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自動化が進む工場で、人間はなぜ忙しくなるのか

副題
省人化の裏側で増えていく、見えない労働について


はじめに

近年、多くの企業でDXが進められている

DXとは、単に紙を電子化することではない
人が経験や勘で処理していた作業を、データやシステムによって再構成し、業務全体の流れを変えていくことである

工場におけるDXも同じである

作業指示を端末に表示する
QRコードで品番を読み取る
部品の使用履歴を記録する
欠品情報を共有する
AGVで搬送する
ポカよけランプで取り間違いを防ぐ

これらはすべて、人間の負担を減らし、品質を安定させ、生産を止めないために導入されている

背景には、人手不足もある

人が足りない

熟練者が減っていく

新人にすべてを覚えさせるには時間がかかる

人間の注意力だけに頼るには、現場が複雑になりすぎている

だから企業は、DXや自動化によって現場を支えようとする

それ自体は間違っていない

むしろ、これからの工場にとって避けて通れない流れである

しかし問題は、DXや自動化を進めれば、そのまま人間が楽になるとは限らないことだ

DXが情報の流れを再構成するものだとすれば、自動化は物や作業の流れを再構成するものである

工場では、この二つが重なり合って進んでいる

端末は情報を動かし、AGVは物を動かし、ポカよけランプは人間の判断を誘導する

つまり現代の工場では、人、物、情報の流れをシステムによって組み替えようとしている


工場では、自動化が進んでいる


AGVが走る

ポカよけランプが光る

QRコードを読み込めば、次の作業が始まる

欠品情報は端末に表示される

重要保安部品は、別の端末でトレーサビリティ管理される

一見すると、それは合理的な風景に見える

人が運ばなくていい

人が探さなくていい

人が覚えなくていい

人が判断しなくていい

そう考えれば、自動化は正しい方向に見える

けれど、現場に立つと、少し違う景色が見えてくる

AGVは走っている

しかし、バッテリー交換は人間が行っている

ポカよけランプは部品を指示する

しかし、そのランプは頻繁に壊れる

QRコードの読み取りは作業開始の合図になる

しかし、バーコードリーダーや現品表が汚れていれば、読み取りが不安定になり、誤った品番が表示されることも考えられる

欠品情報を伝える端末がある

重要保安部品を記録する端末がある

品番を表示する端末がある

ポカよけランプがある

読み取り機がある

機能は増えている

しかし、一本化されていない

すると、人間は暇になるどころか、むしろ忙しくなる

なぜか

それは、自動化によって人間の仕事が消えたのではなく、人間の仕事が見えにくい場所へ移動したからである


自動化は仕事を消すのではなく、仕事の場所を変える


昔の工場では、人間が運び、人間が探し、人間が覚え、人間が間違えていた

だから企業は考えた

人間の判断に頼るからミスが起きる

ならば、機械に指示させよう

人間が運ぶから負担が大きい

ならば、AGVに運ばせよう

人間が記録するから抜けが出る

ならば、端末に記録させよう

この考え方自体は間違っていない

むしろ、工場の品質を安定させるためには必要な発想である

しかし、自動化には見落とされやすい問題がある

機械を入れれば、人間の仕事が消えるわけではない

多くの場合、人間の仕事は、作業から復旧へ移る

運搬から監視へ移る

記憶から確認へ移る

判断から照合へ移る

単純作業から例外処理へ移る

つまり人間は、作業者から、システムの通訳者になる

ここに、自動化された工場で人間が忙しくなる理由がある


AGVは自動で走るが、自動で完結しているわけではない


AGVが工場内を走っていると、自動化が進んでいるように見える

人が台車を押さなくていい

決められたルートを走る

搬送の標準化ができる

重量物の負担も減る

たしかに、それは大きな改善である

だが、そのAGVが頻繁に止まるならどうか

バッテリー交換を人間が行う

センサー異常を人間が見る

動線が詰まれば人間が対応する

停止したAGVを人間が復旧する

このとき、AGVは人間の仕事を完全に消しているのではない

人間の仕事を、運搬から介護へ変えている

もちろん、これはAGVが悪いという話ではない

問題は、AGVを導入したことで減った作業と、AGVを維持するために増えた作業が、きちんと比較されているかどうかである

搬送時間は減ったかもしれない

しかし、復旧時間は増えていないか

作業者の移動は減ったかもしれない

しかし、保全者の呼び出しは増えていないか

人が運ぶ負担は減ったかもしれない

しかし、人が機械の都合に合わせる負担は増えていないか

ここを見なければ、自動化の評価は片目になる


ポカよけが増えるほど、新しいポカが生まれる


ポカよけランプも同じである

部品の取り間違いを防ぐために、ランプが光る

作業者は光った場所の部品を取る

取ったらボタンを押す

システムは作業が進んだことを確認する

仕組みとしては非常にわかりやすい

だが、その端末が一個一万円を超え、しかも何百個も付いていて、さらに頻繁に壊れるなら、話は変わってくる

ポカよけは、ミスを防ぐために存在している

しかし、ポカよけ自体が壊れるなら、それは新しい不安の発生源になる

このランプは本当に光るのか
このボタンは反応しているのか
この表示は正しいのか
通信異常なのか
端末故障なのか
コネクタ接触不良なのか
アドレスの問題なのか

作業者や保全者は、部品ではなく、仕組みそのものを疑うようになる

たとえば、

今日は三ヶ所のポカよけの調子が悪いから、作業指示を見て確認しなければならないとする。

これは、かなり皮肉な状態である

人間のミスを防ぐために入れた機械が、人間に新しい判断を要求している

ポカよけのために、さらにポカよけが必要になる

ここまで来ると、現場は作業しているのか、システムを維持しているのかわからなくなる


端末が増えると、正しさが分裂する


もう一つ大きいのは、機能が一本化されていないことである

QRコードを読み込む端末がある

欠品情報を伝える端末がある

重要保安部品のトレーサビリティ端末がある

ポカよけランプがある

品番を表示する画面がある

それぞれの目的は正しい

QRコードは作業開始のために必要である

欠品情報は現場を止めないために必要である

走る、曲がる、止まるに関係する重要部品のトレーサビリティは、品質保証のために必要である

ポカよけランプは取り間違いを防ぐために必要である

一つ一つは正しい

しかし、それぞれが別の端末で動いていると、作業者の頭の中でだけ統合される

これが問題である

作業者はこう考えなければならない

QRの品番と表示された品番は一致しているか
欠品情報はこの作業に関係しているか
重要部品の記録は完了しているか
ランプの指示は今の品番と合っているか
端末同士の情報が食い違ったとき、どちらを信じるべきか

