見出し画像

RPGの道具屋は、なぜ快適なのか



副題

描かれなかった労働と、演出としての省略について


序章|店主は、いつ商品を取りに行っているのか


RPGの町に入る。

宿屋がある。
武器屋がある。
防具屋がある。
そして、道具屋がある。

店主に話しかけると、画面に商品の一覧が表示される。

やくそう。
どくけしそう。
キメラのつばさ。
たいまつ。
せいすい。

欲しいものを選び、個数を決め、購入する。

それだけだ。

店主が棚を探すことはない。
倉庫へ在庫を確認しに行くこともない。
商品を袋に詰めることもない。
客の財布から硬貨を数えることもない。

プレイヤーがボタンを押した瞬間、商品は所持品の中に入っている。

あまりにも便利である。

だが、考えてみれば不思議な仕組みでもある。

店主は、いつ商品を取りに行ったのだろう。

商品はどこに保管されていたのか。
誰が仕入れたのか。
大量に買った薬草を、どうやって持ち運んでいるのか。

ゲームでは、そのような過程はほとんど描かれない。

しかし、プレイヤーはそれを不自然とは思わない。

むしろ、店主が毎回奥へ商品を取りに行ったら、面倒だと感じるだろう。

図1 RPGの道具屋では、商品の受け渡しに必要な多くの工程が省略され、「選ぶ・買う・手に入れる」という体験だけが快適に残されている。

ここには、ゲームだけでなく、現代社会にも通じる重要な構造がある。

本来存在するはずの手間が描かれなくなるとき、私たちはそれを「欠落」ではなく、「快適さ」として受け取ることがある。


第1章|RPGの道具屋は、販売を再現していない


現実の店では、商品を買うまでに多くの工程がある。

商品を製造する。
店まで運ぶ。
倉庫に保管する。
棚へ並べる。
客が商品を探す。
会計する。
袋に入れる。
在庫を更新する。

商品が客の手に渡るまでには、複数の人間と複数の作業が関わっている。

だが、RPGの道具屋は、そのほとんどを描かない。

ゲームの中で再現されているのは、買い物という現実の行為そのものではない。

再現されているのは、

欲しいものを選び、対価を払い、手に入れる

という買い物の中心部分だけである。

図2 現実の買い物には製造、物流、陳列、接客、会計など多くの工程がある。RPGでは、それらが「選ぶ・買う・所持品へ入る」という三段階に圧縮されている。

つまり、RPGの道具屋は、現実の販売行為を忠実に再現したものではない。

販売という行為から、プレイヤーに必要な部分だけを抜き出したものだ。

そこでは、現実に存在する多くの過程が省略されている。

しかし、この省略は欠陥ではない。

省略されているからこそ、道具屋は快適に使える。


第2章|省略とは、手抜きではない


省略という言葉には、ときどき否定的な響きがある。

説明不足。
描写不足。
手抜き。
簡略化。

だが、優れた省略とは、単に情報を減らすことではない。

何を残し、何を消すかを判断することである。

RPGの道具屋で重要なのは、

* 何が売られているか
* いくらなのか
* いくつ買えるか
* 何の効果があるか
* 購入後に所持できるか

という情報だ。

一方で、

* 店主が棚まで歩く時間
* 商品を包む動作
* 釣り銭を数える工程
* 商品の仕入れ先
* 店舗の帳簿処理

は、多くのゲームでは必要ない。

現実には存在する。

しかし、ゲームの目的には直接関係しない。

そのため、画面上から消される。

ここで重要なのは、消された過程が存在しないわけではないということだ。

ただ、プレイヤーの意識に上らない場所へ移されている。

優れた省略とは、世界を薄くすることではない。

世界の裏側を、違和感なく見えなくすることである。


第3章|快適さは、待ち時間を消すことで生まれる


現実の店では、待つことがある。

店員が商品を探す。
前の客の会計が終わるのを待つ。
在庫を確認する。
