UIインフラ企業は生まれるのか
副題
企業ごとに違う画面を、社会共通の接点として考える
はじめに
私たちは、一日に何度も画面へ触れている。
コンビニのセルフレジ。
銀行のATM。
病院の受付。
駅の券売機。
駐車場の精算機。
ホテルのチェックイン。
飲食店の注文端末。
ECサイト。
行政手続き。
どれも画面である。
しかし、どれも少しずつ違う。
戻るボタンの位置。
キャンセル方法。
支払い画面。
確認画面。
エラー表示。
文字の大きさ。
色。
操作の順番。
毎回少しずつ覚え直さなければならない。
これを当たり前だと思っている。
だが本当に当たり前なのだろうか。
第一章
なぜ会社ごとに操作が違うのか
企業は、自社サービスを他社と差別化したい。
ブランドらしさを出したい。
デザインを統一したい。
独自性を作りたい。
これは理解できる。
しかし利用者から見ると、
病院だから覚え直す。
銀行だから覚え直す。
スーパーだから覚え直す。
という理由にはならない。
利用者がしたいことは変わらない。
本人確認。
選択。
確認。
支払い。
完了。
困ったときに助けを求める。
この流れは、どの業界でも驚くほど似ている。
違うのは会社であって、人間ではない。
第二章
私たちは道路に会社ごとのルールを求めない
少し想像してみる。
ある道路会社では、
赤信号で進む。
別の道路会社では、
青信号で止まる。
横断歩道の位置も会社ごとに違う。
右側通行の会社もある。
左側通行の会社もある。
そんな道路は混乱する。
だから道路は標準化されている。
交通ルールがある。
標識も共通である。
免許制度も共通である。
会社同士は競争している。
しかし道路の使い方では競争していない。
なぜなら道路は社会インフラだからである。
第三章
UIも生活インフラになった
昔は画面を操作する人は限られていた。
今は違う。
子どもも使う。
高齢者も使う。
外国人も使う。
障害のある人も使う。
毎日何十回も使う。
つまりUIは、
特別な人の道具ではなく、
生活基盤になった。
生活基盤であるなら、
企業ごとの独自性より、
誰でも迷わず使えることが優先されてもよい。
もちろんブランドは残る。
色も違ってよい。
写真も違ってよい。
世界観も違ってよい。
しかし、
戻る場所。
取消方法。
確認画面。
支払い画面。
エラー表示。
助けの呼び方。
こうした基礎部分は、
道路の標識のように共通化できるのではないか。
第四章
UIインフラ企業という発想
もし将来、
UIそのものを専門に設計する企業が現れたらどうなるだろう。
その会社は、
スーパーを運営しない。
銀行も作らない。
病院も経営しない。
行政サービスもしない。
しかし、
誰でも迷わず使える画面だけを作る。
ボタン配置。
文字サイズ。
高齢者向け設計。
アクセシビリティ。
エラー表示。
確認画面。
音声案内。
これらを何十年も研究する。
道路会社が道路を整備するように、
UIを社会基盤として整備する会社である。
企業は、その土台の上に自社らしいサービスを載せる。
つまり、
ブランドは企業が作る。
使いやすさは社会で共有する。
そんな役割分担があってもよいのかもしれない。
第五章
UIは競争する部分と共有する部分がある
企業は競争しなければならない。
しかし、
競争する場所を間違えると、
社会全体の学習コストが増える。
毎回違う戻るボタン。
毎回違う取消方法。
毎回違う支払い方法。
毎回違うエラー画面。
利用者は、
商品を覚える前に、
操作を覚え直している。
これは企業同士が競争しているというより、
利用者へ学習コストを押し付けているとも言える。
競争すべきなのは、
商品の品質。
価格。
サービス。
体験。
サポート。
思想。
そこでは大いに競争してよい。
しかし、
人間の基本動作まで毎回変える必要はあるのだろうか。
第六章
AI時代ほど共通UIが必要になる
これからAIがあらゆるサービスへ入り始める。
病院。
役所。
教育。
金融。
買い物。
仕事。
相談。
ほとんどのサービスにAIが組み込まれるだろう。
すると利用者は、
AIの性能より、
AIへの入口に触れる時間の方が長くなる。
つまり、
AI時代はUI時代でもある。
どれほど賢いAIでも、
入口が分からなければ使われない。
逆に、
入口が自然なら、
高度な技術を意識しなくても利用できる。
AIを支える基盤は、
GPUだけではない。
人間が迷わず触れられる入口もまた、
社会インフラなのである。
第七章
UIは企業だけのものではなくなる
ここまで来ると、
UIは企業の所有物というより、
社会の共有財産に近づいていく。
もちろん企業理念は残る。
企業らしさも残る。
世界観も残る。
しかし、
人間の学習コストを毎回増やす自由まで、
企業が持つ必要はない。
道路が共通であるように。
コンセントの形がある程度共通であるように。
キーボード配列が世界中で似ているように。
UIにも、
社会共通の作法が育っていく可能性がある。
そのとき企業は、
UIを一から作る会社ではなく、
UIという共通基盤の上で、
自社らしい価値を提供する会社へ変わっていくのかもしれない。
終章
使いやすさは、競争ではなく文化になる
便利なUIとは、
ボタンがきれいなことではない。
画面が派手なことでもない。
誰も迷わないことである。
誰も置いていかれないことである。
何年ぶりに触っても、
自然に使えることである。
もし未来に、
UIインフラ企業が生まれるなら、
その会社が売るものは画面ではない。
人間が迷わず社会へ接続できるという安心である。
道路が都市をつないだように。
通信網が世界をつないだように。
電力網が暮らしを支えたように。
次に整備されるインフラは、
人間と情報を結ぶ「接点」なのかもしれない。
UIとは企業のためのデザインではない。
人間が社会へ参加するための入口である。
そして、その入口が誰にでも開かれている社会ほど、技術は人に近づいていくのだと思う。
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