子どもが甘えると怒った私
洗濯物を干し終えると、二歳になった長女が泣きながら私の脚にしがみついてきた。しゃがんで抱き上げると、娘は「お母さん」と私の胸に顔を埋め、泣き声をさらに大きくした。ぬいぐるみに付けた洗濯ばさみが、取れなくなったらしい。ぎゅっと顔を潰されたアンパンマン。私が洗濯ばさみを取ると、娘はぴたりと泣き止んだ。安心しきった表情で、ぬいぐるみを握りしめたまま。
娘がその無防備な表情を見せるたび、私の胸には決まって込み上げる感情があった。「もっと抱っこ」とぐずる娘の顔を見ながら、小さく呟いた。「ごめんね、ごめんね……」
娘はまだ私の腕の中で、すっかり安心した顔をしていた。なのに私は、その重さから逃げたくて、無意識に腕を緩めていた。いっそぜんぶ放り出して、逃げてしまいたい。
怒りだ。
その感情の名前に気づいたとき、娘の頭を撫でる手が、止まった。娘はただ母親に甘えただけなのに、私はその顔を見ていられなかった。
こんなに小さな存在に対して、なんてひどい母親だろう。だめだ、こんなはずじゃなかった。
そんな言葉を心の中で何度も繰り返した。
🧺🧺🧺
両親は共働きだった。朝は皆が身支度に追われ、テレビの歌声だけが響く食卓で、私は黙々と朝食を口に運んだ。家族の誰かが誰かを褒めたり、冗談で笑い合ったりするのを、見た記憶がない。
静かな家の中で、静かに大人の顔色をうかがい、これ以上の重荷にならないよう聞き分けの良い子を演じること。それが六歳の私の日常だった。誰かの機嫌が悪い日は、一瞬で分かった。笑いながら奥歯を噛みしめる癖が、いつのまにかついていた。
四つ下の妹が生まれると、大人たちの目は、小さくて手のかかる妹に注がれるようになった。
それなら、笑わせよう。
大人たちが疲れているときほど、わざとおどけてみせた。へんてこな踊りを踊り、大きな声で歌った。私がいることで、家を明るくしたかった。必要とされてみたかった。けれど、私がもらえた言葉は「やかましい」という一言。笑ったまま、固まるしかなかった。
今なら分かる。忙しい大人たちには、余裕がなかった。でも、あの頃の私に残されたのは、親を喜ばせることのできない自分には価値がない、という結論だった。
🩹🩹🩹
このままの自分では足りない。人一倍の努力で、足りない部分を補わなきゃいけない。
ド根性で生きた。ブレーキの壊れたブルドーザーだった。部活も勉強も、手を抜くという発想がなかった。適当も、ほどほども、知らなかった。
塾の自習室に、七時間ぶっ通しで籠もり、エコノミークラス症候群を本気で心配されたこともある。部活は誰よりも早く行き、最後まで残った。いつも試合を想定し、帰り道の交差点で見えない敵からの奇襲に反応し、エア・ラケットを全力で振り抜く姿を後輩に目撃され「穂倉先輩、マジでヤバい……」と噂されたこともある。
褒められ、必要とされ、自分の居場所を得るため最善の自分を演じ続ける。必死な毎日の中で、自分が本当はどうしたいか?なんて問いは、泥を跳ね上げるキャタピラの下に踏みつぶされていた。
新卒で入社した会社で二年が過ぎたころ、新人ではあり得ないと言われるほど良い評価を貰い、重要な仕事を任された。でも、期待に応えるたび、自分ではない誰かを演じている感覚が強まった。
ある日、ブルドーザーは突然エンストした。前のめりに倒れた先は、出口の見えない荒波の中だった。
夜、人の少なくなったオフィスで、評価シートのA+という文字を何度も見返した。達成感はなく、次は何を演じればいいのだろう、と思った。
私、もう、無理だ……。
何かを誤魔化すように、何かから逃げるように、私は結婚し、夫の転勤を機に会社を辞めた。
そして始まった子育て。
