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noteを書き始めて、丸8年― “パーソナルトレーナー、たぶん”から、ととのえ職人へ ―

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。

2018年6月23日。

ちょうど8年前の今日。

私は、noteに最初の記事を書きました。

タイトルは、
「じぶんの『職業』って何だろう?」

そこから、今日で丸8年になります。

最初の記事を読み返してみると、
今の自分につながる言葉が、
もうすでにそこにありました。

当時の私は、こう書いていました。

私の職業は、パーソナルトレーナーです。

…たぶん。

この「たぶん」という言葉が、
今読むと、とても自分らしいなと思います。

パーソナルトレーナーとして、仕事をしている。
でも、パーソナルトレーナーという枠に、
収まりきらない自分がいる。

運動指導をしている。
でも、運動だけで人を支えているわけではない。

体を見ている。
でも、体だけを見ているわけではない。

心も、思考も、暮らしも、人生も、
どこかでつながっている。

そんな違和感を、
8年前の自分は、まだうまく言葉にできないまま、
noteに書き始めていました。


最初の記事には、すでに今の原型があった

最初の記事では、
「パーソナルトレーナーと名乗ることに違和感がある」
という話を書いていました。

既存の価値観や枠にとらわれるのが好きではない。
気がついたら、
パーソナルトレーナーという枠から、
はみ出している自分がいる。

そんなことを書いていました。

当時のセッションでは、

ほとんど運動らしい運動をしていないこともある。
話しているだけの時もある。
施術だけの時もある。

神社にもよく行く。
本もたくさん読む。

とにかく、自分はパーソナルトレーナーらしくない。

そう書いていました。

パーソナルトレーナーらしさ(専門性など)を追求してきた自分が、
限りなく、パーソナルトレーナーらしくなくなってきている。

(一般的なパーソナルトレーナー像という意味で)

