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【推しの子】4期の結末は原作改変されるのか?(ネタバレほぼ無し)

🔷はじめに

本記事は「ネタバレ"ほぼ"無し」である。
というのも、「原作の結末がアニメ4期でどうなるか」を論ずるにあたって、「原作の結末が"ごくごくざっくり言って"どんな感じか」すら隠したままにするのはさすがに無理だからですね。

なので本記事中唯一のネタバレとして、「原作がハッピーエンドなのかバッドエンドなのか」だけをここでまず明かしてしまうことにする。
それすら嫌だというアニメ勢は、ここで直ちにブラウザバックして下さい。





────はい、原作はハッピーエンドではありません

もちろん、かと言ってメインキャラクター全員死亡の富野エンドみたいなことになる訳ではないし、解釈によっては「一種のハッピーエンド」とも言えるような、極めて良質なメリーバッドエンドビターエンド)になっている。
ただ、『超かぐや姫!のような完全無欠のハッピーエンドを期待していると裏切られるというだけのことだ。(当たり前である)

さて、本作のメリーバッドエンドがどれほど優れているかはこれらの記事で既に詳述したが[↩︎]、こちらは当然ながらネタバレのオンパレードになっている。
よって本記事では、3期視聴済みのアニメ勢でも読めるように、「原作はハッピーエンドでない」という以上のネタバレを一切避けて、「アニメ4期が原作を完全改変してハッピーエンドにしてしまう可能性が存在するのかどうかを検討する。


(⬆︎前回)


🔷「アニオリ結末希望論」とは何か?

【推しの子】アニメ3期が最大限の原作尊重を一貫した方針としていたことは、前回の記事で述べた[↩︎]
その上で原作から特に変更されたのは、実質的に以下の2点だけと言ってよい。

(1)話の流れと話数配分の都合による、若干のエピソード順序入れ替え(特に31話、アクアとあかねの歩道橋シーン)
(2)スキャンダル編(29話)で、有馬が視聴者のヘイトを買うことが不可避と判断された(のであろう)シーンでの、最低限のカット・微調整

これら以外の些末な相違点は全て「演出」「アレンジ」の枠に収まる。
その意味で、アニメ3期は原作改変などしていないのだ。

──しかしどうしたことか、「アニオリ改変で〇〇が改善されてる❗️すばらしい❗️」といった原作勢の発言で𝕏その他は溢れている。
まずは、こうした誤った言説がなぜここまで広まっているのかを検討しよう。


◆「原作は矛盾・未回収伏線だらけ」?

原作は全伏線ブン投げのクソエンド」だとか、「赤坂アカの場当たり的な性格のせいで原作は矛盾だらけ」といった発言は、ネタバレを避けているアニメ勢でも一度は見たことがあるだろう。
こうした批判がことごとく誤りであることは、既にこれらの記事で示した[↩︎]

要するに原作には「矛盾未回収伏線も一切存在しないのだが、「矛盾だらけ」「未回収伏線だらけ」という思い込みがファン・アンチ双方の中で完全に既成事実化しているため、完結から1年半も経った今なおこれがアップデートされないのだ。

下のような「原作からの古参ファン」を自認するインフルエンサーたちにとってすらそうなのだから、新参の読者・視聴者らにとってはなおさら、こうした「常識」が刷り込まれるのは容易である。

こうした有名無名の原作勢による何気ない日常ポストが、悪意があろうが無かろうが、
原作ファンですら原作に納得してない
原作ファンですらアニオリエンドを求めている
──という既成事実の形成に一々貢献してしまうのだ。

…は?
「投げっぱなしのとこ」?
一つもねえよ んなもん

原作読者インフルエンサーによるこの種の「穿うがった」風のポストはいかにも説得力があるので、しばしば【推しの子】クラスタを超えてまで結構バズってしまう
もちろん的を射た批判・意見ならば何の問題もないのだが、実に残念ながらそういった例は乏しい。──というか皆無

上の例で言えば、「なぜDVDを2枚に分けたか問題」[↩︎]「ツクヨミの正体問題」[↩︎]も、とうの昔に解決しているのだ(ネタバレ可の方はリンク先参照)。


◆「原作ファンですらアニオリハッピーエンドを求めている」?

