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人間が消えていく店で、何が残るのか


副題
店舗の省略化と 接客 身体 監視について

関連記事

『最適化されすぎた世界では、魂はどこに宿るのか』


序章

店から人間が消えていく


かつて店には店主がいた

客が欲しいものを伝えると
店主は奥から商品を持ってきた

客は商品を直接探すのではなく
店主を通して商品に触れていた

そこには会話があった
記憶があった
信用があった
常連という関係があった

あの人はいつもの品を買う
この家はそろそろ米が切れる
この人には少し良いものを勧めてもよい
この人は今日は疲れている

店主は商品を売っていただけではない

客を読んでいた

だが店は少しずつ変わった

商品は棚に並ぶようになった
客は自分で選ぶようになった
レジは自動化されるようになった
注文はタブレットになった
配膳はロボットが行うようになった
会計はセルフレジになった
店舗そのものを持たない販売も広がった

人間がいた場所に
棚が入り
画面が入り
機械が入り
アルゴリズムが入った

では 店から人間が消えていくとき
そこには何が残るのだろうか


第一章

店舗はどこまで省略できるのか


店舗とは何か

商品を売る場所だろうか
人が集まる場所だろうか
在庫を置く場所だろうか
金銭と物を交換する場所だろうか

昔の商店では
店は人間に近かった

客は店主に話しかける
店主は奥から商品を持ってくる
客は店主を信用して買う

この時代
店舗の中心は棚ではなく店主だった

店主は在庫を知っていた
客を知っていた
地域を知っていた
商品の使われ方を知っていた

しかしセルフサービスが広がると
店主の一部は棚に移った

客は自分で歩き
自分で探し
自分で比較し
自分で選ぶ

棚は無言で語るようになった

値札
POP
パッケージ
陳列
ランキング
割引表示

これらが店主の代わりに客を誘導する

さらにレジが自動化される

店員は会計をする人ではなく
例外に対応する人になる

バーコードを読み取るのは客
支払い方法を選ぶのも客
レシートの要不要を選ぶのも客
袋の有無を選ぶのも客

店員の仕事が消えたように見える

だが実際には
仕事が客と機械に移されたのだ

店舗の省略化とは
労働が消えることではない

労働の配置が変わることである


第二章

客は少しずつ従業員になっている


現代のレジはしつこい

袋は必要か
箸は必要か
ポイントカードはあるか
アプリは使うか
支払い方法は何か
レシートは必要か
温めるか
スプーンは必要か

ひとつひとつは合理的である

袋は有料化された
箸やスプーンは削減対象になった
ポイントカードは顧客管理につながる
レシートは証拠にもゴミにもなる
支払い方法は増えすぎた

だから店は聞く

だが客から見れば
会計とは支払いの場所ではなく
小さな判断を連続して求められる場所になった

これは店舗側の責任とコストが
客側の判断負荷として移転されているということでもある

昔なら店員がある程度まとめて処理していた

袋に入れる
箸をつける
レシートを渡す
現金を受け取る

しかし今は勝手に行うと問題になる

袋をつければ有料で揉める
箸をつければ無駄になる
レシートを渡せばゴミになる
渡さなければ証拠がないと言われる
ポイントを聞かなければ機会損失になる
聞けばしつこいと言われる