でも、改めて今読み返してみて、
それは、脱線ではなかったのだと思います。

パーソナルトレーナーらしくないことをしていたのではなく、
パーソナルトレーナーという枠の中では見えないものを、
ずっと観ようとしていた。

運動だけではなく、
心も見ていた。

体だけではなく、
思考の癖も見ていた。

その人の生活も、

感情も、

価値観も、

人生も、

すべてを含めて、一緒に観ようとしていた。

8年前の時点で、
今の「ととのえ職人」の原型は、
もう始まっていたようです。


運動は、目的に対する手段のひとつだった

最初の記事の中で、
私はこういうことも書いていました。

運動は、目的に対する手段のひとつでしかない。

これは、
今でも、大切にしている感覚です。

もちろん、運動は大切です。

体を動かすことには、
大きな力があります。

姿勢が変わる。

呼吸が変わる。

体の使い方が変わる。

気分が変わる。

行動が変わる。

人生の選択肢が広がる。

でも、
決して、運動だけが答えではない。

肩こりや腰痛の背景には、
心理的な緊張があります。

体重の増減の背景には、
食事の内容だけではなく、
ストレスや寂しさや不満があります。

疲れやすさの背景には、
体力不足だけではなく、
人に合わせすぎる癖があることもあります。

姿勢の崩れの背景には、
感情や思考の影響があります。

だから、
運動するかどうかだけではなく、
治療するかどうかだけでもなく、

その人が何に疲れているのか。

何を我慢しているのか。

どんな暮らしをしているのか。

どんな感情を抱えているのか。

どんな思考の癖があるのか。

そこまで観ていく必要がある。

8年前の私は、
まだ「ととのえる」という言葉を
今ほど使ってはいませんでした。

でも、
すでにその方向を向いていました。


心と体は、表裏一体

最初の記事には、
「心の問題が、体に表れているだけ」
とも書いていました。

体だけを見ても、
見えないものがある。

心だけを見ても、
見えないものがある。

思考だけを変えようとしても、
体がついてこないことがある。

体を動かしているのに、
心が置いていかれることがある。

心でわかっているのに、
体が動かないことがある。

頭では理解しているのに、
暮らしの中で変わらないことがある。

心と体と思考は、
別々に見えるようで、
いつもつながっています。

今、私がこのnoteで書いている
「心と体と思考のズレをやさしくととのえる」
という言葉は、8年前の違和感から、少しずつ育ってきたもの。

最初から完成していたわけではありません。

書きながら、
目の前の人と向き合いながら、
自分自身の暮らしを感じながら、

少しずつ言葉になってきました。

また、8年という歳月の中で、
「やさしさ」を身につけたようです。

昔の私は、言葉がきつい時が結構ありました😅


パーソナルトレーナーらしくない、という違和感

8年前の私は、
「パーソナルトレーナーらしくない」
と書いていました。

今なら、
その言葉を少し違う形で表現できます。

パーソナルトレーナーらしくないのではなく、
人を支えるということを、
もう少し広い視野で観ようとしていただけ。

運動だけではなく、
治療的な視点もある。

食養もある。
休養もある。
心もある。

暮らしもある。
関係性もある。

季節もある。
土地の空気もある。

神社で感じるものもある。
本を読んで言葉になるものもある。

それらは、一見すると、
パーソナルトレーニングと
関係ないように思えるかもしれません。

でも、
人が、本来の自分に戻っていくためには、
どれも無関係ではありません。

人は、
筋肉だけで生きているわけではない。

姿勢だけで生きているわけでもない。

食事だけで、
睡眠だけで、
運動だけで、
心だけで生きているわけでもない。

いろいろなものが重なり合って、
その人の今の状態ができています。

だから、
その人を支えるには、
ひとつの枠だけでは絶対的に足らない。

8年前に感じていた違和感は、
そのことに気づき始めていたサインだったのでしょう。


神社も、読書も、脱線ではなかった

最初の記事には、
神社にやたら行くことも、
本をやたらと読むことも書いていました。

年間神社参拝数250社以上。
年間読書数150冊以上。

これらは、
自然とやるようになったものですが、

今思えば、
それもまた、自分の仕事や発信にとって、
とても大切なものになっていました。

神社に行くことは、
自分の感覚を戻す時間でした。

その土地の空気に触れること。
静けさに触れること。

手を合わせること。
自分の中の余計なものを少し置くこと。

読書は、
自分の中にある違和感や問いに、
言葉を与えてくれる時間でした。

自分だけでは言葉にできなかった感覚が、
本の中の言葉に触れることで、
少し輪郭を持ちはじめました。

