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EVは誰を救うのか

副題

排気ガスの消えた街と、見えなくなった負担

序章|エコは誰のためにあるのか


電気自動車は、静かに走る。

エンジン音は小さく、信号待ちのあいだに排気ガスを吐き続けることもない。

道路沿いの空気は少しきれいになる。

街からガソリンの匂いが消え、給油所の代わりに充電器が並ぶ。

その光景は、化石燃料の時代が終わりに近づいているようにも見える。

電気自動車は、「地球に優しい車」として語られてきた。

だが、ここで立ち止まって考えたい。

EVは、本当にクリーンなのだろうか。

あるいは、車から排気ガスが出なくなったことで、環境負荷が見えにくくなっただけなのだろうか。

電気は、どこかでつくられる。

電池は、どこかで製造される。

その材料となる鉱物は、どこかの山や塩湖から採られる。

充電設備を増やすためには、発電所、送電線、変圧器、蓄電設備が必要になる。

つまりEVによって変わるのは、環境負荷の有無だけではない。

環境負荷が生じる場所と、負担を引き受ける人間である。

排気ガスの消えた街の外側で、何が起きているのか。

ノルウェーというEV先進国を通して考えてみたい。

第1章|走るたびに問われる、電気の出どころ


EVは電気で走る。

したがって、その環境性能は、車両だけを見ても決まらない。

水力発電でつくられた電気なのか。

風力や太陽光なのか。

原子力なのか。

天然ガスや石炭なのか。

同じ車であっても、充電する国や時間によって、その車を動かすエネルギーの構成は変わる。

ここから、

発電所で化石燃料を燃やしているなら、EVもガソリン車と同じだ

という批判も生まれる。

確かに、発電時の排出を無視して、EVを「完全なゼロエミッション車」と呼ぶことはできない。

しかし、だからといって、

排気ガスを発電所へ移しただけだ

と結論するのも正確ではない。

内燃機関車は、一台一台が小さな燃焼装置を積んでいる。

燃料を燃やし、熱を発生させ、その一部を動力へ変える。

一方、EVのモーターは、電力を比較的効率よく動力へ変えられる。

発電、送電、充電には損失があるが、内燃機関車にも石油の採掘、輸送、精製、給油、エンジン内部での損失がある。

比較すべきなのは、

車の後ろから煙が出るか

だけではない。

資源の採取。

燃料や電池の製造。

発電。

輸送。

走行。

廃棄と再資源化。

これらを含めたライフサイクル全体である。

IEAも、EVの生涯排出量は、車体の大きさ、電池容量、走行距離、使用年数、製造工程、充電電力の構成によって変わるとしている。

EVは、どこでも同じようにクリーンなのではない。

その社会が、どのように電気をつくっているかまで含めて、初めて環境性能が決まる車

なのである。


第2章|ノルウェーは、なぜEV社会になれたのか


ノルウェーは、世界でも特にEVの普及が進んだ国である。

政府資料では、2025年に新車販売に占めるEVの割合は約95%に達し、新車乗用車を事実上すべて電動化するという目標は、ほぼ達成されたと評価されている。

だが、この成功を、

ノルウェー人の環境意識が高かったから

だけで説明することはできない。

まず、ノルウェーには水力発電がある。

国内電力の九割近くが水力によって供給され、千を超える貯水池が発電に利用されている。

石炭火力を中心とする国でEVを走らせる場合と比べれば、ノルウェーでは走行用電力の炭素排出を小さくしやすい。

つまりノルウェーは、EVが環境上の効果を発揮しやすい電源構成を、最初から持っていた。

さらに政府は、内燃機関車へ高い購入税や燃料税を課す一方、EVには付加価値税の免除や軽減、有料道路やフェリーなどでの優遇を与えてきた。

充電設備も整備した。

つまりノルウェーでは、

EVを選ぶことが、思想的に正しいだけでなく、経済的にも合理的になる市場

が政策によってつくられた。

技術が自然に勝ったのではない。

国家が税制とインフラを使い、

ガソリン車よりEVを選びやすい社会

を設計したのである。

これは、ノルウェーのEV普及が偽物だという意味ではない。

むしろ、社会は政策によって変えられることを示した成功例である。

ただし、そこには次の問いが残る。

その政策を可能にした豊かさは、どこから来たのか。


第3章|石油を売った国が、EVを普及させるという逆説


ノルウェーは、水力発電国である。

そして同時に、石油・天然ガス輸出国でもある。

ノルウェー大陸棚で生産される石油と天然ガスのほぼすべては国外へ輸出されている。石油と天然ガスの販売収入は、現代ノルウェーの経済と社会を形成するうえで重要な役割を果たしてきた。

