ととのえ職人の本棚14|なぜ、本を読むのか― ひとりで悩み続けないために ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
今日は、
ととのえ職人の本棚として、
改めて
「なぜ、本を読むのか」
ということについて書いてみたいと思います。
これまで本棚シリーズでは、
いくつかの本を取り上げてきました。
本を紹介する。
本の内容を要約する。
知識として整理する。
そういうことも、もちろん大切でしょう。
けれど、
ととのえ職人の本棚で書きたいのは、
単なる読書感想文ではありません。
その本が、
今の自分をどう見つめ直させてくれるのか。
その本が、
固まっていた心や思考に、
どんな余白を生んでくれるのか。
その本を読むことで、
少し呼吸が深くなるのか。
少し自分に戻れるのか。
そういうことを、
静かに見つめていける
ととのう本をご紹介しています。
今回は、
一冊の本を紹介するというより、
本を読むことそのものについて書いてみます。
なぜ、本を読むのか。
なぜ、悩んでいる時こそ、
本を読んだ方がいいのか。
なぜ、本は、
ひとりで悩み続けている人にとって、
静かな支えになるのか。
そんな話です。
悩みの多くは、すでに誰かが悩んできたこと
人は、悩みます。
仕事のこと。
人間関係のこと。
家族のこと。
お金のこと。
生き方のこと。
健康のこと。
自分の性格のこと。
これからの人生のこと。
なぜ、自分はこうなのか。
なぜ、同じことを繰り返すのか。
なぜ、わかっているのに変われないのか。
なぜ、頑張っているのに苦しいのか。
そうやって、
ひとりで考え続けることがあります。
もちろん、
悩むこと自体は悪いことではありません。
悩むということは、
それだけ真剣に生きているということでもあります。
でも、
ひとりで悩み続けると、
視野がどんどん狭くなっていきます。
自分の中だけで考える。
自分の経験だけで判断する。
自分の言葉だけで整理しようとする。
すると、
同じ場所をぐるぐる回るようになります。
けれど、
本を開くと気づくことがあります。
自分が今悩んでいることは、
実は、ずっと昔から誰かが悩んできたことなのだと。
人間関係で苦しむこと。
生きる意味を探すこと。
不安に飲み込まれること。
自分を責めること。
人と比べてしまうこと。
体と心が思うように動かないこと。
何かを始めたいのに、始められないこと。
変わりたいのに、変われないこと。
そういう悩みは、
自分だけのものではありません。
誰かが、
すでにその道を歩いている。
誰かが、
すでにその苦しさに言葉を与えている。
誰かが、
すでにその問いに向き合い、
考え、迷い、書き残してくれている。
それが、本です。
本には、すでに解決の手がかりがある
本には、
大抵の悩みの解決策が書かれています。
もちろん、
一冊読んだだけで、
すべてがすぐに解決するわけではありません。
本を読んだからといって、
現実が急に変わるわけでもありません。
でも、
自分が見えていなかった構造に気づくことがあります。
自分が言葉にできなかった感情に、
名前がつくことがあります。
自分が抱えていた悩みが、
少しだけ客観的に見えることがあります。
「これは、自分だけの問題ではなかったんだ」
「こういう考え方があるんだ」
「この苦しさには、こういう背景があるんだ」
「自分は、ただ弱かったわけではないんだ」
そう思えるだけで、
人は少し救われます。
悩みの苦しさは、
問題そのものだけではありません。
わからないこと。
言葉にならないこと。
自分だけが苦しんでいるように感じること。
出口が見えないこと。
それが、
苦しさを深くします。
本は、
その暗さの中に、
小さな明かりを入れてくれます。
すぐに出口までは連れていってくれなくても、
足元が少し見えるようになる。
今、自分がどこにいるのかが、
少しわかるようになる。
それだけでも、
悩み方は変わります。
読書は、思考のエクササイズ
本を読むことは、
ただ情報を入れることではありません。
読書は、
思考のエクササイズです。
自分とは違う考え方に触れる。
自分とは違う経験に触れる。
自分とは違う言葉の使い方に触れる。
自分では辿り着けなかった問いに出会う。
自分の中にある前提を揺さぶられる。
そうやって、
思考が少しずつ動きはじめます。
