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オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」の旅 〜 1983年6月, 9日間

写真は 1983年6月25日, 旧「ユーゴスラヴィア」, つまりヨシップ・ブロズ・チトー(1892年5月7日生まれ, 1980年5月4日他界)のユーゴ, 要するに(でもないか)1943年から1992年まで存在した「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」の首都で, 同「共和国」の中の 6つの共和国のうちの 1つ, 「セルビア社会主義共和国」の首都でもあったベオグラード, その街中にあった市場にて, 筆者撮影。

当時22歳9か月と2週間(細かい!)の日本人バックパッカーも 既に還暦を過ぎて 5年9か月余, When I'm Sixty-Four 🎶 のその現実(だいたい歌の通りだ, 笑)からも 1年以上, 今日は オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」往復の旅, 43年前の今頃, 1983年6月下旬, 同年4月26日に日本を出てからおおよそ 2か月経過した時期の 9日間を振り返り。

まずは本題(今日の第3章まで, その後は延々と付録)に入るその前に, 以下, オーストリアに向かうまでのあらましを(しかしあらましにしてはごちゃごちゃ書き過ぎた, 毎度ながら)。

1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本を発ち, いざ行かん(?行かんと言っても行ったのだ, 笑)と始めた「ユーラシア大陸ほぼ一周の旅」, さらばシベリア鉄道 🎶 のソ連(1917年のロシア革命・十月革命を経て1922年から1991年まで存在した「ソヴィエト社会主義共和国連邦」, CCCP; Союз Советских Социалистических Республик, 英語にするなら Union of Soviet Socialist Republics, 略称 USSR, Back in the U.S.S.R. 🎶), そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, それからドイツ(「西ドイツ」とちょっとだけ, Just a Little Bit 🎶 の「東ドイツ」, それぞれ正式名称は?何年から何年まで存在した?もういいや面倒くさい, 笑), その後は フランス, スイス, そして再びのドイツ(「西ドイツ」!)を巡る旅をし, 同年,

もうここまで文字使い過ぎ(それって もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵), 同年とは 1983年のことです, その 6月21日に当時の「西ドイツ」ミュンヘン で乗った夜行列車で オーストリアの首都ウィーン に向かい, ウィーンに 6月22日 の朝, 着。ウィーンで 1泊した後, 翌 6月23日の夜行列車で当時の, つまり上記の 旧「ユーゴスラヴィア」の首都ベオグラード に行き 3泊4日, その後, 6月27日 に旧「ユーゴスラヴィア」ベオグラードをまたまた夜行列車で発ち, 翌 6月28日 朝, 再びのオーストリア, ウィーンに着。前回のウィーンは 1泊2日, 再びのウィーンでは 2泊3日, 合計すると 3泊5日, それがどうした, 何はともあれ, その次はイタリアの10日間, それは次回。


音楽の都ウィーンにて, ギターを教える日本人とドイツ語教師のオーストリア人のカップルのお世話に 〜 1983年6月22日&..

縁あって知った日本人男性とオーストリア人女性のカップルに,

いやまぁ, ともかく, お世話になりました。いったん旧「ユーゴ」のベオグラードに行ってウィーンに戻った後の2度目のウィーン(次々章)も含めて。

音楽の都ウィーンでギター教師する日本人の存在が何だかすごいね。それにオーストリア人の彼女は日本で生活したことがあって, 作ってくれる日本料理もめっちゃ美味く, それもありがたかったのであります。

その辺りをざくっと書いただけの旅ノートでありました。

ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都だった, ベオグラード 〜 1983年6月, 3泊4日

さて当時のユーゴ, チトー(前)大統領, つまりヨシップ・ブロズ・チトー(1892年5月7日生まれ, 1980年5月4日他界)が亡くなってから, 既に 3年余りの月日が経っていた。

