違和感を、なぜ我々は「国芳の猫」に感じないのか? その理由とは、当時の絵画界の常識として、普通の画家は猫に「長寿」の意味を込めて描いた。だが、国芳はそういうことには自由だった。ただ「楽しんでもらいたい!」という理由だけで猫を描いた。だから、現代人にもそれは通じるんだ、と。
金子学芸員は国芳の「武者絵」についても解説する。例えば武者絵の背景にある山水画を例にして、普通の画家は山水画のルールの中で山水を配置したが、国芳は山水でさえも「楽しんでもらいたい!」という理由で配置する。だから、現代人の我々が見ても国芳の武者絵に興奮するんだ、と。しかも、国芳の時代、江戸絵画に西洋画の新しいルールが飛び込んできた。多くの画家たちがその新しいルールで自作を再構成しようとしたが、国芳は違った。西洋画の新しいルールでさえも「楽しんでもらいたい!」という理由で使った、と。
こうして、府中市美術館で2度目の国芳展が、開幕する。
はじまり、はじまり。

歌川国芳『忠孝名誉奇人伝 梶女』のリアル版
〈第1章 19世紀の国芳〉 国芳の仕事、10のポイント
〜1、凄み〜 新しい美の価値
歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人一個 混江竜季俊』は、物理学の外にいる。

※画像引用
国芳の出世作「通俗水滸伝豪傑百八人」シリーズのひとつ。果たして、物理学的に人間がこんな風に船を持ち上げることができるかどうかは知らない。でも、季俊は、こんな風に船を持ち上げたら気持ちいいだろうな、という持ち上げ方をしている。
〜2、役者を追いかける〜
歌川国芳『今様七小町 かよひ』は、気持ちいいぐらいにグラビアしてる。

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これは、当時の大人気スター、十二代目市村羽左衛門を描いた浮世絵。そりゃあまあ人気出るだろうな、というカッコ良いグラビアである。そして、このブロックでは、実在する人気役者ごとに国芳の浮世絵が並んでいる。このスタイルが楽しい。つまり、このスタイルだと、国芳が役者のどの要素を作品のポイントにしたのかが一発でわかる。そして、こうやって並べることで、役者自身もだが、そりゃあ国芳の浮世絵は人気出ただろうな、という秘密までわかる。
さらに、ミニコーナーとして『朧月猫の草紙』という特集がついてる。

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『朧月猫の草紙』とは、猫好きな戯作者・山東京山(京伝の弟)と、猫好きな絵師・国芳がコンビを組んで作った、猫が主人公の小説だ。物語を説明するととってもややこしいので割愛するが、要するに猫の男女のすったもんだの話だ。
でも、いろいろ変わってる。例えば、猫の物語ではあるが、擬人化した猫の物語じゃない、ちゃんと人間も生きてる世界線の話だ。さらに、猫たちの顔が当時の人気歌舞伎役者になっている。そんな感じで、この小説はいろいろ面白い。しかも、当時は幕府の気まぐれでコンプラが厳しくなったり緩くなったりする時代だったせいで、連載作品の中で作画や内容がどんどん変わったりする。そういうメタな内容も含めて、面白そうな本だ。
この本、読んでみたいな!と思ったら、金子信久学芸員の訳で出版されていた。おおっ!
〜3、江戸の良さを教えてくれる画家〜
歌川国芳『東都御厩川岸之図』は、今ならさしずめ墨田区本所あたりの川べりだ。それにしても雨が激しい。とくに地面からの跳ねっ返りがえげつなく強い。

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一方、金子学芸員はこの絵の解説で、国芳の<垂直に降る雨>を、歌川広重『東海道五拾三次之内 庄野 白雨』の<斜めに降る雨>と対比している。確かに2つの雨の降る角度は45°くらい違ってる。あくまで私の個人的な感想だが、斜めに降る雨には「それと戦う気力」が必要になる。でも、垂直降る雨は戦う気力さえ奪われる中で「じっと耐える根性」が必要になる。それにしても国芳が御厩川に降らせた雨は重い。重すぎる。いろいろ吸い取られそうだ。
〜4、子供のかわいらしさ〜
歌川国芳『子供遊五節供之うち 七月』は、七夕飾りの「短冊」じゃなく「竹」の方に注目してる。

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小さな男の子が、自分より年上の綺麗なお姉さんのために、懸命に七夕飾りの竹を曲げている。表情が固まってるところを見ると、かなり必死だ。男の子の成長って、意外とこういうところかもしれないと思わせる作品だ!
〜5、笑いの愛蔵版〜
歌川国芳『百色面相』は、「国芳らしさ」が爆発してる。