体を動かさなければ、
筋肉や関節の動きが鈍くなるように。
思考も、
使わなければ硬くなっていきます。
いつも同じ情報。
いつも同じ人間関係。
いつも同じ価値観。
いつも同じ考え方。
その中だけで過ごしていると、
思考はだんだん固まります。
そして、
固まった思考で悩みを考えるから、
同じ答えしか出てこなくなる。
本を読むことは、
その固まった思考を少し動かすことです。
違う角度から見る。
別の言葉で捉える。
自分の外側にある知恵を借りる。
一度、自分の考えを離れてみる。
それは、
心と思考の可動域を広げることでもあります。
無明に、明かりを入れる
仏教には、
無明という言葉があります。
明るくない。
つまり、知らないこと。
ただ知識がないという意味だけではなく、
ものごとを正しく見られていない状態。
自分の苦しみの原因が見えていない状態。
何に執着しているのか。
何を恐れているのか。
何を勘違いしているのか。
何に囚われているのか。
それが見えていないから、
苦しみが続いて
人が悩むのは、
無明だからだと、ブッダも説いています。
知らないから、苦しい。
見えていないから、苦しい。
構造がわからないから、苦しい。
自分の中で何が起きているのか、
言葉にできないから苦しい。
どう考えたらいいのか、
どう受け止めたらいいのか、
どう扱えばいいのかがわからないから苦しい。
本を読むことは、
その無明に明かりを入れることです。
自分の中だけでは見えなかったものに、
外から言葉を当てる。
暗かった場所に、
少し光を入れる。
見えなかった構造を、
少し見えるようにする。
それは、
知識を増やすというより、
苦しみの輪郭を見えるようにすることです。
輪郭が見えると、
人は少し落ち着きます。
何に苦しんでいるのかがわかるだけで、
苦しみとの距離が少し変わります。
読まないことで、悩み続けている
これは、少し強い言い方になるかもしれません。
でも、
悩みが続いている理由のひとつに、
読書量の少なさがあると思っています。
もちろん、
本を読まない人が悪いという話ではありません。
忙しい人もいます。
文字を読むのが苦手な人もいます。
本よりも、人との対話から学ぶ人もいます。
動画や音声で学ぶ人もいます。
それぞれの入り口があっていい。
ただ、
それでも本には、
本にしかない深さがあります。
動画は流れていきます。
SNSは断片的です。
誰かの言葉は、その場の関係性に影響されます。
でも本は、
ひとつの問いに、
時間をかけて向き合っています。
著者が長い時間をかけて考えたこと。
経験したこと。
失敗したこと。
学んだこと。
整理したこと。
それが、
一冊の中に詰まっています。
その知恵に触れないまま、
自分の中だけで悩み続けるのは、
少しもったいないと思うのです。
自分が今、
何年も悩んでいることを、
誰かは何十年も前に考え、
言葉にしてくれているかもしれない。
自分がまだ見つけられていない視点を、
誰かが本の中に残してくれているかもしれない。
そう考えると、
本を読まないということは、
使えるはずの知恵に触れないまま、
暗い部屋でひとり考え続けることと一緒です。
本は、答えを押しつけてこない
本の良いところは、
答えを押しつけてこないところです。
人から直接言われると、
受け取れない言葉があります。
正論に聞こえることがあります。
責められているように感じることがあります。
「わかっているけど、できないんだよ」
と思うこともあります。
でも、本は、
少し距離があります。
自分のペースで読める。
受け取れるところだけ受け取れる。
今はわからないところは、
そのまま置いておける。
違うと思ったら、
閉じることもできる。
また必要な時に、
開き直すこともできる。
この距離感が、
本のやさしさだと思います。
人は、
真正面から言われると苦しいことでも、
本の中の言葉としてなら受け取れることがあります。
「ああ、そういうことだったのか」
「今の自分に必要なのは、この言葉だったのか」
「前に読んだ時はわからなかったけど、今なら少しわかる」
そんなふうに、
本は、時間を置いて効いてくることがあります。
本は、自分で読んでこそ血となり肉となる
誰かが本の内容をまとめてくれる。
要約してくれる。
解説してくれる。
それは、とても便利です。
私自身も、
本を紹介する記事を書いています。