この後、
年間500社以上の参拝、
年間600冊以上の読書
までするようになり、

感覚が研ぎ澄まされ、
言葉にできなかったものが、できるようになりました。

だから、
神社も、読書も、

私にとっては、
パーソナルトレーナーの仕事から外れた趣味ではなく、
今の自分をつくってきた大切な土台でした。

今書いている
ととのえ職人の本棚も、
二十四節気の記事も、
日々の暮らしの記事も、
すべて、ここからつながっています。

人を支えるためには、
知識や技術だけではなく、
自分自身の感覚や感性をどれだけ高めておけるか。

そのために、
神社や、本や、季節や、旅が、
私には必要でした。


noteは、自分の職業を探す場所だった

最初の記事のタイトルは、
「じぶんの『職業』って何だろう?」
でした。

8年前、
私は自分の職業や肩書きを探していました。

じぶんって、何者なんだろう?
と、模索していました。

パーソナルトレーナーなのか。
コーチなのか。
施術家なのか。
講師なのか。

神社に行く人なのか。
本を読む人なのか。
心と体について考える人なのか。

自分でも、
うまく説明できなかったのです。

でも、
その説明できなさを、
消さずに書いてきました。

パーソナルトレーナーです。
…たぶん。

その「たぶん」を、
なかったことにしなかった。

その違和感を、
ごまかさずに言葉にしてきた。

その先に、
今の「ととのえ職人」という言葉があります。

ととのえ職人という言葉は、
最初から明確にあったわけではありません。

書きながら、
人と向き合いながら、
自分の違和感をたどりながら、
少しずつたどり着いた言葉です。

noteという居場所は、
自分の肩書きを決める場所ではなく、
肩書きに収まりきらない自分を、
少しずつ言葉にしていく場所だったのかもしれません。


書くことは、自分に戻る場所だった

8年経って思うのは、
noteを書き続けてきたというより、
何度もnoteに戻ってきたという感覚です。

毎日書けていた時期もあります。
あまり書けなかった時期もあります。
テーマが定まらなかった時期もあります。
言葉が変わった時期もあります。

住む場所が変わりました。
仕事の形も変わりました。
発信の場所も変わりました。

自分の肩書きも、
少しずつ変わってきました。

でも、
何度も書くことに戻ってきました。

書くことで、
自分の考えていることが見えてくる。

書くことで、
違和感に輪郭が生まれる。

書くことで、
心と体と思考のズレに気づく。

書くことで、
今の自分がどこにいるのかが少しわかる。

書くことは、
外へ届けることでもありました。

でも同時に、
自分に還ることでもありました。

8年前の最初の記事も、
今思えば、自分に戻るための文章だったのだと思います。

自分の職業って何だろう。
自分は何者なんだろう。
自分は何をしている人なんだろう。

少し立ち止まり、
その問いと向き合う文章でした。


書き続けたのではなく、戻ってきた

最近、
「習慣は、がんばるより戻ることで育っていく」
という記事を書きました。

その記事を書きながら、
これは、私自身にも言えるなと思いました。

8年間、
ずっと同じ熱量で書き続けてきたわけではありません。

止まった時もある。
迷った時もある。
方向性が変わった時もある。

何を書けばいいのかわからなかった時もある。
発信の意味を考え直した時もある。

それでも、
また戻ってきた。

書く場所に戻ってきた。
自分の言葉に戻ってきた。

心と体と思考のズレを観る場所に戻ってきた。

だから、この8年は、
「書き続けた8年」というより、
「何度も戻ってきた8年」だったのだと思います。

続けることは、
一度も途切れないことだけではありません。

戻ってこられること。
戻る場所があること。
戻るたびに、
少しずつ自分の言葉が深まっていくこと。

それも、
続けるということです。

毎日やることだけが、
続けることではありません。

うまくまとまらなくても、
どんなに泥臭くても、

少しでも、
一度立ち止まっても、

今も続いているものは、続いているのです。
再び、再開したものも、続いているのです。


8年前の問いに、今ならどう答えるか

8年前の問い。

じぶんの「職業」って何だろう?
じぶんは「何者」なんだろう?

今なら、
どう答えるでしょうか。

「パーソナルトレーナーです」

これは、今でも間違いではありません。
パーソナルトレーナーとしての活動もしています。

「体を観る仕事をしています」

これも、間違いではありません。

「人を支える仕事をしています」

これも、そうだと思います。

「書く人です」
「本を読む人です」
「神社に行く人です」
「季節を感じる人です」
「心と体と思考のズレを見つめる人です」
「暮らしの中で、自分に戻るための言葉を書く人です」

