障害の回復 Vol.2 回復とは part 2 先を目指すアプローチ〜個人の視点から
Vol.2 Part 1からの続きです。
先を目指すアプローチ
どのようにして”先を”目指すのか。シンプルに3つのアプローチを考えます。
まず1つめは先述の機能回復を目指すアプローチ。機能が低下したのだから機能回復を試みるわけです。いわゆる医学的認知訓練などの医学的な脳機能回復治療です。
とはいえ機能回復、つまり医学的治療には受傷後2,3年の間に行うという制約があるのも事実です。しかしその時期を外れたからと言って諦めることはありません。マティスの例のように、強みを活かし、苦手になったことをカバーすれば良いのです。
例えば記憶が低下した場合。脳の中に記憶できないのであれば、脳の外に記録すれば良い。スマートフォン、携帯電話と呼ぶものの、実態はコンピュータ、漢字なら電子頭脳。文字通り、頭蓋外にある脳として、メモ代わりに記録できます。記録だけでなく必要な時に知らせてくれたり、最近はAIも搭載されて、脳の代わりをしてくれます。
このようにたとえ苦手になった分野があっても、それをカバーする方策がある。強みや得意を伸ばす。それらを使いこなせるようになればよいのです。
機能そのものの回復ではなく、強みを活かして自身のトータルの能力を向上させる練習として、生活訓練や職能訓練、生活版ジョブコーチ支援などの方法が開発されています(*)。これが2つ目のアプローチ。
*生活訓練は、施設に寝泊まりして、朝起きてから寝るまで(あるいは就寝中も含めて)の訓練を通じて、一日の生活がスムーズにできるようになることが目標です。職能訓練など就労移行支援では、就労のための基本的なスキル(職業別の技能ではなく、働くための基本的な姿勢など)を身に着け、また、就労に際して支援員がサポートします。自治体の職業センターや民間の就労移行施設などで実施されています。生活訓練施設のない地域に対しては、生活版ジョブコーチ支援のように、在宅での生活訓練を実施する方法も開発されています。
参考文献
・第5章 標準的プログラム. 「高次脳機能障害ハンドブック 診断・評価から自立支援まで」. pp.71-106. 中島八十一, 寺島彰編.東京, 医学書院, 2006年.
社会(環境)要因
以上の2つは個人の視点からのアプローチですが、3つ目は社会が対応する視点からのアプローチです(環境要因)。いきなり社会というキーワードが出てくると大仰な印象を受けられると思いますが、じつはごく身近な論点です。
私の患者さんには聴覚過敏の方が多く、普通のオフィスではうるさくて仕事に集中して取り組めない。では仕事ができないか、そんなことはありません。耳栓すればよいのです。それだけの対処で仕事ができるようになるのです。
大切なことは、職場で耳栓の使用を許容されることです。社会が対応するとは、このように、高次脳機能障害の当事者が、その障害特性に合わせた環境設定を享受できることです。これが3つ目のアプローチ。
私達はともすれば、前2者のアプローチに眼が行きがちですが、ここまで述べてきたように、社会による障害の解消こそが現代の障害理解の根幹(*)であることを強調しておきたいと思います。
障害の医学モデル/個人モデルから社会モデル/人権モデルへの転換(あるいは両者の統合)が、障害理解についての日本社会の常識になれば、今、多くの人を苦しめている問題の多くが解消できるのです(この観点についてはVol.2 Part 3で具体的な事例を挙げ記述します)。
*医学モデル/社会モデルのアプローチの考え方も含め、その人の全体像を考えるフレームワークとして国際生活機能分類(ICF)があり、障害の有無に関わらずより良く生きることを考えることが現代のスタンダードであることを付記しておきます。
この三つの考え方でアプローチしていけば、障害は解消に向かいます。病院でおこなう医学的訓練(症状そのものの軽減)に始まり、それに続く職能訓練・生活訓練や生活版ジョブコーチ支援などにより強みを活かして新たな可能性を見出す、代償手段を身につける、そして社会の側が対応する環境調整(環境調整・設定、環境の構造化)。このようにして社会参加を実現できます。目標は社会復帰して達成、ではありません。社会参加を維持していくことが重要です。
社会参加を維持することの重要性
社会参加を維持していくことがなぜ大切なのか。それを説明するために、一旦、おはなしを、個人視点のアプローチへと戻します(社会の視点が重要であることは当然です)。
自己を見つめるプロセス
社会参加を続けていくこと、維持していく上で重要なポイントの一つに自己認識の問題があります。
医学的訓練や生活訓練・職能訓練など個人視点のアプローチは訓練あるいはトレーニングというワーディングから、スキルを身に着ける、技術を身に着けるとイメージされがちですが、実は、このアプローチは自分自身を見つめるプロセスとして意義があるのです。
訓練ではさまざまな課題に取り組みます。うまくいくこともあれば、思うようにできないこともあります。うまくいくことは得意なことであることを指摘し、また、うまくいかないことは、なぜそれがうまくいかないのか、その原因や理由(例えば注意障害の症状が現れている、など)を説明し、それに沿った対処を指導する。このように、その場で何が起こっているのか、現実の事象、内容を説明して対処法を指導する。リアルタイムにその人の現実(リアル)を、フィードバックしていく。この方法を阿部順子は、「リアルフィードバック」と呼びました。
ご注意いただきたいのは、失敗させて自覚させるのではないことです。ダメだしをするのではありません。苦手なこと得意なことを意識化・自覚し、適切な対処の仕方を身につけていく。
失敗を恐れず安心してトライできる「居場所」にいること、それが訓練という環境であり、そのような環境があって初めて、自分の得意不得意を意識するなど、自分自身と向き合うことが可能になるのです。
訓練のプロセスの中で自分の症状を知る、できること不得手なことを認識する、それができてくると、不得手なことに対してカバーできるようになる。ここまで来れば、あとは、社会の環境設定、職場の環境設定があれば、社会参加できます。
学習プロセスとの相同性
訓練を始める前、これはどの患者さんもそうですが、そもそもこの訓練の過程で自分と向き合うとか、この訓練の過程でさまざまなことに気づいていく、そのようなことは考えていないはずです。
体験を重ねリアルフィードバックを繰り返し、訓練の終了後、最後に振り返ってみた時に初めて、「いろんなことに気づいたな。」と本人の中でわかってくる。
訓練過程とは、「知らない自分(そもそも知らないことに気づいていない状態)」から、「気づきのある自分」に変わっていく過程にほかなりません。これは学習のプロセスと同じであり、言葉を変えれば、訓練を通じて成長するという言い方もできるでしょう。指導している我々の立場から見れば教育という言い方になるかと思います(教育的アプローチ)。
病識の意義
では訓練過程を通じて何に気づくのか、どのような洞察を得るのか。一般には、訓練により病識を得られると考えられる方が多いのではないかと思います。
「私にはこういう症状がある。」と気づくということは重要です。「記憶障害があるからメモを取っておこう。」というように、代償手段を身につけるモチベーションが上がりスキルも身につく。その結果、社会参加も可能になる。
しかし、我々は、社会参加の維持のためには病識があるだけでは不十分と考えています。”病識”は我々が想定し期待する「気づき(自己についての洞察、自己認識)」ではないのです。
訓練プロセスにおける”気づき”とは?
高次脳機能障害は自覚しにくい、本人にも見えない障害とは言うものの、当初から病識をお持ちの方も少なくない。記憶が悪いから、職場ではメモを取っていますなどとおっしゃるのですが、では、どのくらいの記憶障害で、どこまでカバーできているのか、これは自分では判断できません。これは当然で、障害の有無に関わらず、人は自分自身を適正に過不足なく評価することは難しい。それが可能であれば、「汝自身を知れ」というアフォリズムが何千年も伝わることはなかったはずです。
病識をお持ちであっても、自分自身を評価することは難しいため、本人ができていると認識していても、職場ではできていないと評価されていることもままあるのです。「できているつもりのツモリーマン」状態に陥り、ミスが減らず職場で適応できなくなるケースも出てきます。
病識を持つことは大切ではあるが、それだけでは社会参加を維持するための洞察としては不十分とはこのような意味合いです。
メタ認知レベルの自己認識
必要な洞察、自己認識とは、少しややこしくて恐縮ですが、「自分は自分の症状がよくわかっていないということがそもそもわかっていない…、ということに気づく」という気づきです。
私達は自分のことはよくわからない、認識しにくい、そのことにまず気づこう。これは自分の認知機能についての認知の仕方なので、メタ認知と呼びます。このメタ認知レベルでの自己認識を持つことが、社会参加を維持するために必要な洞察であり、目標と言えます。
なぜメタ認知なのか
例えば、私達は自分の顔を自分で見ることはできません。鏡やカメラがないと見られません。目ヤニが付いている、ご飯粒が付いている、顔が汚れていることにどうしたら気付けるのか。簡単ですよね、誰か信頼できる人に見てもらって、あなたはこうですよと指摘してもらえばよい。この「自分では見えないから、信頼できる第三者に見てもらおう」という意識を持つための気づきがメタ認知レベルの自己認識です。
自分のことはわからないということを意識できれば、誰かに見てもらい、アドバイスしてもらって、自分の行動を軌道修正することができる。ツモリーマンに陥らず社会参加を維持していけるわけです。
訓練を通してメタ認知レベルの自己認識を持てるようになる、これが個人が社会参加を維持していく、すなわち社会から阻害された状態から”回復”していくひとつの肝です。
参考文献
・深川和利. "もう一つの見えなさ 〜高次脳機能障害のリハビリテーションにおける自己認識〜". 「50シーンイラストでわかる高次脳機能障害『解体新書』」. pp.242-251. 阿部順子, 蒲澤秀洋監修, 大阪, メディカ出版, 2011年.
目標は”生きている意味”を回復すること
ここまでの(個人視点の話の)まとめです。高次脳機能障害の回復を考える場合、まずは機能回復、症状の改善です。ついで、能力の回復。苦手なことは代償手段でカバーして、できることを伸ばして前に進もう。新たな可能性を見出し、きることを増やしていく。
この二つは目標ではなく手段です。高次脳機能障害のために、生きている意味を見失った人が多いと申し上げましたが、この一度失われた”生きている意味”を”回復”すること、これが目標です。
では、生きている意味ってどこにあるのでしょうか。自分の中をいくら探してもみつからないですよね。ではどうすれば見つかるのでしょうか。
「ありがとう」がもたらす意味
こういう仕事をしていると、時々、お手紙をいただきます。講演を聞きましたとか、ネットで読みましたとか、本を読みましたとか。何が書いてあるかというと、「先生、救われました」と。「助かりました」と。「ありがとう」と。私の話や書籍などで、救われた、助かった、そしてありがとう。
この”ありがとう”って何でしょう。筆者がこの世界に存在し、世界に対してなんらかの発信をした、それが巡り巡って、その人を助けることになった。その人がこの世界に存在していくために、筆者の存在が必要だった、つまり、筆者がこの世界に生きて存在していることには意味があったのだと言ってくれているのです。それが筆者が生きている意味だと。
生きている意味は関わりの中で贈られる
このように考えると、生きている意味は、人と人の間をまわりまわってやってくるもの。私達は、生きている意味を他者から”プレゼント”されるといえるのではないでしょうか。
お手紙をくださった方は「助けられた」、筆者は「助けた」ということになっていますが、実はそうではありません。ありがとうの言葉のおかげで、筆者は生きている意味をもらって助けられた。助けられたのは筆者の方なのです。ということは、助けられる者は助ける者であり、助ける者は助けられる者でもあるのです。
生きている意味は人と人の間を回ってプレゼントされるものであり、私たちは人と人との関わりというネットワークの中で、助けたり助けられたりしながら生きている。生きている意味とは、そのような事象ではないか。
だから”参加”の維持を目指そう
生きている意味は、何らかの形で人と人との関わり、社会との関わリの中で贈られる。そうであれば、生きている意味をもう一度回復するとは、人と人とのネットワークに何らかの形で関わっていくこと、それを目指すことでしょう。だから(生きている意味を手にするために)「参加」を目指している、そして参加を維持していくことが大切ということになります。
Vol.2 Part 3へ続く
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