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私の自己肯定感が、マイナスになったワケ

あなたは、
ご自身の自己肯定感が高い方だと思いますか?
それとも、低い方だと思いますか?

私はというと……
低いなんてレベルではなく、
もはやマイナスでした。

無意識に自分を責め続けることがクセになっていて、いつも生きづらさを感じていました。

この記事では、私の自己肯定感がマイナスになった出来事をまとめました。同じように悩んでいる方に、少しでも共感してもらえたら嬉しいです。


■マイナスだった自己肯定感を立て直した方法は、こちらでご紹介しています↓



私の自己肯定感が下がったワケ

1. 寂しかった幼少期

物心ついたとき、
その感情はすでに私の中にありました。

自分はいてもいなくても同じなんじゃないか、
という思いです。

両親は共働きで忙しく、私は家で祖母と過ごす時間が多かったのですが、祖母はとても厳しい人でした。褒められた記憶も、優しい言葉をかけてもらった記憶も、ほとんどありません。友達を家に呼んではいけないというルールもあり、外で友達と遊べない日には、居場所のなさと孤独感を抱いていました。

私は、暗くなりがちな家庭の雰囲気を、幼いなりに自分のせいかもしれないと感じていました。
どんなに気を配っても、大人たちが笑顔になることは少なく、優しい声をかけてもらえることもありませんでした。もちろん、自分から甘えることもできませんでした。

そんな日々の中で、自分なんかいてもいなくても同じなんだ、という思いが、自然と強まっていきました。

けれど、大人になって振り返ると、少
し違う景色も見えてきました。

長女だった祖母は、幼いころに両親を亡くし、
3人の妹弟を育てながら、学校にも行けずに生きてきた人でした。甘える経験も温かい家庭の記憶もないまま大人になった祖母にとって、人に優しくすることは、とても難しかったのかもしれません。朝から晩まで働く両親も、私に向き合う余裕がなかったのだと思います。

でも当時の私は、大人の視点など持ち合わせておらず、フォローしてくれる人もいなかったため、すべてを自分の責任のように感じていました。

自分には価値がないのかもしれない。そう感じ始めたのは、この頃だったのだと思います。

家庭の雰囲気が暗かったのは、決してあなたのせいじゃない。背負い込まなくて良いんだよ。と、その頃の私に伝えてあげたいです。



2. 中学受験までの道のり

私の自己肯定感を決定的にマイナスへと傾けた、苦い記憶です。

中学受験は、私自身が望んだものではありませんでした。母の期待と圧を感じ取り、嫌な気持ちを押し殺しながら、なんとか努力を続けていました。

でも、どんなに頑張っても、上には上がいる世界。常にもっとできる子がいて、私はいつも比べられ、ダメな自分を突きつけられました。

塾では成績順で席が決まり、家では成績によって母の機嫌が微妙に変わる。「成績=自分の存在価値」のように感じてしまう毎日でした。

少し良い結果が出ても、ほんのわずか褒められて終わり。すぐに「次はもっと頑張ろうね」と言われる。それを真に受けた私は、こんな自分はダメだ、もっとできたはず、と自分を責める癖を強めていきました。

認められたくて続けている頑張りが、どんどん自分を苦しめていく。そんな悲しい道のりでした。


期待に応えようとする時間が長すぎた私は、自分の好きなことも得意なことも分からないまま大人になりました。

必死に努力して生きてきましたが、出産後に体調を崩したことをきっかけに、心がぽっきりと折れました。もうこれ以上努力はできない。自分のやりたいことしかしたくない⋯。そう強く思うようになりました。

結局、自分を押し殺した、人のための努力は、
長くは続けられないのだと分かりました。



3. 爪を噛むクセ

幼いころから爪を噛むクセがありました。

はじめはそれほど激しいものではありませんでしたが、少しでも噛み跡があると、両親からきつく叱られました。家庭内が安心できる場所ではなかったため、いつも不安で、幼いながらストレスを抱えていたのだと思います。