では、本来ならば何よりもまず原作をこそ唯一無二の「正典カノン」として尊重すべきはずの原作勢がなぜ、こうもありもしない欠点をあげつらって原作をそしり続けるのだろうか。

答えは単純である。
ひょっとしたらアニメはハッピーエンドにしてくれるんじゃないか、それによってあの受け入れ難い原作の結末を"なかったこと"にしてくれるんじゃないか」との望みを捨て切れないからだ。

だがそうは言っても、露骨に「アニメはハッピーエンドにしろ」などと叫んだのでは原作そのものを全否定することになってしまい、結局ただのアンチと同じになるということくらいは彼らにもわかっている。
ゆえに、「原作の"欠点"を繰り返し指摘することでその不完全さを周知させ、アニメにおいてそれらが"改善"されるのと同時に、なし崩し的にハッピーエンド化をも行わせる」という婉曲な戦略を取るに至るのだ。

もちろん、上の「戦略」が明確に意識して為されるわけでは必ずしもないだろう。
ただ、全ての根底に「原作の結末にはやっぱり納得できない」「何かの奇跡が起こってアニメではハッピーエンドになってほしい」「あの辛い過去を幸福に"上書き"してほしい」という幼稚な願望が存在する場合、構造的な必然として、ほとんど自動的に上述の戦略が取られるわけである。

だから普段は公言していないにせよ、ふとした拍子にこうして「ハピエン化希望の本心が表れてしまうのだ。

それにしても、彼らはなぜこうまでハッピーエンドを望むのか?
──これは他の凡庸なハピエン厨たちと何ら変わらない。
有り体に言って、知的に未熟だからである。
文化的に無知だからである。

そのことは、次の中学生並みのおバカポスト(現在♡1万7000w)を一読すればまず理解されよう。

何のことはない、「さぁ行きますよ!ザーボンさん、ドドリアさん‼︎コピペと同レベルの知性ではないか?
こんなのがただ絵師であるというだけで、あろうことか「原作勢代表のインフルエンサーになってしまっているのだ。

(もちろん、推しの子絵師がこんなのばかりという訳ではない。適切な原作リスペクトを持ってやっている方も沢山いる)

主要ファンダムが現にこんなザマなのだから、「推しの子信者キモ過ぎ」というアンチの気持ちもまあ多少は理解できるというものだ。


◆「原作考察勢もアニオリハッピーエンドを求めている」?

また、別段インフルエンサーでもないただのバカによるバカ丸出しの自称考察ポストが、何かの間違いでバズってしまうこともしばしばである。

ここでは一例のみを挙げよう。
一応原文画像も貼っておくが、結末ネタバレあり&読む価値は特にないので、さっさと飛ばして頂いて構わない。

(⚠️下画像は結末ネタバレあり⚠️)
(⚠️アニメ勢は読み飛ばし推奨⚠️)

──いやあの、この内容空疎なツリーポストが結局何言ってるかってさぁ…

もし157話(アクア・ルビー・ミヤコの日常回)で終わらせてれば、恋愛面で誰ルートを選ぶ訳でもなく、みんな幸せハッピーエンドだった‼️
それなのに余計に続けたせいでバッドエンドになった‼️
だからアニメ4期は157話で終わらせてハッピーエンドにしろ‼️

──ってだけですよ。…はぁ?

(もはや完全なネタバレ回避は困難なのだが)ざっくり言えば、

(1)155-7話の平和的エピソードがシナリオ上 意図的なギミックであることは既に明らかにしたし[↩︎]
(2)原作者の赤坂アカが当初からメリーバッドエンドにすると決めていた[↩︎]以上、「こうしていればハッピーエンドだったのに」うんぬんの反実仮想は全て「私的IF妄想」であって「考察などではないし、
(3)「みんな幸せハッピーエンド」って、いやそれはこいつの中だけでの話であって、こいつがこいつの妄想最終回を読み終わった後も作中世界はそのまま続いて行く訳だから無責任な妄想にも程があるし、
(4)「恋愛面で誰ルート」うんぬんにしても、典型的な物語とギャルゲの区別が付いてないアホだし……