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それぞれの表情を見てるだけでも面白いのだが、それぞれの顔に添えられた文章も面白い。上の絵では右上から左へ「くしゃみ」「皮切り(最初にすえる一番熱いお灸)」「蚤取り眼」「あくび」、右下から左へ「熱湯」「辛子舐め」「酔い酔い」「踏んづけ」とある。さらに各項目には「あるある」なコメントが続く。この、絵と文章の関係が、〈面白さ〉と〈リアリティ〉の関係になっている。この2つは、国芳の魅力の秘密と言えるかもしれない。
〜6、歴史の物語〜
歌川国芳『竜宮城 田原藤太秀郷に三種の土産を贈』は、魚介類がいちいち面白い。

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〜7、話題の見世物〜
歌川国芳『当盛見立人形之内 粂の仙人』は、当時の見世物小屋の名物だった「生人形(いきにんぎょう)」を描いたもの。「生人形」とは、今で言う「蝋人形」みたいなものか?粂の仙人(左)の動きにアクティブさが乏しいのも生人形ゆえか?

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〜8、きわどい活動〜
2010年の【歌川国芳奇と笑いの木版画】でも紹介した歌川国芳『里すゞめねぐらの仮宿』や『源頼光公館土蜘作妖怪図』など、いわゆる国芳流の浮世絵が続く。
〜9、西洋画の異境〜
歌川国芳『忠臣蔵十一段目夜討之図』も2010年の【歌川国芳奇と笑いの木版画】で紹介したが、今回の図録にはその元となったジョン・ニューホフ『東西海陸紀行』の画像も載っている。

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続いて、下の写真を見て欲しい。この写真の絵を見て、雪を降らせれば本所松坂町になると思った、国芳という男の才覚にただただ驚く。

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さらに、2006年の【亜欧堂田善の時代】で紹介した、安田雷洲『赤穂義士報讐図』のオリジナルも写真で紹介している。例の、聖書のキリスト誕生の絵から忠臣蔵討ち入りの場面を描いちゃった雷洲の絵だ。
〜10、人気者、国芳〜
歌川国芳『流行逢都絵希代稀物』には、国芳自身が登場する。

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もともとこの版画は、近松門左衛門の浄瑠璃「傾城反魂香」がテーマで、中央にいるのは、江戸時代に流行した面白版画「大津絵」の絵師・又平である。彼の手元の版画がグレーのシルエットだらけになっているのは、その版画から、大津絵の人気キャラたちが抜け出してしまったためだ。で、絵師の周囲にいるのが大津絵のキャラたちで、例によって当時の人気スターたちが演じている。そして、中央の絵師・又平だが、偶然顔が隠れており、団扇には国芳の落款である「芳桐印」が、反対側では猫が覗き込んでいる。つまり、この絵師は⋯という遊びである。
〈第2章 21世紀の国芳〉 何が私たちの心をつかむのか?
〜1、「綺麗なもの」と「かわいいもの」の復権〜
歌川国芳『逢性鏡 吉三郎』は、とにかく美しい。

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この団扇絵に描かれているのは、坂本冬美のヒット曲『夜桜お七』でお馴染み、八百屋お七と彼女が恋い焦がれたイケメンの吉三郎。お七の顔、ポージング、着物、背景、フレームに至るまで、何から何まで美しい。でも、この美しい恋愛のせいで、江戸は大火に包まれるから皮肉だ。
歌川国芳『忠孝名誉奇人伝 梶女』には、国芳の子犬がいる。
怪傑ゾロみたいな子犬がとくに可愛い。

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この章には「国芳の子犬と応挙の子犬」というミニコーナーもついていて、国芳の素描なども紹介しつつ、実は国芳が、応挙の子犬の絵を研究した上で子犬を描いていることなどを分析している。金子学芸員らしい見事で楽しい文章だ。

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〜2、特撮ファンタスティック〜
歌川国芳『源頼光の四天王土蜘退治之図』は、まるで漫画のコマ割りのようだ。

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図録で丁寧に解説されているが、横三枚ぶち抜きの浮世絵の中を、縦横無尽に土蜘蛛の糸を張り巡らすことで、おそらくは身長2m程度の土蜘蛛が体長10mぐらいの巨大な化け物に見える。おまけに、張り巡らされた糸のおかげで、周囲の源頼光アベンジャーズが漫画のコマ割りのように、それぞれの時空で戦うことができる。
〜3、ヘタウマのきわみ〜
歌川国芳『荷宝蔵壁のむだ書』は、とにかく楽しい。