私は歌や音楽が大好きで、ずっとピアノを習いたいと思っていました。けれど、あるとき母に言われました。

「そんな汚い爪じゃ、恥ずかしくて人前で弾かせられない」

ショックでした。
私はピアノを諦めました。

受験のストレスでさらに爪がガタガタになったとき、母はこうも言いました。

「そんな爪じゃ、結婚もできないだろうね」

その言葉が、どれだけ私の自信を奪ったか。
自分でも爪に嫌悪感を抱き、友達に見られるのも嫌で、手を隠していた時期もあります。

本当は、ただ一緒に考えてほしかったのです。
どうして噛んでしまうのか。どうしたらやめられるか。寄り添ってくれるだけで、救われたのに。

でも、父も母も、私の爪を恥ずかしいものとして扱いました。そのたびに、自分の存在そのものが恥ずかしいものだと言われているような、虚無感に包まれました。

この爪噛みのクセを、私は数年前にようやく克服しました。ずっと苦しんできたのに、きっかけは本当にささいなことで、あっけないほど自然とやめられました。長年悩んできた私にとっては、奇跡のようでした。このきっかけになったのが、続編でご紹介している習慣たちです。

このクセが子どもに遺伝するのでは⋯という不安もずっと抱えてきましたが、子どもたちにそのクセはなく、心からホッとしています。



4.合わない仕事

私は新卒で大手金融機関に入社しました。理由は、大手なら両親も喜びそうだし、安定していそうだから。ただなんとなく⋯、です。

しかし、繊細な私に、激務で殺伐とした職場は全く合いませんでした。笑

それでも、ここで頑張らなければ、これくらい我慢しなくては、と自分を追い込んでいました。でも本当は、入社した初日から、体が拒否反応を示していました。数年経つ頃にはうつ状態になり、休日でも緊張が抜けず、眠れない日々。

それでも、
「大手企業にいられる自分=価値がある」と思いたくて、自分の気持ちを無視し続けました。

けれど、心と体は正直です。ある日、愚痴ばかりのランチタイムの最中に、心の底から、もうここにはいられない、と感じました。

この経験から痛感したのは、合わない場所に身を置き続けることは、自己肯定感を削る行為だということ。

合わないことは、悪いことではありません。
でも、我慢し続けることが自分を傷つけます。
それからは、合わないと感じる場所や人間関係からは、早めに身を引くように心がけています。



5.義実家との関係

私にはずっと、温かい家族への憧れがありました。専業主婦のお母さんがいて、宿題を見てくれたり、一緒におやつを作ったり。そんな友達の話を聞くと、羨ましさで胸がいっぱいになりました。

だからこそ、結婚して夫の家族と出会ったとき、期待してしまったのです⋯。今度こそ、温かく受け入れてもらえるかもしれない、と。

しかし、
その期待はあっけなく崩れ去りました。笑

繊細な私と、何も気にしない鈍感な義母。性格の違いは大きく、心は通じ合わないまま。かつて私が大手金融機関に勤めていたことを誇らしげに話していた義父も、専業主婦になった私には、明らかに関心を失ったようでした。

合わない職場で自分をすり減らしていたのと同じように、合わない人間関係もまた、自己肯定感をじわじわと削っていく。そう気づきました。

だから今は、義実家とは適度な距離を保ち、自分の心の平穏を第一に過ごしています。過去の寂しさを埋めるように温かい家族を外に求めるのではなく、いまの私自身が、子どもたちにとって安心できる家庭をつくれる存在であればいい。そう思っています。



まとめ

結局、自己肯定感を下げるのは?


ここまで振り返って、私が感じること。

自己肯定感を下げる原因となるのは、
本当の自分の気持ちを、無視することです。

寂しいのに、寂しいと言えない。
やりたくないのに、期待に応えなきゃと頑張りすぎた。苦しいのに、これくらい我慢しなきゃと追い込んだ。合わないのに、うまくやらなきゃと無理をした。

そうやって本音を置き去りにするたび、
自己肯定感は下がっていきました。

では、
どうすれば、自己肯定感が育つのでしょうか…?

私がやったのは劇的なことではなく、誰にでもできるような小さな習慣の積み重ねだけです。

自分を責めない毎日にたどり着くまでにやったことを、続編でご紹介しています。

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