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障害の回復               Vol.2 回復とは            part 3 先を目指すアプローチ〜社会の視点から

Vol.2 Part 2からの続きです。

 さて、ここからもう一度、社会視点の話を進めます。


参加に値する社会が必要だ

 社会への参加が重要であれば、そもそも、参加に値する社会が存在することが大前提になります。例えばヒトラーの支配する社会に参加したいですか。多くの人はそんな社会は嫌でしょう。特定の属性の人を排除するような社会、参加を拒む社会、そのような社会には参加したくないですよね。
 誰もが誰をも排除しない、参加に値する社会を作る。これが私達が目指す障害の回復にとって必要不可欠です。社会こそが重要な要素なのです。

参加に値する社会とは〜特例子会社合理的配慮義務違反裁判

 参加に値する社会とはどのような社会かを考えるために、事例をひとつ紹介したいと思います。「ミカちゃん裁判」(特例子会社合理的配慮義務違反裁判)です。法律、係争については全くの門外漢である筆者には法理の面から裁判について論じることはできませんので、あくまで、医療・福祉の現場からの、障害ということに対する社会のあり方の一つの事例として論じます。
 この裁判の原告は、このブログのアイコンイラストなどを描いてくださったミカちゃんさんその人です。ミカちゃんさんは中学生の時に頭部外傷を受傷されました。二週間意識が無かったほどの重症だったようです。ところがわずか1か月半で復学されています。当時、高次脳機能障害は知られておらず、身体機能面の回復が得られた時点で、早々に復学を許可されたのだろうと思います。
 意識障害が二週間も続く頭部外傷ですから、認知機能にも影響があったことは想像に難くありません。実際に、暗記が苦手になり、思うように勉強が進まなくなったそうです。元々成績優秀で処理能力が高い方だったことが伺われますが、学校の成績は低下してしまったのです。ご本人は危機感を持ち、中学・高校を通じて、死に物狂いの努力をなさって、上位の成績で卒業されています。ご本人が非常に努力家であり、また、学校という保護的環境もあったことで、後遺症をカバーできていたと考えられます。
 卒後、就労したところ、仕事についていけない、周りの人についていけないことを指摘される。努力家なので死に物狂いで努力されるわけですが、その頑張りでできる仕事があると、今度は、「本当はできるのに今までやっていなかった、さぼっていたんだ。」と責められる。結局、その職場は辞めざるを得ない。次に勤めた職場でも同様の現象に遭遇する。その繰り返しだったようで大変つらい思いをされたことと思います。
 ある時、高次脳機能障害の外来を受診することができ、「あなたが経験された現象は、高次脳機能障害の現れです。」と診断がついた。そこでミカちゃんさんはほっとしたというんです。「ああ、そういうことだったのか。」と理解できた。
 診断後、訓練プログラムに入ります。受傷からの時間が経過しているので、機能回復訓練こそしなかったものの、持ち前の努力家の資質もあってか、生活訓練・職能訓練などフルコースの訓練をこなされました。社会参加のためのスキルを身につけるとともに、メタ認知レベルの自己認識を持てるようになられたのです。つまり、社会参加を維持していくのに十分な力をつけられたわけですね。
 満を持してある特例子会社に就職しました。本人を交えた職場との環境設定の詳述は避けますが、その中でひとつだけ、象徴的な事柄について述べておきたいと思います。
 ミカちゃんさんは障害のために制服の着用が難しいので、ミカちゃんさんが仕事に取り組めるような服装にすることで環境設定ができました。
 重要な点は
1)環境設定は、労使両者の合意・了承のもとに設定されており、
2)この環境設定の下、以後5年間の長期に渡り、安定して、問題なく順調に仕事を続けられたこと