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この絵はこれまでも何度か紹介してきたが、今回は画面下側の部分に注目して欲しい。右端では、フォントの試し書きとかしてる。どこまでメタ遊びをするんだ!?という作品。もちろん、注目はどセンターにいる「踊る猫」!
〜4、猫がむすぶ国芳と現代人の心〜
歌川国芳『猫のおどり』は、たぶんチェッカーズの原型だ。

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⋯というのは嘘だが、まずファッションからして、とても江戸末期とは思えないセンスの良さを示している。しかも、アイドル系とオラツキ系が混じってるのもいい感じだ。図録によると、三人の扇子がすべて「判じ物」(=謎解き)になっていて、それを解くと「♪やととんとろつく、やととんとん」と、お囃子になっているそうだ。
こうして、江戸絵画の楽しさを徹底的に追求してきた《春の江戸絵画まつり》が翌年には、またまた新しい展開を見せ始める!
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春の江戸絵画まつり
リアル 最大の奇抜
2018年3月10日〜5月6日

リアル 最大の奇抜未知の領域に挑む江戸絵画のリアル』チラシ
※画像引用
2006年【亜欧堂田善の時代】から12年経って、干支が一周した。《春の江戸絵画まつり》と名乗った【三都画家くらべ】からも、はや6年。いよいよシリーズが新しい展開を迎えた。
図録冒頭にもこんな言葉がある。
今回のタイトルには、堅苦しい印象があるかもしれません。
その背景には、こんな思いがあったという。
近年、伊藤若冲や曾我蕭白、長沢芦雪ら〈奇想の画家〉たちが人気を集めている一方で、かつては彼ら以上にビッグネームだった円山応挙や司馬江漢の名前が最近少し霞んでいるように見える。江戸中期には斬新だった彼らの「本物のように描くこと」が、現代では当たり前すぎるため最近とみに過小評価されているようだ。本当に彼らの作品を、そんな風に過小評価してもいいんだろうか?
この問題提議には、少しだけ時代背景を補足しておく必要がある。この展覧会を遡ること2年前の2016年春、伊藤若冲の『釈迦三尊像』と『動植綵絵』が一堂に会した「生誕300年記念 若冲展」が東京都美術館で開催され、総入場者数44万6千人という記録。これにより、20世紀後半からゆっくりと浮上していた若冲とその仲間たちの人気が世間にも強く印象付けられた。

2016.4.30
そんな時代、同じく〈奇想の画家〉たちを大切に扱ってきた府中市美術館でも、それと反比例するように地盤沈下を始めていた応挙や江漢のことが気になっていた。そんな思いで今回の展覧会が企画され、金子学芸員は、今回の展覧会で「江戸絵画のリアル」を4つの視点から再評価してみることにした。
1)リアルに描くことを知った画家たちの作品について
2)リアルに描いたことから生まれた面白さについて
3)従来の技法や哲学が、どんな風にリアルと結びついたか?について
4)リアルに生涯をかけた応挙と江漢について
さて、そんな《春の江戸絵画まつり》の異色作がいよいよ始まる!

司馬江漢『七里ヶ浜図』のリアル版
〈1章 「リアル」の力〉
「まるで本物のような」何か
森狙仙『群獣図巻 二巻』は、近年発見された絵だという。

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二巻で合計45匹の動物たちが登場している。江戸時代の動物画最強集団とも言うべき森派の始祖である狙仙が描いてるだけに、8割方の動物はめちゃくちゃリアルである。一方、残り2割は狙仙が現物を見たことがないせいなのか、イメージがぼんやりしてる。動物たちの中では喧嘩をしたり追いかけたり、多少のドラマ性もあるが、だいたいはこの絵巻物の中にただ「いる」。もしかしたら、それがテーマだろうか?とにかく謎だらけの絵だ。でも、ダイナミックで楽しい!
原在中『鶏頭花図』は、リアルのその先を見ているような気がする。

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植物図鑑で見つけたんだろうか?在中は、謎の植物を精緻に描きながら、脇の岩はとても非現実的な存在として描いている。つまり、そもそも在中にとって、リアルは道具のひとつでしかないのか?
ちなみに、今回の展覧会でも活躍している原在中は、円山応挙の弟子である可能性と、そうではない可能性があるという。どっちやねん!?
村松以弘『白糸瀑図』には、誰も見たことのない風景が描かれている。

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掛川藩御用絵師の村松以弘が描いた、この絵のような風景は地球上に存在しない。でも、空想の中でコラージュした結果、この絵が生まれた。なかなかの迫力である。そして、技法はすべて当時の南画の一般的なテクニックしか使っていないのに、造形の見事さによって新しい臨場感を作り上げている。
原在中『天橋立図』は、再構成された美しさ!

