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「普通になれたら幸せ」って、本当にそうなんやろか——自閉症の息子を通して、父が価値観を疑い始めた日

「普通になれたら、
幸せになれる」

それって、
本当に“絶対条件”なんやろか。

私は、
ほとんど疑いもせず、
そう思っていた。

何がなんでも話させる。
普通に会話できるようにする。
みんなと同じように、
受け答えできるようにする。

私は長い間、
そこにものすごく執着していた。

でも。

その執着を、
少しずつ手放し始めた頃。

今度は、
別の問題が浮かび上がってきた。

そもそも。

 

“定型発達を目指す”

 

って、
何のためなんやろ。

 

私はずっと、
それが当然だと思っていた。

まーさんのためになる。
幸せにつながる。
生きやすくなる。

そう、
ほとんど疑いもせずに思っていた。
でも。

ある前提が崩れ始めた。
私はずっと。

「返事しない」
「言葉通りに動かない」

だから。

「理解していない」

と思い込んでいた。
でも。

もしかして、
そうじゃないんちゃうか。
その感覚が出始めた時。

急に、
足場がグラッとした。
じゃあ。

今まで、
私が必死に追いかけていたものって、
何なんやろ。

そんなことを、
考えるようになった。

 

定型発達を目指すのは、
幸せになるため?

 

じゃあ。

私は、
いわゆる定型発達っぽい人間やけど。
幸せなんか?

……うーん。

たぶん、
幸せ。

最高かと言われたら、
よくわからん。
でも。

愛する奥さんがいて。
子どもたちがいて。
家族がおって。
身体も一応健康で。
仕事もある。

ほんまに、
やりたい仕事なんかどうかは、
正直よくわからん。

でも、
まぁ。

たぶん幸せ。
じゃあ。

幸せになるために、
定型発達って必要なんか?
って考えると。

 

「あった方が便利」

 

ではある気がする。

学校。
仕事。
人間関係。

そら、
ある程度みんなと同じように出来た方が、
生きやすい部分はあると思う。
でも。

 

“必要条件”

 

かと言われると。
……そこまで、
言い切れない気がした。

そもそも。
私自身、
幸せって何か、
まだよくわかってない。

その途中にいる。
そんな人間が。

 

「こうなれば幸せや!!」

 

って、
まーさんを、
ひたすら定型発達へ近づけようとしていた。

なんか、
急にそれが、
わからなくなってきた。
みんなと同じように出来ること。

それって、
幸せにつながるんだろうか。
もちろん、
出来た方が便利ではある。
でも。

私は、
ある程度みんなと同じように
出来ている側の人間やと思う。
でも。

だからといって、
ずっと満たされてる訳でもない。
結局。

「普通になれば幸せ」

って。

私自身、
そこまで確信持ててなかったんやと思う。
ただ。

日本で学校生活送ったり、
仕事したりする上では。

ある程度、
出来た方がラク。
それくらいの感じ。
昔みたいに。

「何がなんでも普通に!!」

じゃなくても、
いいんじゃないか。

少しずつ、
そんな風に思い始めていた。

じゃあ。
まーさん本人は、
どうなんやろ。

みんなと同じようになりたいんやろか。

そこを考えた時。
私は初めて。

 

“まーさん本人”

 

を、
ちゃんと見ていなかったことに気づいた。
私はずっと。

「普通に近づけること」

ばかり見ていた。
でも。

まーさん本人が、
何に困ってるのか。
何を嫌がってるのか。
何を勘違いしてるのか。

そこを、
ちゃんと見てなかった。
ようやく。

 

“本人の困り事”

 

に、
フォーカスし始めた気がした。
その頃から。
「普通に近づけること」より。

 “家の中で、どう役に立てるか”

の方が、
まーさん自身を安定させていたのかもしれない。

実際、
家事へ参加するようになってから。
家の空気は、
少しずつ変わり始めていた。

(→「“ありがとう”が増えたら、自閉症の息子の癇癪が減っていった話」)

そんな頃。
奥さんに、
聞いたことがある。

「まーさんって、
こっちの言ってること、
実際どれくらい理解してると思う?」

返事はほとんどしない。
言葉通りに動かないことも多い。

だから私は、
まだどこかで。

「理解そのものが難しいんちゃうか」

と思っていた。
すると奥さん。

洗濯物たたみながら、
普通に。

 

「えー。
だいたいわかってるんちゃう?」

 

って言った。
私は、
内心かなりびっくりした。

いや、
そんな普通に言う!?って。

奥さんは続ける。

「唐揚げとかも、
ちゃんと出来てるやん」

「洗い物も、
私たちとやり方一緒やで?」

「めっちゃ見てるでー」

って。

その時。
なんか、
頭を軽く殴られたみたいな感覚があった。

私は。

 

“返事しない”=“理解してない”

 

と思い込みすぎていたのかもしれない。
でも奥さんは。

もっと感覚的に。
生活の中で、
まーさんが理解していることを、
普通に感じ取っていた。

私は、
そこまで近い距離感で、
まーさんを見れていなかったのかもしれない。
あと。

男性と女性の違い、
みたいなのも、
少しある気がした。

私は、
どうしても理論で考える。
でも奥さんは、
感覚でつかんでる感じがあった。

そういえば。
私は昔から、
あんまり人に頼み事をしない。

「電気消してー」
「お茶入れてー」
「それ取ってー」

みたいなの。

家族にも、
そこまで言わない。

でも奥さんは、
よく頼む。
で。

まーさんにも、
普通に頼んでた。
私はどこかで。

「まぁ、
わかるやろうけど……
パッとは出来へんやろな」

みたいに、
勝手に思っていた。

だから。
そもそも。

“まーさんに頼む”

という発想自体が、
あまり無かった。

東田直樹さんの本を読んで。

「実はかなり理解してるかもしれん」

と、
認識を改め始めてはいた。
でも。

奥さんほど自然に、
まーさんを生活の中へ参加させる感覚は、
私は持ってなかった。
でも。

そういえば、
思い出す場面がある。

お米のジャーを洗ったあと。

私はいつも、
近くのハンドタオルで、
サッと水気を拭いて、
戻していた。

ある時。
まーさんが、
同じようにやっていた。

その瞬間。

 

「あ……」

 

って思った。

見てたんや。
返事しなくても。
言葉で説明できなくても。

ちゃんと、
見てたんや。

その時のこと、
今でも覚えている。

私は、
かなり興奮して。

 

「まーさん、
実はめっちゃ理解してるかもしれん!!」

 

みたいな感じで、
奥さんに話した。

でも奥さん。

 

「え?
何言ってるん?」

 

くらいの反応だった。

それもまた、
衝撃だった。

私は、
世紀の大発見くらいの勢いやったのに。

奥さんの中では、
ずっと前から、
普通に存在していた感覚だった。

なんか。
奥さんすごいなとも思ったし。

いや。
そもそも。

 

私が見えてなかっただけなんか?

 

とも思った。
あの頃の私は。
まーさんを見ているつもりで。
実は。

 

“出来ない部分”

 

ばかり見ていたのかもしれない。

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岩木 継二 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。このnoteが、誰かの共感や気づきに繋がれば嬉しいです。僕の活動を応援していただけるなら、ぜひサポートでご協力をお願いします。いただいたご支援は、まーさんとの新しい体験や、より良い記事作りの活動費に充てさせていただきます。