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ノルウェーの“再エネ神話”を問い直す

副題

水力、電力市場、石油輸出、そして排出の外部化

序章|クリーン国家の海に、油田が浮かんでいる


ノルウェーは、環境先進国として語られることが多い。

険しい山々。

深いフィヨルド。

豊かな水資源。

水力発電によって供給される低炭素な電力。

街を走る電気自動車。

石油に頼らず、自然と共存する未来の国家。

外から見れば、そうした姿が浮かび上がる。

だが、ノルウェーの海へ目を向けると、別の景色が見えてくる。

北海には石油や天然ガスを生産する海上施設が並び、そこで採掘された化石燃料の大部分は国外へ輸出されている。

国内では水力発電を使い、電気自動車を走らせる。

一方で、国外には石油と天然ガスを売る。

この国は、

国内の低炭素化と、国外への化石燃料供給を同時に成立させている。

これは偽善なのだろうか。

それとも、自国の条件を合理的に活用した国家戦略なのだろうか。

あるいは、化石燃料から再生可能エネルギーへ移行する途中に現れる、避けられない矛盾なのだろうか。

ノルウェーの問題は、単純な善悪では捉えられない。

なぜなら、この国の姿は、

クリーンとは何を数え、
どこまでを自国の責任と考えるのか

という、現代の環境政策そのものが抱える境界問題を映しているからである。

第1章|ノルウェーは、本当に水力国家である


まず確認しなければならない。

ノルウェーが水力発電大国であることは、神話ではない。

同国の電力は、年による変動こそあるものの、その九割近くを水力発電が占めている。

国内には千を超える貯水池があり、山地、高低差、豊富な降水といった地理条件を利用して電力を生み出している。

ノルウェーの水力発電には、大きな特徴がある。

太陽光や風力は、太陽が照り、風が吹いているときに発電量が増える。

しかし貯水式水力では、水を貯水池に残しておくことができる。

需要が少ないときには水を温存し、電力が必要なときに流して発電する。

つまり、水力発電は単に再生可能であるだけでなく、

発電する時刻をある程度選べる再生可能エネルギー

でもある。

水は、ただ落ちてくるものではない。

貯水池に残されている限り、未来の電力として保持できる。

この柔軟性が、ノルウェーの電力システムを支えている。

ただし、ここで忘れてはならないことがある。

ノルウェーの成功は、どの国でも再現できる普遍的なモデルではない。

山がある。

水がある。

高低差がある。

人口が比較的少ない。

大規模な貯水池を建設できる地形がある。

水力発電に適した自然条件が、偶然一つの国に集まっている。

つまりノルウェーは、再生可能エネルギー政策だけで成功したのではない。

再生可能エネルギーに適した国土を持っていた。

のである。

政策の正しさと、地理的な幸運は分けて考えなければならない。


第2章|冬になると、ダムは止まるのか


ノルウェーの再エネを批判する際、しばしば次のように説明される。

冬になると湖が凍る。

水力発電の出力が落ちる。

そこで国外から電力を輸入する。

しかし、この説明は単純すぎる。

貯水池の表面が凍ったからといって、水力発電所が直ちに発電できなくなるわけではない。

多くの水力発電所は、貯水池の水を取水口から水路や導水管へ送り、落差を利用してタービンを回す。

問題になるのは、表面の氷だけではない。

冬には暖房などによって電力需要が増える。

降雨や融雪による流入量も季節によって変化する。

発電事業者は、現在発電するべきか、それとも水を将来へ残すべきかを判断する。

水を今使えば、電気を売れる。

しかし、将来さらに需要や価格が高まったときに、発電できる水が減る。

ノルウェーの水力発電では、この判断を「水の価値」として計算しながら、発電量が調整されている。

したがって、電力輸入が増える場合があるとしても、

湖が凍って発電不能になったから

とは限らない。

水を将来へ温存している。

国外の電力価格が安い。

国内の送電網に混雑がある。

一部地域で需給が逼迫している。

風力発電が周辺国で余っている。

そうした複数の条件によって、電力は国境を越えて動く。