これはもはや単純作業ではない

情報の照合作業である

つまり、工場全体としてはデジタル化しているのに、最後の統合処理だけが人間の脳内で行われている

ここに現代工場の矛盾がある


バーコードリーダーが汚れているだけで、世界はズレる


QRコードやバーコードは、非常に便利である

読むだけで品番がわかる
作業が進む
記録が残る
人間の入力ミスも減る

しかし、読み取り機や現品表が汚れていたらどうなるか

正しく読めない
読み取りが不安定になる
表示が遅れる
場合によっては、誤った品番が出る
あるいは、前回の情報が残っているように見える

ここで重要なのは、機械が間違えること自体ではない

機械が間違えたときに、人間がその間違いに気づける設計になっているかどうかである

もし読めなかったなら、読めませんと明確に出すべきである

もし一致しないなら、作業開始不可にすべきである

もし不確実なら、不確実であることを示すべきである

だが、現場ではしばしば、不確実なものが確実そうな顔をして表示される

これが危ない

人間の勘に頼る作業を減らすために入れた機械が、今度は機械の表示を疑う勘を人間に要求する

この瞬間、自動化は人間を楽にしていない

人間に、より高度な疑い方を求めている


重要保安部品の管理は必要だが、現場負荷も現実である


走る、曲がる、止まるに関係する部品は、特に厳しく管理される

これは当然である

自動車であれ、機械であれ、移動や停止に関わる部品は、安全に直結する

だからトレーサビリティが必要になる
誰が、いつ、どの部品を、どの製品に使ったのか
不具合が起きたときに追跡できなければならない

この仕組みは、品質保証の視点では絶対に軽視できない

しかし、現場の視点では、これもまた追加作業である

通常作業をする
QRコードを読む
欠品情報を見る
ポカよけランプを見る
重要部品なら別端末で記録する
記録漏れがないか確認する

安全のために必要な作業であっても、現場の負荷であることに変わりはない

だから企業は、必要性だけでなく、負荷の形も見なければならない

重要だからやれ、だけでは足りない

重要だからこそ、間違えにくく、迷いにくく、一本の流れで処理できるように設計しなければならない


本当の問題は、機械が増えたことではない


ここで誤解してはいけないのは、機械や端末が悪いという話ではない

AGVも必要である
ポカよけランプも必要である
QRコードも必要である
欠品情報も必要である
重要部品のトレーサビリティも必要である

問題は、それらが別々に正しさを持っていることである

品番の正しさ
欠品の正しさ
作業開始の正しさ
部品指示の正しさ
記録完了の正しさ

これらが別々の場所にあると、現場の人間は複数の正しさを照合しなければならなくなる

工場において、本当に必要なのは、複数の正しさではない

作業者が迷わず従える、一つの流れである

今、何をすればいいのか
この部品で合っているのか
欠品はあるのか
記録は必要なのか
記録は完了したのか
次へ進んでいいのか

作業者が知りたいのは、それだけである

しかし、機能が分断されていると、作業者は情報の管理者になってしまう

ここで人間は忙しくなる

手が忙しいのではない
頭が忙しいのである


自動化が生む、見えない労働


自動化が進むと、見える作業は減る

人が台車を押す姿は減る
人が部品を探す姿は減る
人が紙に記録する姿は減る

その代わりに、見えない作業が増える

端末を見る
情報を照合する