──とまあ要するに一から十までバカ丸出しポストなのであるが、これが♻️180 ❤️4400よな…😩

更に悪いことには、リプ欄を見る限りこれに賛同しているのは多く「普通の原作読者」であって、別にアンチではないのだ。

つまり彼ら自身はただ「善良なファン」として愉快に戯れ合っているつもりなのだろうが、実際には「原作ファンですらアニオリハッピーエンドを求めている」という風潮の形成に大いに加担している。
それが結果として「原作というコンテンツの根幹を否定し、以ってコンテンツ全体の価値を揺るがす行為であるなどとは一切自覚せずに、である。

何が彼らをそこまで駆り立てるか?
ハッピーエンドを見て気持ち良くなりたい」という乳児並みの欲望と、「世界の全てが自分の思い通りになる」という幼児並みの盲信──それだけなのだ。

仮にアニメオリジナルの"救い"があるなら見たい」──ここに全てが表れていよう。
彼らにとっては作品の文化的・芸術的価値など一切どうでもよく、ただ「救われたい」「気持ちよくなりたい」という幼稚な自己本位の欲望こそ全てなのだ。


◆「アニオリ希望」エコーチェンバーの増殖と拡散

ところで上のバカのような自認原作古参ファンは、同調圧力の強いぬるま湯ファンダムの中でぬくぬくと暮らしてきた連中であるから、概して批判耐性に乏しい
よって、自身の独善的な妄想ポストに対して批判的なリプ・引用でもされようものなら、一言の理性的反論も無しに即刻ブロックするといったまあ幼稚な振る舞いに出る例が多い。

(例えば、上記のハッピーエンド厨バカに対して筆者が下の引用批判ポストをしたところ、15分以内の即ブロックを頂戴した。さすが仕事がお速い🙌)

かくしてエコーチェンバーの防壁は強化され、「アニオリ希望を叫ぶノイジーマイノリティたちの声量は増大して行くのである。


◆サイレントマジョリティとしての原作尊重派

以上の結果として、「原作そのままの"順当な"アニメ化を求める"順当な"原作読者」の理性的発言はまずほとんど注目されることなく、下のようにただ静かに消えて行く

以上は、ただ単に「推しの子」というワードで新着ポスト検索をして、その時々にたまたま見付かったポストの羅列である。
何のことはない、「原作肯定派は確かに存在するのだ。

──がしかし、見ての通り♡などほとんど付いておらず、インプレッションも多くは100~500viewがせいぜいとなっている。
なぜか? 「普通過ぎてつまらない」からだ。
(𝕏の仕様で表示が消えてしまっているものもあるが、「♡1」とあるのは全て筆者によるいいねである)

反対に、インプレ乞食どもが【推しの子】にわざわざ言及する場合はまず十中八九、次のように揶揄否定冷笑の形を取る。

これは有力アカウントに限った話ではなく、弱小アカウントにあっても「アニオリ希望」というポストは比較的インプレッションや♡を集めやすい。
YouTubeの【推しの子】公式動画に一言「アニオリエンド希望の人!」などとコメントすれば、もう自動的に大量の👍が入って来るような始末である。

その結果「アニオリ希望」という言葉そのものが、ビターエンドの価値など理解できぬキッズども承認欲求充足ツールと化しているのだ。
かくして「原作否定派」のポストは今日も増え続けるのである。

補足
こうした「原作否定派」ポストの投稿者の中には、そもそも推しの子など読んだことすらないにも関わらず、ただ面白半分にこれを罵倒・冷笑しているだけの連中が相当数含まれている。
最近の『チェンソーマン』完結に際して現れた、下の下劣極まるポストが象徴的だろう。

更に「原作肯定派」が決して一つの派閥や潮流を形成できない理由として、「普通過ぎて無特性」という言論の性質上、これと言ってキーワードを持たないゆえにSNSでの一括検索が不可能ということがある。
しかしながら、先に見たような弱小アカウントによる原作肯定ポストの総数は、実際には相当なものになるはずだろう。

がしかし、それらが多少なりともバズった例など一つとして見たことがない。
例えば「推しの子 改変」「推しの子 アニオリ」とでも検索すれば、判で押したようなアニオリエンド希望ポストが大量に見付かるのと実に対照的である。