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《春の江戸絵画まつり》でこの絵が紹介されるのは、初めてではない。とにかく印象に残る絵だ。何が?と言って、『天橋立図』は日本美術史上多くの画家が描いてきたモチーフだが、この絵の美しさは他の作品とはまったく違っている。そりゃそうである。在中は、他の画家が誰も考えなかった構図を自分で考え、それにあわせて現実を再構成しているからだ。こうして、こんな天橋立見たことない!という天橋立図が完成した。
〈2章 「リアル」から生まれる思わぬ表現〉
独自の「本物みたいな」描き方
亜欧堂田善『少女愛犬図』は、驚くべきことに掛け軸の絵だった。

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この絵も《春の江戸絵画まつり》の初出ではないが、ようやく紹介することができる。それにしてもこの絵が水墨画であり、縦120cmほどの掛け軸の絵だったという事実にまず驚く。この絵を掛け軸にしたら、どんな部屋に似合うだろうか?最適解を探してみたい。
以降、この〈2章 「リアル」から生まれる思わぬ表現〉では、これまで《春の江戸絵画まつり》で登場した名作たちがオールスターっぽく登場する。どれも、このnoteのシリーズでも過去に一度は紹介してきたはずだ。
太田洞玉『神農図』
大久保一丘『伝大久保一岳像』
祇園井特『美人図』
北鼎如蓮『鯉図』
墨江武禅『月下山水図』
安田雷洲『鷹図』
宋紫山『虎図』
葛飾北斎『雪中鷲図』は、その目を見て欲しい。

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兎を描くとあんなに暗い目を描く北斎だが、この鷲の目ときたら、ちょっと茶目っ気すらある。この差はなんだろう?
あと、土方稲嶺『清湍登鮎図』や黒田稲皐『千匹鯉図』も紹介したかったが、ネットに画像が見つからず。
〈3章 ところで、「これもリアル?」〉
少々不思議な「リアル」の表現
川又常正『階下遊女図』は、江戸遊郭あるある?

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この展覧会ではこの絵のリアルについても紹介している。つまり、主役である遊女の着物の状態、見切れている一階と二階の客室内の様子などが当時の遊郭のリアルである、と。さらに言えば、遊女の手前に手水(洗面)があるのもリアル?
英一蝶『返歌之図』は、歌会あるある。

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さすが諧謔の人、英一蝶である。和歌の会での「あるある」を一枚の絵にしている。つまり、床の間の前にいる「羽織の老師匠」の詠んだ歌に返歌することになった弟子たちの苦闘の記録である。退屈、絶望、欠伸、爆睡⋯などが部屋の中に揃っている。
〈4章 従来の描き方や美意識との対立と調和〉
「リアル」と「画法」の融合、「文人」の芸術と「リアル」との関係
渡辺崋山『市河米庵像』は、崋山のリアル肖像画シリーズのひとつ。

『鷹見泉石像』や『佐藤一斎像』など、リアル過ぎる肖像画を描いた渡辺崋山の作品。
〈5章 二人の創作者 司馬江漢と円山応挙〉
生涯をかけて「リアル」と向き合った画家
司馬江漢『七里ヶ浜図』のこのバージョンは、やっぱり好きだ。

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この章の司馬江漢の作品は、だいたいこれまでのシリーズで紹介し尽くしているので、さっさと応挙へ。
円山応挙『竜門図』の中央のコレを、私は勝手に「スリット鯉」と呼んでいる。

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図録の写真を見ると、この3枚組は真ん中の絵だけ縦に長いそうだ。
これも滝の豪快さを際立たせるための演出だとか。
応挙、おそるべし。
「スリット鯉」の現物を初めて見たのは、『新美の巨人たち 応挙✕大乗寺客殿』のロケハンで訪れた兵庫県の大乗寺。ここで単体ものの「スリット鯉」(※上の作品とは別の作品)を見て、度肝を抜かれた。現物を見ると、滝のスリットの隙間から見えている鯉は非常に精緻な鯉の背中が描かれている。鱗はもちろん、背びれまでがちゃんと丁寧に。これぞ、応挙という「リアル」さ。そこにとどまらない「超リアル」な作品だ!
そして、シリーズ内でも異色の硬派展覧会となった【リアル 最大の奇抜】に続く翌年、《春の江戸絵画まつり》シリーズ最大の問題作にして、SNSでバズリまくったあの展覧会が登場する!
2026-03-18