ノルウェー国内も一枚岩ではない。

国土は南北に長く、発電地と需要地が離れている。

送電容量には限界があるため、国内は複数の価格地域に分けられている。

送電線が十分でなければ、同じ国内でも地域ごとに電力価格が異なる。

問題は、ダムが凍ることではない。

電気をつくれる場所と、必要とされる場所を、送電網がどこまで結べるか

なのである。


第3章|国外から電気を買えば、ただ乗りなのか


ノルウェーは周辺国と送電線で接続されている。

スウェーデン。

デンマーク。

ドイツ。

オランダ。

イギリス。

電力は価格や需給に応じて、双方向に流れる。

ノルウェーが電気を輸入する時間もある。

だが、だからといって、

ノルウェーは他国の原発電力に依存している

と単純に断定することはできない。

欧州の電力網では、原子力、水力、風力、太陽光、石炭、天然ガスなど、さまざまな電源から供給された電気が市場を通じて流れている。

ある瞬間にドイツから電気を輸入したとしても、その電気を特定のフランスの原発から来たものだと単純に言い切ることは難しい。

さらに、ノルウェーは輸入するだけの国でもない。

2024年には約33.1TWhを輸出し、約14.7TWhを輸入した。

差し引きでは約18.4TWhの純輸出国だった。

したがって、電力の国際連系は一方的なただ乗りではない。

ノルウェーは、周辺国で電力が余っているときには輸入する。

反対に、水力発電を増やせるときには輸出する。

風力や太陽光は発電量が変動する。

それに対して、貯水式水力は出力を調整しやすい。

そのためノルウェーの水力発電は、欧州の電力システム全体を安定させる調整役にもなり得る。

周辺国から安い電気を買い、その間は貯水池の水を残す。

需要が高まったときには、水力発電を増やして国外へ売る。

この仕組みは、

他国の電気に寄生する構造

というより、

異なる特性を持つ電源同士を、国境を越えて補い合わせる構造

に近い。

ただし、国際連系が無条件に善であるわけでもない。

国外との接続が増えれば、国内価格は外国市場の影響を受けやすくなる。

国内の安い水力電気が国外へ流れ、ノルウェー国内の消費者が価格上昇を感じる可能性もある。

電力連系は、安定性を高める。

同時に、国外の価格と政治へ国内を接続する。

自立と相互依存は、ここでも同時に存在する。


第4章|EV国家という成功は、本物なのか


ノルウェーは、世界でも特に電気自動車の普及が進んだ国である。

2025年には、新車販売に占める電気自動車の割合が約95%に達し、政府が掲げてきた新車のゼロエミッション化目標は、実質的に達成されたとされている。

この成果を、すべて見せかけだと片付けることはできない。

電気自動車は走行中に排気ガスを出さない。

そしてノルウェーでは、充電に使われる電力の大部分が水力由来である。

石炭火力を中心とする国でEVを走らせる場合と比べれば、走行時の排出構造は大きく異なる。

税制上の優遇。

充電設備。

公共政策。

水力中心の電源構成。

これらを組み合わせて、内燃機関から電気自動車への移行を進めたことは、現実の政策成果である。

しかし、ここでも境界の引き方が問題になる。

電気自動車の利用段階だけを見るのか。

車両の製造まで含めるのか。

電池の原料採掘を見るのか。

国外で生産された部品を見るのか。

廃棄と再資源化まで見るのか。

ノルウェー国内の道路を走っているとき、EVはクリーンに見える。

だが、製造や資源採掘の負担は、別の国に存在しているかもしれない。

これはEVだけの問題ではない。

現代の商品は、国境を越えた供給網によってつくられている。

国内で排気ガスが出ていないことと、

世界全体で環境負荷が発生していないこと

は同じではない。

それでも、負担がどこかにあるからといって、EV化が無意味になるわけでもない。

問題は、

クリーンであるか、汚れているか

という二択ではない。

どの段階の負担を減らし、どの段階に負担が残っているか

を分けて見ることである。


第5章|石油がつくった福祉国家


ノルウェーの豊かさを、水力発電だけで説明することはできない。

この国の近代的な繁栄を支えたもう一つの柱が、北海の石油と天然ガスである。