ある日、娘が転んで泣き出したとき、反射的に「大丈夫、泣かないの!」と口から出た。自分が言われ続けてきた言葉だと気づいて、口を押さえた。
この子に、同じ生きづらさを背負わせてはいけない。そう思った。
📖📖📖
夜の寝室。さっきまではしゃいでいた娘が、いつのまにか隣で寝息を立てている。薄いオレンジ色の部屋。夫はまだ帰ってこない。娘の寝息を聞きながら、静かにページをめくった。苦しさの根っこは何なのか。必ず見つけなきゃいけない。
そんな夜を何年も重ねて、いつのまにか何百冊も読んでいた。
はじめて自分の意志で動かした、
心のブルドーザー。
爽快だった。
やる気とか情熱って、こうやって使うんだ。
三十をすぎて、初めて知った。
❤️🩹❤️🩹❤️🩹
ある夜、一冊の本の中に、「安心して甘えることを知らずに育った人」という一行を見つけて指が止まった。ページをめくるたび、そこに書かれているのは紛れもなく私のことだった。
ずっと、自分は欠陥品だと思っていた。
けれど、違った。
「そうか、私が悪いんじゃなかったんだ」
声に出してみたら、涙が出た。
自分の居場所も方角も分からぬまま、ただひたすらに泳ぎ続けた海の中で、突然、温かな砂浜に打ち上げられたようだった。
🌊🌊🌊
子どもが甘えてくるたびに湧く、逃げ出したくなるほどの強い感情。
私は怒っていたのではない。
心底、羨ましかったのだ。
娘を抱いたまま、しばらく立ち尽くした。
ぬいぐるみを握りしめる、小さな手。
保育園の帰り道、六歳の私は、祖母のエプロンの裾を握っていた。何も言えずに、ただ握っていた。
肩から、力が抜けた。
安心して甘えられること。声をあげて泣けること。受け取ってくれる人が、いつもすぐそばにいること。私が欲しくて、欲しいと言うことすらできなかったものを、娘は当然のように享受していた。
私の中の小さな私が、娘を見て泣いていた。
私だって、そうしたかった。
もっと愛されたかった。
お母さん、抱っこして。
二人だけで、もっと話したい。
お化粧するなら、せめて笑っていてよ。
ばあちゃん、もっと私を褒めてよ。
わたし、ほんとうは頑張りたくない。
保育園なんか、行きたくないよ。
せめて、抱っこして。
私を見て。
言えなかった言葉が、溢れだした。
窓の外を見つめる娘を、ぎゅっと抱きしめた。
⛱️⛱️⛱️
そんな気づきを、私はいつも夫に話した。
「私、HSPで、愛着障害で、アダルトチルドレンだったみたい……!」
「へぇー。俺はそんなこと考えたこともないよ?」
まるで世紀の大発見のように熱っぽく語る私に、夫はポテチを頬張りながら言った。可愛い妻が、人生の謎を解き明かした瞬間に立ち会っているというのに。
「よしっ!入った!……もうそろそろ寝たら?」
彼の関心は、応援しているサッカーチームの勝敗にしかない。
私が荒波に揉まれ、身体に巻きついた重い海藻を引きずるようにして、やっと辿り着いた安心という砂浜。彼は最初からそこにパラソルを広げ、のんきに寝そべっていた。
時々、ブルドーザーを暴走させる私を、彼は変えようとはしなかった。「気にしすぎじゃない?」と言われたことは、一度もない。そんな夫の隣で、私は初めて頑張らなくてもここにいていい、という安心を知った。
私は娘を育てながら、心の中の小さな自分にも声をかけ続けている。
「よくやってる、これでいいんだよ。大丈夫だからね」
アンパンマンが大好きだった娘は、もう十一歳。ぬいぐるみを握りしめて泣くことも、私の脚にしがみついてくることもない。でも、毎日寝る前に「おやすみ、大好きだよ」と言いながら、ぎゅっとハグし合う。あの頃の私が欲しかったものを、今の私が与えながら、もらっている。
子どもたちは、理由もなく笑ってくれる。
私の中の小さな私も、
ようやく一緒に笑い始めた。

