「怒るな!!」は間違ってた——自閉症の息子に教えられた“戻る力”の話
「ええか!!怒ったらあかんって
言ってるわけちゃうで!!」
気づいたら、
私はそんな言い方をするようになっていた。
前の私なら、
「怒るな」
「落ち着け」
「もうやめろ」
そうやって、
“感情そのもの”を止めようとしていたと思う。
でも、
それをやればやるほど、
まーさんも、
私も、
余計にしんどくなっていった。
当時の私は、
YouTubeを止めさせようとして、
完全に“意地の張り合い”になっていた。
👉
『YouTube禁止や!』で壊れた。
自閉症の息子と“意地の張り合い”になっていた話
まーさんには、気持ちが乱れても
元に「戻す力」がついてきた。
これは、
あとから気づいたことですが、
かなり大きかった。
最初はとにかく、
癇癪までいかせないこと。
そればっかり考えていた。
段階的に声をかける。
興奮が上がりきる前に止める。
そこまでいってしまったら、
もう戻らない。
——そう思っていた。
実際、この当時から数年前。
小学校3年くらいの頃は、
一回崩れたら、
その日ずっと引きずることもあった。
怒る。
暴れる。
泣く。
半日終わる。
そんな日も、
普通にあった。
だから私は、
「いかに崩さないか」
そこばっかり見ていた。
でも、
少しずつ変わってきた。
段階的に声をかけていく中で、
まーさんは、
YouTubeを
“やらされて止める”んじゃなくて、
“自分でやめる”
ことが増えてきた。
もちろん、
癇癪がゼロになったわけじゃない。
普通に荒れる時もある。
でも、
そうなったとしても、
戻る時間が、
明らかに短くなってきた。
前は数時間。
ひどい時は、
半日空気が死ぬ。
それが今は、
早かったら10分。
長くても30分くらい。
さっきまで怒ってたのに、
急に笑い出すこともある。
その変化を何度も見て、
私は気づいた。
ああ、
「癇癪にいかせないこと」だけじゃなくて、
「戻る力をつけること」
これも同じくらい大事なんや。
でも当時の私は、
そこをあまり見ていなかった。
とにかく、
・いかに気持ちを安定させるか
・いかに精神的に崩さないか
そこばっかり考えていた。
いわゆる、
アンガーマネジメント的な発想。
怒りは厄介者。
できるだけ出さない方がいいもの。
——無意識に、
そう思っていた。
でも、
少しずつ変わっていった。
怒りって、
めちゃくちゃ強い感情やけど、
その分、
記憶に残る。
何に怒ったのか。
何に傷ついたのか。
そこには、
その人の
「大事にしてるもの」
が出る。
それに気づいた時、
怒りの見え方が変わった。
怒ること自体は、
別に悪いことじゃない。
私だって怒る。
奥さんだって怒る。
人間やから、
しゃーない。
でも、
その怒りの“表現方法”は、
選ばないとあかん。
だから私は、
まーさんに、
こう言うようになった。
「ええか!怒ったらあかんって
言ってるわけちゃうで!」
「パパもママも怒るし、それは普通や!
怒ってもええ!」
「でもな!!」
「叩いたり、唾ブーーッてしたり、
そういう怒りの表現はあかんって言ってんねん!!」
この言い方に変わってから、
少しずつ、
関係性が変わっていった。
前は、
怒ってるまーさん VS 怒ってる私
やった。
でも今は、
少し違う。
怒るのはしゃーない。
じゃあ、
どう怒る?
何に怒ってる?
どうしたらええ?
同じ“怒り”を見ながら、
一緒に考える側に回った。
とはいえ、
そんな綺麗な話でもない。
普通に怒鳴る。
この前も、
宿題で一悶着あった。
「叩いたらアカンやろ!!何やってんねん!!」
って、
普通に言ってる。
でも、
そのあとに、
こう言えるようになった。
「いいか、怒るのはええ!!」
「でもその出し方、どないやねん!!」
これ、
まーさんに言ってるけど、
半分は、
自分に言ってる。
だから、
ギリギリで止まることも増えた。
で、
変な話やけど、
怒りの使い方も、
少し変わってきた。
例えば、
宿題で机叩き出した時。
前やったら、
「やめろ!!」
で終わってた。
でも今は、
「そんな怒るんやったら、
じゃあいつやるか決めろや!!」
「それ決められへんから、
今やってるんちゃうんか!!」
怒ってるのは一緒。
でも、
向いてる方向が違う。
正直、
まだ手探りです。
怒りは今でも厄介だし、
見たくない時もある。
私自身、
冷静でいれないこともある。
でも、
一つだけ、
前と違う。
怒りを、
「消すもの」じゃなくて、
「扱うもの」
だと思えるようになった。
それと、
もう一つ。
奥さんも、
同じように変わっていった。
まーさんがYouTube見てて、
危なそうな動画に入りそうになった時。
「あー!プチプチ見てるしー」
(色々踏み潰す動画のこと)
「目ーワルなんでー」
軽く、
でもちゃんと、
声をかける。
怒るでもなく、
説教するでもなく、
空気みたいに、
スッと入れる。
それを続けてるうちに、
ある時。
まーさんが、
スマホ持ちながら、
ニヤニヤして言った。
「プチプチ見てるしー」
「目ーワルなんでー」
自虐ネタやん……
って思った。
思わず奥さんと、
顔見て吹き出した。
でも同時に、
「あ、なんか分かってきてるな」
って思った。
言葉で教えたというより、
空気で覚えていった感じやった。
そして、もう一つ。
まーさんが、
YouTubeを自分で止められるようになってきた、
一番大きな変化。
でもそれは、
“YouTubeを我慢できるようになった”
って話じゃなかった。
もっと、
根っこの話やった。
家の中で、
「助かった」
「ありがとう」
って言われること。
“自分が役に立てる場所”
が増えていったこと。
今振り返ると、
そっちの方が大きかった気がしている。
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