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感じたことを、急いで答えにしない

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。

6月に入ってから、
自然や季節、空気の変化について書いてきました。

台風が過ぎたあと、
すぐに日常へ戻らなくていいこと。

同じ台風でも、
沖縄と関東では体に残るものが少し違うこと。

小満芒種、すーまんぼーすーの湿った季節に、
心と体を急がせないこと。

芒種のころ、
まいた種をすぐ実らせようとしないこと。

そして昨日は、
日曜日を何かで満たそうとしなくてもいい、
という話を書きました。

こうして書いていると、
あらためて思うことがあります。

私たちは、
何かを感じた瞬間に、
すぐ答えを出そうとしすぎているのかもしれない、と。

体が重い。

なんとなく不安。

少し疲れている。

心がざわつく。

空気が重い。

やる気が出ない。

誰かの言葉が引っかかった。

何かが満たされていない気がする。

そういう感覚が出てきた時、
私たちはすぐに考え始めます。

これは何だろう。

なぜこう感じるんだろう。

どうすればいいんだろう。

何が原因なんだろう。

早く解決しなきゃ。

この感覚を理解しなきゃ。

でも、感じたことを、
すぐに答えを出そうとしなくていい。

今日は、
感じたことを、急いで答えにしない。

そんな話を書いてみます。



感じることと、考えることの間に余白を置く

感じることと、考えることは違います。

感じることは、
体や心が先に受け取るもの
です。

空気が重い。

肩に力が入っている。

呼吸が浅い。

胸の奥が少しざわつく。

外に出たくない。

誰かの言葉が、少し残っている。

理由はまだわからない。

でも、何かを感じている。

そこに、すぐ思考がやってきます。

なぜだろう。

どうしたらいいだろう。

これは良いことなのか、悪いことなのか。

何か意味があるのか。

自分はおかしいのか。

早く整理しなきゃ。

もちろん、考えることは大切です。

感じたことを言葉にしたり、
原因を見つめたり、
次の行動につなげたりすることも必要です。

でも、
感じた瞬間にすぐ考え始めると、
体や心が受け取ったものを、
十分に味わう前に、思考が上から覆ってしまう
ことがあります。

感じることと、考えることの間には、
少し余白ががあったほうがいい。

すぐに答えを出す前に、
「ああ、今こう感じているんだな」
と置いておく。

それだけで、
感覚との関係が少し変わります。


すぐ答えにすると、感覚が遠くなる

感じたことを、
すぐ答えにしようとすると、
感覚そのものから離れていってしまいます。

たとえば、
体が重いと感じた時。

すぐに、
「これは睡眠不足だ」
「運動不足だ」
「湿度のせいだ」
「やる気がないだけだ」
「もっと頑張らなきゃ」
と考える。

もちろん、その中に正しいものがあるかもしれません。

でも、
答えを急ぎすぎると、
今の体が本当に何を知らせているのかを、
丁寧に聴く前に決めつけてしまうことがあります。

不安を感じた時も同じです。

すぐに、
「この不安はこういう意味だ」
「原因はこれだ」
「こう対処すればいい」
と整理しようとする。

でも、不安の奥には、

疲れがあるかもしれない。
寂しさがあるかもしれない。
安心したい気持ちがあるかもしれない。
誰かに合わせすぎた反応があるかもしれない。

まだ言葉にならない感覚が、
ただそこにあるだけかもしれない。

感じたことを、
すぐ答えにしすぎると、
感覚が持っていた、やわらかさや曖昧さが失われていきます。

本当は、
まだ形になる前のものだったかもしれない。

まだ言葉にしなくてもよかったものかもしれない。

まだ少し、
自分の中で寝かせておく必要があったものかもしれない。


感じたことは、すぐ正解にしなくていい

私たちは、
自分の中に出てきた感覚にも、
どこか正解を求めてしまいます。

これは正しい感覚なのか。

こう感じていいのか。

こんなふうに思う自分はおかしくないか。

この気持ちは、どう処理すればいいのか。

でも、感じたことは、
正解かどうかで判断しなくていい。

疲れたなら、疲れた。

重いなら、重い。

不安なら、不安。

嫌なら、嫌。

寂しいなら、寂しい。

嬉しいなら、嬉しい。

よくわからないなら、よくわからない。

まずは、
そのまま置いてみる。

解釈をいれない。

感じたことは、
良い悪いで判断するものではありません。
すぐに評価するものでもありません。

そこにあるものとして、
ただ少し眺めてみる。

それだけで十分な時があります。


感じたことは、時間が経ってから意味を持つことがある

その時はよくわからなかった感覚が、
あとから意味を持つことがあります。

あの時、なぜか体が重かった。

あの時、なぜか気持ちがざわついた。

あの時、なぜかその言葉が引っかかった。

あの時、なぜか予定を入れたくなかった。

あの時、なぜか外に出たくなかった。

その瞬間には、
理由がわからなかった。

でも、少し時間が経ってから、
「ああ、あれはこういうことだったのかもしれない」
と気づくことがあります。

感覚は、
思考より先に気づいていることがあります。

体は、
頭が理解するより先に反応していることがあります。

心は、
言葉になる前に動いていることがあります。

だから、
感じたことをすぐに答えにしなくてもいい。

少し時間を置く。

少し寝かせる。

少し距離を取る。

その間に、
感覚が自然に言葉になってくることがあります。


芒種のころ、気づきも土に置いておく

芒種の記事では、
種をまくころ、急いで実らせようとしない、
という話を書きました。

これは、感覚にも言えるこなんです。

感じたことも、
ひとつの種のようなものです。

体が重いと感じたこと。

疲れていると気づいたこと。

急いでいる自分に気づいたこと。

満たそうとしていた自分に気づいたこと。

誰かに合わせすぎていたと感じたこと。