ノルウェー大陸棚で生産された石油と天然ガスのほぼすべては、国外へ輸出されている。

2025年には、原油、天然ガス、コンデンセートなどの輸出額は約一兆ノルウェークローネに達し、石油と天然ガスは商品輸出額の約57%を占めた。

つまりノルウェーは、国内では水力を中心に電気を使いながら、国外には大量の化石燃料を供給している。

そして、その収益は単なる企業利益として消えていない。

石油収入は国家へ入り、政府年金基金グローバル、いわゆるノルウェー政府系ファンドへ蓄積されてきた。

この基金は、石油収入の変動から国内経済を守り、石油資源の利益を現在世代だけでなく将来世代にも残すためにつくられた。

石油を掘る。

国外へ売る。

得られた収入を世界中の企業や債券へ投資する。

運用益を社会へ還元する。

こうして、地下の有限資源が金融資産へ変換されてきた。

これは資源国家として、極めて洗練された方法である。

石油収入を短期間に浪費せず、未来へ残した。

腐敗や浪費によって資源の富を失った国々とは異なり、制度を通じて長期的な公共資産へ変えた。

しかし、その成功を支えた資金の起源が化石燃料であることは変わらない。

ノルウェーのクリーンな国内社会は、石油によってつくられた財政的余裕の上にも成立している。

水力発電だけで豊かになったのではない。

石油を売ることで、水力中心の国内社会を整備する余裕を得たのである。


第6章|排出は、誰のものなのか


ノルウェーで石油が採掘される。

それが国外へ輸出される。

別の国の発電所、工場、自動車、船舶で燃やされる。

このとき、二酸化炭素の責任は誰にあるのだろうか。

国別の温室効果ガス統計では、基本的に国内で実際に行われた燃料消費や生産活動に伴う排出が、その国の排出として計上される。

ノルウェーから輸出された石油がドイツで燃やされれば、その燃焼に伴う排出は、通常は燃料を使用した側の排出となる。

輸出した燃料を将来誰かが燃やすことで生じる排出が、そのままノルウェーの国内排出へ加えられるわけではない。

これは不正ではない。

国別排出量を重複なく計算するために必要な統計上の境界である。

しかし、統計上の境界と倫理上の責任は、必ずしも一致しない。

石油を燃やした国に責任がある。

それは確かである。

だが、石油を掘り、売り、利益を得た国には何の責任もないのだろうか。

反対に、供給国だけを責めることもできない。

買う国が存在しなければ、輸出は成立しない。

エネルギーを必要とし、化石燃料を購入し、消費した側にも責任がある。

石油を売る側。

買う側。

燃やす企業。

製品を利用する消費者。

制度を設計する政府。

排出の責任は、一か所にだけ存在するのではない。

供給網全体に分散している。

さらに、ノルウェー国内の石油・ガス生産そのものにも排出がある。

採掘、処理、圧縮、海上設備の稼働などに伴い、2023年の石油関連活動からは約1160万トンのCO₂換算排出が生じ、ノルウェー国内排出のおよそ四分の一を占めた。

したがって、

国内では排出がなく、すべてを国外へ押し出している

わけでもない。

ノルウェーは国内でも石油生産の負担を引き受けている。

ただし、国外で燃焼される量まで含めれば、石油輸出が世界の排出へ与える影響は、国内統計だけでは見えなくなる。

ここに、数字の境界と現実の境界のずれがある。


第7章|これは倫理的フリーライドなのか


ノルウェーは、国内ではクリーンな電気を使う。

国外へは石油と天然ガスを売る。

その利益によって福祉国家を維持する。

この構造を、倫理的なただ乗りと呼びたくなるのは理解できる。

だが、完全なただ乗りと断定するには、問題は複雑すぎる。

ノルウェーは電力を輸入するだけでなく、輸出もしている。

水力発電の調整力を周辺国へ提供している。

石油や天然ガスについても、買い手が自ら選んで購入している。

とりわけ天然ガスは、欧州の暖房、発電、産業を支える現実の供給源であり、突然供給を止めれば社会や経済へ大きな影響が出る。

つまりノルウェーは、

汚れたものを一方的に他国へ押しつけている

というより、

他国が求める化石燃料を供給し、その利益で国内を低炭素化している

のである。

需要と供給は共犯関係にある。