でも、
やっぱり本は、
自分で読んでこそ、
血となり肉となるものです。
要約は、
誰かの理解です。
解説は、
誰かの視点です。
もちろん、それは助けになります。
けれど、
自分の人生と照らし合わせながら読むこと。
自分の経験と重ねながら読むこと。
わからないところで立ち止まること。
今の自分に刺さる一文に出会うこと。
読みながら、
少し痛みを感じること。
途中で閉じたくなること。
また戻ってくること。
そういう時間が、
本を自分のものにしていきます。
本は、
情報として取り込むものではなく、
自分の中でゆっくり消化するものです。
だから、
速く読めなくてもいい。
たくさん読めなくてもいい。
一冊を全部理解できなくてもいい。
一文だけでもいい。
今の自分に必要な一文に出会えたなら、
その読書には意味があります。
本を読むと、悩みが“自分だけのもの”ではなくなる
悩んでいる時、
人は孤独になりやすいです。
こんなことで悩んでいるのは自分だけだ。
こんなふうに考えてしまう自分はおかしい。
どうして自分は、
こんなに弱いのだろう。
なぜ、みんなは普通にできるのに、
自分はできないのだろう。
そうやって、
悩みが自分だけのものになっていきます。
でも、本を読むと、
その孤独が少しほどけることがあります。
ああ、
この人も同じようなことを考えていたんだ。
昔の人も、
同じように苦しんでいたんだ。
国や時代が違っても、
人は同じようなことで迷うんだ。
そう感じると、
悩みが少し開かれます。
悩みが、
自分だけの閉じた問題ではなくなる。
人間としての問いになる。
生きる上での問いになる。
その時、
悩みは少し軽くなります。
なくなるわけではありません。
でも、
ひとりで抱え込むものではなくなります。
本は、
過去の誰かとの静かな対話です。
今はもう会えない人とも、
遠く離れた人とも、
本を通して対話することができます。
だから本は、
ひとりでいる時間の中に、
ひとりではない感覚を連れてきてくれるのです。
悩みを解決するためだけに読まなくてもいい
ここまで、
本には悩みの解決の手がかりがある、
という話を書いてきました。
でも、本は、
悩みを解決するためだけに読むものではありません。
ただ、美しい言葉に触れる。
知らない世界に出会う。
自分とは違う人生を少しだけ生きる。
歴史に触れる。
自然に触れる。
思想に触れる。
物語に触れる。
それだけでも、
人の内側は少し広がります。
内側が広がると、
悩みとの距離が変わります。
悩みがなくならなくても、
その悩みだけが世界のすべてではなくなる。
今抱えている問題の外にも、
世界があると感じられる。
それは、
とても大切なことです。
悩んでいる時ほど、
世界が狭くなります。
自分の問題。
自分の不安。
自分の失敗。
自分の未来。
その中に閉じこもってしまう。
本は、
その狭くなった世界に、
別の窓を開けてくれます。
本を読むことは、自分を助ける準備でもある
悩みが深い時に、
いきなり本を読むのは難しいこともあります。
本を開く気力すらない。
文字が頭に入ってこない。
読んでも何も感じない。
そういう時もあります。
だからこそ、
元気な時に少しずつ読んでおくことも大切です。
すぐに役に立たなくてもいい。
今は必要ないように見えてもいい。
何となく気になった本を読んでおく。
心に残った一文を置いておく。
本棚に、
自分を支えてくれる言葉を増やしておく。
それは、
未来の自分への備えになります。
いつか悩んだ時、
昔読んだ言葉がふっと戻ってくることがあります。
あの本に、
こんなことが書いてあったな。
あの言葉に、
もう一度触れてみたいな。
そうやって、
本は時間を越えて自分を助けてくれます。
読書は、
今すぐの答えを得るためだけではありません。
未来の自分に、
静かな支えを残しておくことでもあります。
まずは一冊でいい
本を読もうと言うと、
たくさん読まなければいけないように感じる人もいます。
月に何冊読むか。
年間何冊読むか。
どれだけ知識を増やすか。
どれだけ速く読むか。
そういう話になることもあります。
でも、
私が伝えたいのは、
量の話ではありません。
まずは一冊でいい。
気になった本を一冊、
手に取ってみる。
最初から最後まで読めなくてもいい。
目次だけ見てもいい。
気になる章だけ読んでもいい。
