文豪ジャパン|森鴎外、監督にしたら責任取らなさそう問題
きのころさんという書き手さんが、「作家ワールドカップ」というnoteを書いていた。
文豪たちをサッカー日本代表に選んで、ポジションを決めていくという、文学好きにはたまらないおふざけ企画である。
司令塔は夏目漱石。
ワントップは太宰治。
左ウィングは宮沢賢治。
右ウィングは芥川龍之介。
右サイドバックに三島由紀夫。

もうこの時点でだいぶ濃い。ピッチ上の圧がすごい。サッカーというより、文庫本売り場がそのまま走り出したようなチームである。
その中で、森鴎外は中盤の参謀として置かれていた。
医学、翻訳、文学をまたぐ知的総合力。軍医としてのキャリアもある。たしかに、チーム全体の規律を整える役としてはかなり適任に見える。
貫禄は抜群、実績もあって、申し分ない。
ぱっと見は、監督でもいけそうだ。
でも私はふと思った。
いや、鴎外、チームが負けても責任取らんのでは?
いち書き手としても鴎外は尊敬している。けれど、こう思ったのには理由がある。
森鴎外は明治を代表する文豪であり、軍医であり、翻訳家であり、超エリートである。
すごい人なんだけど、私はどうしても鴎外に対して、「この人、頭の良さで責任の所在をぼかすタイプじゃない?」という疑いを捨てきれない。
鴎外の名作に『舞姫』がある。
ざっくり言えば、ドイツに留学したエリート男性が、現地の踊り子エリスと恋に落ちる。彼女は妊娠する。しかし主人公は、キャリアのために日本へ帰ることを選ぶ。
エリスはハートブレイクどころか発狂しておかしくなる。
主人公は帰りの船に乗りながら「しかたなかった」と言わんばかりのアンニュイな影を落としている。

おい。
いや、おい。
近代自我の問題も分かる。エリート青年の苦悩も分かる。国家と個人のはざまで揺れる男の弱さも、まぁ分かる。
分かるけれど、妊娠させた女性をほったらかして帰国する男の話でもある。
しかもこの作品は、鴎外自身の留学体験がモデルになっている説も有名だ。
鴎外もドイツ留学中に女性と関係があり、その女性が日本まで訪ねてきたという話が残っている。ところが、鴎外の家は医者の一族である。
「外国人の嫁など許さん!!」という空気が当然のようにあり、彼女は追い返された。しかも鴎外本人は、門前にも出なかったという。
出ろよ。
そこは出ろよ、日本男児として。
ケジメ付けろって!!!
インサイドハーフとして中盤の規律を整える前に、自分のゴール前の責任を整えてほしい。
もちろん、時代背景はある。明治の家制度、エリート官僚としての立場、家や国家の期待。現代の恋愛倫理だけで裁ける話ではない。でもやっぱ思う。
無責任やぞ、と。
そして鴎外には、もうひとつ私の中で引っかかっている作品がある。
『ヰタ・セクスアリス』である。
タイトルからして強い。
「性欲的生活」という意味だ。
ざっくり言えば、男性の性の目覚めをかなり淡々と描いた作品だ。息子の性教育のために書いたとも言われるが、当時は「卑猥だ」と批判され、発禁処分を受けた。
特に frigiditas とでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。そういう想像は、zola の小説などを読んだ時にも起らぬではなかった。
(↑この字面を見るだけでプンプン香るインテリ臭)
ここでも鴎外は、なんというか、すごく鴎外である。
「いや、私は客観的に書いただけですが?」
みたいな顔をしている。
たぶん実際にはもっと複雑な事情がある。文学表現の自由、性を語ることへの社会的抑圧とか。そういう話として読むのも大事。
でも私は、鴎外を読むたびに思う。
この人、常に頭の良さがちらつく。
正面から泥をかぶらずに、
「これはこういう構造でして」
「私は観察者でして」
「客観的にはですね」
と、知性の高台から説明してくる感じがある。
私はこれを、勝手にこう呼ぶことにした。
インテリ・エスケープ。
森鴎外の必殺技である。