異常を疑う
リーダーを拭く
ランプの故障を確認する
AGVのバッテリーを交換する
止まった設備を復旧する
表示の意味を判断する
複数のシステムの食い違いを埋める

これらは、製品を直接作っている作業ではない

だが、これをしないと製品が作れない

つまり、現代の工場では、製品を作る作業よりも、製品を作れる状態を維持する作業が増えている

これが見えにくい

設備導入の資料には、搬送時間削減や作業ミス削減は書かれる

しかし、復旧時間、確認疲労、端末間の照合負荷、保全部品の交換頻度、現場の迷いは見えにくい

だから改善されにくい

見えない労働は、存在しないものとして扱われやすい

しかし、現場の忙しさは、まさにそこにある


企業哲学としての自動化


企業に必要なのは、自動化したかどうかではない

人間の迷いが減ったかどうかである

AGVを導入したかどうかではない
AGVの世話まで含めて、現場の負荷が減ったかどうかである

ポカよけランプを付けたかどうかではない
ポカよけ自体が、新しい不安の原因になっていないかどうかである

QRコードを使っているかどうかではない
読み取りが不確実なときに、不確実であることが正しく伝わるかどうかである

トレーサビリティ端末があるかどうかではない
記録が作業の流れに自然に組み込まれているかどうかである

端末があるかどうかではない
現場が迷わず使えるかどうかである

ここに、企業哲学が問われる

機械を増やすことは、比較的簡単である

機能を追加することもできる
端末を置くこともできる
ルールを増やすこともできる
チェック項目を増やすこともできる

しかし、それらが人間の迷いを減らしていなければ、現場は楽にならない

むしろ、正しさを守るための作業が増える

企業が本当に考えるべきなのは、設備の数ではない

人間がどこで迷っているかである


人間は最後の統合装置ではない


統合されていないシステムは、最後に人間へ押し寄せる

AGVの都合
ポカよけランプの都合
QRコードの都合
欠品端末の都合
トレーサビリティ端末の都合
生産計画の都合
品質保証の都合

それぞれの都合が、現場の人間に集まる

そして人間は、それらをその場で解釈し、整合させ、判断し、作業を続ける

人間は柔軟である

だからこそ、企業は人間に頼ってしまう

多少システムが分断されていても、人間がなんとかする
表示がわかりにくくても、人間が覚える
端末が複数あっても、人間が順番を覚える
異常が出ても、人間が経験で判断する

しかし、それは本当の意味での設計ではない

人間の柔軟性に、システムの未完成を背負わせているだけである

人間は最後の統合装置ではない

人間は、機械同士の矛盾を吸収するためにいるのではない

本来、人間はもっと価値の高い判断に集中できるようにされるべきである


本当の自動化とは何か


本当の自動化とは、人間を現場から消すことではない

人間が迷わなくていい構造を作ることである

機械が多い工場が、良い工場なのではない
端末が多い工場が、進んだ工場なのでもない
AGVが走っている工場が、必ずしも自動化された工場なのでもない

本当に自動化された工場とは、人間の判断負荷が減っている工場である

どの情報を見ればいいかが明確である
どの端末を信じればいいかが明確である
異常時に何をすればいいかが明確である
記録が作業の流れに自然に組み込まれている
不確実な情報が、不確実なものとして表示される
機械の保全負荷まで、あらかじめ設計されている

