6.日本人の歩みを辿って(蚕ノ社)
弥勒菩薩像の余韻を引きづるように、広隆寺の楼門を出ます。今、私は楼門を背に南を向いていますので、左手が東にあたります。これから東に500mほどの場所に位置する「蚕ノ社」を目指します。
今回、比叡山から始まった、バックパックの旅は蚕ノ杜で終着になります。
広隆寺と蚕ノ社は大変近いですね。
直ぐに着きました。
この神社さん、「蚕ノ社」は通称の名前。正式には木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)といいます。
もっと正確にお伝えすると、太陽神「天照御魂」と秦氏の神「蚕ノ社」と二つの神を祀っている神社ということになります。
「蚕」は読んで字の通りで「お蚕さん」のことですね。秦氏が日本に持ち込んだ機織り(はたおり)、絹織物の「お蚕さん」を祀る神社なので「蚕ノ社」ということです。
少し余談ですが、明治維新以降、近代日本ではシルクの生産、織物の加工が大きな産業となりましたが、その生産地には秦氏などの渡来系氏族の関わりがあります。有名なところでは長野県諏訪市周辺、山梨県富士吉田市周辺など。このお話はまたの機会に…。

話を蚕ノ社に戻します。
こちらに到着して気が付いたのが鳥居は赤く塗られていないこと。鳥居の木肌は天然木のままでした。その素朴な素材の鳥居で手を合わせ、拝殿へ。上の提灯の写真は拝殿の両脇にあるものです。興味深いことにフタバアオイの紋章が描かれています。
この拝殿で手を合わせ、参道を進むと正面に本殿(天照御魂神)があり、その右隣に小さく蚕ノ社が鎮座しております。そして本殿左側に「元糺の森(もとただすのもり)」があります。この森には泉が湧き出て元糺の池がありました。ありましたと過去形としているのは、今は池の痕跡はしっかりあるのですが、水が枯れている様子なのです。
その池の中心に3本柱の鳥居がありました。

この柱が何で三本であるかは、いくつかの説があります。また掘り下げるととても興味深い話が出てきますが、ここでは敢えて触れずにいきたいと思います。
今まで2本の鳥居しか見たことがなかった私はとても不思議な感じを受けました。
先ほどのこの神社さんの紋章がフタバアオイでしたが、太秦から北東の方角に位置する賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)の紋章もまたフタバアオイです。(正確には少しだけ文様が変わります)
また下鴨神社には、糺の森(ただすのもり)という森があります。こちらが元糺(もとただす)、下鴨が糺(ただす)です。
上記からもわかりますように、賀茂神社に氏神を祀られた「賀茂氏」と「秦氏」は繋がりがあり、ともに近しい存在であるということです。
この日、私の参拝した松尾大社に立ち、夏至の日の出の方角に手を合わせるとします。そうするとちょうど日の出の方向が、昨日訪れた比叡山山頂になります。実はこのレイライン上に、この蚕ノ社と下鴨神社があるのです。
平安京から鬼門にあたる比叡山は、京の都を平和に治めるのにはとても重要な役割を担っておりました。
なぜ私が旅のスタートに比叡山に行ったのかは、このレイラインとも通じます。
都をつくるにあたって、ひとつひとつが大切に紐づけられていること、その裏で暗躍していた秦氏の存在。その痕跡を辿る小さな旅でしたが、実際にこの眼で観ることができ、また身体で感じることができ、とても有意義な2日間でした。
また機会をつくって、未だ知らぬ日本の歴史に触れてみたいと思っております。それが私の製作する空間(庭園)にも繋がることとなります。
今回、私のつたない旅の記録にお付き合いくださいました方、
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