釣り銭を受け取る。
袋詰めが終わる。

こうした時間は、現実の買い物にはつきものだ。

しかし、ゲーム内で毎回それを再現したらどうなるだろう。

やくそうを一つ買うたびに、店主が店の奥へ歩いていく。

棚から商品を取り出す。

カウンターへ戻ってくる。

硬貨を一枚ずつ数える。

商品を袋へ入れる。

その映像を、買い物のたびに見せられる。

最初の一回はリアルだと感じるかもしれない。

だが、十回、二十回と繰り返せば、ほとんどの人は操作を面倒に感じるだろう。

現実に近いことと、体験として優れていることは同じではない。

ゲームでは、現実に存在する時間をそのまま再現する必要はない。

必要なのは、プレイヤーが意味を理解できるだけの時間である。

だから道具屋では、

話しかける。
商品を選ぶ。
買う。

という最短の流れだけが残される。

ここでは、待ち時間の削除が快適さになる。


第4章|私たちは現実ではなく、意味を操作している


ゲームの中で、プレイヤーが操作しているのは、必ずしも物そのものではない。

多くの場合、物の意味を操作している。

やくそうを選ぶ。

それは、植物の束を手に取っているわけではない。

「体力を回復する道具」という機能を選んでいる。

剣を買う。

それは、鉄の重さや刃の鋭さを確認しているのではない。

「攻撃力が上がる装備」という意味を購入している。

つまり、ゲーム内の商品は、現実の物体というより、機能を持った記号に近い。

そのため、購入過程もまた、現実の動作を再現する必要がない。

プレイヤーが、

何を手に入れたのか
何を失ったのか
何ができるようになったのか

を理解できれば、取引は成立する。

ゲームは、現実の行為を圧縮し、意味だけを渡している。

道具屋の快適さは、この意味の圧縮によって生まれている。


第5章|快適さとは、認知コストの削減でもある


人間は、一度に無限の情報を処理できない。

町を探索する。
住民の話を聞く。
次の目的地を探す。
敵と戦う。
装備を整える。
物語を理解する。

RPGでは、プレイヤーはすでに多くの判断を求められている。

そのうえ、道具屋で毎回複雑な手順を要求されたら、必要以上に疲れてしまう。

だからゲームは、日常的な操作を単純化する。

よく使う動作ほど、考えなくても実行できる形へ変えていく。

道具屋で商品を買う。
宿屋で休む。
装備を変更する。
アイテムを使う。

これらは、何度も繰り返される。

繰り返される行為に毎回強い注意を要求すると、物語や探索に使う認知資源が奪われる。

そこで、操作を定型化する。

同じ位置に同じボタンを置く。
同じ順番で選択させる。
結果をすぐに表示する。

やがてプレイヤーは、深く考えずに操作できるようになる。

これは人間の日常生活にも似ている。

朝起きて顔を洗う。
靴を履く。
鍵を閉める。
通勤経路を歩く。

慣れた行為は、意識の中心から外れていく。

毎回すべてを考えていたら、人間は生活できない。

繰り返される行為を無意識へ送ることは、人間が生きるための認知コスト削減でもある。

RPGの道具屋は、その仕組みを人工的に設計したものだと言える。


第6章|省略された労働は、どこへ行ったのか


ただし、省略には別の側面もある。

画面から消えた作業は、本当に消えたのだろうか。

ゲーム内では、店主が商品を用意する工程は描かれない。

だが、ゲームそのものを作る側では、多くの労働が発生している。

商品の名前を考える。
効果を決める。
価格を調整する。
画面を設計する。
効果音を作る。
購入処理を実装する。
不具合を確認する。

プレイヤーが数秒で終える買い物のために、制作者は多くの時間を使っている。

図3 プレイヤーに見えるのは、商品を選び、購入し、手に入れるという短い体験だけである。その裏側では、開発、UI設計、演出、調整、デバッグ、運用など多くの労働が快適さを支えている。