ここまで含めて、自動化である

設備を入れることは、自動化の入口にすぎない

本当の自動化は、その設備が壊れたとき、汚れたとき、止まったとき、情報が食い違ったとき、人間がどれだけ迷わず対応できるかまで設計することである


おわりに


自動化が進む工場で、人間が忙しくなる理由は単純である

人間の仕事がなくなったのではない

人間の仕事が、見えにくくなっただけである

運ぶ仕事は減った
しかし、止まった機械を復旧する仕事は増えた

探す仕事は減った
しかし、表示の正しさを疑う仕事は増えた

覚える仕事は減った
しかし、複数端末の情報を照合する仕事は増えた

記録する仕事は減った
しかし、記録が本当に完了したか確認する仕事は増えた

自動化とは、放っておけば人間を楽にするものではない

設計を誤れば、自動化は人間をシステムの隙間に追いやる

そして人間は、その隙間で忙しくなる

だから企業が問うべきなのは、こういうことだと思う

機械は増えたか

ではない

人間の迷いは減ったか

端末は増えたか

ではない

現場の正しさは一本化されたか

自動化したか

ではない

人間が、機械の世話に追われていないか

工場の未来は、機械の数で決まるのではない

人間の負担を、どこまで見えるものとして扱えるかで決まる

見えない労働を見えるものにすること

それが、本当の意味での改善であり、企業が持つべき哲学なのだと思う


関連記事の紹介1

今回の記事では、工場の自動化が進むほど、なぜ人間の見えない労働が増えていくのかを考えた

だが同じ構造は、店舗にも起きている

セルフレジ、タブレット注文、配膳ロボット、EC、スマホ決済

店から人間が消えていくように見えるとき、そこで本当に消えているのは人間なのか

それとも、人間の労働や判断や接客が、客、機械、データへ再配置されているだけなのか

その問題を考えた関連記事が

人間が消えていく店で、何が残るのか

工場の記事が、生産の現場から自動化を見たものだとすれば、この記事は、消費の現場から省略化を見たものである

どちらも問いは同じである

人間は消えたのか
それとも、見えにくい場所へ移されたのか


関連記事の紹介2

今回の記事では、自動化が進む工場で、人間の仕事がどのように見えにくい場所へ移動していくのかを考えた

AGVが走る

ポカよけランプが光る

QRコードで品番を読む

欠品情報が端末に表示される

重要保安部品がトレーサビリティ管理される

一つ一つは正しい

しかし、それらが分断されたまま現場に置かれると、最後の照合と判断だけが人間に押し寄せる

そのとき問われるのは、機械の性能だけではない

それを誰が見ているのか

誰が復旧しているのか

誰が情報の食い違いを吸収しているのか

誰が現場の迷いを背負っているのか

ここで必要になるのが、マネージャーの視点である

関連記事

マネージャーの仕事は責任を取ることである

この関連記事では、プレイヤーとマネージャーの違いを、作業能力ではなく責任の構造から考えている

プレイヤーは、目の前の仕事を誠実にこなす

マネージャーは、その誠実さが無駄死にしない構造を作る

そして、どう頑張っても駄目だった時に、最後に逃げない

自動化された現場でも同じである

機械を入れたから終わりではない

端末を増やしたから改善ではない

AGVが走っているから省人化できたとは限らない

本当に見るべきなのは、機械が何をしているかではない

機械がしなかったことを、誰が背負っているかである

現場の見えない労働を見えるものとして扱えるか

人間が最後の統合装置にされていないか

プレイヤーの頑張りが、システムの未完成を埋めるために消費されていないか

それを見ることもまた、マネージャーの責任である

工場の自動化を考えるなら、設備の話だけでは足りない

その設備の隙間で、人間がどれだけ迷い、確認し、復旧し、判断しているのか

そこまで見なければ、本当の改善にはならない

その意味で、この記事とマネージャー論は同じ問いを扱っている

人間を楽にするはずの構造が、人間を追い詰めていないか

現場の責任が、見えない場所に押し込まれていないか

その問いを、管理職の責任という側面から考えたのが

マネージャーの仕事は責任を取ることである

という記事である

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