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「知識ばっかりで、全然まーさんのこと見てないわ!!」——“理解してる父”のつもりだった

「知識ばっかりで、
全然まーさんのこと見てないわ!!」


奥さんが、ぷりぷり怒っていた。
その日に受けた発達検査の話だった。

検査の人が、
まーさんに何か話しかける。

反応がない。
すると。

 

「呼びかけに応答なし」

 

みたいな感じで、
淡々と記録していく。

でも奥さん、
そこにめちゃくちゃイラついていた。

 
「そんなボソボソ言うてたら、
誰だって応答せえへんやん!!」

 
「なんか知識ばっかりで、
全然まーさんのこと見てないわ!!」

 
私は横で、

「へー、そうなんや」

くらいに思って聞いていた。

でも。
だいぶあとになって思った。

 

それ、
まさしく私やん。

 

って。


私は長い間、

“自閉症スペクトラム”

を見ていた。
まーさん本人じゃなく。

私は長い間、「普通に近づくこと」が
幸せにつながると信じていました。
でも、その前提自体を疑い始めた頃のことも
書いています。

「普通になれたら幸せ」って、
本当にそうなんやろか

自閉症スペクトラムって言葉は、
とても便利だった。
ある程度、発達障害のことを知っている人には、
一気に説明できる。

「受け答えは難しいですが、
身辺自立は出来ています」
「視覚優位です」
「言葉より、絵や図の方が入りやすいです」

そういう専門用語っぽい言葉を並べると、

「あぁ、なるほど」

って空気になる。
それが、なんだか嬉しかった。
通じてる気がした。

私は、まーさんを理解してもらうために、
知識を集めていた。
特性を理解してもらうために、勉強していた。

でも今思う。
私は途中から、

 

“説明できる自分”

 

に、少し酔っていた気もする。

「ちゃんと勉強してます」
「理解しようとしてます」
「受け止めてます」

そんな風に見られることで、どこか安心していた。

小学校入学前、学校へ説明にも行った。
奥さんと二人で、

「“どっちがいい?”とか“何歳?”とかは
答えられないことが多いです」
「でも、言ってることはだいたいわかっています」
「トイレ行きたいとは言わないので、
そこは補助が必要です」

「お箸は使えます」
「字も練習しています」

そんな風に、出来ないことと、
出来ることを説明した。
その頃の私は、

 “理解ある父親”

になろうとしていた気がする。

当時の私は、「普通に近づけること」が
愛情だと本気で思っていました。
何がなんでも話せるようにしたかった頃のことは、
こちらの記事に書いています。

『普通を目指して、何が悪いねん!!』
——自閉症の息子を“治したかった”父の本音


知識をつけて。

説明できるようになって。

「ちゃんと向き合ってます」

って言える父親に。

まーさんは「視覚優位」らしい。
療育でも言われた。

「図や絵を使った方が理解しやすいです」

私は、

「へーそうなんや」

と思った。
でも正直。

あまり実感がなかった。
療育行く前に、療育の写真見せたりしていたけど、

「で、これ意味あるんかな…?」

みたいな感覚もあった。
理論と実務が、噛み合ってない感じ。
でも私は、その“実感のなさ”を放置したまま、

「視覚優位らしいでー」

と、親に説明していた。
すると親は、

 

「ふーん。で、話さへんの?」

 

みたいな反応だった。
私はイラッとしていた。

「だから、そういう単純な話じゃなくて…!」

って。
でも今思う。

いや。
話通じてなかったの、私やん。
って。

そもそも。
まーさんが“視覚優位”なのは、
ある意味当然だったのかもしれない。

話さない。
言葉でのやり取りが少ない。
なら、見ることに集中する。

それは自然なことでもある。
でも私は、

「じゃあ実際、生活の中でどう活かす?」

を、ほとんど考えてなかった。
ご飯、お風呂、寝る前。
イラストで支援してた訳でもない。

そこまで困ってた訳でもない。
なのに、

 

“視覚優位”

 

という知識だけは、どんどん増えていった。
そして知識が入るたび、

 

「そうか!!わかった!!」

 

という気になっていた。

今思うと、かなり危なかった。
私は、知識を得るたびに、

 

“理解した側”

 

へ行っていた。
その頃の私は、なぜか、

 

「いろんな人に説明しなあかん」

 

みたいになっていた。
大学時代の友人に会う時も、

 

「子どもの話になると思うし、
ちゃんと説明してくるわ」

 

と言っていた。
私はたぶん、

 

“前向きに向き合ってる父親”

 

に見られたかった。

「隠してません」
「ちゃんと受け止めてます」
「理解してます」

そういう父親に。

今思えば。
かなり必死だった。
奥さんはそんな私を見て、

 

「まーさん見てない人に説明するの難しくない?」

 

と言った。

「直接会った時に説明するくらいでええんちゃう?」

って。

私はその時、

 

「え??」

 

と思った。

なんでそんな発想になるんやろって。
でも後になって気づいた。
私は。

 

“聞かれる前に説明しないと怖かった”


んだと思う。

今思えば私は、
“理解してる父親”
でいないと、
自分が壊れそうだったのかもしれません。

病院の非常階段で、
5歳のまーさん相手に感情が爆発した日のことは、
こちらの記事に書いています。

「何で俺の言うことが信じられへんねん!」
——病院の非常階段で、5歳の息子に絶叫した日

あっ、まーさんってもしかして…。

って空気になった時。
私はすぐ、

 

「あーやっぱりわかったかー。実はな…」

 

って説明できるようにしていた。

今まで実際には、
そんな問答ほぼされたことないのに。
でも私は、

“何を言われても大丈夫な父”

になろうとしていた。

多分。
葬式の時。
親族の視線を気にしながら、
まーさんを外へ連れ出していた、
あの惨めさを。

どこかで、晴らしたかったんやと思う。
でも。
その頃の私は。
まーさんが、

“どんな子か”

を、全然見てなかった。
奥さんは、日常の中のまーさんを見ていた。

「こういう時こうする」
「これ好き」
「ここよく見てる」

そういう話を、たくさんしてくれていた。

でも私は。
情報を集めて。
分析して。
知ったつもりになっていた。

私は、

“まーさん”

じゃなく、

 

“自閉症スペクトラム”

 

を見ていた。

そして。
そのことに、自分で気づいていなかった。

今思う。
私は。
知識で、安心したかっただけなのかもしれない。

でも。
知識を集めれば集めるほど。
肝心の、

 

“まーさん本人”

 

が、ぼやけていった気がする。

“特性”じゃなく、“まーさん本人”を
見るようになってから、
少しずつ見える景色が変わっていきました。

“困った子”だと思っていた息子が、
“おもろい子”に変わっていった話


そういう意味では。

自閉症スペクトラムという言葉は、
とても便利で。

そして、とても不便だった。


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岩木 継二 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。このnoteが、誰かの共感や気づきに繋がれば嬉しいです。僕の活動を応援していただけるなら、ぜひサポートでご協力をお願いします。いただいたご支援は、まーさんとの新しい体験や、より良い記事作りの活動費に充てさせていただきます。