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「障害者アート」を商品にすることに、感じていること 【令和の虎志願者を見て】

先日、令和の虎で
「障害者アートビジネス」をテーマにした
企画を見ました。

ピッチしていたのは、
障害のあるお子さんを持つ
お母さんでした。

当事者の家族が
立ち上げたビジネスです。

それでも、私は
強い違和感を覚えました。

その違和感の正体を、
今日は書いておきます。


私は元教員で、
今は福祉事業所を運営しています。

そして、
発達障害のある息子の父でもあります。

当事者の家族として、
障害のある人の作品が
評価されることは、
心からうれしいことです。

その作品で収入が生まれ、
本人の生活を支えられるなら、
こんなにいいことはありません。

それなのに、
なぜ違和感を覚えたのか。

問題は「ビジネスをすること」ではなく、
「障害者アート」というラベルで
売る構造のほうに
あったからです。


「障害者の人が描いた絵」

「障害があるのに、こんなに描ける」

そう銘打って、
作品ではなく
「障害者」というラベルを売る構造になると、
それは別の話になります。

絵そのものの価値ではなく、
「障害者の作」というラベルに
値段がつく。

そして消費する側は、
作品を見ているようで、
じつは「障害があるのに頑張っている」を
消費しています。

これは、
当事者を上から見下ろす視線を、
むしろ強化する構造です。

「可哀想」「健気」「すごい」を
燃料にして回る市場が、
肝心の本人を
見えなくしていきます。


当事者の母親が始めたものだから、
この構造でも問題ない、とは
私には思えませんでした。

家族であっても、
構造そのものが
差別を助長するなら、
それは差別を助長します。

「当事者の家族だから許される」は、
構造の問題を
ぼかしてしまう
理屈になりかねません。


私が福祉の現場で
大切にしているのは、
「障害者の作品」ではなく、
「その人の作品」として
売られることです。

絵を描いた、その人。

名前のあるその人が、
作品で評価される。

「障害者」というラベルが
真っ先に来るのではなく、
本人の表現が
真っ先に来る。

その順番が守られている限り、
ビジネスにすること自体は、
むしろ歓迎すべきだと
私は思っています。


順番が逆になった瞬間、
ビジネスは、
当事者の尊厳を
削り始めます。

そして、それを
当事者の家族が始めたとしても、
構造の問題は
変わりません。

家族だからこそ、
そこに乗ってほしくなかった。

それが、
令和の虎の企画を見て
私が感じたことの正体です。


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