だから店は客に判断を返す

セルフレジは店員を省略したのではない
店員の一部を客に移植したのだ

客は客でありながら
少しだけ従業員になっている

現代の店舗とは
店員を減らす代わりに
客の身体と判断を運用に組み込む場所なのかもしれない


第三章

猫型ロボットは何を運んでいるのか


ガストやバーミヤンでは
猫型の配膳ロボットが料理を運んでくる

客から見ればかわいい

料理を運ぶ
声を出す
顔がある
子どもが喜ぶ
店内の雰囲気が少し柔らかくなる

だが店側から見れば
それは労働設計の装置である

店員の歩行量を減らす
配膳を分担する
人手不足に対応する
繁忙時の負荷を軽くする
客席まで料理を運ぶ動線を機械化する

ここで重要なのは
ロボットが猫型であることだ

ただの無機質な機械が店内を走っていたら
客は異物として見るかもしれない

だが猫の顔を持つことで
機械は少しだけ社会的存在になる

人間は機械に労働を譲るとき
その機械に顔を与える

顔を持った機械は
人間から奪った仕事を
人間に受け入れられやすい形で行う

猫の顔は
労働の機械化に貼られた礼節である

ここでも店舗は省略されている

人間の配膳は減る
しかし料理は届く
会話は減る
しかしサービスは続く
人間は消える
しかし店は動く

では残る人間は何をするのか

単純な作業ではない

残るのは例外対応であり
空気を読むことであり
機械が扱えない違和感への応答である

人間の仕事は処理から読解へ移っていく


第四章

人間に接客されることは贅沢になる


これから先
人間に接客されることは贅沢になるかもしれない

昔は人間が接客するのが当たり前だった
機械がなかったからだ

だが機械で済む時代に
あえて人間が接客するなら
そこには追加価値が生まれる

注文を取るだけならタブレットでよい
料理を運ぶだけならロボットでよい
会計をするだけならセルフレジでよい
在庫を調べるだけなら端末でよい

では人間の接客に何が残るのか

客の表情を読むこと
食べる速度を読むこと
沈黙の意味を読むこと
言葉にされていない不満を読むこと
記念日なのか商談なのかを読むこと
距離を詰めるべきか離れるべきかを読むこと

つまり
人間の接客は処理ではなく読解になったとき
贅沢になる

高級店の接客が高級なのは
動作が丁寧だからだけではない

客を一人の客として読むからだ

同じ料理を出しても
相手によって出し方が変わる

同じ言葉を使っても
相手によって距離が変わる

機械は処理する
人間は読む

未来の店舗では
安いサービスほど機械が処理し
高いサービスほど人間が読む

そのとき人間に接客されるとは
自分が一人の客として読まれることへの対価になる


第五章

人間が消えても身体は残る


しかし
店から人間が消えても
身体は消えない

客は身体を持っている
店員も身体を持っている
料理には匂いがある
席には距離がある
隣の客には気配がある
床には音がある
空間には温度がある

注文がタブレットになっても
人は腹を空かせている

配膳がロボットになっても
料理は匂う

会計がセルフになっても
財布を出す身体がある

ここで匂いの問題が出てくる

隣の席から料理の匂いがする

これは料理の匂いである

しかし店の外で
人から料理の匂いがする

これはその人の匂いになる

匂いは発生源だけでは決まらない

どこで
誰を媒介して
どの文脈で受け取られたかによって
誰のものかが変わる

匂いは現象であり
臭いは解釈である

店内なら料理の匂いとして許されるものが
人の口や服から出た瞬間に
その人の匂いとして読まれる

ここに身体の消せなさがある

人間を省略しても
人間の身体からはみ出すものまでは省略できない

匂いとは
身体からはみ出した自己である

そして店舗とは
そのはみ出しを他者と共有する場所でもある


第六章

省略のかわりに監視が増える


店から人間が消えていくとき
本当に人間は見られなくなるのだろうか

おそらく違う

人間の店員は減る
だが観測は増える

誰が来たか
何時に来たか
何を注文したか
どの席に座ったか
何分滞在したか
どのクーポンを使ったか
どの支払い方法を選んだか
どの商品を見たか
何を買わなかったか