結局のところ原作肯定意見は、「改変」「駄作」「アニオリ」などに相当する便利な旗印が存在しないがゆえの、SNSの構造上宿命的なサイレントマジョリティおとしめられていると言えよう。

加えて、「普通に原作を読んで、普通に結末に納得できた」という漫画リテラシー・文化的リテラシーを十全に備えた人間は、わざわざそうした納得満足を発信するためにポストしたりレビューを書いたり、或いはそのためだけにわざわざSNSのアカウントを作ったりなどほとんどしないということがある。

なぜなら、漫画に限らず小説・映画・戯曲その他の「物語を読み慣れた者にとって、【推しの子】という物語がバッドエンドを迎えねばならなかったことは、単純に創作論上の自明な必然だからである。
つまり「今さら説明するまでもないこと」なのだ。

この「自明な必然」を、一方で「自明」と思わない人々に向けて改めて説明するのには相当の労力を伴う。
(参考までに、筆者の場合は20万字ほどを要した[↩︎]

おまけに原作肯定論には適当な「旗印」が存在しないのだから、「アニオリ希望❗️」と定型句だけ一言書いてポストすればそれで済んでしまう原作否定論とは、その意見表明の困難さにおいてまるで比較にならないのだ。
これによっても、「そもそも発言すらしない層としての原作肯定派が相当数形成されているはずだ。

原作否定論の根幹にある「不満」が、「この不満をみんなにも知らせたい・みんなと共有したい」という強烈な発信欲求と、「もしかしたら自分の力でアニメの結末を変えられるかもしれない」という傲慢な自信を生むのとは極めて対照的であろう。

以上の結果として、(故意であれ間接的であれ)ノイジーマイノリティとしての原作否定論が今日もまたバズり、「原作の結末はクソ」という既成事実を強化し、次のような被害者を日々量産するのであった。

補足
以上の「駄作認定メカニズム」については、この記事で詳しく論じた[↩︎]



🔷4期でのアニオリエンドは有り得るのか?

◆悲劇的伏線としてのOP・ED──今さら無かったことにできるか?

まず結論から言えば、結末自体のアニオリ改変はあり得ないだろう。
最大の理由は、原作完結前から数えて既に最低4曲のOP・ED曲を、来たるべき悲劇的結末へ向けての周到な伏線として既に「利用」してしまっていることである。

つまりアニメ3-4期は既に、
女王蜂=アクア)には
 「わたしが命を賭けるから、
  あなたは時間をくれたのでしょう?

覚悟させ、
GEMN=アクア)には
 「必然的なアイ
諦観させ、
なとり=アクア)には
 「僕なしで上手く幸せになってね、
  こんな悲しい結末でごめんね

遺言させ、
羊文学=ルビー)には
 「今眩しい光の中で、
  どんな痛みさえ輝きに変えながら命を燃やすの

哀惜させているのだ。

これら全てを一切無かったことにして、

あ、OPとEDを深読みしてバッドエンドかと思った?
 ざんねーん、ドッキリ大成功❗️
 実はハッピーエンドでした‼️
 はいはいめでたしめでたし🤣🤣🤣

───だなんてのはまあ、端的に言ってシャレでは済まんのである。
仁義に反する
さような愚行を本作の制作陣が犯すはずもあるまい、バカバカしい。

…以上だけでもう、ガキどもが望むハッピーエンド化など99.9%あり得ぬ理由としては十分と筆者は考える。
(結末の内容に立ち入った議論は、この記事参照[↩︎]

補足
なおネタバレを避け詳述しないが、1-3期EDにおける以下のカットは全て原作通りの結末を暗示している。
原作の完結は2期放送終了後だったにも関わらず、である。
(つまりは1期制作時点で、原作者は2年以上先に予定した結末をもうアニメ制作陣に伝えていた。アニメ化プロジェクト自体がハッピーエンドにはしないという合意と前提の上で始まったのである)

「わたしが命を賭けるから
あなたは時間をくれたのでしょう?」

1期ED, 1:19[↩︎]
「こんな悲しい結末でごめんね」
3期ED, 1:29[↩︎]
「どんな痛みさえ輝きに変えながら
命を燃やすの」

2期ED, 1:16[↩︎]

◆あの「ビンタシーン」はどうなるか?

