文章から「匂い」が伝わる書き手になりたい
文章は、内容より先に「匂い」が伝わる。
スマホでnoteを読むとき、たいてい人はじっくり一言一句を追わない。
でもなぜか、読む前から「なにか」を感じとる。

「うわ硬い」
「面白そう」
と、まるで目の前に料理が置かれたときのように、文字にビジュアルも匂いもないのに、なんらかの気配を感じて、離れたり、席に着いたりしてしまう。
その差はいったい、なんなんだろう。
思うに、「人付き合い」と同じことが、書き手と読者の間でも、見えないうちに起こっているのではないか。
「読者のため」
「社会のため」
「あなたのため」
と言いながら、実は自分の正しさを証明したいだけの文章がある。
それは結局、
書き手がこちらに歩み寄っているのか。
上から見下ろしているのか。
自分を大きく見せようとしているのか。
その違いは、文章のうまい下手以前に滲む。
それが匂いとなって、立ち上がってくるのだろう。

この人は「本体」で書いているのか。
それを私たちは無自覚のうちに、感じている。
本体で書くのは、感情を全部さらけ出すことではない。
弱音を書くことでも、過激な本音を言うことでもない。
自分がどこから語っているのかを、ごまかさないこと。
一方で「鎧」で書くとは、立派な言葉を使いながら、自分の不安や承認欲求を隠すこと。
たとえば、
励ましているようで、励ます自分に酔っている。
叱っているようで、指導する自分に酔っている。
寄り添っているようで、優しい自分を見せたいだけになっている。

それは学生時代を思い出すと、すごく分かりやすい。
教師時代、私はよく思っていた。
子どもは、言葉の正しさだけを聞いているんじゃない。
その大人が「本気」で言っているのか、自分の立場を守るために言っているのか、かなり敏感に嗅ぎ取る。
あの先生の説教は届く。
でも別の先生が同じことを言うと、反抗される。
差は、言葉の内容だけではない。
その人が本体で向き合っているか、鎧で押さえつけているかだったのだと思う。
教師と生徒、書き手と読み手。
仲間であっても、言葉を使うときは同じことが起きる。
うまい言葉も、相手の「鎧」があれば、ざらっとした違和感となって現れる。
きれいな言葉なのに、素通りされる文章。
逆に、少し不器用でも信頼できる文章がある。
それは、書き手が自分の「立ち位置」をごまかしていないから。

すてきな文章は、立ち位置に嘘がない。
そう考えると、文章に必要なのは、完璧な人格じゃない。正しい意見でも、弱さを全部さらすことでもない。
ただ、自分はいま何のために書いているのか。誰に届いてほしいのか。そこに、自分の欲望がどんな形で混ざっているのか。
それを一度見つめること。
嘘がなく、相手の目の前に立てるかどうかだ。
✏️
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