昔の商店主も客を見ていた

だがそれは人間の記憶だった

忘れる
曖昧になる
誤解する
地域の関係性の中に留まる

現代の観測は違う

記録される
集計される
他のデータと接続される
予測に使われる
広告に使われる
次の選択肢の配置に影響する

ここから監視社会が始まる

監視社会とは
誰かに見られている社会のことではない

見られた情報によって
本人の知らない場所で
次の選択肢が設計され始める社会である

スマホはその中心にある

スマホは抵抗のない監視装置である

なぜなら
監視されている感覚ではなく
便利になっている感覚として持ち歩かれるからだ

地図が使える
決済できる
写真が撮れる
乗換案内が出る
店を探せる
クーポンが届く
履歴が残る

人は自分の便利のために
自分の観測装置を持ち歩く

スマホは外部から押しつけられた監視ではない
自己携帯型の観測装置である

そして観測された人間は
予測される

この人は安さに反応する
この人は夜に動く
この人はこの地域を通る
この人はこの広告に反応する
この人はこの商品を買いそうだ

人間は見張られるのではない

解釈可能なデータへ変換される


第七章

省略されたものは消えたのではない


店から人間が消える

そう見える

だが本当に消えたのだろうか

店主は棚になった
会計係はセルフレジになった
注文係はタブレットになった
配膳係はロボットになった
案内係はアプリになった
常連の記憶はデータになった
おすすめはアルゴリズムになった

つまり
人間は消えたのではない

機能に分解され
機械と客とデータへ再配置されたのだ

人間が減った店には
人間の代わりにシステムが増える

会話が減った店には
選択肢が増える

店員が減った店には
客の判断が増える

接客が減った店には
観測が増える

ここで問われるのは
便利になったかどうかだけではない

何が誰に移されたのかである

店員の作業は客に移されたのか
店主の記憶はデータに移されたのか
接客の読解はアルゴリズムに移されたのか
責任は画面上の選択肢に移されたのか

省略とは消滅ではない

省略とは
見えなくなった労働や判断が
別の場所へ移動することである


終章

人間が消えていく店で 何が残るのか


人間が消えていく店で
最後に何が残るのか

商品だろうか
価格だろうか
機械だろうか
データだろうか

たぶん
最後に残るのは接続である

客が商品に接続する
客が空間に接続する
客が匂いに接続する
客が機械に接続する
客がデータとして店に接続される
店が客の未来の選択肢に接続する

店舗とは
商品を売る場所ではない

身体をそこへ運ぶ理由が残っている場所である

ただ商品を渡すだけなら
店舗は省略される

ただ注文を受けるだけなら
人間は省略される

ただ運ぶだけなら
配膳は機械化される

ただ会計するだけなら
レジは自動化される

それでも人が店へ行くのは
そこにまだ身体でしか受け取れないものがあるからだ

匂い

空間
偶然
距離
気配
読解
出会い
自分の判断が揺れる瞬間

これらは完全には画面に移せない

未来の店舗は
二つに分かれていくのだと思う

ひとつは
省略される店舗

商品を受け取るためのインフラとしての店舗である

もうひとつは
省略できない店舗

身体を運ぶことでしか得られない何かが残る店舗である

人間が消えていく店で
何が残るのか

それは
人間がいなくなってもなお
人間が世界と接続してしまう形式である

店から人間は消えていく

だが人間が消えた場所に
別の何かが残る

機械が残る
データが残る
匂いが残る
判断が残る
身体が残る
そして接続が残る

人間が消えていく店とは
人間が不要になった場所ではない

人間がどこまで分解され
どこまで機械と客とデータに分配されても
なお人間の身体が最後に戻ってくる場所なのだと思う


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今回の記事では、店から人間が消えていくとき、労働や判断や読解がどこへ移されるのかを考えた。

その前段として、セルフレジや倉庫型店舗、ECサイトにおいて、人件費削減がどのように「自由」や「快適さ」や「発見」として演出されているのかを考えた記事がある。

『見えないコストと、消費のエンターテイメント化
──人件費削減は「自由」として演出されている』


こちらは、客が知らないうちに労働を引き受けている構造について書いたものです。

今回の記事が、
人間が消えたあとに何が残るのか
を問うものだとすれば、

この関連記事は、
人間の労働がどのように客へ移されてきたのか
を問うものです。

この二つは、同じ問題の前後にあります。

『自動化が進む工場で、人間はなぜ忙しくなるのか』

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