…がしかし、である。
大筋はあくまで原作通りとしても、付随的なディテールの改変であればまた有り得るのではないか?

3期で既に見られた微細かつ周到な改変から見て、この可能性は十分あると思われる。
その際に改変候補として筆頭に上がるのはもちろん、連載時には不謹慎」「非倫理的」「キ◯ガイなどと盛大に炎上した、かの名高いビンタシーン」であろう。(詳細略)

無論、筆者としては絶対にそのまま映像化してほしい
押し寄せる全てのポリコレ棒を猛然と跳ねのけ、断固実現してほしい

──とは言え、その軽い伏線である「ティッシュ箱ぱこーんシーン」が(有馬バッシング回避という至上目的の為としても)既にカットされてしまった以上、「もしや…」との危惧は拭えない。

無慈悲にもカットされたぱこーん
(11巻107話126頁)

ネタバレ無しの説明としてはこのあたりが限界なのだが、しかしこの可燃性MAX炎上必至のビンタシーンこそ実は、悲劇としての推しの子】を唯一無二の歴史的傑作たらしめている絶対不可欠の最重要場面なのだ。
ネタバレ可の方はこの記事参照[↩︎]

4期の制作が今どの段階なのかは分からないが、もし脚本が原則原作準拠であるならば、ビンタシーンの採用・不採用は現状、どちらにでも転びうる状態にあるだろう。

よって、制作陣は今も3期視聴者の反応を絶えず注視しているはずである。
(現に3期がそのようにして制作されたことは、前回記事参照[↩︎]

(1期6話10:04)
(同11:08)

よって、例えばもし有馬の枕営業(3期29話)が原作同様のバッシングを受けていたような場合は、「この分ではビンタなど絶対無理だ」との判断が即刻下ったことであろう。

──しかしそうはならなかった
上述の通りに原作未読のアニメ勢の大部分は、「順当」にもスキャンダル編をごく自然に受け入れ、(原作連載時の惨状を思えば嘘のようにバッシングなど一切しなかったのである。

この「順当なる結果に、脚本・絵コンテレベルの制作陣はいま多いに力付けられているのではなかろうか。
単に「よかった、我々の預かる作品が今期もまた評価された」という自負のみならず、「よかった、これで最後まで原作を尊重し通せる」との安堵と確信を着実に得ているのではあるまいか。
1期放送開始以来の3年間で既に明らかとなっている通り、彼らによる「原作尊重の熱意は折り紙付きだからである。

ゆえに、膨大な時間と労力を投じてまでわざわざ映像化するに足る優れた原作が、読解力の低い読者と世論にどれだけ叩かれようが、この傷付いた名品の傷すら損なわず、そのまま別の次元に移し換えることこそここに言う「尊重」の意味であるはずであって、ただその変換の前後において媒体メディアの性質と経済的事情とがいささか異なるがゆえに、止むに止まれぬ最適化」が適宜なされるに過ぎなかろう。
それは断じて「改良とは違うのだ。

とすれば、4期がどこまで原作を「尊重」できるかは、ひとえに今この瞬間の視聴者の反応一つ一つにかかっている訳である。

──つまりどういうことか?
次のような「純真無垢」で何気ないポストやいいね一つ一つの集積が、やがて生まれるべき歴史的アニメをいま殺しつつあるのだ。



🔷結論

  1. アニオリエンド希望派」は一見するとSNSでの圧倒的多数派のようだが、実際にはノイジーマイノリティに過ぎないと考えられる。

  2. 原作尊重希望派」はそもそも心理的に意見表明を行いづらく、かつSNSの構造的必然からほとんど目立つことがないが、実際には相当数存在しており、サイレントマジョリティである可能性すらある。

  3. 現時点で、アニメオリジナルのハッピーエンドが設けられる可能性は99.9%ない。

  4. 原作の優れた表現にアニメ4期がどこまで忠実であれるかは、3期放送終了から4期制作本格化にかけて(つまりは今現在)の読者・視聴者の良識次第となるだろう。


原作ネタバレOKの方は、あわせて下のマガジンもご参照下さい)


(ヘッダー画像:3期OP, 1:25[↩︎]

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