中東はなぜ地下水を使わないのか?
副題
石油国家と“未来の水”という選択
序章|正確には、地下水を使っていないわけではない
中東には水がない。
そう思われがちだが、正確ではない。
地表には大河や湖が少なく、降水量も限られている。
しかし地下には、広大な帯水層が存在する。
井戸を掘れば水を得られる。
実際、中東諸国は長いあいだ地下水を飲料や農業に利用してきた。現在も湾岸諸国を含む中東・北アフリカ地域では、地下水の過剰利用が大きな問題になっている。
したがって、本当の問いは、
なぜ中東は地下水を使わないのか
ではない。
より正確には、
なぜ地下水を、これまでと同じようには使い続けられないのか
である。
水があることと、その水を使い続けられることは同じではない。
地下に眠る水の中には、人間の時間ではほとんど補充されないものがある。
それを今使えば、次の世代には残らない。
中東の水問題とは、水の有無ではない。
現在を支えるために、未来の水をどこまで取り崩してよいのか。
という時間の問題なのである。
第1章|化石水とは、過去の雨である
中東や北アフリカの地下には、化石水と呼ばれる古い地下水が存在する。
これは石油のように、水そのものが化石になったという意味ではない。
現在よりも気候が湿潤だった時代に降った雨が、砂や岩石の隙間へ浸透し、長いあいだ地下に閉じ込められてきた水である。
サウジアラビアの農業に利用されてきた地下水の中には、最終氷期に由来し、約二万年前から地下に存在していたとされるものもある。湾岸地域では、同位体分析によって数万年前の地下水が確認される例もある。
地下水には、毎年の雨や河川水によって比較的速く補充されるものもある。
しかし、乾燥地域の深い帯水層には、現在の気候では補充量がきわめて少ないものがある。
まったく一滴も補充されないとは限らない。
だが、汲み上げる速度に対して、自然が戻す速度があまりにも遅い。
その場合、実質的には非再生資源として扱わなければならない。
つまり、化石水とは、
地下にある川ではなく、過去から受け継いだ貯金
に近い。
雨水や河川水を使うことは、毎年入ってくる収入を使うことに似ている。
化石水を使うことは、長い時間をかけて蓄えられた元本を取り崩すことに似ている。
同じ一リットルの水でも、その時間的な意味は同じではない。
第2章|水を汲むことは、時間を汲むことである
井戸から水が出てくると、人はその水を現在の資源だと考える。
だが、化石水は現在につくられた水ではない。
何千年、何万年も前の気候が残した水である。
今日、一時間で汲み上げた水が、自然によって元へ戻るまでには、人間の寿命をはるかに超える時間がかかるかもしれない。
このとき、人間が汲み上げているものは水だけではない。
地下に保存されていた地質学的な時間そのもの
である。
石油にも似た構造がある。
石油もまた、地球が長い時間をかけて蓄えた炭素資源である。
使えば便利になる。
社会が豊かになる。
人を飢えや不便から救う。
しかし、使った時間と同じ速さでは戻らない。
石油国家が化石水を大量に使うということは、
過去に蓄えられた石油を売り、
その力で、過去に蓄えられた水を汲む
という二重の資源消費でもあった。
地下にあるからといって、それが余っているわけではない。
取り出せるからといって、取り出してよいとも限らない。
第3章|砂漠を小麦畑に変えた実験
サウジアラビアは、かつて砂漠の中で大規模な農業を行った。
1980年代半ばから、地下深くの化石水を汲み上げ、センターピボット方式と呼ばれる円形の灌漑設備を使って、小麦、野菜、果物などを生産した。
人工衛星から見ると、乾いた砂漠の中に緑色の円が無数に並んでいる。
それは、人間が砂漠を征服した光景にも見えた。
その水は、現代の雨によって毎年補われる水ではなく、地下に長く閉じ込められてきた化石水だった。
石油収入によって、
井戸を掘る。
ポンプを動かす。
灌漑設備を建設する。
肥料や機械を投入する。
こうして、農業に不向きだった砂漠が穀倉地帯へ変えられた。
サウジアラビアは小麦の自給を達成し、一時は輸出国にまでなった。
しかし、その繁栄は、毎年更新される水循環の上に成立していたのではない。
地下の元本を取り崩すことで成立していた。
小麦を収穫するたびに、地下の水位は下がっていく。
緑の円が増えるほど、未来に残る水は減っていく。
それは農業生産であると同時に、
古代の水を穀物へ変換する作業
でもあった。
第4章|自給をやめるという選択
国家にとって、食料自給は重要である。
国外からの輸入が止まっても、自国民を養える。
国際価格の変動にも耐えられる。
農業を国内に残せる。
一般には、自給率が高いほど国家は強いと考えられる。
しかし、水の乏しい国では話が逆転する。
小麦を自給するために、二度と戻らない地下水を大量に使う。
それは本当に自立なのだろうか。
食料の自給と引き換えに、生命維持に欠かせない水を失うなら、その自給は別の依存を深めている。
サウジアラビアは2008年、地下水資源の消耗を背景に、小麦生産を段階的に縮小する政策へ転換した。従来の国内小麦生産計画は2016年までに終了したが、後には飼料作物削減との調整から、条件付きで一部の小麦生産が再び認められている。したがって「小麦を永久に完全放棄した」というより、地下水を大量に使う農業政策を大きく転換したと理解するのが正確である。
この選択は、単なる敗北ではない。
