薬師寺②|薬師三尊の光と休ヶ岡八幡宮──金堂から鎮守社へ、神仏習合の祈りを歩く
@Ricoです。
奈良・薬師寺の参拝記、前編に続き、後編をお届けしたいと思います。
前編では、東京別院での写経体験から始まり、與楽門を経て東院堂の聖観音菩薩さま、そして東塔・西塔の釈迦八相の世界までをお伝えしました。
今回の後編では、いよいよ金堂の御本尊・薬師三尊との対面です。
東京別院のポスターで拝見して以来、いつかその御前に立ちたいと願っていた薬師如来さま、日光菩薩さま、月光菩薩さま。
そして、その白鳳の至宝との巡り合う瞬間。さらに大講堂の弥勒三尊像、そして東院堂で勧められた鎮守・休ヶ岡八幡宮の神仏習合の世界へ。

そして、実は「玄奘三蔵院伽藍を拝観し忘れた!」という思いがけない展開も──。
巡礼の道のりは、計画通りにはいかないからこそ面白い。そんな気づきも含めて、お届けしていきます。
1. 参拝⑤:金堂──薬師三尊像、白鳳の至宝との邂逅
龍宮造りの金堂へ
東塔・西塔を拝観し、次に向かったのは金堂です。
薬師寺の金堂は、昭和51年(1976年)に百万巻写経勧進の成就とともに再建されました。裳階を含む二重の大屋根を持つ壮麗な姿は、まさに「龍宮造り」の名にふさわしい堂々たる佇まいです。

金堂に向かう途中、ふわっとお香の香りが漂い、一気に心身が浄化されるような感覚に包まれます。

そして、金堂の前にはテレビクルーの姿がありました。春日大社でもお見かけした撮影班で、なんと賀来千香子さんの姿も。
春日大社に続いての思いがけない再会に驚きつつも、撮影中のため別ルートから拝観させていただくことにしました。

薬師如来坐像(国宝)──東方浄瑠璃浄土の教主
金堂の内部に入ると、中央に薬師如来さま、向かって右に日光菩薩さま、左に月光菩薩さまが安置されています。
薬師如来坐像は、薬師寺創建当初より金堂に祀られてきた御本尊です。
像高254.7センチメートル。白鳳時代を代表する金銅仏であり、日本の仏像彫刻が中国の六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成させた7~8世紀の最高傑作のひとつとして古来より名高い作品です。
『日本書紀』によると、持統天皇11年(697年)7月29日に開眼法要が行われたと考えられています。
薬師如来は正式には「薬師瑠璃光如来」といい、東方に位置する浄瑠璃浄土の教主です。人びとの病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくださる仏さまとして、古代から現代に至るまで広く信仰を集めています。
前編で紹介した台座の模型を東僧坊で拝見していたこともあり、金堂では自然と台座に目が向きました。ギリシャ、ペルシャ、インド、中国の文様が刻まれたあの台座の上に、白鳳の至宝が坐しておられる。シルクロードの終着点・奈良で、四つの文明の精華に支えられた薬師如来さまが、1300年のあいだ衆生を見守り続けてきたのです。
画像だけでは分からない繊細な流線美──それは、実際にお堂の中に身を置いて初めて感じられるものでした。
日光菩薩・月光菩薩(国宝)──太陽と月の光のように
薬師如来の左右に立つ日光菩薩さま、月光菩薩さまは、それぞれ像高317.3センチメートル、315.3センチメートル。御本尊の薬師如来よりもむしろ大きく、堂内に足を踏み入れた瞬間、その圧倒的な存在感に息をのみます。
太陽や月の光が差別なくすべてのものを照らすように、人びとを見守る仏さまです。腰のくびれや三曲法(トリバンガ)と呼ばれる流れるような姿勢は美しく、手を合わせる人びとを魅了します。
薬師如来さまよりも肉付きは控えめでありながら、その流麗な曲線は「動」と「静」が同居する不思議な存在感を放っています。
体の軸が微妙にS字を描く三曲法の姿勢は、インドの彫刻に起源を持つ技法ですが、それが日本の金銅仏においてこれほど洗練された形で表現されたのは、まさに白鳳期という時代の到達点を示すものです。
花の装飾をデザインした宝冠や胸元の瓔珞(ようらく)には、かつてガラスが嵌められていたと考えられています。現在は失われていますが、創建当初はどれほど荘厳なお姿だったのか。宝冠にガラスが煌めく日光・月光菩薩さまを想像すると、古代の職人たちが込めた祈りの深さに心を合わせます。