どれも、自分の一部です。

でも、
今いちばんしっくりくる言葉は、
やはり「ととのえ職人」です。

体をととのえるだけではなく、
心もととのえる。
思考もととのえる。
暮らしからととのえる。

人が本来の自分に戻っていくために、
その人のズレを一緒に観ていく。

整えるでもあり、
調えるでもある。

だから、
ととのえる

8年前の
「パーソナルトレーナーです。たぶん。」
という違和感は、

今の
「ととのえ職人です。」
という言葉につながっていました。


変わったものと、変わらなかったもの

8年の間に、
変わったものはたくさんあります。

住む場所が変わりました。
沖縄に移住しました。
仕事の形も変わりました。

発信のテーマも変わりました。
noteの使い方も変わりました。

ととのい村も生まれました。
Your Best Solution研究所も始まりました。
有料記事も書くようになりました。

二十四節気の記事も書くようになりました。
構造を解くシリーズも始まりました。
ととのえ職人の本棚も育ってきました。

でも、
変わらなかったものもあります。

人を、枠で囲って観ないこと。
体だけでなく、心も観ること。
心だけでなく、体も観ること。
運動だけでなく、暮らしも観ること。

表面の問題だけでなく、根本や本質を観ること。
自分の違和感を、なかったことにしないこと。

読書や神社や季節から、
自分の感覚や感性を高めていくこと。

そして、
誰かが少し楽になるような言葉を伝えたいこと。

このあたりは、
8年前からずっと変わっていません。

ただ、
それを表す言葉が、
少しずつととのってきたのだと感じています。


ととのえ職人と、Your Best Solutionについて

今、私の発信には、大きく分けて二つの入口があります。

ひとつは、今読んでいただいている
ととのえ職人としての発信です。

こちらでは、日々の暮らしの中で感じる疲れや違和感、
心と体と思考のズレ、季節の変化、休むこと、習慣、本、神社、生き方などについて、
一般の方にも届く言葉で書いています。

もうひとつは、
Your Best Solutionとしての発信です。

こちらは、運動指導者や治療家など、
心と体の健康に携わる専門職・支援者に向けた発信です。

健康とは何か。
人を観るとはどういうことか。
支援とは何か。
専門職として、技術や知識だけでなく、どのような在り方で人と関わるのか。

そうしたことを、少し専門的に、
多角的・包括的な視点で書いています。

ととのえ職人は、
読む人が自分自身に戻っていくための言葉。

Your Best Solutionは、
支援する人が、人をより深く観るための言葉。

入口は違いますが、
根っこにあるものは同じです。


これからも、書くことでととのえていく

noteを書き始めて、丸8年。

ここまで読んでくださった方。
これまでの記事を読んでくださった方。
途中から出会ってくださった方。
昔から知ってくださっている方。

本当にありがとうございます。

こうして、読んでくださる方がいたから、
何度もここに戻ってこられました。

コメントをもらうこと。
スキをもらうこと。
フォローしてもらうこと。

チップをもらえること。
記事を購入してもらえること。
メンバーシップに入ってもらえること。

直接会った時に、
「あの記事、読みました」と言ってもらえること。

そういう一つひとつが、
私の力になっています。

これからも、

うまく書こうとしすぎず、
正しく見せようとしすぎず、

今の自分の感覚を大切にしながら、
書いていきたいと思います。

心と体と思考のズレを、
やさしくととのえる話。

季節の話。
休む話。
習慣の話。
体の声の話。
本の話。
神社の話。
暮らしの話。
支援の話。
生き方の話。
在り方の話。

そういうものを、
これからも、日々の中で書いていきます。


noteを書き始めて、丸8年

8年前、
私は自分の職業について書きました。

パーソナルトレーナーです。
…たぶん。

そう書いた自分がいました。

今なら、
その「たぶん」を、
とても大切な言葉だったと思えます。

違和感を消さなかったから、
今の言葉にたどり着けた。

枠からはみ出している自分を否定しなかったから、
ととのえ職人という言葉に出会えた。

パーソナルトレーナーらしくない自分を、
無理にパーソナルトレーナーらしくしなかったから、
今の自分になれた。

書くことは、
私にとって、自分に戻る場所でした。

自分の問いに戻る場所。
違和感に戻る場所。
感覚に戻る場所。
本来の自分に戻る場所。

そして、
読んでくださる方と、
静かにつながる場所。

noteを書き始めて、丸8年。

書き続けたというより、
何度も戻ってきた8年でした。

これからも、
ととのえ職人として、

心と体と思考のズレを、
日々の言葉でやさしくととのえていきたいと思います。

いつも読んでくださり、
本当にありがとうございます。

これからも、
どうぞよろしくお願いいたします。

2026.6.23
ととのえ職人
五木田穣


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