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満たそうとしない日曜日

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。

今日は、日曜日です。

日曜日というと、
少しゆっくりできる日でもあり、
少し焦りが出やすい日でもあります。

休みたい。
でも、休んでいるだけでいいのだろうか。

何かしたい。
でも、何をしたら満たされるのかわからない。

平日にできなかったことを片づけたい。
でも、詰め込みすぎると、また疲れてしまう。

明日からのことを考える。
でも、考えはじめると、気持ちが少し重くなる。

日曜日は、
休む日であるはずなのに、
どこかで「満たさなきゃ」と思いやすい日でもあります。

休日らしく過ごさなきゃ。

有意義に使わなきゃ。

回復しなきゃ。

整えなきゃ。

来週に向けて準備しなきゃ。

そうやって、
日曜日まで何かで満たそうとすると、
休みの日なのに、心と体が少し忙しくなっていきます。

今日は、そんな日曜日に、
あえて「満たそうとしない」話を書いてみようと思います。



日曜日を、何かで埋めようとしていないか

休みの日になると、
ぽっかり空いた時間ができます。

予定が少ない時間。

仕事から少し離れる時間。

誰かに合わせなくてもいい時間。

何もしなくてもいい時間。

本来なら、それは余白です。

でも、余白ができると、
私たちはそこをすぐに埋めたくなります。

せっかくの休みだから、どこかへ行こう。

せっかく時間があるから、片づけよう。

せっかくだから、勉強しよう。

せっかくだから、体を動かそう。

せっかくだから、買い物に行こう。

せっかくだから、溜まっていたことを全部終わらせよう。

もちろん、それが悪いわけではありません。

行きたい場所へ行く。
やりたいことをする。
溜まっていたことを片づける。
それで気持ちが軽くなることもあるでしょう。

でも、
「やりたい」ではなく、
「空いている時間を埋めなきゃ」になっている時は、
少し注意が必要です。

余白があることを不安に感じて、
何かで埋めようとしているだけかもしれないからです。


満たすことと、埋めることは違う

5月の終わりに、
「満たせなかったものを責めない」という記事を書きました。

そして有料記事では、
「満たそうとして疲れる理由」について、
少し深く書きました。

その時にも書いたように、
満たすことと、埋めることは違います。

満たすことは、
自分の器に合うものが、
自然に入ってくること。

必要なものが、
必要な分だけ、
自分の中に届いていくこと。

そこには、呼吸があります。

余白があります。

待つ時間があります。

でも、埋めることは、
空いているところを、
急いで何かで塞ごうとすることです。

不安を予定で埋める。

寂しさを情報で埋める。

疲れを買い物で埋める。

焦りを行動で埋める。

満たされなさを、さらに何かを足すことで埋める。

日曜日に疲れてしまう時、
この「埋める」が起きていることがあります。

休みの日なのに、
何かしていないと落ち着かない。

何もしない時間があると、
自分が置いていかれるような気がする。

予定がないと、
どこか空っぽな感じがする。

その空っぽさを、
すぐに何かで埋めようとする。

でも、
空いているから苦しいのではなく、
空いていることを許せないことが、
苦しさを生んでいることがあります。


満たそうとしない時間が、回復になる

日曜日は、
何かを満たすための日ではなく、
満たそうとしない時間を取り戻す日でもいいと思っています。

予定を満たさない。

成果を満たさない。

誰かの期待を満たさない。

休日らしさを満たさない。

有意義な一日に満たそうとしない。

何かを満たすために動くのではなく、
少し空いたままにしておく。

すると、
自分の中にあるものが、
少しずつ見えてくることがあります。

本当は、疲れていたこと。

本当は、眠かったこと。

本当は、静かにしたかったこと。

本当は、誰かに合わせすぎていたこと。

本当は、何かを足すより、少し減らしたかったこと。

満たそうとしない時間は、
何もしていない時間ではありません。

自分の状態が戻ってくる時間です。

余白があるから、
体の声が聞こえます。

静けさがあるから、
心の反応に気づけます。

何かを埋めないから、
自分が何を満たそうとしていたのかが見えてきます。


日曜日まで、ちゃんとしなくていい

日曜日に疲れてしまう人は、
休みの日まで「ちゃんと」しようとしているのかもしれません。

ちゃんと休もう。

ちゃんと回復しよう。

ちゃんとリフレッシュしよう。

ちゃんと整えよう。

ちゃんと明日に備えよう。

ちゃんと有意義に過ごそう。

でも、
休むことまで「ちゃんと」しようとすると、
休みの中にも力が入ります。

体は休んでいるのに、
頭が休んでいない。

ソファに座っているのに、
思考は来週の予定を組んでいる。

横になっているのに、
「こんな過ごし方でいいのかな」と考えている。

何もしない時間に、
罪悪感が出てくる。

そうすると、
休んでいるのに、休まらない。

日曜日なのに、
どこか疲れが残る。

そういうことが起きます。

日曜日くらい、
ちゃんとしなくていい。

きれいに整った休日にしなくていい。

誰かに見せられるような一日にしなくていい。

自分の中で、
少し呼吸が戻ればいい。

少し力が抜ければいい。

少しぼんやりできればいい。

そのくらいで十分です。


芒種のあとに、すぐ実らせようとしない