日光・月光菩薩さまが放つ慈しみの光は、未来へと誘うように優しく注がれ、この地上に在る私たちは安心して人生を歩んでいいのだよ、と語りかけてくださっているように感じました。
2. 薬師如来の十二大願──「心身を癒す仏」の本願
なぜ「薬師」なのか
ここで少し、薬師如来という存在について深掘りしてみます。
薬師如来が「薬師」と呼ばれるのは、菩薩として修行していた時代に立てた十二の大願に由来します。『薬師瑠璃光如来本願功徳経』に説かれるこの十二大願には、身体の病を癒すことはもちろん、衣食の欠乏を除くこと、邪見を正すこと、女性が修行を成就すること、さらには災難や冤罪からの救済まで、実に幅広い衆生救済の誓いが込められています。
たとえば、
第一の大願は「自分の身から光明を放ち、すべての衆生を照らす」こと。
第七の大願は「病苦に悩む衆生の病を除き、身心安楽にする」こと。
そして第十二の大願は「衣服や飲食を欠いて苦しむ者を満たす」ことです。
つまり、薬師如来が癒してくださるのは「身体の病」だけではありません。心の迷い、生活の苦しみ、社会的な不正義。
あらゆる次元の苦しみから衆生を救うことが、薬師如来の本願なのです。
さらに注目したいのは、薬師如来には十二神将という守護神が従うことです。
十二神将は薬師如来の十二大願にそれぞれ対応し、昼夜を問わず信者を守護するとされます。東京別院では薬師経のお写経があり、その集印帳では、十二神将のお姿に納経印を押していただけるようになっています。
写経を通じて薬師信仰の世界に深く触れることができる仕組みが整えられているのです。

天武天皇の祈りと現代の私たち
前編で触れた通り、薬師寺の創建は天武天皇が皇后の病気平癒を祈ったことにありました。
最愛の人の苦しみを除きたいという切実な祈り。それは1300年前も今も、人間の根源的な願いとして変わりません。
現代を生きる私たちもまた、さまざまな「病」を抱えています。
身体の不調だけでなく、心の疲れ、人間関係の悩み、将来への不安。薬師如来の十二大願が示す救済の範囲は、まさにそうした現代人の苦しみにも通じるものです。
薬師三尊の御前で手を合わせるとき、「何を治してほしいのか」を自分自身に問いかけてみる。それは唯識の教えにも通じる内省のプロセスであり、薬師寺参拝の本質なのかもしれません。

3. 参拝⑥:大講堂──唯識の教主・弥勒如来と仏足石
奈良の古寺における修学道場
金堂を出て、北側に位置する大講堂へ向かいます。
講堂とは、奈良の古寺における修学道場です。僧侶たちが集まり、仏教の教義について学び、議論を重ねる場。
まさに「法の論議が交わされる聖域」と言えるでしょう。