2025年には、原油、天然ガス、コンデンセートの輸出額が、ノルウェーの商品輸出額のおよそ57%を占めた。

つまりノルウェーでは、

石油と天然ガスを国外へ売り、
その富を背景に、国内の電動化を進める

という構造が成立している。

もちろん、EV購入者へ渡される優遇費用が、そのまま特定の油田収入から支払われているという単純な話ではない。

国家の税収や財政は、複数の収入源と支出からできている。

それでも、石油国家として蓄積した財政的余裕が、充電網、税制優遇、公共インフラ、制度移行を行いやすくしたことは否定できない。

ここに一つの逆説がある。

国内では、ガソリン車からEVへ移行する。

国内の道路から、排気ガスを減らす。

一方で、国外には石油と天然ガスを供給する。

そこで燃やされた化石燃料による排出は、主に消費した国の側で発生する。

ノルウェーだけが悪いという話ではない。

買う国があるから、売る国がある。

需要と供給は、互いに成立させ合っている。

それでも、

化石燃料を売ることで得た豊かさが、国内の脱化石燃料化を支えている

という構造は残る。

ノルウェーのEVは、石油文明の外側から突然現れたものではない。

石油文明が生み出した富の上で、次の文明への移行を進めているのである。


第4章|電気代高騰が露出させた電化社会の弱点


水力発電は、一般に燃料費が小さい。

ノルウェーでは、安価で低炭素な電力がEV普及を支えてきた。

だが、電気である以上、価格が常に一定とは限らない。

2022年、欧州のエネルギー危機、天然ガス価格の上昇、降水量や貯水状況、周辺国との電力市場の連動などが重なり、ノルウェー南部を中心に電力価格が高騰した。

同年第3四半期には、家庭向け電力価格が、税金と送電料金を含み政府支援を差し引く前で、平均317.6オーレ/kWhという記録的水準に達した。政府支援を差し引いた実際の平均負担は、それより大幅に抑えられていた。

一部では、日本円換算で月十万円を超える請求例も語られた。

ただし、それをノルウェーの平均的な家庭電気代と考えてはいけない。

大型住宅。

寒冷期の暖房。

大量の電力消費。

高価格地域。

政府支援前の金額。

そうした条件が重なった極端な事例である。

実際、2025年の家庭向け電力価格は2024年より低下し、2020年以来の低水準となった。2022年の異常高騰を、ノルウェーEV社会の恒常的な姿として扱うことはできない。