です。
 ところが会社のオーナーが代わり、上司同僚も入れ代わりました。途端に「特別扱いしない。」と通告され、それまで行われていた環境設定をすべて破棄されました。象徴的な話でいうと、「制服を着なさい、みんなが制服を着ているんだからあなたも制服を着なさい、制服を着るように努力しなさい。」と言われたわけです。
 ミカちゃんさんは、制服を着用しては業務を遂行できません。業務の継続が困難となり、休職を余儀なくされました。休職後の、本人・支援者と職場との面談の際に、「対処法・環境設定をすれば仕事ができるので、従来通り環境設定(合理的配慮)を続けて欲しい。」と要望をしました。話し合いの場を持ち、環境設定の継続を要望されたのです。
 会社側は、ミカちゃんさん側の要望を「個人の”我がまま”であり、本人が努力して障害を克服して職場に適応すべき。」と主張し、「それができないのなら馘首だ。」と環境設定の要望を拒否しました。個人の努力で(個人の責任で)克服せよという個人モデルのみによる障害理解に基づく主張がなされたのでした。結果、退職せざるを得ませんでした。
 このような会社の=社会の無理解に対して、声を挙げなければいけない。裁判に訴えましたが、一審では「棄却」という残念な判決がくだされたのです。 「記憶障害を持つミカちゃんの記録は信用できない。ミカちゃんが職場に適応するように努力すべき。」という判断です。裁判官も障害を医学モデル/個人モデルでしか理解していないようです。
 最初に申し上げた”障害のグローバルスタンダード”を思い出してください。障害は社会的障壁が作り出すもの。個人の努力で克服するのではなく、社会が対処する、これがグローバルスタンダードです。日本は条約に批准していますから日本のスタンダードもおなじです。そのため、この一審判決については、障害理解に関して問題があるとの指摘・批判があります。
 控訴審では、”障害ということ”をどのように捉えるのか、個人の問題ではなく社会が対応すべきであり、職場が対応して障害を解消する、これがグローバルスタンダード、日本のスタンダードであるとし、一審判決の障害理解は妥当性を欠くことを弁護団は指摘しました。
 また一審判決で「ミカちゃんは記憶障害があり、その証言に信頼性がない。」とされた点に対して、壊れた携帯電話のメールデータを3年がかりで復元するなどして、弁護団は、ミカちゃんさんの主張をすべて証明しました。
 控訴審ではこれら原告側の主張が認められ、「被告会社側は障害の特性に関する理解を深め、必要な措置をしなさい。会社全体として改善しなさい。」、裁判官はこのような判断をしました。
 最終的に、和解という形で、実質的に勝訴となりました。社会が対処して解消するスタンダードの考え方がようやく認められたのです(*)。
 この時の記者会見で、弁護団の先生方が「画期的な判断がなされました。」とおっしゃいました。ミカちゃんさんと弁護団・支援者の粘り強い戦いが勝ち取った”画期的な”裁判でした。そうなのです。今回の判断が”画期的”と表現されるほど、日本の社会はグローバルスタンダードから遅れている。いまだ、個人の努力で障害を克服せよという考え方が支配的であり、かつ、それに対して疑問をもたない。この「障害を自己責任で克服したら参加させてやる。」という日本の現状は、私達の社会が、「障害のない者だけが参加できる」という、障害のある状態に置かれた人を排除する社会のままであることを意味します。
 ですから、この裁判でなされたような判断が画期的と言われない、すなわち、これが当たり前という社会を作っていくことが大事だと思います。
*一審判決の文言が独り歩きして誤解(医学モデル/個人モデルのみによる障害理解のしかた)を広める懸念は残ります。

ミカちゃんさんからのメッセージ

 私は、自分の力で働き、自立した生活をしたいと願っており、それは多くの障害者も同じだと思います。障害者の働く場所は限られており、いつ首になるかわからない不安を抱えていて、それはその家族も同じです。働かせてもらえるだけましだと卑屈になり、言いたいことも言えないのが実情です。
 私のような障害者は他にもおり、でも雇い主に強く言えず泣き寝入りをしている人がたくさんいます。障害者の権利を使えるのが当たり前の社会になり、私のような苦しい思いをする障害者がいなくなることを願っています。
 自分らしくいようとするには、自分らしく居られる環境に身を置くこと。特例子会社は、あらゆる障害者にとって数少ない働く場所であり、大切な居場所でもあります。労働局をはじめ支援機関、行政でも社会モデルの正しい理解を求めます。この裁判の勝利和解で、障害者の権利を求める行為が日常概念に溶け込んでほしいと願っています。
・「ミカちゃん裁判、勝利的和解~障害特性の理解と合理的配慮~」 すべての人の社会. 2023年7月号. pp.8-9

・森 弘典. 特例子会社の「障害者雇用」合理的配慮提供義務違反の事案で画期的和解. 賃金と社会保障, No.1829, pp.4-16, 旬報社, 東京, 2023.
・日本障害者協議会声明文
https://www.jdnet.gr.jp/opinion/2022/pdf/230221.pdf

 読者の皆さんの中にも、同じような経験をされた人がいるかもしれない。筆者の患者さんにも同様の経験をされた方は少なくない。特例子会社であってさえ、です。
 そのような皆さんに申し上げたいのは、あなたは悪くない、あなたの責任ではなく、社会の側の問題だということ。ミカちゃんさんのように声を上げる人がいます。この弁護団のように支援する人がいる。あなたはひとりじゃない。
 大事なことは、社会を変えることです。