創建時の大講堂には、持統天皇が天武天皇の七回忌にあたり、極楽浄土の様相を刺繍で作らせた阿弥陀三尊繍仏が本尊として祀られていました。
現在の大講堂は平成15年(2003年)に創建当初の規模で再建されたもので、これもまた写経勧進の成果です。薬師寺の堂塔のなかでも最大級の建造物として、伽藍の北端に堂々と構えています。
弥勒三尊像(重要文化財)──唯識の教主
大講堂の御本尊は、弥勒如来です。
弥勒如来は、弥勒菩薩が釈尊滅後56億7千万年ののちに悟りを開かれたときのお姿です。
法相宗における唯識の教主として、大講堂に安置されています。
中央に弥勒如来、向かって右に法苑林(ほうおんりん)菩薩、左に大妙相(だいみょうそう)菩薩を従える三尊形式となっており、金堂の薬師三尊像を模して造られたと考えられています。
金堂で薬師如来さまの前に立ったときには「癒し」の慈悲を感じましたが、大講堂の弥勒如来さまの前では、どこか「静かに行末を感じる」ような印象を受けます。
56億年という途方もない時の先に悟りを開く弥勒如来。その気の遠くなるような時間軸のなかで、今この瞬間の私たちの学びが、どこかで意味を持つのだと思わせてくれる存在です。
法相宗・唯識の教えは、この弥勒菩薩に始まるとされています。
5世紀頃のインドにおいて弥勒菩薩の教えを受け継いだ無著(むじゃく)・世親(せしん)の兄弟が唯識思想を体系化し、その教えが玄奘三蔵によって中国に伝えられ、さらに日本へと渡ってきました。
つまり、大講堂に弥勒如来が安置されているのは、法相宗の教義の根幹にこの弥勒の存在があるからにほかなりません。
仏足石(国宝)と仏足跡歌碑(国宝)
大講堂には、弥勒三尊像のほかに、仏足石(国宝)と仏足跡歌碑(国宝)が安置されています。
仏足石とは、お釈迦さまの足裏の文様を石に刻んだものです。
仏像が作られる以前は、こうした足跡や菩提樹、法輪などの象徴物が釈尊を礼拝する対象でした。
薬師寺の仏足石は日本最古のものとされ、仏足跡歌碑には仏足石を讃える21首の歌が刻まれています。この歌碑は、万葉仮名とは異なる独自の表記法を用いた貴重な文学資料としても知られ、二つ合わせて古代の信仰と文化の姿を今に伝える稀有な遺品です。
大講堂前での出会い
大講堂の手前で、関東から旅行されていた方と、ふとしたタイミングでお話しする機会がありました。
「どうして、この奈良に来たのか」。
その問いは、相手に向けたものであると同時に、自分自身への問いかけでもあったように思います。旅先でのこうした一期一会の対話は、時に僧侶の法話以上に心に残るものがあります。なぜなら、その言葉は「この場所」「この瞬間」だからこそ生まれたものだから。
巡礼とは、仏さまだけでなく、同じ道を歩む人との出会いもまた含まれているのだと、あらためて感じた場面でした。

4. 参拝⑦:孫太郎稲荷神社から休ヶ岡八幡宮へ──東院堂での導きの先
「八幡さまへお参りください」
東院堂での参拝時、お寺の方から「お時間があれば、門を出てすぐ近くの八幡さまへお参りください」と勧められていました。
その「八幡さま」を目指して、金堂エリアから南へと歩を進めます。途中、孫太郎稲荷神社にもお参りさせていただきます。
赤い鳥居が境内の緑のなかに映える、小さいけれど清浄な空間です。

さらに進むと、見えてきます。

休ヶ岡八幡宮──薬師寺を守護する鎮守の社
休ヶ岡八幡宮は、薬師寺の南門からほど近い場所に鎮座する、薬師寺の鎮守社です。
寛平年間(889~898年)に、薬師寺別当の栄紹(えいしょう)大法師によって、大分県の宇佐八幡宮から御分霊を勧請して創建されました。
「休ヶ岡」という地名にも、興味深い由来があります。
斉衡2年(855年)、大安寺の行教和尚が八幡大神を京都の石清水八幡宮に勧請する途中、この地で八幡大神が休息されたことに由来すると伝えられています。
つまり、宇佐八幡宮から石清水八幡宮へと八幡信仰が広がっていく、その途上の「聖なる休息地」がこの場所だったのです。
現在の社殿は、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進によって造立されたもので、重要文化財に指定されています。三軒社流造の本殿と両脇の脇殿が、小高い石積みの壇上に堂々と建っています。