つまり、快適さは労働が存在しないことで生まれるのではない。

労働が、利用者から見えない場所へ移されたことで生まれる。

これは現代のサービスにも当てはまる。

ボタン一つで商品が届く。
カードをかざすだけで支払いが終わる。
検索するとすぐ答えが出る。
地図が自動で道を示す。

利用者の操作は減っている。

しかし、その裏では、

* 倉庫作業
* 配送
* データ処理
* サーバー管理
* システム開発
* 保守
* 顧客対応

といった大量の労働が動いている。

快適なサービスとは、労働が消えた世界ではない。

労働が見えにくくなった世界である。


第7章|演出された省略は、不自然さを消す


単に工程を削れば、必ず快適になるわけではない。

省略の仕方が悪いと、利用者は違和感を覚える。

ボタンを押したのに反応がない。
購入したのか分からない。
所持金だけ減っている。
商品がどこに入ったのか分からない。

こうなると、省略は快適さではなく、不親切になる。

だから、ゲームは省略した部分を別の演出で補う。

効果音を鳴らす。
購入メッセージを表示する。
所持金を減らす。
アイテム欄に追加する。
店主に短い台詞を言わせる。

現実の手続きは再現しない。

しかし、取引が成立したという感覚は残す。

これは重要な設計である。

人間は、すべての工程を見る必要はない。

ただし、

自分の操作が何を引き起こしたのか

は理解できなければならない。

優れた省略は、過程を消しながら、因果関係を残す。

だから違和感がない。


第8章|セルフレジも、RPGの道具屋に近づいている


現代の買い物は、少しずつRPGの道具屋に近づいている。

セルフレジでは、自分で商品を読み取る。

画面に金額が表示される。

支払い方法を選ぶ。

決済が終わる。

店員との会話はほとんどない。

ECサイトでは、さらに多くの工程が見えなくなる。

商品画像を見る。
購入ボタンを押す。
数日後に届く。

商品の保管場所も、梱包作業も、配送経路も見えない。

利用者が見るのは、

商品。
価格。
購入ボタン。
到着予定日。

それだけである。

これはまさに、現実の買い物を意味だけに圧縮した構造だ。

図4 道具屋、アイテム欄、購入ボタン、即時利用、操作しやすいUIというRPGの仕組みは、セルフレジ、ECサイト、ネット注文、配送、UI・UX設計と対応している。


欲しいものを選ぶ。
代金を支払う。
手に入れる。

ゲームの道具屋と同じである。

違うのは、画面の向こうで実際の人間と物流が動いていることだ。


第9章|快適さは、世界を単純に見せる


便利な仕組みは、複雑な世界を単純に見せる。

ボタンを押せば届く。

タッチすれば払える。

検索すれば見つかる。

画面上では、原因と結果が直結している。

だが現実には、その間に多くの工程がある。

人が働く。
機械が動く。
電力が使われる。
データが送られる。
在庫が管理される。
道路が維持される。

利用者は、その全体を知らなくてもサービスを使える。

むしろ、知らなくても使えるように設計されている。

これは悪いことではない。

すべての利用者が、あらゆる仕組みを理解しなければ使えない社会は不便である。

ただし、快適さが世界の単純さを意味するわけではない。

私たちに見える部分が単純になっただけだ。

RPGの道具屋が数個の選択肢で成立しているように見えても、その背後にはゲーム全体の設計がある。

現代のサービスも同じである。

簡単に見えるものほど、裏側では複雑な仕組みが支えていることがある。


第10章|省略には倫理がある


省略によって快適さを作ることは、基本的には優れた設計である。

しかし、省略すれば何でもよいわけではない。

見えなくした結果、利用者が不利益を理解できなくなることもある。

追加料金が分かりにくい。
解約方法が見つからない。
責任の所在が曖昧になる。
人間の労働が軽く扱われる。
問題が起きても問い合わせ先がない。

こうした場合、省略は快適さではなく、責任の隠蔽になる。

優れた設計は、不要な手間を消す。

悪い設計は、利用者が知るべき情報まで消す。

両者は似ている。

どちらも画面を単純にするからだ。

だが、その目的は異なる。

前者は、利用者の負担を減らす。

後者は、提供者の都合を見えなくする。

したがって、省略には倫理が必要になる。

何を見せなくてよいのか。
何を必ず見せるべきなのか。
誰の負担を減らしているのか。
誰の労働を見えなくしているのか。

快適さは中立ではない。

何かを省略するたびに、誰かがその省略の外側を引き受けている。


結章|快適さとは、世界の裏側を信頼することなのかもしれない


RPGの道具屋は快適である。

店主は商品を取りに行かない。
在庫を探さない。
袋詰めをしない。
釣り銭を数えない。

それでも、プレイヤーは買い物が成立したと理解する。

なぜなら、ゲームが必要な意味だけを残し、不要な過程を省略しているからだ。

そこでは、現実に存在するはずの労働が消されている。

だが、それは存在しないのではない。

画面の外へ追いやられている。

現代の便利なサービスも同じである。

私たちは、多くの仕組みを知らないまま利用している。

誰が運んだのか。
誰が整備したのか。
誰が設計したのか。
誰が失敗を処理しているのか。

それらを毎回意識することなく、ボタンを押す。

快適さとは、手間がなくなった状態ではない。

手間を意識しなくても、世界が正しく動くと信じられる状態なのかもしれない。

RPGの道具屋で、購入ボタンを押す。

効果音が鳴る。

所持金が減る。

やくそうが増える。

その短い瞬間の裏側には、省略と演出と設計がある。

そして私たちの現実もまた、少しずつ同じ形へ近づいている。

見えなくなったからといって、なくなったわけではない。

快適さの裏には、いつも誰かの労働と、誰かの設計が残っている。


関連記事

『見えないコストと、消費のエンターテイメント化』

『無意識の信頼』

いいなと思ったら応援しよう!

谷博貴の哲学【フォロバ100】 応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。