自国の水で小麦をつくる代わりに、石油収入で海外の小麦を買う。
食料自給を下げることで、地下水の消耗を抑える。
つまり、
食料を自給しないことによって、水を守る
という逆説的な国家戦略である。
もちろん、輸入依存には危険がある。
国際価格が高騰するかもしれない。
輸送路が閉ざされるかもしれない。
輸出国が不作になるかもしれない。
だが、化石水を使い切れば、その水は金を払っても取り戻せない。
食料は複数の国から買える。
失われた帯水層は、短期間では買い戻せない。
何を自給し、何を輸入するか。
それは誇りの問題だけではない。
代替できるものと、代替しにくいものを見分ける問題
なのである。
第5章|地下水を抜けば、何が失われるのか
地下水の過剰利用で最初に起こるのは、水が突然すべて消えることではない。
まず地下水位が下がる。
同じ量の水を得るために、より深い井戸が必要になる。
ポンプを動かすエネルギーも増える。
浅い井戸が使えなくなり、水を得られる者と得られない者の差も広がる。
さらに帯水層の場所や地質によっては、地盤を構成する細かな粘土やシルトが圧縮され、地盤沈下につながることがある。
一度強く圧縮された地層は、地下水位が戻っても、以前と同じ貯水能力を回復しない場合がある。
沿岸部では、地下水を過剰に汲み上げることで海水が帯水層へ入り込み、淡水が塩水化することもある。
こうなると、水そのものが残っていても、飲用や農業に使いにくくなる。
したがって、地下水の限界は、
井戸が完全に空になる瞬間
だけではない。
水位が下がる。
塩分が増える。
汲み上げ費用が上がる。
地層の貯水能力が失われる。
水質が悪化する。
そうした変化によって、水は存在していても、利用できる資源ではなくなっていく。
資源の枯渇とは、物理的にゼロになることだけではない。
社会が安全に、合理的に利用できなくなること
でもある。
第6章|水は使わなければ無駄なのか
資源は使ってこそ価値がある。
そう考えるのは自然である。
地下に水を残しても、現在の人間が飢えれば意味がない。
水を使えば作物を育てられる。
産業を動かせる。
生活を豊かにできる。
だから、化石水を一滴も使うべきではないという話ではない。
問題は、
何に使うのか
どの程度使うのか
代替手段があるのか
いつまで残すのか
である。
日常的な大量農業に使うのか。
人口を支える飲料水として使うのか。
災害時や戦争時の非常用水源として残すのか。
淡水化施設や輸入網が止まったときの予備にするのか。
同じ地下水でも、用途によって価値は変わる。
化石水を使わずに残すことは、何もしないことではない。
それは、
未来の選択肢を消費せずに保持すること
でもある。
使える水が地下に残っていれば、未来の人間は使うか使わないかを選べる。
現在の人間が使い切れば、未来の人間には選択肢そのものが残らない。
資源を残す価値とは、単なる残量ではない。
まだ決めていない未来を、決められる状態で残すこと
なのである。
第7章|「使わない」は、本当に善なのか
ただし、地下水を温存することを、そのまま美談にしてはいけない。
地下水を使わない代わりに、海水淡水化で大量のエネルギーを使うかもしれない。
食料を輸入することで、他国の農地や水を消費するかもしれない。
自国の水を守りながら、環境負荷を海や国外へ移す可能性もある。
中東・北アフリカ地域は、世界の淡水化能力の半分以上を占める一方、地下水の過剰利用や水供給設備への依存という別の問題も抱えている。
したがって、
地下水を使わない国は倫理的である
地下水を使う国は無計画である
と単純に分けることはできない。
水の負担は形を変える。
地下から汲まなければ、海からつくる。
国内で育てなければ、国外から買う。
水を節約すれば、代わりにエネルギーや資本を使う。
一つの資源を守ることは、別の資源を使うことでもある。
だから問うべきなのは、
地下水を使ったかどうか
だけではない。
その選択によって、負担がどこへ移ったのか
まで見なければならない。
終章|水とは、未来へ残された選択肢である
中東諸国は、地下水を使っていないわけではない。
むしろ、使ってきた。
砂漠を農地へ変え、都市を育て、人々の生活を支えてきた。
そして、使ったからこそ知った。
地下に水があることと、その水を永遠に使えることは同じではない。
化石水は、毎年届く贈り物ではない。
過去の気候が残した遺産である。
それを使えば、現在は豊かになる。
残せば、未来の選択肢になる。
どちらが正しいかは、簡単には決められない。
現在の人間にも水は必要である。
未来の人間にも水は必要である。
だから本当の問題は、
使うか、使わないか
ではない。
何のために、どれほど使い、どれほど残すか
である。
食料は輸入できるかもしれない。
エネルギー源は置き換えられるかもしれない。
技術も進歩するかもしれない。
しかし、水そのものを必要としない生命は、今のところ存在しない。
水は、単なる資源ではない。
人が未来に存在するための前提である。
だから地下水を残すという判断は、倹約だけではない。
未来の人間に向かって、
まだあなたにも選べるものを残しておく
という意思表示でもある。
中東の地下に眠っているのは、水だけではない。
それをいつ使うのかを決める、未来の権利である。
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