“どうせわかってへんやろ”—— 自閉症の息子への『無礼』に気づいてしまった日
「信じられへん……何でこんな人から、
あんな理路整然とした文章や言葉が出てくるんや……」
これが、
初めて動画で 東田直樹さん を見た時の、
私の正直すぎる感想だった。
かなり失礼なことを思っているのは、
自分でもわかっていた。
でも、その時は本当にそう感じた。
むしろ、
その衝撃で頭が真っ白になった。
東田直樹さん の存在を知ったのは、
母親からだった。
「重度の自閉症の人やけど、
すごい本を書いてる人いるよ」
そんな感じで聞いた。
私はすぐ本を買った。
まーさんの世界を少しでも知りたかったからだ。
当時の私は、まーさんのことがわからなかった。
呼んでも返事をしない。
何度言っても反応がない。
急に「ギャーー!!」と叫ぶ。
店に入った瞬間、
ものすごく怖がってパニックになる。
強いこだわりもある。
私は、
それをずっと、
「理解できてないから」
と思っていた。
こっちが何を言っても返ってこない。
答えられない。だから、
「言葉を理解できていない」
「わからないから話せない」
そう決めつけていた。
だから私は、
“通じる状態”
にしたかった。
高額な民間療法。
特殊な機械を使った周波数療法。
何か原因があるなら、
それを取り除けば変わるかもしれない。
こちらの言葉を
理解できるようになるかもしれない。
ちゃんと答えられるようになるかもしれない。
今思うと、
私はまーさんを理解したかったというより、
“普通に近づけたかった”
んだと思う。
でも、本を読んで衝撃を受けた。
そこには、
頭ではわかっているのに
身体が勝手に動いてしまうこと。
飛び跳ねてしまう理由。
目を合わせられない理由。
パニックになっている時、
自分でも止められないこと。
伝えたいのに伝わらない苦しさ。
わかってもらえない悔しさ。
そういうものが、
驚くほど理路整然と書かれていた。
私は混乱した。
“わからない人”
の文章に見えなかった。
そして、思った。
もしかして。
まーさんも同じなんじゃないか。
もちろん根拠なんてなかった。
でも、その時の私には、
暗闇の中に小さな光が見えた気がした。
もっと知りたくなった。
だから動画を探した。
たぶんYouTubeだったと思う。
そして動画を再生した。
その衝撃は、本の10倍どころじゃなかった。
「わたーーーしーーは……」
「いまーーも……」
「感謝ーーしていーーまーーす……」
「おわりっ!!」
言葉を、一音ずつ、
魂を削るみたいに外へ出していた。
飛び跳ねていた。
独特な動きもあった。
正直、私は混乱した。
「えっ……?」
「この人が……?」
「この人が、あの文章を書いたん?」
はっきり言う。
当時の私は、
「まーさんよりもっと重い」
そう感じた。
本当にそう思った。
だからこそ、
頭の中の固定観念が、粉々になった。
見た目や話し方だけでは、
何もわからないのかもしれない。
“うまく反応できない”
と、
“理解していない”
は、
同じじゃないのかもしれない。
その時、まーさんの顔が浮かんだ。
もしかして。
もしかして、まーさんも——。
わかっているのに、
どうにもできないのかもしれない。
頭ではわかっているのに、
身体や言葉が追いつかないのかもしれない。
話したいのに、
言葉が消えてしまうのかもしれない。
もし、そうだったら。
私は今まで、
「なんて申し訳ない事をしてきたんだろう……」
「なんて失礼な態度をとってきたんだろう……」
「どうせわかってへんやろ」
そんな空気を、
私は絶対に出していた。
目線。
ため息。
声のトーン。
あきらめた顔。
そういうものって、
たぶん伝わる。
もし、まーさんが、
本当は伝わっているのに、
うまく反応できなくて、
それなのに父親から
「どうせ理解してない」
みたいな空気を感じ取っていたとしたら。
そう思った時、
ものすごい自己嫌悪がきた。
私は、
まーさんを傷つけていたんじゃないか。
理解しようともせず、
勝手に“できない側”に押し込めていたんじゃないか。
もちろん、今でもわからない。
本当にどこまで理解していたのか。
何を感じていたのか。
それは本人にしかわからない。
それに私は、
昔からつい極論で考えてしまう人間だ。
ゼロか100。
白か黒。
全部わかっているのか、
全部わかっていないのか。
ここは一部わかるけど、
ここはわからないこともある
というグラデーションを、
なかなか受け入れられない。
だから私は、
「わかっていてほしい」
と思ったんだと思う。
そうじゃないと、
怖かった。
“通じていないかもしれない”
という不安に耐えられなかった。
だから、
東田直樹さん の存在に、
救われたかった部分もあると思う。
でも。
あの衝撃が、
私の見方を変えたのも事実だった。
それから私は、
まーさんに話しかける時、
少し変わった。
「どうせわからへんやろ」
ではなく、
「伝わってるかもしれない」
そう思って話すようになった。
不思議なことに、
その方が、
前よりちゃんと届いている気がした。
全部じゃない。
でも、
何かは届いている。
そんな感覚が、
少しずつ増えていった。
今振り返ると、
これは私の中で、
“受容”に向かう大きな転換点だったと思う。
ただ同時に、
私はどこかで、
まーさんにも 東田直樹さんのように、
何かを言葉にしてほしかったのかもしれない。
自分の気持ちを。
考えていることを。
それができれば、
安心できる気がしていた。
だから結局、
私はずっと、
不安だったんだと思う。
でも、あの時。
「反応できない=わかっていない」
そう決めつけていた世界が壊れたことで、
私は初めて、
まーさんの“見えていない内側”を
想像しようとした。
あれが、
私の中で、
大きな分岐点だった。
「自閉症だからわかっていない」
私は、
どこかでそう決めつけていた。
でも、
“反応できない”と
“理解していない”は、
同じじゃなかったのかもしれない。
あの時から、
私は少しずつ、
「障害を見る」から、
「本人を見る」
へ変わり始めていた。
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