たとえば試合終盤、文豪ジャパンが一点ビハインドだったとする。
太宰が前線で転び、芥川が短く鋭いクロスを上げ、三島が右サイドを美しく駆け上がり、賢治が雨にも負けず走っている。
ベンチでは鴎外監督が腕を組んでいる。(きのころさんチームは坪内逍遥が監督だけど)
あえなく文豪ジャパンが負けてしまったとき、記者が聞く。
「監督、この敗因はどこにあったとお考えですか?」
すると鴎外はたぶん、こう言う。
「敗因というものは、一つの要素に還元できるものではない。選手個々の資質、当日の気象条件、相手チームの戦術的成熟、ならびに本大会における歴史的文脈を総合的に考察する必要があります」
取れ、
責任を。
なんかそれっぽいことを言っているが、要するに責任のボールを中盤で散らしている。
「私の采配ミスです」とは言わない。
知性でプレスをかわしてくる。この「知性でプレスをかわす感じ」が、私の中の森鴎外なのだ。
こんなことを書くと鴎外ラブの人に叩かれそうな気がする。でも私は決して鴎外を嫌いなわけではない。津和野にある鴎外記念館だって行ったし、Xスペースでひとり「舞姫」朗読会をして、その名文を味わっている。
でも、すごい人だからこそ、責任の取り方にはその人の本体が出る気がする。
頭のいい人は、いくらでも説明できる。
自分がなぜそうしたのか。
なぜそうせざるを得なかったのか。
時代がどうだったのか。
制度がどうだったのか。
全部、言葉にできてしまう。そして言葉にできる人ほど、時に、自分の責任まできれいに文章化して薄めてしまう。
これは鴎外だけの話ではない。
私にもある。
夫婦喧嘩後に冷静に自己分析して、「茨木彩菜の取扱説明書」をガチで作って、夫に渡して、凹ませた。
「でも、あの時は仕方なかった」
「私にも事情があった」
「構造的にはこうだった」
そうやって、私はすぐに言葉で逃げようとする、厄介な嫁だ。
国語力の悪用である。

言語化できる人間は、自分の弱さも、ずるさも、責任逃れも、それっぽく整えられる。被害は夫のような身近な人間が被る。
本当は「ごめんなさい」と言えばいい場面で、私はつい「背景としては」と言いたくなる。
散々と鴎外をおかしみ対象にしたが、インテリ・エスケープは鴎外だけの必殺技ではない。
私の中にも、わりといる。
文豪ジャパンで一番責任を取りそうなのは、たぶん鴎外ではない。
太宰は勝手に自分を責めすぎる。
漱石は胃を悪くする。
芥川は神経を削る。
賢治は「みんなの本当の幸いとは」を考え込む。重い。
そして、
三島は腹を切りかねない。(ほんとにやめて)

でも鴎外は、たぶん報告書を書く。
めちゃくちゃ完成度の高い報告書を書く。
そこには試合の経過、選手の心理、戦術的課題、相手チームの特性、今後の改善案が美しく整理されている。
しかし最後まで、「私が悪かった」とは書いていない。そんな気がする。
知らんけど。
きのころさんの「作家ワールドカップ」を読んで、私は文豪たちのポジションを想像しながら、結局、森鴎外という男の責任の取り方について考えていた。
なんのはなしですか。
でも、たぶんこういう話だ。
どれだけ頭がよくても、実績があっても、最後に問われるのは「逃げなかったかどうか」なのだと思う。
インテリ・エスケープを決めたくなる瞬間は、誰にでもある。
だからこそ、せめて自分がボールを失った時くらいは、ちゃんと取り返しに走れる人間でいたい。
鴎外先生、参謀・監督としての手腕は認めます。
でも負けた時は、会見に出てください。
▶︎素敵な企画、ありがとうございました!
面白かったので勢いで書いてしまいました。
笑わせられ、考えさせられ、文豪たちの作品もまたしっかりと読み直したくなりました。
▶︎なぜか、やたらと鴎外について書いてます。
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