それでも、この危機が示したものはある。

家庭の暖房。

給湯。

調理。

照明。

自動車。

これらがすべて電気へ統合されると、電力価格の上昇が生活全体を同時に襲う。

ガソリン価格が上がれば、自動車の燃料費が上がる。

しかし電気価格が上がれば、車だけでなく、家そのものを維持する費用まで上がる。

電化は、石油への依存を減らす。
その代わり、電力システムへの依存を深める。

のである。

ノルウェーの水力発電も、自然条件から完全に自由ではない。

発電量や価格は、降水量と貯水池の水量に影響される。

そのためノルウェーは周辺国と電力を交換し、必要なときには輸入し、余力があるときには輸出する。

これは他国への一方的な「ただ乗り」ではない。

国境を越えて、異なる電源と需給を補い合う仕組みである。

しかし同時に、国内の電力価格や供給が、国外の市場や情勢とも結びつくということでもある。

自立性を高めるための電化が、別の形の相互依存を生む。

ここにも、脱炭素の二面性がある。


第5章|補助された技術は、本物ではないのか


ノルウェーのEV普及は、政策によって後押しされた。

では、それは技術の勝利ではなく、補助金によってつくられた人工的な市場なのだろうか。

答えは単純ではない。

新しい技術は、利用者が少ない段階では価格が高く、充電設備も不足している。

利用者が少ないから設備が増えない。

設備が少ないから利用者が増えない。

この循環を断ち切るため、政府が税制や公共投資を使うことには合理性がある。

道路。

送電網。

石油精製施設。

鉄道。

空港。

これらも、純粋な自由市場だけで成立してきたわけではない。

EVだけを、

政策で支えられたから偽物だ

と断定するのは公平ではない。

ノルウェー政府は、EVが新車市場の約95%に達したことを踏まえ、付加価値税上の優遇を段階的に縮小する時期に来たと判断している。

つまり政策の目的は、永遠にEVを保護することではない。

市場が形成されるまで、選択条件を変えることだった。

だが、ここには別の問題がある。

補助政策は、すべての人を同じように救うわけではない。

新車を買える人。

自宅に駐車場がある人。

家庭用充電器を設置できる人。

安い時間帯に充電できる人。

こうした人ほど、EV政策の恩恵を受けやすい。

一方で、

賃貸住宅に住む人。

路上駐車しかできない人。

中古車しか買えない人。

そもそも車を持たない人。

こうした人も、税制や公共投資の費用を間接的に負担する。

つまりEV政策とは、

環境に良い車を増やす政策

であると同時に、

誰の移動を、どれほど公費で支援するかを決める政策

でもある。

問うべきなのは、補助金があるかどうかだけではない。

誰が恩恵を受け、誰が費用を引き受けたかである。


第6章|排気ガスの代わりに、何が見えなくなったのか


ノルウェーの街から、排気ガスが減っていく。

だが、EVをつくるための物質まで消えたわけではない。

電池には、種類によってリチウム、ニッケル、コバルト、マンガン、黒鉛などが使われる。

モーターや送電設備には、銅やその他の鉱物が必要になる。

鉱物を採掘すれば、土地が改変される。

精製には、水とエネルギーが必要になる。

製造工程でも排出が生じる。

供給網の一部では、労働環境、地域住民との対立、水利用、汚染管理なども問題になる。

つまり、

ノルウェーの都市で減った排気ガスの代わりに、
遠い国の鉱山や工場が、見えない場所へ追いやられた

と考えることもできる。

ただし、

電池製造に負荷がある
だからEVには環境上の意味がない

という結論も正しくない。

IEAによれば、電池関連の排出はEVのライフサイクル排出における重要な要素ではあるが、必ずしも最大の要因ではない。また、製造工程の電化、電池の高密度化、再生材料の利用によって、将来的に負荷を下げられる余地もある。