ただし、市場で求められているから売るという説明だけで、倫理的責任が消えるわけでもない。

麻薬や武器と同じだという意味ではない。

しかし、

誰かが買うから売る
誰かが売るから使う

という循環では、誰も移行を始めなくなる。

消費国は供給国の責任を問う。

供給国は消費国の需要を理由にする。

企業は消費者が求めていると言う。

消費者は制度や価格のせいだと言う。

こうして責任が分散すると、

全員が関わっているのに、誰も責任主体ではない

という状態が生まれる。

倫理的フリーライドという言葉を使うなら、ノルウェーだけに向けるべきではない。

ノルウェーの石油を買いながら、ノルウェーの輸出を批判する国。

安い製品を求めながら、生産国の排出を非難する消費者。

自国の排出だけを減らし、製造を国外へ移す先進国。

現代の脱炭素そのものが、

負担を国境の外へ置きながら、国内の数字を改善する誘惑

を抱えている。

ノルウェーは、その矛盾が特に見えやすい国なのである。


第8章|ノルウェーは偽善国家なのか


では、ノルウェーの再エネ国家という評価は虚偽なのだろうか。

そうではない。

水力発電を中心とする電力供給は現実である。

EV普及も現実である。

石油収入を将来世代のために管理してきた制度も現実である。

他国へ柔軟な水力電気を供給していることも現実である。

ノルウェーの成果をすべて偽善として切り捨てれば、現実に行われた低炭素化や制度設計まで見失う。

しかし、ノルウェーを完全な理想国家として扱うこともできない。

その豊かさは石油と天然ガスによって支えられてきた。

国内の低炭素な電力と、国外への化石燃料輸出が同時に存在している。

つまり、ノルウェーは、

クリーン国家か
化石燃料国家か

という二択では捉えられない。

クリーンな国内社会を持つ、化石燃料輸出国家

なのである。

矛盾しているように見える。

だが、それこそが現代国家の現実なのかもしれない。

一つの国は、消費者であると同時に生産者である。

環境保護国であると同時に資源輸出国である。

未来へ投資すると同時に、現在の需要へ化石燃料を供給する。

国家は一つの顔だけでは生きていない。


終章|クリーンとは、国境で切り取れるものか


ノルウェーの山から流れる水は、電気を生み出す。

その電気は家庭を照らし、工場を動かし、電気自動車を走らせる。

国内の風景だけを見れば、確かにクリーンである。

しかし、海では石油と天然ガスが採掘されている。

それは船やパイプラインで国外へ運ばれ、別の国で燃やされる。

そこから得られた利益は、ノルウェーの社会と未来を支える。

どちらも、同じ国の姿である。

水力のノルウェー。

石油のノルウェー。

電気自動車のノルウェー。

天然ガス輸出国としてのノルウェー。

一方だけを見れば、理想国家にも見える。

もう一方だけを見れば、偽善国家にも見える。

だが、重要なのはどちらかのレッテルを貼ることではない。

問うべきは、

何を国内で減らしたのか。
何を国外へ売ったのか。
どこで利益を得たのか。
どこで排出が発生したのか。
そして、その構造からどう離れていくのか。

ということである。

持続可能性は、国内の発電比率だけでは測れない。

国内排出だけでも測れない。

輸出額だけでも測れない。

消費、製造、貿易、投資、資源採掘まで含めた関係の中で見なければならない。

ノルウェーの再エネ神話を問い直すとは、

ノルウェーは本当は汚い国だ

と暴くことではない。

クリーンという言葉が、国境の内側だけを見たときに成立していないか

と問い直すことである。

ノルウェーは、環境先進国の偽物なのではない。

環境先進国という称号だけでは捉えきれない国なのだ。

そして、その矛盾はノルウェーだけのものではない。

私たちもまた、国外で採掘された資源を使い、国外でつくられた商品を買いながら、自国の環境を守ろうとしている。

クリーンとは、自分の目の前から煙が消えることではない。

自分の豊かさを支える煙が、どこで上がっているかを見失わないこと。

その視線を持ったとき、初めて持続可能性は、国家の広告ではなく、世界全体の問いになる。


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