下掲 note 第2章 冒頭

戦前はナチス・ドイツに抗い, 戦後は自国を他の東欧諸国と違ってソ連の「衛星国」にもせず, 非同盟諸国のリーダーの一人と目され, 世界にその名を轟かせたカリスマだったチトー。少数民族に配慮した政策なども行なって多民族国家を束ねていた, そのチトーの死後, 3年余りの歳月が流れ, 当時はおそらく既に「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」内の各地で民族主義的な動きが復活し, その後の悲劇, つまり, あの悲惨な, 様々な要素が複雑に入り組んだ民族紛争の火種が生まれつつあった時だったんだろうなと, いま振り返ればそう思うのだが, 少なくともまだその時, 通りすがりの旅人には何も見えていなかった。

下掲 note 第2章前半部から一部転載

後段にリンクを置く note 掲載写真15枚の中から, ここでは 4枚。

3) 1983年6月25日, 街中の市場。

13) ベオグラードの駅から街中の写真を撮った。撮った方向に歩いていくと, この白い上着(ジュース屋さんの制服)を着ていた若者が「俺の写真を撮ってくれ」とジェスチャーしてきた。写真はこの写真の下, 14) にある(リクエストに応えて写真を撮っただけではあったが, ジュースをただにしてくれた)。

14) 

15) ベオグラードの街で会った人たち皆, 親しく話した人たち皆, 列車内で会った人たち皆, 列車内で親しく話した人たち皆, 気さくで人懐っこくて親切だったユーゴの人々みんな, 今もきっと元気でいてほしい。

1983年6月27日, 6月24日から3泊4日滞在(2泊はユースホステル, 1泊は野宿!)したベオグラードを離れ, その日の夜行列車でオーストリア・ウィーンに戻った。

人懐っこいユーゴの人々, なっつかしい, 懐かしいよ!

以下, 第2章は当時の旧「ユーゴ」について, ベオグラードで撮った写真など, 第3章では当時の「殴り書き」乱筆の旅日記を一挙掲載。

「音楽の都」オーストリア・ウィーン, 2度目の滞在 〜 1983年6月28-30日

以下, 下掲 note 掲載写真(8枚)から, 2枚。

シェーンブルン宮殿のグロリエッテ, 1983年6月30日
ベルヴェデーレ宮殿(1723年完成, バロック様式), 1983年6月30日

というわけで, ウィーンではあまりいい写真撮れてないなぁ, 綺麗な街だったのに! .. フィルムは コダクロームだったのに。想い出はモノクロームの方が良いのでしょうか(笑)。

おまけのトラック。

Photograph from Ed Sheeran's second studio album, × (multiply) released on June 20, 2014 🎶

ではでは。

オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」の旅, に至るまでの "あらすじ"

シベリア鉄道で, モスクワに向かっていた 〜 43年前の初夏(1983年4-5月)

北欧諸国を旅していた「今頃」 〜 22歳, 1983年5月

ドイツの旅, 1983年 part I 〜 「西ドイツ」「東ドイツ」

初めての パリ 〜 1983年6月の10日間

スイスの旅 〜 1983年6月, たったの 3日間

ドイツの旅, 1983年 part II 〜 「西ドイツ」 ハイデルベルク, ライン下り, ノイシュヴァンシュタイン城, ダッハウ(ナチスによる強制収容所跡)

22歳の日本人バックパッカーも, いまや …

「今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう」 〜 "Leaves That Are Green" (Paul Simon, Simon & Garfunkel), 歌詞和訳

当時22歳9か月と2週間(細かい!)の日本人バックパッカーも 既に還暦を過ぎて 5年9か月余, When I'm Sixty-Four 🎶 のその現実(だいたい歌の通りだ, 笑)からも 1年以上, 今日は オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」往復の旅, 43年前の今頃, 1983年6月下旬, 同年4月26日に日本を出てからおおよそ 2か月経過した時期の 9日間を振り返り。

今日の前口上から

"I was twenty-one years when I wrote this song. I'm twenty-two now but I won't be for long. Time hurries on"

