「何で信じてくれへんねん!」と叫んだ日、信じてなかったのは自分やった
「何でおれのことが信じられへんねん!!」
気づいたら、私は叫んでいた。
病院の非常階段に、自分の怒鳴り声が響いていた。
相手は、まだ5歳の息子だった。
その頃のまーさんは、
年少の夏頃からずっと休園が続いていた。
私はどこかで、
「まあ、このまま年中には戻れるやろ」
と甘く考えていた。
でも現実は違った。
受け入れ先を探し始めた頃には、
もうどこも締め切られていた。
結局、年中の一年間、
まーさんは家で過ごすことになった。
毎日ずっと一緒にいる奥さんの負担は、
かなり大きかったと思う。
だから、療育を受けるために
病院へ行くことになった。
でも診察の日、いきなり連れて行って
パニックになったらまずい。
そのために、
事前に私とまーさんの二人で病院へ
“予行演習”に行くことになった。
正直に言う。
嫌だった。
めちゃくちゃ嫌だった。
奥さんが大変なのは分かっていた。
でも、それとこれとは別だった。
私一人で、まーさんを病院の中まで
連れて行ける自信なんて、
まるでなかった。
予行演習は日曜日にした。
人が少ない方がいいと思ったからだ。
いや、本当は違う。
人に見られたくなかった。
自転車をこぎながら、
頭の中ではずっと嫌な想像が回っていた。
「どうせ大声出すやろな……」
「頼むから騒がんといてくれ……」
「注目されたくない……」
今思えば、頭の中はほとんど自己保身だった。
病院に近づくにつれて、まーさんがぐずり始めた。
私は人気の少ない場所に自転車を停めた。
そして、大きくため息をついた。
「はぁ……もう帰りたい……」
本気でそう思っていた。
でも、帰るわけにはいかなかった。
ここで逃げたら、
奥さんに顔向けできない気がした。
父親として、それはあかん気がした。
私はしゃがみこんで、まーさんに話しかけた。
「今日は何もしないよー」
「ちょっと中見るだけやから」
「あとで帰るから、大丈夫やって」
自分なりに必死だった。
なんとかなだめながら、
病院の入り口まで連れて行った。
でも、そこから先に進めなかった。
以前、違う病院で採血をしたことがあった。
その記憶が残っていたのかもしれない。
入り口の前で、まーさんは突然、
「ギャーー!!」
と叫び出した。
人は少ない。
でも、全然落ち着かない。
背中に嫌な汗が流れた。
「頼むから落ち着いてくれ」
そう思えば思うほど、声は大きくなる。
私は必死で言った。
「大丈夫やって!」
「ちょっとだけ入ろ?」
「なっ?すぐ帰るから!」
でも、全然通じない。
私は何度も奥さんに電話した。
状況を説明した。
いや、説明というより、
半分は言い訳だったと思う。
本音を言えば、ただ早く終わってほしかった。
この地獄みたいな時間から逃げたかった。
すると奥さんが言った。
「せめて小児科ある2階までは行ってほしい」
私は心の中で、
「無理や……」
と思った。
「嫌や……」
とも思った。
でも、ここで終わったら、
全部中途半端になる気がした。
なんとか一階には入れた。
でも、エレベーターもエスカレーターも
拒否だった。
近づくだけで、
「ギャーー!!」
となる。
誰かが来そうになるたびに、その場から離れる。
また戻る。
また叫ぶ。
その繰り返しだった。
私は途方に暮れた。
そして思った。
「非常階段ならいけるかもしれん」
人も来ない。
多少叫ばれてもマシだ。
私は半分強引に、非常階段へ向かった。
でも、そこでもやっぱり、
「ギャーー!!」
だった。
その時、私の中の何かが限界だった。
「今日は何もせえへんって言ってるやろ!!」
「上行くだけやんか!!」
「病院も、まーさんのために来てるんやぞ!!」
言葉をぶつける。
でも、思い通りになんかならない。
ただ二階へ行くだけなのに。
それすらできない。
何回目かの押し問答のあと。
私の中で、何かが切れた。
「だから今日は行って帰るだけやって
言ってるやろ!!」
「何で俺の言うことが信じられへんねん!!」
非常階段に、自分の怒鳴り声が響いた。
もう、その時はどう見られるかなんて
どうでもよかった。
ちゃんとしなきゃ、とか。
冷静な父親でいなきゃ、とか。
全部吹き飛んでいた。
まーさんは、少しびっくりした顔をしていた。
それでも泣いていた。
私も半分ヤケクソだった。
「俺を信じろ!!」
「上行ったら帰るから!!」
そう言いながら、
ほとんど勢いだけで階段を上がった。
二階を少し歩いて。
そして私は、逃げるように病院を出た。
帰り道の記憶は、ほとんどない。
今振り返ると。
あの頃の私は、
まだ“当事者”じゃなかったんだと思う。
出かける時は、いつも家族四人だった。
奥さんや娘が、
自然にまーさんをフォローしていた。
嫌がりそうなものを避けて。
気が逸れるように動いて。
空気を読んで。
先回りしていた。
私は、その横にいただけだった。
「なんとかやってくれてるな」
くらいに思っていた。
でも、本当は違った。
奥さんが全部さばいてくれていたんだ。
私は、逃げていた。
どう接していいか分からなかった。
言葉も通じない。
急に大声を出す。
周りの目が気になる。
だから、どこかで距離を取っていた。
まーさんを理解しようとするより、
「何とか普通に近づけたい」
「困らないようにしたい」
そんなことばかり考えていた。
でも。
あの非常階段で。
みっともなく怒鳴って。
汗だくになって。
情けないくらい追い詰められて。
あの時だけは。
私は初めて、
まーさんと真正面からぶつかった気がする。
父親らしくなんてなかった。
余裕なんか全然なかった。
周りの目ばかり気にしていた。
でも、あの瞬間。
私は初めて、
「この子をどうにかする」
じゃなく、
「この子と生きていく」
という場所に、
ほんの少しだけ足を踏み入れたのかもしれない。
まだ5歳だった息子に。
私はあまりにも振り回されていた。
そして同時に、
父親としての自分の未熟さを、
真正面から突きつけられていた。
でも今思う。
あの時、
「信じろ」と叫んでいた私自身が、
一番、
まーさんを信じられていなかったのかもしれない。
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