EVは、環境負荷を隠しただけの車ではない。

低炭素な電力で長く使用すれば、内燃機関車より生涯排出量を減らせる可能性が高い。

特に水力発電中心のノルウェーでは、その利点は大きくなりやすい。

正確に言えば、

EVは一部の負担を実際に減らしながら、
別の負担を電池、鉱物、製造、電力網へ移す。

のである。

減少と移転が同時に起きる。

だから、EVを完全な救世主と呼ぶことも、完全な欺瞞と呼ぶこともできない。


第7章|クリーンを輸入し、負担を輸出する


EVに乗っている人の目には、完成した車しか見えない。

滑らかな加速。

静かな車内。

排気ガスのない道路。

充電残量を示す画面。

だが、その画面の向こうには、長い供給網がある。

鉱山。

精製工場。

電池工場。

港。

貨物船。

発電所。

送電線。

一台のEVは、世界中の資源と労働を集めてつくられている。

環境上の利益を受ける人と、そのための負担を引き受ける人は、必ずしも一致しない。

ノルウェーの都市で空気がきれいになる。

その利益を受けるのは、そこで暮らす人々である。

一方、鉱山開発や精製によって生活環境が変わるのは、別の国や地域の人々かもしれない。

クリーンさを享受する場所と、
そのクリーンさをつくる負担の場所が離れている。

この構造は、EVだけの問題ではない。

太陽光パネル。

風力発電機。

スマートフォン。

蓄電池。

現代の技術は、国境を越えた供給網の上に成立している。

だから問題は、EVを買うこと自体ではない。

環境負荷の少ない商品を買ったことで、

自分はもう責任を果たした

と考えてしまうことである。

目の前から煙が消えたとき、その煙がどこへ行ったのかを追わなくなる。

ここに、倫理の代理消費が生まれる。

EVを買う。

環境に配慮した自分を感じる。

その満足によって、供給網の負担を見なくなる。

するとEVは、未来を救う道具である前に、

自分が善い側に立っていると確認するための装置

になってしまう。

だが、本来の倫理とは、自分の無罪を証明することではない。

自分が受け取る利益が、どこから来たのかを見失わないことである。


第8章|車がEVになっても、車社会は残る


すべてのガソリン車がEVへ置き換わったとする。

街から排気ガスは減る。

石油消費も減る。

走行時の騒音も小さくなる。

だが、渋滞はなくならない。

交通事故もなくならない。

道路や駐車場に使われる土地も残る。

タイヤと路面の摩耗も残る。

自動車がなければ生活できない都市構造も、そのままである。

さらに、長い航続距離を求めれば、大きな電池が必要になる。

大きな電池を積めば、車両は重くなる。

重い車をつくるには、より多くの物質が必要になる。

動かすにも、より多くの電力が要る。

小さなガソリン車を大型のEVへ置き換えたとき、それを単純に環境改善と呼べるのだろうか。

動力源だけを見れば改善している。

しかし車体の大きさ、台数、道路、土地利用まで見れば、別の問題が残る。

ここに、脱炭素をめぐる最大の幻想がある。

車を電気に変えれば、
今の暮らしを何一つ変えずに、
そのまま持続可能になれる。

同じ台数。

同じ大きさ。

同じ長距離通勤。

同じ郊外型の都市。

同じ道路。

燃料だけを電気に替えればよい。

だがEVは、エンジンを置き換える技術である。

自動車中心社会そのものを置き換える技術ではない。

本当に負担を減らすなら、

移動距離を短くする。

公共交通を使いやすくする。

歩いて暮らせる街をつくる。

車体を小さくする。

一台を複数人で使う。

そうした選択も同時に必要になる。

EV化と、自動車依存の縮小は、別の課題なのである。


第9章|EVは誰の倫理を救うのか


EVは、都市の空気を救う。

道路沿いに暮らす人々の呼吸環境を改善する。

低炭素電力と組み合わせれば、温室効果ガスを減らす助けになる。

石油への依存を減らし、電気を移動へ利用する道を開く。

それは現実の効果である。

ノルウェーは、政策、電力、税制、充電設備を組み合わせれば、EVを一部の愛好家の車から、社会の標準的な選択肢へ変えられることを示した。

だが、EVはすべての人を同じようには救わない。

鉱物を採る地域には、新たな負担が生じる。

新車を買えない人は、政策の恩恵を受けにくい。

電力価格が上がれば、電化された生活全体が影響を受ける。

充電設備を持つ人と持たない人のあいだにも差が生まれる。

車を持たない人にも、道路や優遇政策の費用は及ぶ。

EVが救うのは、「地球」という一つの抽象的な存在ではない。

ある場所の排気ガスを減らす。

ある国の石油消費を減らす。

ある産業の仕事をつくる。

その一方で、別の場所に鉱山を開き、別の産業を縮小し、別の人々へ負担を渡す。

救済と負担は同時に起こる。

だから問うべきなのは、

EVは環境に良いか、悪いか

ではない。

誰の負担を減らし、
誰へ新しい負担を渡したのか。
その移動は、公正に設計されているのか。

である。


結び|幻想なのは、交換だけで済む未来である


EVそのものは幻想ではない。

実際に排気ガスを減らす。

低炭素な電力で走らせれば、生涯を通じた温室効果ガス排出も減らせる。

モーターは効率がよく、発電部門の低炭素化とも組み合わせられる。

ノルウェーのEV普及も、見せかけの成功ではない。

EVが実際に普及し、市場を変え、都市の排出を減らせることを示した。

だが、ノルウェーは同時に、もう一つのことも示した。

水力発電。

石油収入。

税制優遇。

充電設備。

送電網。

国外との電力交換。

世界各地の鉱物と製造拠点。

EV社会は、一台の車だけでは成立しない。

その背後には、巨大な制度と供給網がある。

幻想なのは、EVではない。

ガソリン車をEVへ交換すれば、
現在の豊かさも移動も車の大きさも変えずに、
負担なく脱炭素できるという物語

である。

車をつくるには物質が要る。

電気を届けるには設備が要る。

鉱物を採る土地が要る。

政策の費用を負担する人がいる。

排気ガスが消えても、渋滞、事故、道路、駐車場、自動車依存は残る。

EVは救世主ではない。

化石燃料を直接燃やす負担を、大きく減らすための道具

である。

道具の意味は、使い方によって決まる。

どの電力で走らせるのか。

どれほど大きな車をつくるのか。

電池を何年使うのか。

回収し、再利用できるのか。

鉱物をどのような条件で採るのか。

誰へ補助を与えるのか。

車を使わずに済む社会を同時につくれるのか。

クリーンとは、煙を目の前から消すことではない。

煙がどこへ移ったのかを見失わず、
それでも全体の負担を減らしていくこと。

EVは誰を救うのか。

その答えは、車の性能表だけには書かれていない。

電力、鉱物、労働、都市、政策を、どのように結び直すか。

その社会全体の選択の中にある。


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