何かを減らしたいと思ったこと。

それらは、
すぐに答えにするものではなく、
一度、土に置いておくものかもしれません。

すぐに芽を出さなくていい。

すぐに意味を持たなくていい。

すぐに行動へ変えなくていい。

今はただ、
「こう感じたんだな」
と、自分の中にまいておく。

時間が経って、
根が伸び、
少しずつ意味が立ち上がってくることがあります。

気づきにも、
土の中の時間が必要です。


感じたことを、すぐ行動に変えなくてもいい

感じたことがあると、
私たちはすぐに何かを変えようとします。

疲れていると気づいたから、
すぐ休もうとする。

無理していると気づいたから、
すぐやめようとする。

人に合わせすぎていると気づいたから、
すぐ距離を取ろうとする。

満たそうとしていると気づいたから、
すぐ手放そうとする。

もちろん、
すぐに行動に移すことが必要な時もあります。

体や心が限界に近い時は、
すぐに休む必要があるかもしれません。

危険な環境にいるなら、
距離を取る必要があるかもしれません。

でも、そうでない場合、
気づいたことをすぐ行動に変えようとして、
また自分を急がせてしまっているだけになります。

気づいたのに変われない。

わかったのにできない。

感じたのに行動できない。

そうやって、
また自分を責めてしまう。

でも、
感じたことと、行動することの間にも、
時間があっていい。

気づいたら、
まずはその気づきを置いておく。

何度か同じ感覚に出会う。

少しずつ、自分の中で言葉になる。

それから、小さく動く。

そんなゆっくりな時間でもいいのです。


すぐ言葉にできない感覚もある

感じたことを、
すぐ言葉にできない時もあります。

なんとなく、重い。

なんとなく、引っかかる。

なんとなく、疲れている。

なんとなく、落ち着かない。

なんとなく、違う気がする。

この「なんとなく」は、
とても大切です。

まだ言葉になる前の感覚。

まだ思考が整理していない反応。

でも、
体や心は何かを受け取っている。

それを無理に言葉にしようとすると、
本当の感覚から少しズレることがあります。

言葉にすることは大切です。

でも、
言葉にならない時間も大切です。

「まだ言葉にならないけれど、何かある」

そういう状態を、
そのまま置いておく。

それもまた、
自分の感覚を大切にすることです。


考える前に、少し感じてみる

何かを感じた時、
すぐに考え始める前に、
少しだけ体に戻ってみる。

今、呼吸はどうか。

肩に力は入っていないか。

お腹のあたりはどうか。

目は疲れていないか。

足裏は床についているか。

胸の奥は広いか、狭いか。

頭の中は静かか、忙しいか。

答えを出す前に、
体に聞いてみる。

その感覚を、
少しだけ眺めてみる。

すると、
思考だけで決めようとしていたことが、
少しやわらかくなることがあります。

「どうすればいいか」より先に、
「今、何を感じているか」。

この順番が変わるだけで、
心と体と思考のズレは、少しほどけていきます。


感じたことを急がせると、また疲れる

感じることは、
本来とても静かなものです。

でも、
それを急がせると、
また疲れていきます。

感じなきゃ。

気づかなきゃ。

言葉にしなきゃ。

答えを出さなきゃ。

変わらなきゃ。

行動しなきゃ。

そうやって、
感じることまで「ちゃんと」しようとすると、
感覚はどんどん遠くなります。

気づこうとして疲れる。

整えようとして疲れる。

休もうとして疲れる。

満たそうとして疲れる。

それと同じように、
感じたことを急いで答えにしようとして、
疲れてしまうことがあります。

感じることは、
急がせるものではありません。

感じたことは、
しばらくそばに置いておくものでもあります。


今日、答えにしなくてもいいもの

自分の中に出てきたものを、
すぐ答えにしなくてもいい日も、ある。

体が重い理由を、
すぐ決めなくてもいい。

不安の原因を、
すぐ突き止めなくてもいい。

違和感の意味を、
すぐ言葉にしなくてもいい。

心のざわつきを、
すぐ解決しなくてもいい。

誰かの言葉に引っかかった理由を、
すぐ整理しなくてもいい。

満たされない感じを、
すぐ何かで埋めなくてもいい。

ただ、
「今、そう感じている」
というところに戻る。

それだけで、
少し、自分に近づいています。


感じたことを、急いで答えにしない

感じたことを、
急いで答えにしない。

それは、
何も考えないということではありません。

問題を放置することでもありません。

むしろ、
感じたことを大切にするために、
少し時間を置くということです。

すぐに意味をつけない。

すぐに判断しない。

すぐに変えようとしない。

すぐに誰かに説明しようとしない。

すぐに正解にしようとしない。

少し待つ。

少し眺める。

少し寝かせる。

その間に、
体と心と思考が、
少しずつ同じ方向を向いてきます。

感じること。

気づくこと。

わかること。

できること。

その間には、
それぞれの時間があります。

感じたから、
すぐわからなくてもいい。

気づいたから、
すぐできなくてもいい。

わかったから、
すぐ変われなくてもいい。

その時間差を責めずに、
少し待つ。

それもまた、
ととのえるということです。

今日、自分の中に出てきた感覚を、
急いで答えにしなくていい。

まだ言葉にならないものは、
言葉にならないままでいい。

まだ意味がわからないものは、
意味がわからないままでいい。

ただ、
感じたことをなかったことにしない。

そして、
急がせすぎない。

そのくらいの距離感で、
今日の自分と過ごしてみてもいいと思います。

沖縄には、「よんなーよんなー」という言葉があります。

ゆっくり、のんびり、自分のペースで
そんな意味です。

よんなーよんなー過ごせばいいさぁ。

また、次の記事で会いましょう。

ととのえ職人
五木田穣


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