昨日は、
二十四節気の芒種について書きました。

芒種は、種をまくころ。

でも、種をまいたからといって、
すぐに実るわけではありません。

小満で少し満ちてきたものを、
芒種では暮らしの中に根づかせていく。

すぐに形にしようとしない。

すぐに結果へつなげようとしない。

土の中の時間を待つ。

そんな話を書きました。

これは、日曜日にも似ています。

日曜日に少し休めたからといって、
すぐに来週を完璧にしなくていい。

少し気づけたからといって、
すぐに生活を全部変えなくていい。

少し元気が戻ったからといって、
すぐに予定を詰め直さなくていい。

少し余白ができたからといって、
すぐに何かで埋めなくていい。

まいた種を、
すぐに掘り返さない。

少し満ちてきたものを、
すぐに使い切らない。

日曜日は、
そのまま少し置いておく時間でもいいと思っています。


何もしない時間に、意味を求めすぎない

私たちは、
何もしない時間にさえ、
意味を求めてしまうことがあります。

この休み方には意味があるのか。

この時間は回復につながっているのか。

この過ごし方で来週は良くなるのか。

このぼんやりは、何かの役に立っているのか。

でも、
何もしない時間に、
すぐ意味を求めなくてもいい。

意味があるから休むのではなく、
休みたいから休む。

役に立つからぼんやりするのではなく、
ぼんやりしたいからぼんやりする。

成果につながるから余白をつくるのではなく、
余白が必要だから空けておく。

そういう時間があってもいい。

すべての時間を、
何かのために使わなくていい。

日曜日くらい、
目的のない時間があってもいい。

その目的のなさの中で、
心と体は少しずつ戻ってきます。


満たそうとしない日曜日の過ごし方

満たそうとしない日曜日に、
特別なことをしなくてもいいと思います。

予定をひとつ減らす。

行くか迷っている予定を、無理に入れない。

スマホを見る時間を少し減らす。

返事を急がない。

洗濯物が乾かなくても、気にしない。

部屋が完璧に片づかなくても、今日はそれでいいことにする。

ご飯を少しゆっくり食べる。

外の空気を感じる。

雨なら雨の音を聞く。

晴れ間が出たら、少しだけ外へ出る。

本を数ページだけ読む。

眠かったら少し横になる。

何もする気が起きなければ、何もしない時間をそのまま置いておく。

それくらいでいい。

満たそうとしない日曜日は、
空っぽになる日ではありません。

自分の器に、
少し呼吸を戻す日です。

何かを足して満たすのではなく、
少し空けることで、自分に戻る日です。


空いているところを、すぐ埋めなくていい

日曜日の午後や夕方になると、
少し寂しさや焦りが出ることがあります。

休みが終わっていく感じ。

明日が近づいてくる感じ。

やり残したことを思い出す感じ。

何もしないまま一日が終わってしまうような感じ。

その時、
私たちはまた何かで埋めたくなります。

スマホを見る。

動画を見る。

食べる。

買い物に行く。

予定を立てる。

考えごとをする。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

でも、その前に、
少しだけ見てみる。

今、何を埋めようとしているのか。

寂しさなのか。

不安なのか。

疲れなのか。

退屈なのか。

明日への緊張なのか。

何かを埋める前に、
その空いている感じを、
少しだけ感じてみる。

空いているところは、
すぐ埋めなくてもいい。

そこは、
自分の声が戻ってくる場所かもしれません。


明日のために、今日を使い切らない

日曜日は、
つい明日のために使ってしまいます。

明日の準備。

来週の段取り。

仕事の確認。

予定の整理。

やることのリストアップ。

もちろん、それも大切です。

でも、
明日のために今日を使い切ってしまうと、
今日の自分が置き去りになります。

明日の自分を助けることは大切です。

でも、
今日の自分を消耗させてまで、
明日に備えなくてもいい。

今日の自分にも、
休む権利があります。

今日の自分にも、
何もしない時間が必要です。

今日の自分にも、
満たそうとしない余白が必要です。

明日のために、
今日を全部使い切らない。

少し残しておく。

少し空けておく。

少し呼吸が入る場所を残しておく。

その余白が、
結果として、明日の自分を支えてくれます。


満たそうとしない日曜日

満たそうとしない日曜日。

それは、
何も得られない日ではありません。

むしろ、
何かを得ようとしないことで、
戻ってくるものがあります。

呼吸。

静けさ。

眠気。

体の重さ。

本当の疲れ。

小さな安心。

自分の速度。

何もしていないようで、
内側では少しずつ戻っているものがあります。

日曜日を、
予定で満たさなくていい。

意味で満たさなくていい。

成果で満たさなくていい。

誰かの期待で満たさなくていい。

「ちゃんとした休日」に、満たさなくていい。

少し空いているくらいで、ちょうどいい。

その空いたところに、
自分の呼吸が戻ってくる。

その余白の中で、
少しずつ心と体と思考が合ってくる。

満たそうとしない。

埋めようとしない。

急いで整えようとしない。

日曜日は、
そんなふうに過ごしてもいい。

今日という日が、
何かで満たされた一日ではなくても。

少しだけ自分に戻れたなら、
それで十分です。

今週もお疲れまでした。

ととのえ職人
五木田穣


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