気づこうとして、また疲れていませんか
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、
心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を日々書いています。
自分の状態に気づくことは、とても大切です。
「あ、いま少し疲れているな」
「肩に力が入っているな」
「本当は、ちょっと無理しているかもしれない」
そんなふうに、自分の内側に目を向けられることは、
ととのうための大切な入口です。
でも、
気づこうとすること自体が、
また新しい疲れになってしまうことがあります。
気づかなきゃ、と思ってしまう
無理をしすぎていた人が、
自分の疲れに気づけるようになる。
我慢することが当たり前だった人が、
「本当はつらかったんだ」と感じられるようになる。
それだけでも、
体は少しずつ安心を思い出していきます。
けれど、真面目な人ほど、
ここでもまた頑張ってしまうことがあります。
「ちゃんと自分の状態に気づかなきゃ」
「今の私は、何を感じているんだろう」
「これは本音なのかな」
「この違和感を、どう解釈すればいいんだろう」
気づくことが、
いつのまにか“課題”になる。
感じることが、
いつのまにか“確認作業”になる。
そして、気づこうとすればするほど、
また頭が忙しくなっていく。
本当は楽になりたくて、自分を見つめはじめたはずなのに、
気づけばまた、自分を追い込んでいる。
そんなことが、あるかもしれません。
気づきは、考えすぎることではない
気づくことは、
たくさん考えることではありません。
正しい答えを見つけることでもありません。
今の自分を分析して、
原因を突き止めて、
すぐに改善策を出すことでもありません。
気づきとは、もっと静かなものです。
「あ、いま力が入っていたな」
それだけでいい。
「あ、少し疲れているかもしれない」
それだけでいい。
「あ、今日はあまり余裕がないな」
それだけでいい。
気づきは、
何かを変えるための命令ではなく、
今の自分を知るためのやさしい合図です。
だから、気づいた瞬間に、
すぐ変えようとしなくてもいいのです。
疲れていると気づいたからといって、
すぐに休めなければダメなわけではありません。
力が入っていると気づいたからといって、
すぐに力を抜けなければいけないわけでもありません。
本音に気づいたからといって、
すぐに行動を変えなければいけないわけでもありません。
まずは、
「そうなんだね」
と、そっと受け取る。
それだけで、十分です。
頭で確かめようとすると、体から離れていく
体は、いつも先に感じています。
緊張しているとき、
肩が上がる。
不安なとき、
呼吸が浅くなる。
無理をしているとき、
胃のあたりが重くなる。
言葉になる前に、
体は小さなサインを出しています。
でも、そのサインに気づいた瞬間、
頭がすぐに動き出すことがあります。
「これは何のサインだろう」
「どうしたらいいんだろう」
「このままでいいのかな」
「ちゃんと向き合えているのかな」
そうやって頭で確かめようとした瞬間に、
さっきまで感じていた体の感覚が、少し遠くなる。
感じていたはずなのに、
考えはじめた途端に、わからなくなる。
これは、よくあることです。
体はすでに知らせてくれているのに、
頭がそれを正しく理解しようとして、
かえって感覚から離れてしまう。
つまり、
気づこうとして疲れるとき、
多くの場合、気づけていないのではありません。
気づいたあとに、
頭が頑張りすぎているのです。
気づけない自分を責めなくていい
「自分のことがよくわからない」
そう感じる日もあると思います。
何を感じているのか。
何に疲れているのか。
何が嫌なのか。
本当はどうしたいのか。
それが、はっきりしない日もある。
でも、それは悪いことではありません。
人はいつも、自分の状態を明確に言葉にできるわけではありません。
むしろ、
本当に疲れているときほど、
自分の感覚はぼんやりします。
余裕がないときほど、
自分の本音は見えにくくなります。
安心できていないときほど、
体の声を聴くことは難しくなります。
だから、
「気づけない自分はダメだ」
と思わなくていい。
気づけないのではなく、
気づくための余白が、まだ少ないだけかもしれません。
感覚が鈍いのではなく、
これまでたくさん頑張ってきたから、
少し休む時間が必要なだけかもしれません。
気づきは、急に深まるものではありません。
少しずつです。
日々の中で、
ほんの少し立ち止まる。
呼吸に気づく。
肩の力に気づく。
言葉にできない疲れに、
「あるかもしれない」と気づく。
そのくらいの小さな気づきで、
十分です。
変えようとしない気づき
気づいたら、変えなければいけない。
そう思うと、
気づきは少し苦しくなります。
でも本当は、
気づくことと、変えることは別です。
気づくことは、
今の自分を否定するためにあるのではありません。
気づくことは、
今の自分を急いで修正するためにあるのでもありません。
気づくことは、
今の自分と、もう一度つながるためにあります。
「ああ、私は今、少し無理していたんだな」
「ああ、本当は不安だったんだな」
「ああ、今日は休みたかったんだな」
そうやって、
自分の内側に置き去りにしてきた声に、
少しずつ気づいていく。
それだけで、
心と体は少し安心します。
なぜなら、
変えてもらえたからではなく、
わかってもらえたからです。
人は、
すぐに解決されることよりも、
まず、わかってもらうことで緩むことがあります。
それは、自分自身に対しても同じです。
まずは、気づいただけでいい
今日、少し疲れていると気づいた。
それだけでいい。
また頑張りすぎていたと気づいた。
それだけでいい。
力が入っていると気づいた。
それだけでいい。
気づいたあと、
すぐに変われなくてもいい。
また同じことを繰り返してもいい。
わかっているのに、できない日があってもいい。
それは、戻ってしまったのではなく、
まだ体が安心を探している途中なのかもしれません。
ととのえることは、
一度で変わることではありません。
自分を責めながら、
無理やり良い状態に持っていくことでもありません。
ととのえるとは、
少しずつ、自分に還っていくこと。
気づいて、
焦って、
また考えすぎて、
それにも気づいて、
また少し戻る。
その繰り返しの中で、
少しずつ呼吸が深くなっていく。
少しずつ、
心と体と思考のズレがほどけていく。
だから、今日のところは、
これくらいでいいのです。
「あ、また気づこうとして疲れていたな」
そう気づけたなら、
それだけで、もう十分です。
ととのい村では
ととのい村では、
こうした小さな気づきを、
すぐに変えようとせず、
そっと見守っていくような文章も書いています。
気づいたことを、すぐに直さなくてもいい。
変われない自分を、責めなくてもいい。
ただ、今の自分に少しやさしく気づいていく。
そんな時間を、ととのい村では大切にしています。
急がなくていい。
ちゃんとしようとしなくていい。
すぐに答えを出さなくていい。
少しずつ、自分に還っていけたらいい。
そんな場所として、
ととのい村をひらいています。
村でもお会いできたら、嬉しいです♪
今日も、ここまで読んでくださってありがとうございました。
どうか、
気づけた自分を責めるのではなく、
気づこうとしていた自分に、
少しだけやさしくできますように。
ととのえ職人
五木田穣
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