「この歌を書いた時, 私は 21歳だった。今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう。時は足速に過ぎていく」

Leaves That Are Green from Paul Simon's 1965 debut solo studio album The Paul Simon Songbook ♫

英語原詞 https://genius.com/Paul-simon-leaves-that-are-green-lyrics

[ 和訳 ]
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)

かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る

小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る

ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ

緑の木の葉は茶色に変わる

………………………………… ♫

訳注:上掲 note の中で。

Leaves That Are Green from Simon & Garfunkel's 1966 album Sounds of Silence 🎶

英語原詞 https://genius.com/Simon-and-garfunkel-leaves-that-are-green-lyrics

[ 和訳 ]
この歌を書いた時, 私は 21歳だった
今は 22歳, だけどそれも長く続かないだろう
時は足速に過ぎていく

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ (*1)
手の中に砕け 散る (*2)

かつて私の心は少女の愛で満たされていた
強く抱きしめたのに 彼女は夜の闇に消えてしまった
私が書こうとした詩のように

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る

小川に小石を投げ
波紋が広がり さざ波が走り去るのを見た
さざ波は決して音を立てなかった (*3)

緑の木の葉は茶色に変わり
風に揺られて 枯れ
手の中に砕け 散る

ハロー, ハロー, ハロー, ハロー
グッバイ, グッバイ, グッバイ, グッバイ
あるのはそれだけだ

緑の木の葉は茶色に変わる

………………………………… 🎶

訳注:上掲 note の中で。

ではでは 🎶

当時 22歳の日本人バックパッカーも, いまや 65歳, "When I'm 64" から 1年余 〜 "When I'm Sixty-Four" (Paul McCartney, the Beatles), 歌詞和訳

当時22歳9か月と2週間(細かい!)の日本人バックパッカーも 既に還暦を過ぎて 5年9か月余, When I'm Sixty-Four 🎶 のその現実(だいたい歌の通りだ, 笑)からも 1年以上, 今日は オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」往復の旅, 43年前の今頃, 1983年6月下旬, 同年4月26日に日本を出てからおおよそ 2か月経過した時期の 9日間を振り返り。

今日の前口上から(しつこい!)

When I'm Sixty-Four from the Beatles' 1967 album Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 🎶

英語原詞 https://genius.com/The-beatles-when-im-sixty-four-lyrics

[ 和訳 ]
年取って 髪が薄くなる
今から何年も先
まだ君は僕に バレンタインの贈り物をしてくれるかな?
誕生日は祝ってくれる? ワインボトルがいいね

僕が 夜中の 2時45分になっても帰って来なかったら (*2)
君は鍵をかけて 僕を閉め出す?
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる? (*3, *11)
僕が 64歳になっても

ああ, 君も年を取るよね
だけど 君があの言葉を言ってくれれば (*4)
僕は 君と一緒にいるよ

僕は自分でヒューズの修理だって出来るんだ
灯りが消えちゃったって大丈夫
君は暖炉のそばで セーターを編めるよね
日曜の朝なんかドライヴさ

庭の世話をして 雑草取りもしなくちゃ (*5)
それ以上 望む奴なんかいないさ
まだ僕を必要としてくれる? 美味しい料理 作ってくれる?
僕が 64歳になっても

夏は毎年 コテージを借りられる
それもワイト島のね, ただしそんなに高くなければだけど (*7)
節約して お金 貯めなくちゃね(節約して お金 貯めなくちゃ!)
君の膝の上には 孫たちが
ヴェラ, チャック, それに デイヴ

ハガキを送って 僕に伝えてよ
君の意見を聞きたいんだ
言いたいことを正確に言い表してほしいんだ
「敬具」なんか要らないよ

返事がほしいんだ, ここに書いてよ
永遠に私のものって
まだ僕を必要としてくれる? 僕の心の糧になってくれる? (*11)
僕が 64歳になっても!

………………………………… 🎶

訳注:上掲 note の中で。

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