御祭神:僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命(いずれも国宝)
休ヶ岡八幡宮の御祭神として祀られているのは、僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仲津姫命(なかつひめのみこと)の三柱です。
この三神像はいずれも国宝に指定されています。
(現在は奈良国立博物館に寄託)
特に注目すべきは「僧形八幡神」です。
神でありながら僧侶の姿をとる──これこそが、神仏習合の象徴とされます。
八幡神は「八幡大菩薩」とも称され、神と仏が一体となった信仰の形を体現しています。
この三神像は平安時代初期の作で、木彫神像としては現存最古の作例に属するとされています。像高わずか38センチメートルほどの小像でありながら、堂々とした姿で、三体それぞれに形や彫り、彩色の面で変化と対照が考えられた入念な表現が施されています。
5. 鎮守としての八幡宮──神と仏が共に在る信仰の原風景
本地垂迹と薬師寺の鎮守信仰
休ヶ岡八幡宮の境内に立って感じたのは、ここだけの独特の「深度」とでもいうべき空気感でした。
ひっそりとした場所に御鎮座されていながら、地に足をつけたような深い力が満ちている。鎮守さまの御力とは、こういうものなのかもしれません。
日本人は奈良時代より、仏菩薩を本地とし、諸神を垂迹として、両者が表裏一体となり互いに利益をほどこしながら衆生済度されるものとする信仰に生きてきました。
これは休ヶ岡八幡宮の縁起に記された言葉です。
<「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」とは>
仏さまが人々を救うために、日本の神さまの姿をとって現れるという思想です。つまり、神と仏は別々の存在ではなく、同じ慈悲の源から出た二つの姿。お寺と神社は対立するものではなく、共に衆生を導く存在として、この日本の地で千年以上にわたり共存してきたのです。
今昔物語集に残る守護の伝承
『今昔物語集』には、薬師寺の鎮守八幡大神が金堂を火災から守ったという説話が記されています。
仏法の守護者としての八幡神。その働きが説話として語り継がれてきたこと自体が、薬師寺と休ヶ岡八幡宮の結びつきの深さを物語っています。
現在も、修正会や修二会など薬師寺の重要な行事の際には、僧侶が八幡宮に参詣して八幡大神の守護を願い、また八幡宮の祭礼には薬師寺の僧侶が参列して神前読経を行うという伝統が続いています。
これは、宇佐参拝の際に深掘りしましたね。
明治の神仏分離を超えて
明治時代の神仏分離令によって、全国各地の寺院と神社は強制的に分離されました。廃仏毀釈の嵐は、仏像を壊し、寺院を廃し、千年にわたる神仏習合の伝統を根こそぎにしようとしました。
しかし、休ヶ岡八幡宮は今もなお薬師寺が管理し、神仏が共に在る信仰の姿を守り続けています。
明治以後、一つの寺院が神社を管理している例は全国的にも稀少です。
休ヶ岡八幡宮の縁起には「本地垂迹・神仏習合の日本古来の信仰の姿にかえす、よき信仰の道場として復興したいと念願している」と記されています。その強い思いが、150年以上にわたる近代化の荒波を超えて、今もこの場所に息づいています。

社殿前庭にある座小屋は、修復は多いものの社殿とほぼ同じ時期の建物で、中世に始まった宮座が受け継がれている貴重な歴史的建造物です。将来的には楼門の復興も含め、神仏習合の信仰空間としての整備が構想されているとのことです。
東院堂で「八幡さまへお参りください」と勧められたとき、それが単なる観光案内ではなく、薬師寺の信仰の根幹に触れる導きだったのだと、この場に立って初めて理解できました。
ぜひ、薬師寺を参拝される際には、この鎮守・休ヶ岡八幡宮まで足を運んでいただきたいと思います。
白鳳伽藍の華やかさとは異なる、静かな、けれど深い力に満ちた空間がそこにはあります。本来は薬師寺参拝の前に、まず鎮守社である八幡宮に参じて身を清めるのが古来の習わしだったとも言われます。
次回の参拝では、私もその順序を心に留めたいと思っています。
6. 参拝⑧:不動堂から唐招提寺へ──急ぎ足の別れ
不動堂のお不動さま
休ヶ岡八幡宮を後にし、薬師寺の伽藍エリアに戻って不動堂を参拝しました。