一日数ページでもいい。
一文だけでもいい。
本との付き合い方は、
もっと自由でいいと思います。
大切なのは、
本を読むことで、
自分の中に別の視点を入れること。
自分だけで抱え込んでいた悩みに、
外から光を入れること。
ひとりで悩み続けないために、
誰かの言葉を借りること。
その入り口として、
まずは一冊で十分です。
なぜ、本を読むのか
なぜ、本を読むのか。
それは、
知識を増やすためだけではありません。
賢く見せるためでもありません。
誰かに語るためでもありません。
ひとりで悩み続けないためです。
自分の中だけで考え続けて、
同じ場所をぐるぐる回らないためです。
自分だけでは見えなかった構造に、
気づくためです。
言葉にならなかった苦しみに、
言葉を与えるためです。
無明に、
少し明かりを入れるためです。
過去の誰かが悩み、考え、書き残してくれたものを、
今の自分の支えにするためです。
本には、
たいていの悩みの手がかりが書かれています。
もちろん、
答えをそのまま渡してくれるわけではありません。
でも、
問い方を変えてくれます。
見方を変えてくれます。
自分との向き合い方を変えてくれます。
そして時に、
「自分だけじゃなかった」と思わせてくれます。
本を読むことは、
誰かの知恵を借りて、
自分の内側に明かりを灯すこと。
ひとりで考える時間に、
過去の誰かの言葉をそっと招き入れること。
悩みの中にいる時ほど、
本は静かな味方になります。
だから、
本を読もう。
たくさん読めなくてもいい。
速く読めなくてもいい。
全部理解できなくてもいい。
今の自分に必要な一文に出会えたなら、
それだけで十分です。
その一文が、
今日の自分を少し支えてくれることがあります。
そして、
いつかの自分を、
静かに助けてくれることもあります。
私自身も本に救われてきた一人です。
だからこそ、
本を読むことの素晴らしさを
伝えたいと思っているのです。
noteを読むことも、ひとつの読書
本を読むことについて書いてきましたが、
これは、紙の本や電子書籍だけの話ではありません。
noteの記事を読むことも、
ひとつの読書です。
私の記事でもいい。
他の誰かの記事でもいい。
自分が今、少し気になった言葉。
なぜか目に留まったタイトル。
今の自分に近い気がする文章。
そういうものを見つけたら
静かに読んでみるだけでいい。
noteには、
誰かの暮らしの中から生まれた言葉があります。
うまくいった話だけではなく、
迷った話。
悩んだ話。
立ち止まった話。
それでも少し前を向こうとした話。
そういう言葉が、
たくさん置かれています。
本ほど体系立っていないかもしれません。
でも、誰かの等身大な暮らしがそこにあります。
だからこそ、近く感じられる言葉があります。
誰かが今まさに悩んでいること。
誰かが少し前に通ってきた道。
誰かが自分の言葉で置いてくれた小さな気づき。
それに触れることで、
「ああ、自分だけじゃなかったんだ」
と思えることがあります。
悩みは、
ひとりで抱えていると、
どんどん重くなります。
でも、
誰かの言葉に触れた時、
その悩みが少し共有されることがあります。
直接話したわけではなくても、
コメントをしたわけではなくても、
ただ読んだだけで、
少し心がゆるむことがあります。
私は、noteの
そういうやさしい世界が好きです。
悩みをすぐ解決することはできなくても、
悩みをひとりぼっちにしない場所にはなる。
誰かの言葉を読むこと。
自分の中にあるものと重ねてみること。
言葉にならなかった感覚に、
少し近い言葉を見つけること。
それも、ととのえる読書のひとつです。
だから、
本を読むのもいい。
noteの記事を読むのもいい。
私の記事でも、
他の誰かの記事でもいい。
今の自分に必要な言葉は、
思いがけない場所に置かれていることがあります。
ひとりで悩み続けないために、
誰かの言葉に触れてみる。
その小さな読書が、
今日の自分に少しだけ明かりを入れてくれるかもしれません。
あなたの今日に、少しでも、明かりが灯ったなら。
あなたの人生を、明るく照らしてくれる言葉に出会えたなら。
また、次の記事でお会いしましょう。
私は静かに明かりを灯しています。
ととのえ職人
五木田穣
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