日本社会の現実

 ミカちゃんさんを苦しめた、この裁判の被告会社は、なにか特別な悪の集団だったのでしょうか。おそらくそうではない。日本の社会の「普通」が、表現されているだけではないか。彼らにとっての「普通のこと」(当たり前過ぎて疑念を持つ余地すらないこと)を「普通に」言っただけではないか。つまり、この被告会社の障害に対する考え方が、現代日本社会の障害理解の水準なのだということです。悲しい現実ですが。

生きづらい日本社会

 私個人は日本の社会は非常に生きづらいと感じています。居場所がないと感じられます。
 シャツを買いに行くと店頭にはS・M・Lと三つのサイズがある。ところが、日本の規格には、私は背が高すぎ、痩せすぎ、さらに手足が長すぎる。合うサイズがないのです。一方、アメリカの通販カタログを見れば、高すぎ用、やせすぎ用、長すぎ用、さまざまなサイズがとりそろえてある。
 日本の服は、規格に合わない人ははじかれてしまう。服と表現しましたが、要するに社会のあり方の象徴です。日本の社会は、社会の”普通”という限られた規格に合わない者は排除される、そのように私には感じられます。

社会による排除

 最近は、”生産性が低い”とされた存在を排除することが”普通に”言われるようになってしまいました。透析患者は死ねと公言する。高齢者は自決せよと主張する。言葉とは呪(しゅ)、呪いであり実体化します。このような”言葉”を背景に、実際に殺傷事件が起きてしまったことは皆さんご存じでしょう。この事件の後、脅迫など類似案件が続発したことから、社会全体がこのような考え方に毒されているのではないでしょうか。社会全体が、ということは私たちひとりひとりが、ということです。私たちひとりひとりが、このような「排除の論理」を心のうちに秘めているのではないか。

内面化された排除の論理

 自分はそうじゃない、読者の皆さんは否定されるかもしれない。
 ある通院メンバーがおっしゃいます。「先生、私は受傷まではスーパーマンでした。他人よりもすごく仕事ができた、何でもできました。ところが受傷後は全然できません。周りの人についていくことすらできません。職場の配慮はありがたいけれど、仕事をやっていて毎日がすごくつらいです、苦しいです。」。
 10年そのような状況が続きました。そしてある日こう言う。「私、スーパーマンやめました。できることを自分のペースでやります。そうしたら楽になりました、毎日仕事が楽しいです。」。
 私たちは受傷前の自分、あるいは理想の自分というイメージを持っている。ところが現実の自分は回復していない、理想からずれている。誰しも理想形からはみ出た部分というのはあります。完全に理想形の人なんていないでしょう。
 理想形からはみ出た自分って見たくない自分です。嫌いな自分、認めたくない自分です。できれば切り捨てたい。ここに私達の心の中の「排除の論理」がありはしないか。
 認めたくない自分を切り捨ててはいけないし、また、切り捨てられない。なぜかといえば、ここを切り捨てしまって残ったものはもはや自分ではないからです。切り捨てたい自分も含めて自分なのです(*)。
 この”スーパーマンをやめた”方は、認めたくない自分もまた自分であるとして、一緒に生きていくことができるようになったから、楽になり、ハッピーにすごせるようになれたのだと思います。
*赤瀬川原平先生は、「人間、誰でもクセがある。弱点は、その人の味なのだ。」とおっしゃっています。さすが、”老人力”で一世を風靡された方です。マイナス面と感じられるところを否定しない。むしろプラスに転じる視座を提示されているのだと思います。

誰もが誰をも排除しない社会を目指して

 大事なことは、自分の中の”認めがたい”自分を排除しないでいられること。別に好きにならなくても良い。ただ、排除しない、疎外しない。それができれば、自分の外にいる”認めたくない”他人をも排除せずに生きられるはず。
 自分を排除しない、自分を疎外しない人は、理解しがたい他者であっても疎外せずにいられるでしょう。ひとりひとりがほかのひとりを排除しない、そのような社会になれば、誰もが誰かを排除しない社会が成立する。
 私達にそれが可能でしょうか。
 それが可能となった時、初めて、私たちはお互いを尊重し、だれもが自尊感情を持てる社会を実現できる。誰をも排除しない社会ができた時に、私たちは社会の中で関わりを持つことができるようになる。その関わりを通じて、私達は生きる意味を見つけることができると思います。目指すはそこです。
 誰をも排除しない社会、誰もが尊厳を持っていられる社会を作ること、これがすなわち障害の回復に他ならないと考えます。
                                            了

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