不動堂は通常非公開のお堂で、御本尊の不動明王(平安時代)をはじめ、役行者や蔵王権現、珍しい役行者の母像などがお祀りされています。
毎月8日・18日・28日の縁日にのみ開扉され、南都修験の作法による護摩祈祷が行われるという、薬師寺のなかでも独特の性格を持つお堂です。
お不動さまに手を合わせ、旅の無事を祈ります。
時間との闘い──15時15分
ここで時計を見ると、15時15分。
次に予定していた唐招提寺の閉門時間が迫っています。薬師寺から唐招提寺までは徒歩で約10分。急がなければ、門が閉まってしまう。
──というわけで、後ろ髪を引かれる思いで薬師寺を後にし、唐招提寺へと急ぎます。

玄奘三蔵院を拝観していない──気づきは後から訪れる
そして、唐招提寺の参拝に向かうとき、ふと気づいたのです。
何か、忘れている気がする・・・
薬師寺の白鳳伽藍(金堂、東院堂、東塔、西塔、大講堂)は拝観できたけれど、好胤和上の筆で「不東」の扁額が掲げられた玄奘三蔵院伽藍を拝観していない、ということを。
前編で触れた通り、法相宗の始祖である玄奘三蔵は、この寺の精神的支柱とも言える存在です。
玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)を真身舎利として安置する玄奘塔、そして平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成させた全長49メートルの「大唐西域壁画」。それらを拝観せずに薬師寺を離れるわけにはいきません。

「大唐西域壁画」は、20世紀最後の日である平成12年(2000年)12月31日に平山画伯から奉納された7場面13枚の大壁画です。玄奘三蔵が旅した長安からナーランダまでの風景が描かれ、「絵身舎利」として伽藍に祀られています。
玄奘三蔵院伽藍は、500万巻の写経達成とともに平成3年(1991年)に落慶。玄奘三蔵坐像は、天竺からの帰国後、持ち帰った経典の翻訳作業中の姿をモデルにしています。
唐招提寺を参拝した後、再び薬師寺へ戻ることに──。
それは予定外の行動でしたが、「不東」の精神に触れずに西ノ京を離れることはできない。
この「薬師寺ファイナル」については、唐招提寺の参拝記の後にあらためてお届けしたいと思います。
後編を終えて──薬師寺が教えてくれたこと
前編と後編を通じて歩いた薬師寺の境内。
東京別院で蒔いた写経の種は、東塔の内陣に届いていました。
金堂では白鳳の至宝・薬師三尊と対面し、日光・月光菩薩さまが放つ慈しみの光に手を合わせたとき、そのなかで、自分自身の内側にも同じ光があることに気づかされました。
大講堂では唯識の教主・弥勒如来の前で遥かな未来に思いを馳せ、仏足石に古代の信仰の原初的な姿を感じました。
そして、東院堂での何気ないひと言に導かれた休ヶ岡八幡宮では、神と仏が共に在る日本古来の信仰の姿を、肌で感じることができました。
僧形八幡神という、神でありながら僧侶の姿をとる存在。
1000年以上にわたって薬師寺を守り続けてきた鎮守の力。
それは「神道か仏教か」という二択ではなく、「すべては繋がっている」という、日本人が古来大切にしてきた信仰のあり方そのものでした。
巡礼の道を歩いていると、自分の「計画」通りにはいかないことばかりです。スケジュールは押せ押せになり、拝観すべき場所を見落とし、思いがけない出会いに足を止める。

けれども、そうした「計画外」のなかにこそ、本当の気づきがあるのかもしれません。
唯識の教えは「ただ識(こころ)のみ」が世界を映し出すと説きます。
計画通りにいかないことを「失敗」と見るか、「導き」と見るか。
それは、自分の心のあり方次第。
薬師如来さまは、身体の病だけでなく、心の迷いや苦しみも癒してくださる仏さまです。十二大願に込められた衆生救済の誓いは、1300年前の天武天皇と持統天皇の祈りに始まり、好胤和上の写経勧進を経て、今を生きる私たちの祈りへと連なっています。
玄奘三蔵が17年の旅で貫いた「不東」の精神は、一歩も引かないという決意だけでなく、前に進み続けることで初めて出会える風景があるのだという希望でもあります。
薬師寺の参拝は、まだ終わっていません。玄奘三蔵院伽藍という「宿題」を残して、物語は唐招提寺へと続きます。

では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために
