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高次脳機能障害における地域支援の考え方〜生活版ジョブコーチ支援という方法論〜Vol.1 Part 4

part 4 メタ認知レベルの自己認識

Vol.1 Part 3の続きです。


参加のための訓練プロセス?

 Part 3で述べた3つのアプローチに従って社会参加のためのプログラムが用意されています。
 脳損傷後、間もない時期には病院で医学的な認知リハビリテーションを実施して低下した認知機能の回復訓練を行います。医学的機能回復の時期(受傷後2,3年くらいの間)を過ぎても、次は職能訓練や生活訓練を通して代償手段を獲得し、社会生活をスムーズに送るためのスキルを身につけていくことができます。一方、家庭や職場、地域社会の環境調整を続けることにより、支障なく過ごせるだけでなく、社会参加を維持することを目指します。

自分自身と向き合う

 このように書くと、いかにも訓練、トレーニングによりスキルを身につけるプロセスと感じられると思います。もちろん、そのようにプログラムが組み立てられているのですが、本質はそこではありません。大切なことは、これらのプロセスを通じて、自分自身と向き合ってほしいのです。自分自身を見つめる時間としてほしいのです。
 訓練場面ではさまざまな作業を行ってもらいます。うまくできることもあれば、思うようにできない課題にも遭遇します。その際、なぜできないのか、その場で、その体験の意味をフィードバックしていきます。うまくできたことは得意なことだから。うまくできなかったのは、苦手になったことであり、それは注意障害という後遺症の現れですよ、と。そして事象への対応の仕方について適切な助言をします。リアルタイムに、その人の現実=リアルをフィードバックするので、阿部順子はこの方法をリアルフィードバックと呼びました。
 注意していただきたいのは、失敗により自覚させる、のではないことです。ダメ出しをするのではないことです。私の患者さんたちの多くは、私の診察室を受診するまでの間に、すでにほうぼうで失敗してダメ出しをされては追い出され、打ちひしがれています。だからこそ訓練場面は失敗してもダメ出しや否定をしない、居場所として存在しているのです。安心して失敗でき、それを意味のある経験に変えていく場なのです。

社会適応モデルによる教育的アプローチ

 リアルフィードバックを繰り返していくことで、徐々に自分自身の障害についての認識が芽生え、自分自身に対する認識が深まっていきます。高次脳機能障害は本人にも見えない障害と言いましたが、少しづつ障害という概念が見えるように変わっていきます。この変化は、代償手段を身につけようというモチベーションもに繋がります。このように補償行動が取れるようになれば、環境調整を実施しながら社会参加を続けていけるようになります(阿部順子の「社会適応モデル」)。
 このプロセスは自分自身についての認識が乏しい状態から、自分自身についての気づきのある状態への変化の過程、知らない自分から気づいた自分への成長過程であり学習の過程と言えるので、「教育的アプローチ」と呼びます。

気づき

 この社会適応モデルにおける学習成長プロセスによって得られる「気づき」とは何でしょうか。よくある誤謬は、この「気づき」を病識の獲得とする考え方です。
 ここで言う病識とは、脳損傷受傷前と現在との違いに気づくこと、すなわち、脳損傷後遺症症状の存在についての主観的な認知のことです。
 リアルフィードバックにより自己の現状に目を向け、初めて後遺症の存在を実感する方が多いのが実情です。あるいはなんとなく漠然と自身の後遺症症状の存在を疑っていた方が、上記の訓練プロセスを通じて、現実を認識し、人格の根底を揺さぶられるような大きなショックを受けることも少なくありません(そのような場合、メンタルなサポートが大切になることは言うまでもありませんが、ここでは論旨から外れるので指摘するにとどめます)。たしかに、病識を得られば、訓練のモチベーションとなり、代償手段や社会的スキルの獲得に繋がり、社会的適応しやすくなります。
 ただし、病識を持つだけでは、社会的参加の”維持”という目標を達成するに十分とは言えません。例えば記憶障害についての病識がある方は、メモを活用するなどの代償手段を用いて対処します。主観的には記憶障害への対処ができ、日常生活や仕事もこなせるといいます。本人の自己評価ではできているとして、では実際に症状への対処によりトラブルなく過ごせているのか、周囲からの客観的な評価も必要です。
 多くの場合、自己評価と周囲の評価には、多かれ少なかれ乖離が生じます。前述のように、高次脳機能障害の方は自己認識が難しいために乖離が生じると言えますが、そもそも、私達人間は自己を客観的に評価することは困難です。自己を正確に評価できる力が我々に備わっているのであれば、「汝自身を知れ」という警句が何千年も言い継がれるわけがありません。私達は自己を評価できないのです。
 たとえ病識があったとしても、その症状がどの程度重いのか軽いのか、症状への対処はどの程度できているのかいないのか、自分では正確に評価ができないのが普通です。すると、自分はできていると思いこんでしまう、独りよがりな「できているつもりのツモリーマン」になりがちです。
 病識を得て社会的スキルを身につけ社会参加後しばらくして慣れてきた頃にツモリーマンに陥ってしまい、トラブルが頻発、社会参加を続けることが難しくなってしまうケースは少なくありません。病識を得るだけでは社会参加へのパスポートにはならないのです。
 講演などで「担当する患者/利用者が病識がなくて困っている。」という質問を受けることがままありますが、このような相談が多い事自体、病識さえあればうまく行くのに、と考えている人が多いことの証左ではないでしょうか。

メタ認知レベルの自己認識

 社会参加を維持していくためにはどのように「気づけ」ばよいのか。それは「自分は『自分の症状がよくわからない』ということがわかっていない」ということがわかる、というわかり方です。うーん、ややこしいですね。これは、私達は自己について認識することが難しいということ自体に気づかずにいる、という自己の認知についての認知のしかたなので、メタ認知レベルでの自己認識ということができます。
 メタ認知レベルで自己を認識できると何がオトクなのか。自分自身の認知機能について良し悪しは自分ではわからないという認識に立てば、自分自身への評価は自分でするのではなく、周囲の他者に見てもらえばうまく行きそうだと理解できるはずです。
 私達は自分の顔を見ることはできません。鏡を見るか、写真を見るかしないと自分がどんな顔をしているかわかりませんね。鏡も写真もない、そんな時どうすればよいのか。答えはかんたん、誰か信頼できる人に見てもらえばよい。
 私が講演会などで登壇する際、念の為、楽屋で鏡を見ます。お昼に食べたおべんとうのごはん粒がひっついていたりしてはいけませんからね。でも控室も鏡もない会場も多い。そんなときはどうするか。慌てず騒がず、スタッフにチェックしてもらえば問題ないわけです(講演会のスタッフなら信頼できる答えが返ってくるはず、「汚い顔だ」なんて憎まれ口は利かないでしょう)。
 メタ認知レベルの自己認識に基づいて、常に信頼できる他者からの評価・アドヴァイスを参照することができれば、独りよがりの自己評価(ツモリーマン)に陥らず、トラブルを起こさず社会参加を維持できます。メタ認知レベルの自己認識を持つことこそが「気づき」であり、社会参加の維持のキモなのです。

Vol.2 Part 1へ続く

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